一番綺麗な星は(1)
カッ、カッという音が、初春の家の庭に響き渡る。
初春の振るう竹刀を、軽く神力を覚醒させた紫龍は錫杖一本でいなしていく。
「振る時に掛け声も出さないことと、視線での狙いが掴みにくいのはお前の剣のよいところじゃ。じゃがそれだけで一撃で決まるのは自分よりも弱い相手のみじゃ。一撃で決められる相手とそうでない相手で戦法を変えろ」
「くそ」
一撃必殺の剣のために無駄な動作を省いた初春の速い剣だが、紫龍の錫杖が常にそれを先回りする。
剣の鍛錬だから今日は蹴りなどは使わない。紫龍は使ってもよいと言っていたけれど、行雲を刀としてもうまく使えるように剣のみの軌道に集中した。
しかし、マジで剣が当たらないぞ――ここまで剣をいなされたのは直哉以来だ。
直哉は自分よりも大きな身体でまさに泰然自若に構えており、いかなる時も隙がなく、剣を受けるだけでもこちらの体勢が崩される、激しいプレッシャーがあった。剣道部顧問の白崎曰く、初春の剣が『静』の剣であれば直哉は『動』の剣だと証したことがある。
だが――直哉のような後の先を取らせないように先んじて猛攻を仕掛けてくるわけでもない。紫龍の構えは隙だらけに見えるのに当たらない……
以前手合わせした時以上に強く感じる。
「実戦は試合じゃない。当てることで勝ちになるわけではないから、小さな初動はいいが、打ち込みに力が足りんぞ。それではアヤカシを斬るには不足じゃ」
「……」
紫龍は片手で錫杖を持ちながら、初春のやや単調になり始めた攻撃に軽く反撃する素振りを見せる。初春は先ほどから紫龍が錫杖を握る手で自分の剣をいなそうとしたところを狙う、いわゆる出小手の機会をうかがっていた。
反撃の瞬間に紫龍の手が前に出てきた初春はその隙を見逃さずに竹刀を握る両手の拳を絞り込み、今までよりも少し大きな振りかぶりで威力にこだわった一の太刀を放った。
「甘い!」
紫龍は初春の一の太刀を錫上でいなしながらそのまま身体を右つま先を軸に回転させ、そのまま初春の背後に回りこみ、腰に錫上を打ち込んだ。
「ぐっ」
痛みにはある程度強い初春だが、細い錫杖とは思えない重い衝撃があり、初春は腰砕けになって膝を突いた。
顔を上げると紫龍が正対して、初春の上げた顎の先――目の前に錫杖を向けていた。
「はあ、はあ――マジかよ……今のでも駄目か」
「まあ神力で反応速度を上げておるからな。神力を使わなければいくら儂でも貰っておるかも知れん」
「反則だぜそんなの……」
「……」
そう言いながら、珍しく初春が笑っているのを紫龍は見抜いていた。
皮肉を言いながらも、さっきの火車を捕まえる課題といい、自分に一発食らわせることといい、今の初春が非常に楽しんでやっていることがわかった。防具もつけなかったのに、錫杖で叩かれることなど全く恐れずに、実に楽しそうに戦っていた。
――それだけこの小僧の中でかつての親友との勝負を通じて、強い奴と本気で闘いという思いに飢えていたということか……
こいつは、まだまだ強くなるだろうな。
思想がないと自虐しているが、初春の中で、もっと強くなりたいという思いは日に日に大きくなっているようだ。先日の自分の愚行からその答えに辿り着き、儂や火車のような力ある者との対峙で、その思いが更に強くなっている。
――こういう、強くなりたいと心から願っている者はこれからもっと伸びるだろう。
「お師匠様、ハル様、朝御飯が出来ましたよ」
音々が縁側に出てきて、庭の二人に声をかける。
「反国程度じゃが、まあ十分じゃろう。お前は基礎はそれなりに出来ておる。後は強い奴との実戦の中で学べ」
「くそ、いつか絶対その超反応を凌駕してやる」
初春は苦々しげに言った。
「……」
それとも――友人を失ったことを誤魔化すための空元気か……いずれにせよ儂には関わり合いのないことではあるが。
朝食を食べ終わると初春は音々に促され、『ねんねこ神社』に届いたという依頼メールを確認した。
依頼:小学1年生の息子の手術を受けさせて欲しい。
提示額:手術を受ける説得ができたら1万円
依頼日と期限:本日より10日
子供の頃から体が弱く、入退院を繰り返す息子の手術日が迫っているのですが、不安なのか手術を受けてくれようとしません。先生やカウンセラーの人とも話したがらず、その不安のわけが分からず、病室に立てこもって駄々をこねる毎日です。
よく息子は「流星雨が見えるような綺麗な星が見たい。それが見れたら手術を受ける」と言っております。どうかこのあたりで、息子でも行ける場所で流星雨がよく見える場所を探していただけないでしょうか。それができなければ、どうか話し相手になってやっていただけないでしょうか。
初春の作ったテンプレを使い、依頼を分かりやすく提示した依頼主だった。
「とてもお子さんを心配しているみたいですし、力になってあげたいです」
「……」
初春は音々の隣に座ってパソコンで検索を始める。
「ふーっ」
「どうしたんですか?」
「見ろよ、その子が流星雨が見たいって言うから今月に日本に流星群が来る予定があるかを調べてみたけど――夏まで全くないぜ。来る予定がない流星雨を見せろとか、大真面目っぽく書いたいたずらに限りなく近いぞ。黒○テリアでも探せっていうのか」
「でもこの方、自分の連絡先と息子さんの入院している病院名まで添えているんですよ。いたずらでそんなことするかなって……」
「……」
確かに今までいたずらメールをよこした奴等で自分の連絡先を書いた者は一人もいなかった。依頼内容はふざけているがその点では本当の依頼っぽくもある。
「なるほど――まあ本当の依頼っぽくもあるが――カウンセラーでもどうにもならんものを任せて1万円か。足元見られたなぁ。成功報酬ならもちっと高くてもよさそうなもんだが」
「でも折角の依頼ですから……」
「分かってるよ。仕事選り好みする余裕はないしな」
初春は皮肉を言ったが、提示額は依頼人の自由提示というルールで底値を言わなかっただけ、客は人間の中じゃまだマシな奴そうだと思ってそれほど悪感情を抱いてはいない。あまり人間を前向きに信じていない故に皮肉が出やすいだけだ。
「――子供、か……」
座敷に腰を下ろした紫龍は煙管に火を点ける。
「しかし、何故流星雨なんじゃろうな」
「湖の水を酒に変えられるあんたなら、神力でこの町に流星雨を召還したりできるか?」
「無茶言うな。大体流星雨を降らせても誰かが得をするわけでもない――そんな術を修行している神もおるまい」
「だよなぁ……どっちにしろ来ないんじゃ流星雨なんて無理だぜ」
「――ハル様、私、その子に会って話を聞いてみたいです」
音々が苦虫を噛み潰した顔をする。
「最初のお仕事ですから――できることをやりたいです。私も――ハル様が今、そうしているように」
「……」
できることをやる――か。
ただそれだけのことを、俺はできているのだろうか。
「――まあ、それがいいだろうな」
初春は頷いた。シンプルだが非常に建設的な意見である。
「じゃあ音々、俺はバイトに行くけど、その依頼主に会って話が聞きたいってメールを送ってくれないか? 返事が来たら待ち合わせ場所なんかはお前が適当に決めていい。決まったら即メールで知らせてくれ」
「はい」
「さて……」
初春は身体をほぐしながら出かける準備をする。
「……」
紫龍はそんな初春の様子を伺いながら、昨日紅葉と雪菜の記憶を消したことに関して初春が本当に納得したかどうかを探ろうとしたが、よく分からなかった。
バイト先のファミレスに行くと、店長が店長室にこもって朝から頭を抱えていた。
「神子柴――お前あいつらに何かしたのか?」
「……」
「ついさっき3人が揃って電話してきてな。ここで働くのが怖い――どうしてもここを辞めたいと言ってな」
「……」
何でも紫龍のおっさんが瞳術とやらであいつらの恐怖を増大させたと言っていたが……まあそんなことを言っても誰も信じないだろうな。
実際あのおっさんが本当にすごい力の持ち主だってことは、俺も今朝知ったばかりだしな。
「まああんなのでもさすがに代わりの人間が見つかるまで、せめて1ヶ月はいて欲しかったんだが……」
「……」
初春は勘がいい。要するに店長は自分に残業してカバーしろということをお願いしているのだ。
この店長だって真面目に働いている俺を『奴隷』程度に見ているのだろうし、仕事を頼む割に自分の素行にいまいち信を置いていないことも分かっているが、それでもこういう時に仕事を押し付けるのだから、全く恐れ入る……
――まあ実際俺のせいだし、いちいちそんなことを言っていてもきりがない――それが『生きる』ってことなのかも知れないが。
『持ちつ持たれつ』って言葉を平気で吐く奴は反吐が出るけど。大抵そういう奴って一方的に荷物を持たせるだけだから。
ランチタイムのキッチンの業務を終えて、初春は自分の作ったオムライスの遅い昼食を取っていた。休憩上がり後は2時間だけホールに出るので既にホールの制服に着替えていた。
携帯電話をチェックすると、音々からメールが来ていて、時間の合う時に合わせるのでいつでも息子に会いに来てほしいという返事が来たらしい。
初春は携帯でメールを打ち、明日は朝のバイトだけだから、明日どこかで時間が取れないかと客に訊いてくれと音々に指示を出した。
「……」
しかし――火車を捕まえるにせよ、この初依頼にせよ、いきなりの高難易度なんだが。
もうちょっと迷子の猫とか思い出のアクセサリー探しとかが来るのが正しい流れなんだと思うんだが。いきなり流星雨とか俺の人生と同じでハードモードである。
そんなことを思いながら、自分の首に巻かれている短剣型のオブジェになった『行雲』に目をやる。
俺がこいつをもっと使いこなせるようになれば、もっと仕事の幅も広がりそうなんだけどな……
だがやることが多いのは暇にならないからいい。
俺はまだ、暇になるととかく瘴気を出して迷惑をかけるみたいだしな……
――そんな思考の折、控室の扉が開く。
そこには学校帰りの制服を着たままの秋葉紅葉が息をせき切らせて立っていた。
「……」
「あ、あれ?」
紅葉は首を傾げながら初春の顔を覗き込む。
「あなた昨日の――え? ここの従業員さんだったんですか?」
「……」
「あ、ああ! ごめんなさい! 昨日思わずぶっちゃったことを謝るのを忘れちゃったの、ずっと気にかかってて……」
「――もういいって」
「そ、そうですか? ――あ、でもこのオムライス、とってもいい出来ですね! 店長が作ったんですか?」
「いや、俺が作ったんだよ」
――本当に、忘れてしまったんだな……
それを改めて実感しながら、初春は最後に紅葉と雪菜が言ってくれた『友達』の意味を考えていた。
でも――またここから秋葉や柳とも話すこともできて。少しは二人のことも分かりかけていたから、話す内容なんかも大体わかりはするけど。
俺は――また二人と『友達』になることはできるのだろうか……
「……」
そんな初春のことを見ながら、紅葉は心の底である違和感を感じていた。
何か昨日の夜から変だ。昨日あんなところで寝ていたというのに、何かが起こった記憶というものがない。
それに――何だろう。
前にも誰かとこんなやり取りをしたことがあるような気がする……
「あぁ、そういえばお名前を聞いてなかったですね」
「――神子柴初春」
「秋葉紅葉です」
紅葉はぺこりと頭を下げた。
「これからよろしくお願いしますね」
「――ああ」
初春は皿に残ったオムライスを口に頬張ると、皿を持って控え室を出て行く。
「……」
愛想のない人だなぁ、と、紅葉は溜め息をついた。
初春は皿を洗い場に置いてそのままホールの仕事へと入る。今日はいきなりキッチンの3人が抜けた分、店長がクルーに電話を掛けまくって何とか代わりの人員を補充したが、ホールの戦力は心許ない。ある程度ピーク時になる前に出来る仕事は終わらせてやろうと、初春は自主的に休憩時間を少し削った。
ドリンクバーの補充やパフェなどを作る食材の補充、食器も全て満タンに揃えておく。
初春のすぐ後に入ってきた紅葉は、初春の仕事ぶりを見て素直に感心する。
「……」
愛想はないけど、仕事は早くてすごく丁寧だな――それに何だかあの人、私が次に何をするのかとか、ちゃんと分かっているみたい。すごく働きやすい。
あんなに仕事が出来る人、今日から働き始めたわけじゃないはずなのに……何で今まで名前も知らなかったんだろう……
神子柴くん――か……
次の日、初春は朝の農家の仕事を終えると一度家に帰り、泥を落としてから自分が就職活動をする時のために買っておいた、一着だけのスーツに身を包んだ。とりあえず素性を少しでも怪しまれないために、客に会う時はスーツを着ることにした。
「ネクタイってどう結ぶんだろ」
初春はぎこちない手つきでネットの絵を見ながらネクタイを結んでいく。実は試着以来、スーツを着るのは初めてだった。中学は学ランだったからネクタイを結んだことがない。
「あぁ、考えていなかったが、名刺を作った方がよかったか……まあ値が張るし、もう少ししてからでいいか……」
「ハル様、普段とすごく印象が変わりましたね」
音々は初めて初春のワックスでセットされた髪の毛を見る。元々短かった初春の髪もこの町に来て一ヶ月ほど経ち、少し伸びていた。
「人間ってのは第一印象が大事らしいからな。見た目が不潔な奴ってのは誰からも信頼されないらしい。元々髪が短いから整髪なんて初めてやったんだが」
初春は溜め息をつく。
「だが――身元保証がないことで高校にも行けない俺からしたら実に馬鹿馬鹿しく思える理屈だぜ。俺みたいな奴はいくら身だしなみを綺麗にしたところでスタートラインにも立てないってのに……」
「ハル様……」
「あぁ悪い。どうも愚痴っぽくなっていかんな――しかしお前は今日どうするんだ? 俺の携帯にはボイスレコーダーが入っているから、それで帰ってきてからお前に話を聞かせてもいいんだが」
「行ってみたいです。私、その子の持ち物からその子の気持ちが分かるかもしれませんから」
「そうか――じゃあ何か聞きたいことがあったら俺に言ってくれ。それで俺が聞くから」
初春はメールで客から待ち合わせ場所に指定された病院の場所を携帯のマップに打ち込んだ。この家から自転車でも行ける距離である。
10時頃に病院に到着しメールで連絡を入れると、客から待合室で待っているという返事が届いた。
町民病院と銘打たれているが神庭町周辺では一番大きな病院。と言ってもベッドの数は30もないほどなのであるが。木造の2階建てのひなびた造りで、東京で同じ門構えだったら病院と言うより診療所と呼ばれそうである。
入り口の横にある表札には、診療科は内科と外科、小児科と書いてあった。今は外科でも乳腺だの整形外科とか脳外科とか細分化している病院も多いが、実にシンプル。
ペンキのはげかかった引き戸を上げて中に入ると、中も昔の木目が目立つ古めかしい造りだった。受付前は広く、
「わぁ、何か変な臭いがするんですね……」
他の人間に聞こえるわけでもないのに音々が小声で言った。どうやら外に出ていないからか、病院特有の消毒薬と多少のアルコールの混ざったような臭いを嗅いだ事もないらしい。
靴箱からスリッパを取り出して、初春は病院の中に入る。
待合室には数人の老人がちらほらいる他に、一人だけ女性がいた。30歳になるかならないかといったくらいの年齢で、4月の後半――桜もとっくに散った中で薄いカーディガンとジーンズという格好で、お洒落よりも機能性を重視した、小さな子供がいるお母さんといった格好だ。小さな眼鏡をかけていて文庫本に目を落としている。
初春が入ってきたのを見て、スーツ姿の男が行くという連絡を事前にしていたのでその女性はすぐに文庫本を閉じて初春の方へと歩いてきた。
「ご依頼のあった、和泉様ですか?」
「は、はい」
立ち上がってちゃんと顔を見ると、ちょっと地味な印象だが優しそうな顔立ちの女性であった。でもちょっとやつれているような表情を浮かべている。メールでは息子が何年も入退院を繰り返していると言っていたから、きっと病院への見舞いも毎日のように行っているのだろう。化粧は最低限で済ませたという感じだ。
どことなく印象が柳に似ている――なんてことを思いながら、もう雪菜も秋葉と同じ、俺のことを忘れているのだと思うと、それを思った自分が愚かしく思えた。
そんなことを考える初春をよそに、目の前にいる女性は少し心配そうな表情を浮かべた。
「どうしました?」
「いえ――あんまりお若い方が来たのでびっくりして」
「まあそうですよね。ですが仕事を請けるのであれば全力で取り組ませていただきますよ。依頼料も仕事に満足していただかなければ発生いたしませんので」
初春は言った。
――ほらな、結局それなりに礼を尽くしてこういう格好を最大限してはいるけれど、本来高校に行っている筈の奴がやっている実績のない何でも屋なんて人間は何やったって信用しない。
第一印象がよければ信頼が得られるなんて、最低限のものを持っていて、それを持っていないことの苦しみを――誰からも信用されない苦しみを知らない奴の詭弁――それを持っていない奴は人に非ず、と言っているのと同じだってことに気付いてない偽善者の傲慢さ。
まあいいけど。想定の範囲内だ。




