春の終わりに(2)
「ん? それは依頼ってことか?」
初春は困った顔をした。
人間からの依頼であれば報酬を受け取れるが、神や妖怪からの以来では初春には報酬は入らない。このままでは初春の最も嫌いな『ボランティア』になってしまう。
「まあ、人間のくだらない用件聞くよりはましか……」
「受けてやれ、報酬なら儂が出してやろう」
初春の考えを読み、紫龍は言った。
「おっさん金持ってたのか?」
腕っ節は滅茶苦茶強いと認めていたが、ニートだと思っていた初春はびっくりした顔をする。
「ちなみに値の張る壷とか砂金の大粒とかは勘弁してくれよ。未成年は質屋も○フオクも使えんから換金出来んからな。人間様のルールじゃ俺にそんなものやっても豚に真珠ってやつだ」
「ぬ……」
「どうやら物納の予定だったようだね、紫龍殿」
比翼が紫龍の表情の意味を見抜いた。
「まあ坊や、私からもお願いするよ。土筆殿の依頼を聞いてやってくれないかね」
周りの神達も頷くので、一人初春はアウェーに立ったことをすぐに悟った。
「ちなみにその依頼ってのは何なんだ?」
初春は肩に乗る土筆に訊いた。
「お礼がしたいんでし」
「お礼?」
「いつも毎日僕にお供えをくれる人の子に、お礼がしたいんでし」
「それ――もしかして秋葉のお婆ちゃんのことか?」
「はいでし。ミチコさんはいつも僕の祠にお参りに来て、たまにお供えもくれるんでし。この鈴もミチコさんに貰ったんでし」
「ミチコさんって言うのか、おばあちゃん」
初春も老夫婦の名前はよく知らなかった。
「でも僕は人間がお礼されて喜ぶものが分からないんでし。人間の神子柴殿ならきっとミチコさんの喜ぶことが分かると思うんでし」
周りの神々が苦笑いを浮かべた。
「――坊やに人間らしさを期待しても無駄だよ、土筆殿」
「悪かったな」
初春は憮然とした。
「まあそれを訊くだけならさすがに金をとるのもな」
「ありがとうございまし」
「……」
まあ、それだけだと心許ないかな。
俺に営業のセンスはないからな……
次の日初春は農場のアルバイトに来て、出荷するキャベツと大根の洗浄と梱包作業を行い、パレットにダンボールを積み上げる作業に勤しんだ。
「神子柴くん、ちょっと来るといい」
その折に、初春はお爺さんに呼ばれて鶏舎の方へと向かった。
鶏舎に行くと、目の前の木に3羽の鶏が足を括られ、逆さ吊りになっていた。
「……」
「これは君が次にここに来た時に、朝食で食べてもらおうと思っている鶏だ。後学のために、君に鶏を捌くのを見てもらおうかと思ってね」
どうやら逆さ吊りにしているのは頭に血を上らせて鶏を大人しくさせるためらしい。撲殺などを禁ずるなど、捌き方にまで規制が入っている宗教の中ではこのようにして殺すものもあると本で読んだことがある。
「君がこういうのが苦手なら無理には勧めないが、命を食うということを君に見てもらいたくてね」
「――いや、むしろ見たいというか――やり方を教えていただけませんか? 俺が自分の手でやってみたいんですが」
その初春のあまりに落ち着いた答えに、お爺さんはぎょっとした。
――それから初春はお爺さんの教えに従い、まず首に出刃包丁を当て、一気に鶏の首を切り落とした。鶏の細い首がぼとっと落ち、血がぼたぼたと落ち、初春も返り血を浴びる。首を切り落としても鶏の胴体はビクビクと動いており、切り口の血が左右に飛沫となって飛んだ。
「……」
淡々と鶏の首を落としていく初春。三つの首を落として逆さ吊りの鶏が皆首から血を落としている中で、初春は血だらけになった鶏の頭を拾った。
「次はどうすればいいですか?」
受け答えも全く落ち着いている。
「あ、ああ――血抜きのためにしばらく吊るしておくんだ。血が出なくなったら、後で毛を毟る」
「――そうですか。じゃあその間に鶏舎の掃除をしておきます」
初春は返り血を洗い流すために上着の黒いTシャツを脱いで、付けていたゴム手袋と一緒に近くの水道に洗い流しに行く。腕についた鶏の返り血は早くも乾いて急速に固まり始めていた。
「……」
お爺さんは初春のあまりの落ち着きぶりに狼狽していた。
「神子柴くん――以前にも鶏を捌いたことはあるのかい?」
「まさか――東京でそんな機会はありませんよ」
「なのにそんなに落ち着いていたのかい――以前紅葉にも見せようと思ったが、あの子は泣いて嫌がったぞ。怖いとかなかったのかね」
「うーん……」
初春はこの時思っていた。
自分は『骨を断つ』感覚というのを知りたかったのだ。
鶏の首を断った時、確かに固い骨があるのを感じた。それを苦しめぬようにと思いためらわずに押し切る。
自分の中に、命を断つ時にどんなためらいの感情が生まれるかを確認したかった。
「……」
初春の中で、あの時――
紅葉と雪菜の記憶を消すことになった、あの糞餓鬼どもを痛めつけた時に感じた殺意。
初春はその時のことに関しては、深い悔恨を残してはいたが。
同時に人間に対し、激しい憎しみを抱いているのも確かだった。
今も自分が首にアクセサリーとして付けている『行雲』は、人間にもその存在は認識できるが、武器として人間や生き物を斬ることはできない。
だが……本音を言えば、俺は人間をこいつで……
鶏は血抜きをして羽を毟り、残ったところをバーナーで焼いて綺麗にする。裸になった肉はアミノ酸の分解が始まるため、食べ頃になるのを待つらしい。
初春は朝の仕事を終え、居間に上がってお婆さんの作った朝食を食べていた。
大根と豚肉の煮物、チンゲンサイと卵の中華風鶏だしスープ、近くの竹林で取れたという筍と鶏肉の炒め物という朝食である。
「やっぱり若い子がいると、肉がある方がいいでしょう」
お婆さんは笑って初春を見た。確かに体力勝負の生活をしている初春にとって、貴重なタンパク源があるのはありがたかったが、それ以上にファミレスの賄いでは心許ない栄養バランスがあるのが助かっていた。
「ところでお二人は毎日お仕事で大変ですね。牛や鶏の面倒も見ているんじゃなかなか休みもないでしょうし」
「休みがないというか、無休だね。盆も正月も働いている」
「じゃあ欲しいものがあるとしたら、休みですか?」
初春はお婆さんにさりげなく切り出す。
「そうですねぇ、でももうこの生活にも慣れてしまったんですよ。さすがに歳のせいもあってなかなか上手くいかなくなってきてますが」
お婆さんは皺の刻まれた顔で微笑んだ。
「この歳になるとあまり欲しいものもなくなってきますので――欲しいものですかぁ、さて何でしょうねぇ」
元々休みもない、ないことが当たり前のものを欲さない癖がついているのだと初春は思った。
――まあいいさ、俺よりももっと確かなプロファイリングが出来る奴がいるしな。
初春は食後に庭に出て、いつもの通り汗と臭いを水で流していた。
「ハル様」
屋根の上から火車の息子の背に乗った音々が降りてくる。
「わあああ!」
火車の息子は音もなく庭に着地したが、いきなり飛び降りられてびっくりしたのか、音々は悲鳴を挙げた。
音々は火車の息子に動きを任せているとは言え、まだ背に乗せてもらうことに慣れていないようだった。初春ももう何度か火車の息子の背中に乗ったが、降りた時に股から太股にかけてが結構痛い。
「で、どうだった?」
「やっぱりここのお宅はものを大事にしてらっしゃるんですね。優しい声のアヤカシさんが沢山住み着いていました」
「アヤカシが家に沢山住み着いてる――それもどうかと思うが……」
人間の言葉は信用できない――それは初春の持論である。
深層心理をリサーチする方法があれば、言葉よりもずっと信用できる。初春の考えで音々にこの家を探り、私物から声を聞いてもらった。
「こういう時に便利だな。お前の能力は」
「ずっと役に立たない力だって言われてましたが――ハル様のおかげで私、自信が付いた気がします」
「お前の力なんて悪用する方法はいくらでもあるぜ。お前の力でインチキな占いでも開いたらぼろ儲け出来そうだしな」
「えぇ?」
「まあそれは冗談だが――要点だけ訊いてくれたか?」
「はい――そういうの『ぷらいばしぃ』って言うんでしたっけ。あまり他人のことを根掘り葉掘り訊かない方がいい、要点以外のことは訊くなって、ハル様仰ってましたもんね」
「ああ、お前も力を使う時はそれに気をつけてくれ。必要以上に人の本音なんて聞き出すものじゃない。仮に訊いたとしても、俺は仕事に関わりのない内容は訊かない。知るのはお前だけだ」
初春がこんな指示を出すのは一応の筋を通すだとかそもそも人間にあまり興味がないのもあるが、理由の多くは音々が無駄に傷つかないようにと思ってのことだった。
今も『ねんねこ神社』に来るいたずらメールのように、人間の本音なんて晒せば所詮あのように醜いものだ。人間を信じているこの頭の弱い子がいちいちそれを見ていたら無駄に傷つくだろうし、そういう人間のディープなところをこいつはまだ見ない方がいいと考えていた。
「それで、何かあったか?」
「――やっぱりお孫さんとのんびりどこかに出かけられたら、っていう思いがあるようですね」
「孫って言うと、秋葉とココロのことか……」
「旅行にも行けないので、せめて思い出になるようなことがあるといいのになぁ、って、そんな淡い気持ち……そんな思いが、この家のお婆ちゃんの私物から聞こえました」
「まあ気持ちは分からんことはないが――それで具体的に何をするかなぁ」
「はい、それでなんですけど」
やや言い渋るような口調で音々は言った。
「季節柄なのか、ちょっと具体的かもしれないお願いも訊けたんですけど」
そう言って、音々はその内容を初春に話した。
「……」
「――やっぱり、呆れてます?」
「はぁ――何でもっとゆるい依頼が来ないんだか……」
「桜――でしか?」
「ああ、孫と花見でもしながらのんびりお弁当でも食べて過ごしてみたい、だってさ。花をゆっくり見に行くこともあまりなかったらしい」
その日の夜、肩に乗る土筆に初春は低いテンションで言った。
もうゴールデンウイーク明けの5月である。桜などこのあたりで咲いているところなどない。
「依頼としては聞いてやれるのは一年後だな」
「……」
初春がお手上げと言わんばかりの顔をして、家に来ていた神や妖怪達が黙り込んだ。
「あの――」
音々が手を上げて発言を求めた。
「治癒術で桜の花を咲かせるってことはできないんでしょうか。この前やっていた、芍薬の花を開かせたみたいに」
「あの芍薬はもう蕾になっていたからね。この時期の桜の木にはもう蕾がない。開く花がないんじゃ治癒術をかけても葉が茂るだけさ」
比翼が言った。
「既に枯れて根が腐った木に治癒術をかけても死んだ者は生き返らない――元に何もないものから生み出す術じゃないよ、治癒術は」
「そうですか……」
「……」
沈黙。
「――心当たりがあるでし」
土筆がにこりと微笑む。
「この山に、一本だけある桜の木があるでし。僕がまだ駆け出しの頃からこの町にあるとても立派な木なんでし。でもその木の周りがここ数年、悪いアヤカシが生命力のあるその桜の木に悪さをしているようなんでし。そいつらの瘴気で土地の力を吸い取られて、僕一人じゃそれを清められないほど土地が毒に冒されてるんでし」
「あぁ、あの山の峰のところか」
紫龍が頷いた。
「あのあたりは僕が昔作った結界で、土地の穢れが進行しないように土地を一時仮死状態にして眠らせているんでし。もしあそこからアヤカシを追い出して結界を解除できれば、もしかしたらその桜を治癒術で復活させられるかもしれないでし」
「なるほど――しかしそれでも土地が毒を持っているんだ。ここにいるあまり力のない神の力でその毒を浄化し、そんなでかい木の桜を満開に開かせるのは大変だね」
「……」
前の依頼ではただ見ているだけだった周りの神達も考え込んでいる。
「状況を整理しよう。仮にその桜を復活させて、お婆さんに花見をさせるのだとすればだ。やることはみっつだ」
初春はパソコンを使い、それぞれの課題を書き込んだ。
「ひとつ、お婆さんが花見が出来るようにその日の仕事を迅速に終わらせる。ふたつ、その桜の木に毒を与えているアヤカシ達を追い出す。みっつ、それが終わった後に治癒術で桜の木と、周りの土地の毒を浄化する――この3つだな」
周りの神達も頷く。
「どれも俺と音々と火車の息子だけでやるのは無理だな……特にひとつ目の課題をクリアするには人海戦術しかないからな」
「小僧、私も手伝おう。要は野良仕事をやればいいのだろう?」
「僕も手伝うです!」
「その程度のことであれば、小僧がやることを教えてくれれば手伝おう」
そこにいる神や妖怪達が挙って手を上げた。
「お前達――どうした?」
「ふ――この前の仕事で音々殿が『徳』を集めたのを見たのでな。我々も人間のために働けば少しは『徳』が得られるかも知れん。そのおこぼれに預かろうと思ってな」
「……」
「じゃあ、私は土地の浄化を手伝おうか」
比翼が煙管を置いた。
「比翼――あんたも手伝うのか?」
「あぁ、といっても私は土地神じゃないから私の治癒術なんて役に立たないかもしれないがね」
「……」
「私も力仕事や戦は出来ませんので、比翼殿と土地の浄化を手伝わせていただきます」
「久々なので術が錆びてないとよいですが」
元土地神達が挙って立候補をする。
「音々、あんたも修行の成果が出るかもしれない。野良仕事でもいいけど、こっちも手を貸しておくれ」
「は、はい! 足手まといじゃなければ、頑張ります!」
「よし――じゃあ、アヤカシ退治は紫龍殿と坊やと火車が中心だね」
「ふむ――まあいいじゃろう」
紫龍は錫杖を手に取る。
「しかし紫龍殿がいれば問題ないとは思うが――小僧は大丈夫か? アヤカシ相手に実戦の経験はないのだろう?」
「まあ実戦に勝る鍛錬はない。こいつも火車を捕まえる程度には出来るのじゃ。死なん程度には頑張るじゃろう」
「……」
初春は首に巻かれた『行雲』を見た。
「とりあえず今日ここに来ていない他の神達にも声をかけて、野良仕事はもう少し手を貸してもらおう」
「1週間程度で手も集まるじゃろう。その間にアヤカシを退治し、治癒術で桜を蘇らせる――」
「……」
なぜか周りの神々が協力的なため、あっという間に話がまとまった。
「よし、じゃあ最終のおさらいだ」
初春がまとめた情報を読み上げる。
「全員をみっつの部隊に分ける。ひとつは俺と火車を中心に畑仕事を速攻で終わらせる。このグループが動くのは他の部隊が仕事を終えてからだ。次はおっさんと俺と火車で土地を腐らせるアヤカシを退治する部隊だ」
「実戦に行く前にお前達に少し稽古を付けてやろう。儂らが動くのは5日後の夜としようか」
「ああ。みっつ目は音々、比翼、土筆が中心になって土地の毒を浄化する部隊だ」
「頑張るでし!」
土筆は長い耳をひらひら動かして気合を入れた。
「よし、じゃあこれで行こう」
「神子柴殿、ありがとうでし」
「――礼なら他の奴に言え。俺は実戦じゃ役に立たんかも知れんしな」
「じゃあ、まずは頭に気合を入れてもらおうか」
紫龍が音々の方を見ると、皆挙って同じ方向を向く。
「え――わ、私ですか?」
「儂等はみんな一時的に『ねんねこ神社』の傘下で働くんだ。『ねんねこ神社』の頭はお主だろう?」
「……」
音々は戸惑った。この中で一番下っ端の神が他の者――師匠と呼んだ紫龍にさえ命令を下すことに。
――とんでもないことだ。
でも……
ハル様と一緒に頑張ろうって言って作った『ねんねこ神社』がなかったら、こんなことは絶対ありえなかった。
ハル様がいなかったら、私はもう消えてしまっていたかもしれない。
それが今、この町の先輩達がみんな一致団結してひとつの仕事が出来るなんて……
「――何だか私、皆さんと一緒に仕事できて、すごく――嬉しいです」
感無量の想いに、音々は思わず涙した。
「おいおい……」
「皆さん、ありがとうございます――土筆様のご依頼、皆さんで一緒に、頑張りましょう!」
音々が拳を上に振り上げると、周りの神達も合わせて、おー、と叫びながら拳を空へ突き上げた。
「……」
「紫龍殿――いいのかい? 坊やとあの子に何も伝えずに……あの子はともかく、坊やは事情を知ってもいいんじゃないかい」
「よい――あいつらもいずれは知ることだ。実際の目で見せてやればいい……」




