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俺に剣を教えてくれないか

 紫龍の手から白い光が収まると、紫龍は静かに立ち上がる。

「――終わったのか?」

「あぁ、しかしこいつらをどうしようか……」

 駐輪場には紅葉、雪菜の他に初春がぶちのめした3人も転がって眠っている。

「――こんなところに放置するわけにもいかないだろう。とりあえず起こすさ」

 そう言って初春はまず3人の許へ行き、やや乱暴に揺すった。

「う、うう」

 相手は目を覚ますと。

「ひっ!」

 初春と後ろにいた紫龍と山犬の姿を見るや否や、顔を青ざめさせた。

「う、うわああああああっ!」

 そして、脱兎の如く逃げ去ってしまう。

「……」

「お前にこっぴどくやられた恐怖心を、お前の記憶と切り離して少し増幅させたのじゃ。昔は瞳術(どうじゅつ)と呼ばれた一種の催眠術のようなものじゃ。自分が何故痛んでいるのかも覚えていないが、お前を見たらすぐに逃げ出す。この職場で働くことは不可能じゃろう」

 紫龍は言った。

「あんたの姿も見えていたようだけど」

「儂くらいになれば神力を使えばこの姿でも人間に姿を見せることも出来るし、人間や他の動物に化けることもできる。あいつらにはこいつも見せた方が効果的じゃろう?」

 紫龍は自分の乗っていた山犬の毛並みを撫でた。

「あぁ――だが、二人にはあんたは隠れていた方がいいな……」

 初春は踵を返し、眠っている紅葉と雪菜に近付いた。

「――女を起こすって、どうやりゃいいんだ……」

 初春は戸惑いながらも、二人の傍らにしゃがみ、とりあえず肩を揺すろうと手を伸ばした。

「ん……」

 しかしその時、虚ろな目をしながら紅葉と雪菜がほぼ同時に目を開ける。

「あ」

「きゃあっ!」

 紅葉は気が動転して、反射的に初春の頬にビンタをぶつけた。

 初春もその展開を予想していなかったので、ぱぁんと頬を張られる。

「あ、秋葉さん?」

「こ、この人がいきなり! え? て言うか何で私達こんなところで寝てたの?」

「え……」

 ようやく状況の確認を始める二人。

「いってぇ――まあそんだけ元気なら大丈夫だろう――怪我はないみたいだし、とりあえず金や持ち物を確認した方がいい」

 初春は紅葉に張られた頬を抑えながら言った。勿論ものを取られていないことは知っている。状況を確認させて安心させる建前だ。

「あ、あぁ……」

 その言葉に冷静さを取り戻した二人は、所有物の確認を始めた。

「よかったぁ、大丈夫だ」

「私も――大丈夫です」

「……」

 とりあえず二人が自身の無事を確認したのを見届けて、初春は立ち上がった。

「あ、あの」

 紅葉は初春の背を呼び止める。

「――もしかして、あなたって倒れた私達を心配しただけ……」

「……」

 紅葉の自分を呼ぶ呼称が『あなた』になっている。

「ああ! ごめんなさい! つい驚いちゃって……」

「――別にいい。警戒して当然だ」

 そう言って初春は駐輪所に停めてある自分の自転車の鍵を外した。

「――むしろ――謝るのは俺の方だ」

「……」

 雪菜は何も言わずに初春の方をじっと見ていた。

「ん?」

「あ、あの――」

 雪菜はあからさまに目を背けた。大丈夫ですか、と言いたいのだろう。

 でも、さっきまでの雪菜であれば、さすがに少しはどもっていただろうが、俺にそれを言うことは出来たはずだ。

 紅葉は初春の顔を覗き込む。

「――でもあなた――どなたですか?」

「……」

「このあたりでは見ない人ですね。引っ越してきた方ですか?」

「……」

 ――本当に二人とも、俺の名前すら覚えていない。俺に関する記憶が完全に消えている。

「――まあそんなところだ」

「そうなんですか。こんな田舎に越してくるなんて珍しい」

「それよりも早く帰った方がいいぞ。次は本当に危ない目に遭いかねん」

 初春がそう言うと、二人は時計を見る。

「もう11時過ぎてる……」

「やっばぁ! 急いで帰らなきゃ! 柳さんって神明だったよね。じゃあ一緒に帰ろう!」

「え……あ……?」

「あ、あれ……?」

 手を引かれる雪菜も、走り去ろうとする紅葉も、頭の中に違和感を感じていた。

 私達、何でお互いの家を知っていて、一緒に帰ろうとしていたんだっけ

 走り去る二人の背中をしばらく見守る初春。

「……」

 初春は思い切りビンタを食らった頬を小さくさすった。

「――これでよかったのか?」

 傍らで山犬の背に乗っていた紫龍が訊いた。

「あぁ。少なくとも俺のことで悩んでるよりは健全な反応だと思うぜ……」

「……」

「さあ、帰ろう」



 紫龍と初春は二人揃って玄関の扉を開け、家に戻った。

「お師匠様! ハル様!」

 その音を聞いて、どたどたと音を立てて音々が顔を出した。

「聞いてください!『ねんねこ神社』に依頼が来たんです!」

「……」

 満面の笑みの音々を見ても、紫龍も初春も何も言わなかった。

「――ハル様?」

「――そうか――でも、明日でもいいか? 今日は疲れた――」

 淡々とそう言って、初春は二階へと登って行った。

「あ――ハル様、お風呂とご飯は……」

「後で行くかも知れん。30分で来なかったら、寝てると思っていい」

「……」

 初春の部屋の戸の閉まる音。

「ふん……餓鬼が格好つけおって」

 紫龍も草鞋を脱いで居間に上がった。居間は初春の瘴気の収まったのを確認しに来た比翼や他の神々、妖怪達が2人を待っていた。

「坊や――今まで日に日に強くなってた匂いが消えちまったね」

「え?」

「なるほど――あの女子(おなご)共か」

「紫龍殿、何をしたんだい? まさか人斬りを……」

「あの小僧、今日の自分の醜態の戒めに、女子達の記憶を消してほしいと言ったのじゃ」

「――そうかい……」

「……」

「まあ坊やは気付かなかったんだろうけどねぇ、その娘達が自分に想いを寄せ始めていたなんて」

「――実に淡々としておったよ。あいつの人間嫌いは本物じゃからな」

「――そうでしょうか」

 音々が首を傾げた。

「確かにハル様は人間が大嫌いなんでしょうけど――きっとハル様は、心を痛めていると思うんです……」



 ペットボトルの水を口に含んで、肉を食いちぎった時に溜まった血をすすいでバルコニーから吐き出すと、初春は電気を消し、上着だけ脱いでそのままベッドに倒れ込んだ。

「……」

 ――自分でも意外に思う程、初春は酷い想いに苛まれ、それを制御できずにいた。

 最初はあの程度の連中に舐められ、虫けらのように殺されそうになった自分と、あの程度の連中を殺すくらいでいい気になろうとした自分の卑小さにだったが。

 今は少し違う。

 腹に数発貰った痛みは、もう殴られたことも忘れる程度のものでしかなかったが。

 紅葉からもらった平手の感触が、まだ頬にじんじんと残っていた。

 そして……

 その頬の痛みと、紅葉と雪菜の、あの他人に接するような態度が、脳裏に残留し。

 それが初春を酷く蝕んだ。

「……」

 ――俺は、自分の中にある矛盾を知っているんだ。

 俺は間違いなく人間が嫌いで、憎くて、目に映る人間すべてを殺してやりたいとすら思っている。

 だが――その反面で。

 俺が好きになった奴も、愛した(ひと)も、また同じ人間だった。

 人間にもいい奴はいて――そいつらと一緒にいる時間は心地いい。

そのことを知っているんだ。

 俺は人間が嫌いだから――紅葉や雪菜とも自分から進んで仲良くなろうとは思ったことはなかった。俺の記憶を消すのだってその方がいいと思ってやったことだった。

 なのに……

 二人が俺の名前を忘れたのを見て思い知る。

 ひとりぼっちでこの町に来て、ポンコツだと思っていたがいつも明るかった紅葉の笑顔に――そして自分のもがき苦しむような様を笑わずに見て、聞いてくれた雪菜の優しさに自分が救われていたことを。

 ――二人といる時間を心地よいと感じていたことを。

 それを俺は、あの二人も人間だからと認めずにいただけだ。

俺は人間への憎しみや自分の情けなさ、自分が人間が嫌いだという思いに捉われすぎて、二人の優しさを見ることが出来ず、目を曇らせたまま今日それを捨ててしまったのだと。

 その失ったものの大きさは、まだ量りかねるけれど……

 あの二人は俺を、確かに『友達』と呼んだ。

 俺は――あの二人と『友達』だったのか。

 なら俺は――また『友達』を失ったのか。

 記憶を失ってしまった二人を見て、そんなことに気づくなんて。

 それを手放したことが、今更痛いと思うなんて。

「……」

 ――だが、きっと俺は今のその喪失感にすらすぐに慣れていってしまうのだろう。

 俺には思想がない。

失うものがあっても、惜しむことは許されないからはじめからそばに置かなかったし、仮に少し惜しいと思うものを手放しても、そうなることが当たり前だと思っていたからすぐにその喪失感に慣れてしまう。

 欲しいものもない、失うものもない、大きな怒りもなければ、大きな喜びとも無縁……

「……」

 そのはずだったのに……

 ――今俺は、かつてないほど酷い気分になっている。

 今日、あの連中の安い挑発に乗って一方的に叩きのめしながら。

 直哉と結衣のことを思い出していた。

 あいつらが俺に神代高校の推薦枠を譲った意味が、今ならはっきり分かる。

 あいつらは最後に、俺に思想を与えてくれようとしたことが。

 生き方の分からない俺と、生き方を一緒に考えてくれようとしていたことが。

 あの瞬間にはっきりと見えた。

 そんな二人の優しさに対し、暴力で相手を殺して自分を踏みにじったことを購わせようとしていた自分が、酷く惨めに思えた。

 あいつらは強いから人に優しく出来るんじゃない。

 優しさを通せるから強いんだ。

 それが――きっと俺がずっと請い憧れた二人の強さだった。

 俺のために心を痛め、俺のために泣いてくれた紅葉と雪菜に、何一つ返してやることができなかったことの情けなさを、鮮明に感じて。

 俺は自分を馬鹿にする奴を倒すために強くなりたかったんじゃない。

 こういう時に大切に思える奴を悲しませないように――

 そんな奴等を安心させてやれるようになりたかったのだと。

 二人の記憶を失った姿を見て、はっきりと感じた。

 それなのに――今日の俺と来たら。

 あんな人をおちょくるだけの蝉同然の連中を不必要にいたぶり。

 そして――良かれと思って二人の記憶を消し、そうしてから失ったものに気付いて痛みに蝕まれている俺の思想のなさ――馬鹿さ加減を思い知らされ。

 挙句自分の出した瘴気で紫龍にさえ手を煩わせる始末だ。

「……」

 人間に復讐したい思いは消えない。

 罪を憎んで人を憎まず――なんて、どこのペテン師の言葉なんだ。そんな言葉で家族にも捨てられ、あの程度の連中にさえ簡単に嬲り殺されそうになっている俺が、人間を許そうと思えるはずもない。

 でも――

 それが楽しいと思っているわけじゃない。

 さっきの喧嘩だって、直哉と戦う時の心の高揚とは比べるべくもない。

このままじゃ駄目なんだ。

 秋葉や柳に「友達」を名乗ることも――直哉と結衣を失望させないことも……

 何よりこの町に来る前に最後に出会った俺の最初の願い……

 ――俺は本当の強さを知りたい。

 自分を虐げ蔑むような人間と同じことをしていては駄目なのだ。

 なら――俺は。

「……」

 初春は一度部屋着に着替えてから扉を開け、階段を降りた。

「ハル様――なんか今日は、もう降りてこないんじゃないかと思いました」

 音々はほっと息をつく。

「……」

「――ハル様?」

「――なあ音々。俺とお前って――『友達』なのかな」

「へっ?」

 音々はきょとんとする。

「何つーか――俺は自分の大切なものもよく分からないんだな――失ってみないと分からない――思想がないから、単純にその時正しいと思ったことばかりやっちまうんだが……」

「でも感情が常に正しいわけじゃない。特に理不尽なことを好むのが情というもんさ」

「――そうだな」

 初春は比翼の言葉に頷く。

「今日二人の記憶を消してもらって、それが分かったよ。いまだに理不尽だとは思うが、俺はあの二人を……」

 初春の目には、うっすらと涙が浮かんだ。

「辛いなら、お前の記憶も消してやろうか?」

 紫龍が徳利をあおった。

「今日記憶を消した二人のことも、お前の両親のことも、昔の親友のことも忘れればすぐに今の悩みに片がつく」

「――いや」

 初春は涙を拭いながらかぶりを振った。

「確かに忘れるのが一番楽だけど――どんなに辛くても絶対に忘れちゃいけないことがある。ナオとユイは俺にとってそれなんだと思う……ここに来る前にも言われたんだ。あの二人のことは整理しちゃいけないって」

「……」

「それに――今日秋葉と柳に教えてもらったよ。俺だけが常に正しいわけじゃないし、大切な奴にちゃんと安心してもらえる奴になるためには、もっと努力が必要だって――俺ももっと色々考えていかなきゃいけない――そうじゃないと、大切なものをちゃんと守れないって」

 そう言って、初春は紫龍の前に立った。

「おっさんに頼みがある」

 そう言って初春は背を正した。

「――頼む。俺に剣を教えてくれないか」

「え?」

 その場にいた妖怪達もぎょっとする。

「……」

 沈黙。

「――やめておいた方がいい。今日のあの様であの糞餓鬼共を殺せないお前は戦いには向いていない――お前は人を殺す悪党や、いたぶる小悪党にはなれん」

「別に殺すために剣を習いたいわけじゃない――俺はまだ人間が憎い――許したいとも思ってない。だが――人間を殺すことやいたぶることが強いことではないってことは、今日分かったから――おっさんみたいな腕の立つ奴と戦っていれば、それが分かるかもしれない――俺はそれが分かりたいんだ。そのために、必死でやらなきゃついていけないような奴にぶつかりたいんだ」

「……」

「それに――俺は罪を憎んで人を憎まずなんて心境にはなれないから――また瘴気を垂れ流すかも知れん。その時におっさんの手を煩わせるだけってのも気が引けるしな――自分のケツは自分で拭きたい。できることからまずやろうと思って」

「……」

 比翼達周りの神々は、最強の戦神の紫龍の前で戦の啖呵を切る初春の傾きを見物していた。

「――ふ、そうなれば儂も楽できるがな――それまでにどれだけかかることか」

「不満ならあんたにとってのメリットなら用意してやる」

「何?」

「俺は必ず強くなる――強くなって、あんたを退屈させない程度の使い手になったら、いつでも俺を斬っていい。あんたの戦神の血を退屈させない程度の相手になってやる――あんたの退屈しのぎにはなるだろう?」

 その答えに、周りの神々達はざわついた。

「ふん――泣かせることを言うわ――餓鬼の癖に」

 そう言うと紫龍は自分の指で十字を切ると、初春の前に光を発して、一振りの太刀が現れる。

 初春が光に手を伸ばすと太刀は光を失い、以前火車を抑える時に初春が手にした、あの反りの強い太刀が現れた。

「それをくれてやろう。失敗作じゃが、お前の遊び程度には上等すぎる刀じゃろう」

「――ありがとう」

 初春は頭を下げた。

「ふ……」

 比翼がそんな初春を見て笑った。

「紫龍殿。本当は坊やがずっと自分に剣を教わりに来ることを待っていたんじゃないのかい?」

 比翼は意地悪い笑みを浮かべて紫龍を見た。

「初めて坊やと試合った時も随分と紫龍殿は楽しそうだった。あんな紫龍殿を見るのは」

「白虎」

 比翼の言葉が終わらないうちに紫龍は愛刀を召還した。

「比翼――儂は酔うと何かを斬りたくなる悪い癖があるんじゃ」

「おっとと――全く紫龍殿の意地っ張りにも困ったもんだね」

 比翼は冷や汗をかきながら、話題をそらそうと初春を見た。

「坊や、さっきの音々の質問だけどね、友達ってのはなろうって言ってなるもんじゃない――いつの間にかなってるもんなんだよ」

「――そうか」

 初春は縁側に出て、月を見上げた。

 秋葉――柳――今日はすまなかった。

 もし借りを返せる時が来るなら、今度は……


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