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追憶~昔は逆上がりもできなかったのに

 ――蝉の声がそこかしこにこだまする暑い日だった。

 少年が神庭町に引っ越しをする丁度半年前――少年は中学校の敷地の片隅にある小さな格技棟で、一人の少女と共に30人程の生徒の前に立っていた。

「――みんな一年間ご苦労だった。今日を以て俺達は剣道部を引退する。俺はあまりいい主将ではなかったが――それでも今年個人団体共に全国大会に行けたことは、この至らない俺に協力してくれたおかげだと思っている。応援してくれた女子剣道部も合わせて礼を言わせてもらう」

 少年は頭を下げた。

 

 ――全国大会の翌日の部活ということで、今日は基本的に練習はない。後輩部員達はこれからの部の方針を決める話し合いをするために校内の会議室に移動していった。

 3年生達も引退するのでもうこれで家路につく者もいれば後輩達の話し合いを見物に行く者もいた。

 格技棟に最後に残ったのは少年であった。

「ハル」

 少年に声をかける者がいた。

 さっきまで少年の隣にいた少女――肩口まで伸びた艶やかな黒髪に、温和でぱっちりとした瞳に白い肌――世界中のどんな人が見ても美少女と言うであろう整った顔立ちの少女である。

 そして少女の後ろにはもう一人――中学生としてはかなりの長身である180センチ近い背丈にすらりとしたボディラインで制服を着こなしている。こちらも雑誌の巻頭を飾っても不思議ではない美少年であった。

「ナオ――ユイ」

「ハルはこれからどうするんだ?」

「――生徒会の引継ぎが午後にあるから帰れないからな……それまではこの格技棟の掃除でもしてようかと思ってるんだ。3年間世話になった場所だしな」

「そうだね、私も手伝うよ」

「俺も付き合うかね」

「――ナオ、お前は生徒会じゃないし残る必要はないのに、いいのか?」

「いいっていいって! 立つ鳥跡を濁さずだ」

 少年が『ナオ』と呼ぶこの少年――小笠原直哉と、『ユイ』と呼ぶこの少女――日下部結衣は、少年の幼馴染であった。

 掃除をすることになった3人は職員室に行って、夏休みなのに出勤している教師に許可を取って用具室から清掃用のワックスとモップを運び出し、格技棟に戻った。

 軽く箒で表面のゴミを掃き取ると白いワックスを無造作に格技棟に撒き、モップでフロアを磨き始めた。

「しかしまさか俺達の代が全国に行けるとはな」

 直哉が言った。

「しかもナオもハルも、個人戦では全国ベスト8まで行ったしね」

 結衣は少年の方を見た。

「ハルと大会で戦ってみたかったぜ。俺もあと一つ勝ち進めればお互い準決勝で当たったのにな」

「――俺も残念だ。次のお前を意識して目の前の相手に集中してなかった」

「でも、ナオはともかく、ハルがこの3年間でこんなに強くなるなんてね」

 結衣がにこにこして少年の方を見た。

「小さい時は自転車もなかなか乗れなくて逆上がりも出来なくて――泣きながら練習していたハルなのに……もうあの頃とは別人ね」

「――もう忘れろ、その話は」

「あの頃のハルは可愛かったのになぁ。弟って感じでよ。逆上がりができて俺達に見せに来た時のハルの笑顔なんて超可愛かったぜ。今はこんな仏頂面になっちまって」

 直哉も茶化すように笑った。

「――五月蠅ぇ」

 3人はそうして思い出話に花を咲かせながら格技棟の床をピカピカに磨き、格技棟の用具室を整理し、気持ちよく後輩に部を明け渡せる状態にした。

「終わったぁ。やっぱりこれだけ綺麗になると気持ちいいな」

 直哉はキュッキュッと足元の音を鳴らす。

「用具を戻したら生徒会室でしばらく待つようだね」

 少年達は用具を持ってまた校舎へと戻っていった。

 その途中に。

「あ、ユイ! ナオくん!」

 下駄箱に差し掛かった際に、同じく何かの用事で登校していた同級生の女子3人が声をかけてきた。

「あ、久し振り」

「どうしたの2人とも、掃除用具なんて持って」

「剣道部が今日で引退だからな。生徒会の引継ぎまで時間あるから掃除やってたんだよ」

「そうかぁ、剣道部も生徒会ももう終わりなんだねぇ」

「……」

 会話の中で蚊帳の外だった少年は靴を上履きに履き替えると、掃除用具を持って歩を進める。

「ハル?」

 結衣が声をかけた。

「用具は俺が戻しておく。先に生徒会室に行ってる」

 少年は後ろを振り向かずに、そう言って廊下を歩いて行った。

「しかし――二人とも大変だねぇ」

 二人の目の前の女子達はうんざりしたような顔をした。

「いくら幼馴染だからって、あの無能の神子柴を構ってあげてるんだから」

「そうそう、ユイもすごいよね。あんな無能の副会長なのに、今年1年学校をかつてない平穏に導いたんだから」

「やっぱり幼馴染だと、あんなのでも放っておけないものなの?」

「……」

「――ナオ、落ち着いて」

 隣で明らかに空気を変えた直哉に気付き、結衣が釘を刺した。

「――君ら、ハルに何かされたの?」

 先程まで柔和な笑顔を撒いていた直哉が、静かに目の前の女子に問い質した。

「何故ハルをそんなに悪く言う?」

「えーだって学校中のみんなが言ってるじゃん。あいつ、人に嫌われる才能があるって」

「そうそう、嘘つきだし、あいつ絶対中二でしょ。何考えてるのか全然わかんないし、無口なのをカッコいいと思っているのがキモイよね」

「そのくせいつも二人にかばってもらってばかりのくせに、自分は何もしないしねぇ。二人の優しさに甘えてるだけの金魚の糞じゃない。二人みたいな優秀な幼馴染の邪魔ばかりして、悪いと思わないのかしら」

「……」

「――全部、憶測じゃねぇか」

「……」

 女子達はその直哉の静かだが怒りを含んだ口調に、本能的にこれはまずいと感じた。

「特別ハルに何もされてないし、特別言葉を交わしたわけでもないのに、どうしてハルを無能と決めつけるのか――何を根拠に言ってるのかと思えば……はっきり言っておいてやるが、俺はハルと同情で一緒にいたことなんて一度もないぜ。俺はこの学校で誰よりもハルを信頼している」

「……」

「何故ならな、ハルは絶対に影で人の悪口を言わないからだ。憶測で人を判断して勝手な悪口を他人に言って、相手を貶めて、自分の優位性を確保しようとする――そんなことは絶対にしないんだ。あいつは常にフェアなんだ。君達なんかとは違ってな」

「……」

「これ以上ハルの人間嫌いを加速させるな……これ以上ハルを君達の勝手な憶測で侮辱したら、許さないからな」

 そう言い捨てて、憮然とした顔をしたまま直哉も踵を返して廊下の向こうに行ってしまった。

「……」

 直哉は成績優秀、スポーツ万能で性格もいい。間違いなくこの中学でナンバーワンの人気を誇る男子だ。そんな直哉に激しい口調で責められたことに女子達は茫然自失とした。

「――ナオと仲良くなりたいのなら、ハルの悪口は喧嘩を売っているようなものね」

 その様子を一部始終見ていた結衣が、青い顔をした女子達に言った。

「私も――ハルの悪口は勘弁してほしいかな」

「……」

「ほ、本当にあの神子柴を信頼して一緒にいるっていうの?」

「ええ、私もハルのことはずっと信頼しているわ」

 結衣は女子3人に笑顔を見せた。

「だって――ハルは絶対に仕事を放り出さないもの。どんなことがあっても、自分には不向きだって分かっていても、絶対に最後まではやり抜くの。だから私はハルを副会長に指名したんだから」

「……」

「ハルのことを無能って言ったけどね、今年の生徒会の実際の業務の全てはほぼ一人でハルが片づけてたのよ。目につかない仕事は俺がやるからお前は生徒全体のことを考えて動け、って私に言ってね」

「え……」

「ハルはみんなが自分のことを馬鹿にしていることもとっくに知っている――でもね、それでもあなたたちのために生徒会にもっと活動できる時間を作ってくれたの。そんなハルを無能なんて、私だって聞き捨てならないな」

「……」

 結衣の温和な言葉に、少年の悪口を喜々として話した女子達も、一切の反論が出来なくなって黙り込んだ。

「――まあ、それをみんなに知らせないハルにも問題があるけどね――何でみんな、ハルのいいところを見てくれないんだろう……」


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