ポテトフライがお勧めでございます
さすがに周りの神達も、泣いて悲しむ音々にかける言葉も見つからなかった。
そして、皆往々に思い出していた。自分達も信心を失った人間達にぞんざいに扱われたからこそ、元の住処を逃げてこの町に流れてきたことを。
「……」
全員が何も言わなくなった頃、初春がすっくと立ち上がった。
「ちょっと出てくる」
そうしていつものように外に出て行ってしまう。玄関の閉まる音。
「神子柴殿――酷く落ち着いておったな」
「元々人間に期待していなかったということか……」
いつもと変わらない初春の様子に、むしろ不気味さを感じ、色めき立つ神や妖怪達。
だが――紫龍と比翼だけは気付いていた。
人間のした事に関しては、初春は確かに動揺しなかった。
初春にとって、紅葉や雪菜のような自分を助けてくれる人間の方がむしろ想定外で、これが普通――これが一般的。他人の好意や善意に期待しない訓練が出来ている。
問題はその後……
音々が泣いているのを見て、初春の空気は変わった。
涼しい表情をしていたが、恐らく腸が煮えくり返っている。
それを音々に見せたくないから、席を立ったのだろう、と。
初春の拳は、裏山の太い樫の木の幹に強く叩き込まれた。
「はあーっ」
拳に込めた思いを吐き出すだけでは足らずに、初春は体中の空気を抜くような大きな溜め息をついた。
「あー胸糞悪ぃ……」
初春は拳を叩き込んだ樫の木に寄りかかって座った。
山の中腹の、初めて火車に会った場所は、山に住む神々が火車の薙ぎ倒した木もある程度片付けられていた。妖怪達の中にはこの山に種を植え、人間の近寄れないような深い森にし、自分達の安住の地を作ろうと考えているらしい。
周りの木がなくなって、少し開けたその平地は、少し大ぶりの岩がごろごろしてはいるが、草やシダが絨毯のように茂り、岩に苔を生し、月の光が空から入り込んでいるので、夜でも明るい。
初春は、樫の幹を殴った自分の拳を月明かりにかざした。
――俺の拳も、随分と硬くなったな。あんな樫の幹を割と思い切り殴っても、血も出てない。
小学校時代の胸糞悪い教師殴った時は、拳の痛みが頼りなかったくせに、拳を切って血が出たっけ。それから拳を硬くするために色んなことしたな。今も拳立て伏せは毎日やっているけど。
俺は――それなりには強くなったのかな。
そんなことをふっと思った時、音々の泣き顔を思い出していた。
――ああいうのは、見ていて堪えるな……
折角美しかったものを、自分の手で滅茶苦茶に汚したような気分だ。
あの時、身体でお礼するなんて言った音々を欲望のままに犯したりしたら、これよりもっと酷い気分になっただろうか。
あいつは――ただ人の役に立ちたかっただけなのに。
何も知らないとは言え、何でそれをあんなに馬鹿にするんだよ。
興味がないなら何もしなければいい――それじゃ駄目なのか? 興味がないものを馬鹿にしなければ気が済まないのか、人間ってのは。
「……」
まあ――あいつのことだけじゃないか。
俺もそうだったな。高校に行けないことが確定して、さすがにショックだったが、自分なりに気持ちを切り替えようと必死で、就職して頑張って前向きに生きようと思ったら、それを何も話していないうちにこき下ろされたっけな。
そして――今もファミレスにいる連中には、ただ生きているだけのことを馬鹿にされてるってわけだ。
――どこが強いんだよ、俺は。
この町に来ても、何も変わってねぇよ、俺は。自分が生きる場所も、見つかってない。
ユイ――あの時お前の言葉で見えたものが、俺はまだ見えているのだろうか……
「ハル様」
ふいに声がして、初春は顔を上げる。
こちらの方に音々が歩いてくる。小紋に草履では、大きな石の多いこの道はやや歩きにくそうで、裾を抑えながら、覚束ない足取りだった。
「音々――何でここが?」
「ハル様の靴の声を聞いたんです。その子と竹刀は、ハル様のことをよく知っていますから」
「――GPSかよ」
初春は4月の夜の生温い風に肩をすくめた。
「外にむやみに出ない方がいいんじゃないのか?」
「でも――私のせいですから」
「何がだよ」
「ハル様が怒ってるの……」
「……」
沈黙。
「――なあ音々、お前、人間に失望したりしたんじゃないのか?」
初春は目の前に立つ音々に問いを投げる。
「俺は正直人間ってのがこういう奴等だってのは知ってたし、今でも救おうなんて気は全くないけどさ。でも、そうだから言うわけじゃねぇけど、お前が人間に幻滅したんであれば、やめるのだってひとつの手だぜ。その時は、俺に遠慮しないでやめていいぞ」
「……」
「俺も、『ねんねこ神社』の準備をするのは、割と楽しかったしな。あれがなかったら、俺もすることがなくて病んでたと思うし――元手もほとんどかかってないしさ。いつでもやめられるからな。十分だ。気にしなくていい」
「……」
音々は、暫し沈黙した。
「――ハル様、私――もう少し続けてみたいです」
「――そうか」
初春は小さく頷いた。
「――お前はすごいな。あんだけ馬鹿にされても、人間を信じるなんて……」
「そうでしょうか」
「ああ、何でお前、そこまで人間のために働きたいなんて思えるんだか……」
「――だって、ハル様は人間じゃないですか」
「……」
「ハル様みたいな優しい方が人間にいるから――だから私、怖くないんです」
久々にディナータイムにバイトに入る初春は、久し振りに昼近くまでゆっくり睡眠をとり、11時からシフトに入り、キッチンでの業務を終えると、控え室でホールの制服に着替えた秋葉紅葉と会った。
「久し振りだなぁ、神子柴くんと仕事するのは」
「――久し振りにポンコツウェイトレスのお守りだな」
「ひどーい!」
紅葉は頬を膨らませた。
「……」
紅葉は喜怒哀楽がはっきりしていて、容姿も目立つ。何よりその大きな胸は、間違いなく男の目を引くだろう。
――仕事はポンコツだけど、それを愛嬌で乗り切れる素の明るさがあって。
それが少し、今の自分にありがたいと思えたのが、自分でも意外だった。
「どうしたの? 元気なさそうだけど」
「――いや、秋葉って、高校で男にもてそうだなって思って」
「え? 全然だよ! もうこの町じゃ見知った同級生がほとんどだしね」
「――そうなのか」
「うん――そう……」
それを聞き、二人の間に少し気まずい空気が流れかけた時に。
「うーい」
気だるそうな声を上げて、3人の高校生が控え室に入ってきた。
「お、秋葉さんが今日はバイト入ってんだ。やりぃ」
「……」
それは初春を『奴隷』と呼び、店の障害者クルーを『ブタ』と呼んでいじめており、初春に殺害予告もされた3人であった。
「あ? 何だテメェもいるのかよ……ウゼェ」
「……」
あからさまにガンを付けられる初春。
「まあいいじゃねぇか。こいつ、ここにしがみつかなきゃ死んじゃうんだから」
「だな! 俺達を脅してたけど、実際今まで何もしてこねぇしな」
そう言って一人が初春の胸倉を掴んだ。
「粋がってんじゃねぇぞ、社会のゴミが」
激しい口調でそう捨て台詞を吐くと、3人は馬鹿笑いしながら控え室を出て、着替えに向かった。
「……」
初春は黙って襟元を直す。
「神子柴くん……」
心配そうな表情で紅葉が初春に駆け寄った。
「――つーか、やっぱり秋葉ってもてるんじゃねぇの。自分で気付いてないだけでさ」
何食わぬ声で初春は言った。
「え?」
「あいつらの目――俺個人のこともそうだろうけど、秋葉と仲良くしてるのも気にいらねぇ、って目をしてたからな」
初春はああいう目に見覚えがある。昔から結衣の側にいることを癪に思われていた男達から何度も因縁を付けられて、小さい頃は何度かボコボコにされたことがある。中学に入ってからは全て返り討ちにしたけれど。
「――でも、私は嫌だな。人をあんな風に見下す人は大嫌いだよ」
「――そうか……」
初春はそれ以上何も言わずに、連中が戻る前にホールの仕事に出て行った。
「……」
あの時――いじめられている弱い人をすぐに助けに行った神子柴くん。
きっと私、あの時から神子柴くんが少し特別になっていたんだと思う。
神子柴くん――怖くて言葉が出なかったけれど。
あの後――神子柴くんみたいな優しい人がいいな、って言えたら……
あなたはやっぱり、それでも気付かないかな……
この町は過疎が進んでいるせいか元々外食利用者が少なく、外食をする人達もこのようなチェーン店ではなく、土着の居酒屋とかそういう場所に入って、顔馴染みと取るスタイルが定着している。
ランチタイムは仕事をしている人達がほとんどなので、座席の多いファミレスは客入りがいいが、ディナータイムの客入りはまばらである。
とは言っても、ホールは二人である。今日は店長がキッチンに入っていて、キッチンは4人にもかかわらず、だ。
「え? メロンソーダ切れちゃったの?」
雪菜はお客様に言われてパントリーに入る。
「うー、ドリンクバーのガロン重いー」
「俺はそういうあざといので女子に楽させるほど優しくないぜ」
「――神子柴くんって、私をビッチか何かだと思ってない?」
不機嫌そうになる紅葉の横に、初春はすっと近寄り、ガロンを持った。
「俺がやるから、秋葉はシルバーの補充でもしといてくれ」
そう言って、初春はガロンを持ってホールへと出て行く。
そういう意味か、変わるから別の仕事をしろ――
でも、あからさまな好感度アップ狙いよりいいな、こういうの。
神子柴くんは目端が効くから、すごく働きやすい。
そんな紅葉の心情をよそに、メロンソーダの交換をする初春。
「……」
こういうのも本来暇なアイドルタイムの仕事だけどな。食事時にやる仕事じゃない。
俺があまりまわりに文句言えない立場だってのを、どいつもこいつもよくご存知だ。後ろが俺だからってあからさまに手を抜くことを、パートのババア達もやり始めてやがる。
最近ディナーに入ってないけど、こういう従業員共じゃ、秋葉が俺に仕事に入れって言うわけだな。
ガロン交換のついでに炭酸補充も済ませると、来店を告げるチャイムが鳴り、初春はレジ前へ向かう。
そこには、若草色のワンピースに白のカーディガンを羽織り、茶色のブーツを履いた少女が一人立っていた。
「柳、来たんだな」
「あ……」
いきなり初春に迎えられると思っていなかった雪菜は、いきなり心臓の鼓動が早くなる。
神子柴くん――白いシャツに黒いパンツのギャルソン風の服――すごく似合ってるな。
「は、はい――来ちゃいました……」
言ってから雪菜は自分の言葉の恥ずかしさに気付く。
「そうか、じゃあどうぞ。一応聞くけど、お煙草はお吸いになりますか?」
「……」
雪菜は首を振る。相変わらず意地の悪いジョークを言うなと思った。
「じゃあ、禁煙席にご案内します」
そう言って初春は、雪菜を席に通す。
「料理を頼むならそちらのボタンでどうぞ。ちなみに本日のお勧めは、キッチンの連中の腕が怪しいので、フライヤーにポテトを突っ込むだけのポテトフライがお勧めでございます」
「そ、そんなこと言っちゃっていいんですか?」
「俺が半分呼んだようなもんだからな。柳にまずいもの食わせちゃ忍びねぇ」
今いるキッチンにいる奴等、最後に組んだ時には普通にワックスついた髪の毛触った手で料理作ってたしな……俺が客ならポテトでも食いたくないが。
「ふふふ……」
愛想はないが、相変わらずの初春のゆるさに、雪菜は少し緊張が解けてきた。
「じゃあ――ドリンクバーと、お勧めで……」
「了解」
初春はハンディにドリンクバーとポテトを打ち込む。
「それでは少々お待ちくださいませ」
そう言って初春は、一度メニューを下げた。
「そう言えば、柳の制服以外の格好、初めて見たな」
「え……変ですかね」
「いや、似合ってるんじゃねぇの?」
そう言い残して、初春はパントリーに下がった。
だが。
「神子柴くん!」
裏に入ると、紅葉が少し驚いた表情で初春を呼び止めた。
「神子柴くん――や、柳さんと知り合いなの?」
「ん? ああ、毎日図書館で会ってるからな」
「ま、毎日!」
声が裏返りそうな勢いで紅葉は驚いた。
「――リアクションでかいな」
「だ、だって柳さんって、成績もいいけど、あまり人と話さない子だから。私も中学から一緒だけど、あんな風に誰かと喋ってるの、見たことなかったから。びっくりしたよ」
「――まあ、確かに口下手だけどな……俺も喋るのは好きじゃないから丁度いい」
初春は雪菜の行動を反芻する。
「柳も秋葉と同じ制服着てたし、同じ高校だろ」
「う、うん、クラスも一緒なんだ。まだちゃんと話したことはないけど……」
「秋葉。よかったら柳と色々話してやってくれよ。柳はなんか、もうちょっと人とちゃんと話せるようになりたいんだとさ。秋葉みたいな奴が話してやってくれたら、柳も友達とか出来ると思うし――頼むよ」
そう言って、初春は両手を合わせて紅葉を拝むポーズをした。
「あ――でも、柳を秋葉みたいにあんまり派手に改造しちゃ駄目だぜ。きっとそういうノリは苦手そうだから」
「……」
紅葉はパントリーから雪菜の方を見る。
小柄な身体に、一度も髪の毛に色を加えてないバージンヘアのショートボブ。少し前髪が目にかかっていて、地味で陰気な印象だけど、大きくくりっとした目をしている童顔の少女。まだ化粧をしたことはないみたいだけど、肌はずっと本を読んでいて、紫外線と無縁のインドアな生活をしていたからか、名前の通り雪の結晶のような透明感がある。
――多分、お洒落したらすぐにもててしまうと思う。おじさんとかには特に……
雪菜は高校に行く前に染めたばかりの、栗色の髪を触る。
「――黒い髪の方が――神子柴くんの好み?」
「は?」
「ううん、ごめん、忘れて」
「――変な奴」
そう言った時、パントリーからがたっと食器をやや乱暴に置かれる音がした。
既に今の状態でキッチンは提供時間が遅れ始めている。それなのに初春と紅葉が話し込んでいるのが気に入らなかったらしい。
初春は提供台に出たポテトフライを取り、伝票のバーコードをスキャンする。
「テメエ客の女にも手をかけてんのかよ。いい身分だな」
初春に中から罵声が飛ぶ。
「問題ないでしょう。俺、仕事はちゃんと終わらせてますから」
涼しい顔をして初春はポテトを雪菜のところに持っていった。
紅葉は再びパントリーから雪菜の方を見る。
「……」
まず靴――歩き方から見てブーツなんて履き慣れていなさそうな感じだったし。服も確かにゆるくまとめて可愛いけれど、あれはほんのちょっとだけ古い流行の服だ。森ガールとかそういう時代の。ファッション初心者のお金のない女の子が頑張って勉強してまとめたって感じ。
全体的に不自然にならないように、ちょっと背伸びしたって印象をファッションから何となく感じてしまう。
もしかして、柳さんって……




