春の終わりに(4)
切り落とした腕が『浄化の炎』を帯びて焼かれ、腕はすぐに跡形もなくなって白い灰となって空へ散っていった。
「はあ、はあ……」
『行雲』に纏う『浄化の炎』は、熱は全く感じない。だがそれなのに初春は全身の毛穴から汗が噴き出るような熱に冒されていた。
初めて真剣で人ならざるものであるが、少なくとも生きている者を、意識があるうちに斬った。
破壊力を炎で上乗せてもまだ初春の左腕は、小鬼の幾重にも張り巡らされた筋肉の繊維ごと骨を断ち割った時の重い感触が伝わった。
それは自分の素の戦闘力がまだこいつらと互角に戦うレベルにないことを意味している。
その考えに至った時、初春の横と背後で二つの大きな音がした。
後ろは振り向けないのだが、鍛錬の時に聞き慣れたこのカン高い爆音のような音は火車の息子が浄化の炎で小鬼の一人を全身焼いた音、もう一つは横目に少し見えたが、紫龍のあまりにも速い槍の連続突きが小鬼の四肢と頭を全て的確に吹き飛ばした音だった。
紫龍のその青龍偃月刀のような大きな槍は、『行雲』の5倍はありそうな重量だ。それでもまるで小枝でも扱うように紫龍は連続突きを放つ。紫龍は自身の神力で軽鎧を召還して纏っている。火車の息子が瘴気で暴れた時と同じ装備だ。
「おっさん――神っつーか悪魔だな、ありゃ」
こちらは4人、あちらは20。一人当たりのノルマは5体だが。
小鬼達はその紫龍のあまりにも桁外れな武勇に恐怖し、触角を光らせて互いに信号を送った。
それまで鶴翼だった陣形の中央を薄くし、側面に比重を割き始めた。
特にこちらの左翼側――初春の方に部隊を厚く割き始めた。
「……」
布陣の最も薄いところを突くのが鉄則――
つまり、初春が最も与しやすいと踏まれたということ。
人間にやられたならそれは屈辱に近いだろうが、初春に不思議と敗北感はなかった。
当然の結果と受け入れた――これが今の俺の現在地だ。
初春の方に小鬼の3体が揃って突進をかけてくる。前の一体が拳を繰り出すが初春はそれを避ける。避けたところにもう一体が棍棒を大上段から振り下ろしてきた。
初春はそれを転がるようにダイブして避けると、びしいっという何かが避ける音がして、棍棒の振り下ろされた地面の岩場に蜘蛛の巣状のヒビが入った。
「!」
最後の一体が転がった初春に向けて蹴りを放ってきた。初春は後ろに飛びながら『行雲』の刀身を寝かせて蹴りの衝撃を刀身で受け止めた。
「く……」
後ろに飛んで衝撃を避け、刀身でガードしたのに初春の両腕は軋むように痛む。蹴りの圧力に吹き飛びそうになるが踵でブレーキをかけて一足飛びに蹴りで体勢が崩れた小鬼に向かって一の太刀を見舞った。
右肩から袈裟懸けに斬られた小鬼は断末魔の悲鳴を上げて血を吹き出し、『浄化の炎』に焼かれて跡形もなく消えた。
「一体……」
初春はすぐに下がって体勢を立て直す。
紫龍との防御の鍛錬の成果が出たな――こっちの攻撃は威力不足なのに相手は一撃で致命傷の威力があるのだから分が悪い。
最初に腕を切り落とした小鬼が恐ろしい形相で初春に突進し動きを止めに来た。もう自分は戦力にならないから動きを止め仲間に仕留めさせる――などという目的ではない。明らかに初春を喰うつもりで、その乱杭歯を剥き出しにして腕を奪った初春に明らかな憎しみを向けていた。
初春はまともにぶつかり合うのを避けて腕のない小鬼の右に回り込み、がら空きになった右横腹に突きを入れた。
ばっと初春の身体中に、まるで酸のように熱い返り血がかかった。小鬼はもんどりうって倒れ、体中が炎に包まれた。
「二体……」
敵の数を数えるのは無駄な行為だが、初春は誰かと共闘するのは初めてだった。自分がその中で足手まといになっていないかを確認したいと思った。
不意に初春の頭を飛び越えて、紫龍の神獣である白い山犬が初春の前方にいる小鬼に組み付いた。
「小僧、奴等の狙いは人間の臭いのするお前だ! 私がお前を援護する! 無理攻めはせずに自分の身を守れ!」
山犬の声が飛ぶ。恐らく紫龍に自身の意図を伝える目的もあったはずだ。
って言っても――こうこちらに敵が殺到してるんじゃ、守っているだけでは押し切られる。そう何度もあの馬鹿力の攻撃は受け止められないぞ。
ほとんど考える間もなく第二波の敵が突っ込んでくる。
「……」
初春はそれを見て、瞬時に思考が前の敵に向く。
初春の思考は『無』——目の前の敵に対する対処の身に集中し、その瞬間に別の雑念は消える。
幼い頃より集団に囲まれていた初春がシビアな生存確率を上げるために辿り着いた境地である。
初春は一の太刀で目の前の敵に袈裟懸けに斬りつける。重量故に初春の攻撃は振り下ろす、薙ぎ払う、突くの三手しかない。
だが『浄化の炎』があればそれだけでもまだ相手の防御力とも渡り合える。初春は再び目の前の小鬼を斬り、激しい返り血を浴びながら相手を絶命させる。
「はあ、はあ、これで三体……」
酸のような返り血に、頭も沸くような体の火照り。それが心境が『無』である初春の鼓動をどんどん速くしていく。
だが――段々と慣れてきた。相手の動きも紫龍に比べればそれほど速くはない。かわしながらカウンターを上手く狙えば。
だが。
突然『行雲』に燃え移っていた刀身の『浄化の炎』が大きく猛り、そのまま柄を飲み込んで初春の腕に燃え移った。
「うわあああああああっ!」
さっきまで熱さを感じなかったのに、腕に燃え移った瞬間肌が爛れるようなその熱に、痛みに強い初春も思わず激痛に悲鳴を上げた。
その悲鳴に紫龍と火車の息子も目を向ける。
「ハル様!」
「くっ!」
紫龍は遠方から槍を人薙ぎして初春に衝撃波を飛ばし、初春の身体に燃え移りかけた炎をかき消した。
「な、何で、さっきまでハル様、何ともなかったのに……」
「奴等の返り血でし――神子柴殿は返り血を浴びているうちに体に瘴気を纏ってしまった――それがまだ未熟な火車殿の『浄化の炎』を暴走させてしまったんでし」
「そんな!」
「神子柴殿は神力で瘴気を防御できないし、紫龍殿のように瘴気から身を守る鎧もない――防ぐ術がなかったんでし」
「う……」
反射的に体をもんどりうたせて火を消そうとした初春は、左半身に軽い火傷を負っていた。火傷自体はまだ軽症だが、範囲が広く、酷く体が痛む。
だが。
その痛みに息を切らす間に、初春の左脇腹に一体の小鬼の強烈な棍棒の横薙ぎが直撃した。
『行雲』を握り直す余裕もなく、べきっ、という嫌な音を耳に残しながら、初春の身体は吹き飛び藪の中の大木に思い切り体を叩きつけられた。
吹き飛ばされた初春を小鬼が追い、ボロボロになった初春をその太い両腕でがっちり握りながら拾い上げられた。
「は、ハル様!」
「くっ!」
山犬が初春の救出に向かうが、他の小鬼達に進路を邪魔される。
「くそ! どけえっ!」
山犬が苛立ちの叫びを上げている頃、初春は小鬼の怪力により握力で体を握り潰され折れた肋骨が更に軋み、体中をねじりきられるような激痛に苛まれていた。叫び声を上げたいが、肺まで握力に圧迫されて声も出ない。
「あ、あ、あ……」
結界の中で為す術ない初春を見て、音々はもう目に大粒の涙を浮かべていた。
嘘――ハル様が――このままじゃハル様が死んじゃう……
紫龍も火車の息子も初春の状況がまずいことは見えていたが、互いに距離が遠すぎて、助けに回ることができなかった。
「……」
肋骨が折れ、呼吸もままならず、額を切った出血が目に入り、視界も意識も覚束ない中で初春は思っていた。
敵の動きに集中し過ぎて自分の状態に目が行ってなかったか……まったく、とんだ猪武者だぜ……一度体勢を崩されると脆い……
だが、自分の中にこれから縊り殺されることに恐怖がないのが意外だった。
これを走馬燈というのか――初春は自分の家族のことを思い出していた。
最後の日に、奴等に『死ね』という判決を下されて、俺の人生は終わった――それを自分がここまで受け入れているということがこの瞬間にはっきり分かったのが可笑しかった。
まるで犬猫のように捨てられ、虫けらのように潰される――こうして握り潰される、俺の最期を予言していたようだ。
まったく最後の最後に最高に笑えるジョークだ……
――そんなことを考えていたが。
「ハル様!」
初春の耳に、声が届いた。
虚ろな視界を声の方に首だけ向けると、そこには両手を握り締めて必死に無事を祈りながら涙する、音々の姿があった。
「……」
その音々の泣き顔を見て。
初春の頭には、記憶を消す最後の秋葉紅葉と柳雪菜の涙が思い浮かんだ。
「――不安にさせるかよ、俺が……」
小鬼に握り潰される掌の中で、初春の拳に力がこもる。
「俺の弱さで、お前を不安にさせるかよ……」
「お願い! 誰かハル様を助けて!」
そう音々が天に祈る叫びを上げた瞬間。
初春の心臓の刻印と、音々の掌の中が同時に強い熱を帯び、白色に光輝いた。
小鬼の掌の中にいた初春はとてつもない力でその握力をこじ開け、逆に握っていた小鬼の指を全てへし折るような力で脱出した。
白色に光り輝く初春の身体は空色の軽装羽織袴と草鞋という姿に変わっており、その目はそれまで以上に水を打ったように静かになっていた。
「……」
その強い光に、戦場の誰もが動きを止めて初春の様子を固唾を飲んで見守った。
「――ユキクモ」
そう静かな声で初春が呟くと、吹き飛ばされた時に手放した『行雲』が初春の手に納刀された状態で収まると、初春は鞘を帯に挿した。
「ウ――ウガアアアアアアアアッ!」
明らかに様子が変わった初春に一瞬ひるんだが、指を潰された小鬼は重傷を負っているはずの初春に噛み付こうと、牙を剥き出して走り寄った。
だが、小鬼は顎に走った閃光により体が上部に吹き飛ぶと、次の瞬間追走した初春に白い閃光で地面に叩き落とされ、地面に激突する瞬間に再び白い閃光に体を吹き飛ばされると、そのまま藪の奥の木に叩きつけられ。
[――ユキクモ」
その次の瞬間には眼前に迫った初春に『行雲』の居合で体を真っ二つにされた。背にしていた藪の木には少しの切り傷も与えず、木の密集した場所で太刀を何もない場所のように振りかざし、『浄化の炎』もなしに一撃で体を真っ二つにして見せた。
「……」
初春は『行雲』を納刀すると、自分のフォローに回っていた山犬の前に立ちふさがっていた小鬼の前に一瞬で移動すると、また白い閃光を幾重にも走らせて、今度は紫龍が先程槍を使って行ったように小鬼の四肢と頭をまるで虫の手足を捥ぐように捻り潰した。
「ウ、ウギ……」
その初春のあまりの強さに周りの小鬼達はもう完全に戦意を失ったが。
二体目の五体を捥いだ直後、初春の身体に纏われていた白い閃光が消えていき、初春の軽装羽織袴も通常の服に戻ると、初春は膝をがくりと突いてその場に倒れた。
「はあ、はあ……」
かろうじて意識が残っているという状態の初春は、体中が激痛に苛まれていた。
「雷牙! 小僧を結界の中へ運べ! そいつはもう戦えん!」
紫龍が近くにいる山犬に指示を出した。
「相手が戦意を失った。一気にとどめを刺してやろう」
その紫龍の号令で、その後小鬼達は神力を覚醒させた紫龍の鬼神のような活躍もあり、一体残らず始末されたのであった。
「はあ、はあ……」
戦闘が終了し、誰も彼も小鬼の返り血を浴び、全身が瘴気に覆われていた。
簡単な解毒術で紫龍は皆の瘴気を取り去ると、結界の中にいる初春の方へ向かった。
「……」
初春はもう立ち上がることもできない状態であったが。
「お、おっさん、火車、音々を早く……」
初春はボロボロの身体で目の前にいる音々の身体を指差した。
目の前にいる音々は気を失い、その体は雅やかな小紋から、今まで着ていたみすぼらしいものに戻っており、もう今にも暗闇に消えてしまいそうな程に体が透明化していたのであった。
「音々殿! しっかりするでし!」
土筆が必死に治癒術をかけて自身の神力を音々に注ぎ込み、何とか音々の存在を留めているという有様だった。
「神子柴殿と音々殿の身体が光り輝いて、光が消えたと同時に気を失って……」
「こ、これは! 私が家へお運びします!」
「僕もついていくでし!」
動きでは最も素早い火車の息子が音々と土筆を連れて空を駆け、家に向かっていった。
「はあ、はあ……」
「お前もボロボロだというのに……」
紫龍はゆっくりと背負い、雷牙と名付けている山犬の背に初春を乗せ、遅れて空に飛び立ち、家に向かった。
誰もいなくなったその地獄絵図のような返り血まみれの戦場の影から、一人の男が姿を現した。
黒の羽根のついたコートの下に喪服のような真っ黒なネクタイを締めた黒スーツの男は、薄笑みを浮かべながら裸木の桜の木の枝に座り、持っていた本を閉じた。
「強い瘴気と神力を感じて見物に来ましたが、面白いものが見れましたね――戦神の紫龍――まさかこんな町にいたとは。腕は全く衰えていない……」
そして背後にある三日月を見上げて、その血色の悪い男は蠱惑的な笑みを浮かべた。
「そしてあの人間――あれだけの瘴気を秘めながら神の力を引き出すとは――嗚呼、紫龍共々是非欲しい……この我が手にあの禍々しい身体を……」




