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こいつらは蝉だ


「店長、この店のどこかに、チラシを貼らせていただくことは可能ですか?」

「ん? 何でも屋――ねんねこ神社? 何だこれ」

「俺がこの仕事の合間に、知り合いと始める掛け持ち仕事です。宣伝したくて」

「ふむ――まあ少しくらいならいいんじゃないか? 店のメニューの宣伝に使うようなPOPを置くような目立つ場所じゃなければ」

「ありがとうございます」

 初春はランチタイムの厨房で、まず職場のレストランの店長に作ったばかりの『ねんねこ神社』の宣伝用のチラシを貼る許可を得た。基本店長は肝要なイエスマンだから、こういう時は助かる。

 初春は玉葱をスライサーで切り、水に晒して辛味を飛ばしてザルに上げる。店長は今日も大量のレタスをサラダ用に切っていた。

 人の入りの多いところは値段が張るが奮発してカラーコピーのチラシを貼る。始めは局地を出来る限り効果的に攻めていこうと考えた。

「しかし神子柴、こっちの仕事にあまり影響を出さない程度にしてくれよ。戦力になってくれてるのはありがたいんだが、どうもお前、最近ディナータイムだけじゃなく、ランチのパートさん達からも近づきがたいって声も出ているんでな。お前の仕事がおろそかになると、きっと不満も出るからな」

 店長は包丁を持ちながら言った。初春が包丁を従業員に突きつけて以来、少しでも安全なものにしてくれという声が上がり、包丁は先端の丸いものに変わっている。

「……」

 相変わらず自分達が被害者面か――それをクビにする決定権のある人間にチクリ続ける。

 俺が近づきがたい? 影で俺を『奴隷』なんて言ってたのはどこの誰だよ。どこの世界に自分を『奴隷』と思っている奴に近づこうと思う奴がいるんだ。

 初春は小さな頃から何もしていなくても自分が悪者であることを脚色されることをされてきたので、ここの従業員がどんなことを言っているかも想像が付くが、きっとここでもこういう枕詞を挟んでいるんだろう。

『私達は仲良くしたいと思っている。でもあの子が……』

 自己の正当化をするだけならまだしも、それを言うことで相手を貶めている。それに気付いているのか気付いていないのか知らないが、喧嘩を仲裁された時に大抵の人間はこの言葉を口にする。

初春もこの言葉を幼い頃から何度も聞いた。最もこの言葉をよく言ったのは両親だった。自分の不倫なんかを相手のせいにするのによく使っていた。

――問うに落ちず、語るに落ちるってのはこのことだな。その言葉が自然に出る時点で、お前は俺を見下してるんだよ。

 まったく人間ってのは、心にもないことを平気で口にしやがる。息を吐くように嘘をつくってやつだな。

「――別に俺ははじめから他の人の仕事の足を引っ張る気はないんで。仕事であればそれで十分でしょう」

 初春はそれだけ答えた。本当の人間嫌いは報復をしない。そうして反撃することで嫌いな人間との接触を増やすこと自体が煩わしいからという自分の持論に従っている。

「……」

 店長も何も言わなくなった。初春は不評を集めてはいるが、この職場の人間に明確な嫌がらせを自分からするような場面が一度もないためである。包丁を突きつけた時だって、始めに手を出したのは向こうからだったという秋葉紅葉の証言もあるし、仕事もホール、キッチンどちらもこなせ、社員の目から見ては非常に優秀で使い勝手のいいクルーである。他のクルーから文句は出ていても、追い出す理由が現状ないのである。

 初春はザルに上げた玉葱を容器に移し替え、今度は三色ピーマンを刻み始める。

 まあ報復はしないさ。報復はな……



 5時になり仕事を上がると、初春はメールを音々に打ち始めた。バイトが終わったら連絡し、そこから音々がこちらへとやってくる。音々の短い行動時間を少しでも無駄にしないための配慮である。

フリック入力も出来ない初春のたどたどしいメール入力が行われる中、学校を終えバイトに出勤してきた紅葉と控え室で鉢合わせた。

「神子柴くん!」

 会うなり紅葉はいきなり不機嫌であった。

「な、何だ?」

「こ、このチラシなんだけど!」

 そう言って、紅葉は初春が店の入り口のスペースに張った『ねんねこ神社』のポスターをずいと出した。

「――おい、折角張ったばかりなのに」

「こ、このチラシのイラスト――かぁいいねぇ……」

「は?」

 とろけるような笑顔で紅葉が言うので、初春は呆気に取られた。

「このチラシ、神子柴くんが持ってきたっていうから――このネコちゃん、神子柴くんが描いたの?」

「いや――知り合いが絵の上手い人に頼んでくれて、描いてもらったんだ」

「お、お願い! この絵を持ってるなら私にも転送してくれない?」

 紅葉の目は真剣であった。

「――もしかして秋葉って、猫好き?」

 そういえば心の財布も紅葉がプレゼントしたって言ってたしな――猫だったのは紅葉の趣味か。

 初春は自分の携帯にあった、雪菜から貰ったイラストの絵を全パターン紅葉のアドレスに送信した。

「あぁーかぁいすぎるよぉーこのネコちゃん……」

 携帯の画面を見ながら喜ぶ紅葉は、初春が若干引くレベルで恍惚とした表情をしていた。

「……」

 これはイラストの効果を認めたいところであるが、紅葉が単純なアホの子だから釣れたのか、この喜び方ではあまり参考にならない。

「ていうかイラストがメインで、チラシの内容はスルーか」

 それを言うと紅葉ははっと我に返ったように初春の方を見た。

「ちょっとおーっ」

「――何なんだ今日は」

「神子柴くん、こんなものを作ってたって何で言ってくれなかったの?」

「何でって――出来るかどうか手探りでやってたから、話せるようなもんじゃなかったし、それに……」

「――それに?」

「――いや、なんでもない」

「ええっ! そこまで言っておいて! 言ってよ!」

「自分の話はしない主義なんだ。面白くないから」

「秘密主義だなぁ」

 紅葉は大きな胸を寄せるように肩をすくめた。

 でも、それとは別に、少し安心していた。

 よかった――いつもの神子柴くんだ。

 最後に会った時に初春は『名前が決まった』と言って、妹の心を抱き上げて喜んでいたけれど。

 その前に心が、自分のことを好きか初春に聞くという暴挙に及び。

 その答えとして初春は、自分がろくでなしだから、という答えを出した。

 その時に紅葉は、自分の今の想いが初春にどう思われているのかと、学校に行っていないことの引け目なのか、その時触れてはいけないものに触れたような気がして。

 どんな顔をして会えばいいか分からなくて、それを変な同情とかに受け取られたりしてしまうのが怖くて、妙なテンションを繕ってしまった。

「でも――『ねんねこ神社』って可愛い名前だね」

「そうか? 周りからはセンスを馬鹿にされたんだが」

「神子柴くんが何でもやるの?」

「正確には他にもいるけどな」

「――そうなんだ」

 この町に来て仕事ばかりしていて、何か一緒に作るような友達がいるようには見えなかったけど……

 いつの間にそんな仲の人と出会ったのだろう。

「ん」

 不意に初春の脳裏にぴくりと反応するものがあった。初春は席を立って、紅葉に白黒コピー版のチラシを渡す。

「秋葉も依頼があれば相談してくれ。借りがある分格安で仕事するぜ」

「無料じゃないの?」

「俺のこの世で一番嫌いな言葉は『ボランティア』だからな。それやるくらいなら格安でも倍働いた方がいい」

「あ、ちょ、ちょっと待って、神子柴くん……」

 そう言って自分の横を通り過ぎる初春を紅葉は呼び止めた。

「ま、またね。お仕事、頑張ってね」

「――ああ」

 そう言って、初春は控え室を出て行った。



 外に出ると駐車場の前に音々が立っていた。

「早いなお前、メールして3分経ってないぞ」

「お師匠様が神獣で送ってくれたんです。あとは好きにやれってもう帰っちゃいましたけど」

「そうか……暇ならあのおっさんも手伝ってくれりゃいいのに」

 初春は、あの火車を止めた夜に、紫龍の神獣である白い山犬の背に乗って、夜空のすぐ近くで星を見た時のことを思い出す。

「俺やお前にも、あんな風にびゅーんと空を飛べるものがあるといいんだが……」

 そう言いかけて、初春は口を止める。

 神庭町は元々往来は少ないが、このファミレスがあるのは駅前だから、ちらほらと下校中の学生や買い物に行く主婦などが歩いている。

音々はまだ体ははっきりと見えているが、入学式でも正月でもない時期に小紋を着ている。普通に考えたら目立って音々の方を見そうなものだが、往来の者は小紋の音々にまったく気付く様子も見せない。

「――てことは外で俺とお前が喋ってたら、俺が一人で喋ってるように見えてるってことか……俺が変な人に思われたら、交渉しにくくなりそうだな」

「でも私は耳がいいですから、ハル様の声はすごい小声でも聞こえますよ」

「……」

 初春は声にもならない声で唇をなるべく動かさずに一言呟いた。

「ふえっ!」

 言った瞬間、音々は自分の着ている小紋の裾をきょろきょろ見回した。

「――本当に聞こえるんだな」

 また声なき声で呟く。

「え――嘘だったんですね!」

 音々は怒った。初春の呟いた言葉は『じゃあ音々の着物の裾が破れて、太ももが見えてることもうっかり口に出せんな』だった。

「悪い悪い。本当はプリンをお前に内緒で食べちゃったことなんだ」

「え……」

 音々は初春の小声を聞き取り、嫉妬したような顔をしながら口元に唾液を浮かばせた。

「……」

 アホな子だ……

「お前の時間がもったいない。自転車に乗れ」

「え、これに乗るんですか?」

「それしかないだろう? お前の活動時間は短いしな」

 初春は自転車にまたがり、音々を後部に促した。

「は、ハル様、強くしがみついちゃうかもしれませんが……宜しくお願いします」

 そう言って、音々は後部座席に乗る前に少し小紋の裾をめくって跨り、初春の肩を背中から腕を伸ばしてしがみついた。

「軽っ」

 音々が乗った感触はあるのだが、自転車の後ろに荷物を乗せたような負担感はまるで感じない。二人乗りの感じがしない。

「じゃあいくぞ。あまり暴れるなよ」

 そう言って、初春は自転車を漕ぎ出す。

「わあっ」

 音々は初めて乗る自転車の二人乗りに、振り落とされないようにしがみつくのが精一杯だった。このままだと初春の服が伸びてしまうんじゃないかと思うくらい。

 でも、しがみつく初春の体は、何だかごつごつしていて、骨の感触が分かるくらいの感触の中に、しなやかな反発のある筋肉の感触がわずかにあって。

 こうすると、本当に近くに初春のことを感じるんだな、ということを、音々は初めて知った。その、近くに初春がいる安心感が、次第に二人乗りで揺れる自転車の怖さを不思議と取り去っていく……

「……」

 そんな音々とは対照的に初春は自転車をこぎながら物思いにふけっていた。

 女の子を自転車の後ろに乗せて、長い長い下り坂を下ってくような……そんなシーンを青春というのだろうか。

 でも、不思議だな。何で自分が今青春を謳歌しているような気がしないのは。

 直哉が今、結衣をこうして家に送り届けているのだろうかと思うと、酷く自分の中で沈み込む何かがあることを、初春は自覚していた。

 それに……

 ――はじめに公民館や町役場などの公共施設の掲示板を当たった後、スーパーマーケットや駅のホームなどに許可を取り、10枚用意したカラーコピーは駅前周辺に全て貼り付けた。

「意外と許可は(・・・)出るんだな」

 この町は人口が少ないのでチラシなどを貼る人が元々少ないらしい。掲示板があってもスカスカという場所が多かったので、公共施設ではほぼ断られることもなくOKが出た。

「これで後は、依頼が来るのを待つだけですね。楽しみだなぁ」

 少し体の輪郭が透明になり始めている音々が嬉しそうに言った。

「……」

 初春は家に向かって自転車を走らせながら、暫し考えを巡らせた。

「音々、3日待ってその夜に一緒に『ねんねこ神社』のホームページを見よう。それまでは見るのを少し我慢しろ」

「え? お客様が来たらすぐに返事しないと……」

「――大丈夫だよ。多分な」



「うぅぅぅ……」

 帰るなり、音々は居間のパソコンの前に座って、そわそわうずうずとしていた。まるで試験の結果が出るのを待つ受験生のようであった。

「おあずけを食らったってわけかい」

 比翼がそんな音々を可笑しそうに見ていた。

「け――結果が知りたいです――やっと私、神様として働けるようになるのに……」

「……」

 紫龍は煙草をふかす。

「じゃあ音々、待ってるのも体に毒だし、何か別のことをするか」

「ハル様、別のことって?」

「プリンを作ろう」

「!」

 音々はばっと立ち上がる。

「は、ハル様、ぷりんを作るのですか? わぁい!」

「……」

 アホな娘だ……

 ――初春と音々は、キッチンで沸かした卵と砂糖、牛乳を混ぜて容器に入れ、熱湯にかける。10分ほど温めたものを上げて冷水で軽く冷やし、それから冷蔵庫に入れる。

「これで1時間くらい冷やせば完成だ。ここで大人しく待ってるんだぞ」

「ふふふ……まだかなぁ、まだかなぁ……」

 音々は今度は冷蔵庫の前でそわそわしながら、冷蔵庫と時計を何度もちらちらと見比べる。

「まあ、大人しく待ってろ。俺は少し走ってくるよ」

 そう言って初春は上に羽織る部屋着を脱いで、家の外に出た。軽く関節を回し、ストレッチをしてから、初春はまず家の前の山道を降りて農道に入る。

「ん?」

 不意に後ろから強烈な気配を感じ、初春は後ろを向いた。

 後ろから山犬に乗った紫龍が初春を追いかけてきたのであった。田植えの始まった水田の上を、空気を蹴るようにして初春と併走する。

「――ネコ○スかよ」

 不意に初春の脳裏に、田舎道で幼女の名を叫ぶお婆さんの姿が思い浮かんだ。

「お前はあの阿呆の扱いが上手いな」

 紫龍が皮肉めいて走る初春に言った。

「宣伝をしてどうなるのか、お前は大体分かっているようじゃな。あいつがひとりで結果を見ないようにするつもりか」

「――そうならなきゃいいけどな。しかしあのプリンがあんな時間稼ぎになるとは……」

「ん?」

 紫龍が気配を感じ上を見上げると、白蛇に乗った比翼が初春達の頭上を飛んでおり、上空から高度を下げてくる。

「坊やもあの娘に甘いね」

 比翼の声がした。

「――比翼、あまりあいつにアホなことを教えるなよ」

「怒ってるのかい? 坊やの歳なら、女の身体ってやつには興味があるだろうと思ったんだが……」

「……」

 まったくだ。もし音々が人間なら、初春ももしかしたら魔が刺したかもしれない。

 だが……

「――可哀想じゃんよ。あんな家に、何年もずっと外に出られなくて、やりたいこともできずに――なのにあんな風にいつも笑ってさ――そんなあいつを踏みにじったりなんて、寝覚めが悪いじゃん。俺は神様が恋するかなんてわかんないけど――これから好きな人が出来るなら、あいつのそういうのって、あいつの好きな人に任せてやりたいじゃん」

「――そうかい。坊やはあの娘に甘いね……」

 それを聞くと、紫龍と比翼は神獣の踵を返させ、一足飛びに家へと戻っていった。

「……」

 どうなるかなんて、大体分かってるんだけどね……



 それから約束の3日後。

 初春はバイト帰りに図書館で勉強を済ませ、柳雪菜と共に短い帰り道を歩いていた。

「ふあ……」

「ね、眠そうですね」

「あぁ……朝のバイトもやってるしな」

 初春は一日おきに紅葉の祖父母の家でアルバイトを続けている。何でも屋の準備にとられる時間が減り、肉体的には大分楽なのだが、やはり起きる時間が一日置きに変わるのにだけはまだ慣れない。

「早起きには自信があったんだが……」

「……」

 そんなに働いてるんだ。神子柴くん。

 雪菜はずっと、最期に初春の電話した時に言った『自分は社会の最底辺』という言葉が引っかかっていた。

 それは――やっぱり自分が高校に行ってないことが、引っかかっているのだろうか。

 神子柴くんが同じ学校にいてくれたら――私はとても嬉しいのに。

 神子柴くんって――図書館にいる時以外だと、一体どんな人なのだろう。

 私以外の人と、どうやって接しているのだろう……そこには辛い思いもあるのだろうか。

「あ、あの、神子柴くんって、明日、レストランにいらっしゃいますか?」

「ん? ああ、明日は確か夜に働いてるな」

「そ、それじゃ学校帰りに、神子柴くんのアルバイト先に、お邪魔してもいい――ですか?」

「あぁ――そうか、明日図書館が閉館日だもんな。分かった」

「み、神子柴くんは、表に出ているんですか?」

「多分――でもご指名があればキッチンもやるけどな。ポテトフライを超盛ったりはできんが」

「だ、大丈夫です、それは……」

 雪菜はかぶりを振った。

「……」

 そう言えば、明日のシフトって秋葉も入ってたっけ。久し振りに秋葉と仕事するな――柳とは同じ学校、同じ学年だし、友達になってやってくれたりしないだろうか。

 そんなことを考えた。



「ただいま」

 そう言って玄関を開けるが、家からは何の反応もない。いつもは音々が玄関まで来るのだが。

 そこに少し違和感を覚えながら、初春は居間に向かうと

 まるでお通夜のような雰囲気で神々や妖怪達が周りを囲み。

 その中心で、起動したパソコンを前に肩を小さく揺らす音々がいた。

「坊や、お帰り」

 誰も口を開かないので、比翼がそう言った。

「……」

 その声を聞いて、音々が、泣き通してぐしゃぐしゃになった顔を向けた。

「わあぁぁーん……ハル様……」

 音々は初春の胸に飛び込んで、子供のように泣きじゃくった。

「……」

 暗鬱とした気分になった。

「そうか――中身を見ちゃったんだな」

 初春は言った。

「え――も、もうハル様はご覧になっていたのですか?」

「見てないよ。お前の見たメール、未開封設定になっていただろう」

 そう言って初春は音々の隣に座り、パソコンを起動させる。

「も、もしかして見るんですか?」

「ああ、大体見なくても想像は付くがな」

 初春はそう言って、『ねんねこ神社』のホームページからメールボックスを開いた。

 届いた件数は約80通。

「……」

 この件数を見ただけで嫌な予感がするというものだ。

 既に開かれているメールを一つ一つチェックする。


『バカだwwwバカがいるwww』

『はいはい、ゆとりは夢見てないでちゃんと働こうねwww』

『何でも屋w名前もダセーしやってることとも終わってんなこいつら』

『仕事欲しいの? 1円出すんでセ○レ紹介オナシャス』

『何でも探せんの? じゃあ2000円出すから石油出るところ探してきて』

『あなたは当サイトの会員規約に違反しました。すぐに利用料4万円を振り込んでください』


 メールボックスは、惨憺たるいたずらメールで埋め尽くされていた。スパムメールや架空請求、卑猥な文字をただ打ち込んだだけのもの、多種多様の嫌がらせの数々。

 実質的な依頼は――

 ゼロ。

「これはひどい……」

 周りの神や妖怪達も、その心無い書き込みに目を覆った。あまりの汚い内容に皆反吐が出そうな顔をしている。

「ま、しょうがねぇよ。これではじめから依頼が来るようなら、みんなだって人間に棲家を追われてないだろ」

 初春は淡々と言った。

「な、神子柴殿! あれだけ準備をしたあなたが何故そんなに落ち着いて……」

「この小僧は初めからこうなることがわかっておったのじゃよ」

 紫龍が動揺する周りの神達を遮った。

「ほ、本当ですか、ハル様」

「――別に確信じゃないがな。そうならないならいいな、くらいは思ってた」

 初春は言った。

「警察が犯人の情報を募る掲示板でも、数十件は『自分が犯人だ』って名乗るようなメール送る馬鹿がいる時代だしな。まして何の実績もない何でも屋――誰も期待してない。てことは、はじめから見下されるってことだ。見下してる相手に人間ってのはこういう姿を晒す。徒党組んでるなら尚更だ。」

 初春は淡々とメールを消去していく。

「選択の場合は他人の意見を聞ける方が楽だが、仕事になると他人のアクションに期待したり、他人に決定を委ねるってのは一番だるいな」

「そこまで分かっていて、何でこんなことをしたのだ?」

 妖怪の一人が訊いた。

「人間を判断するいい機会だと思っただけだよ。淀みのない、水や風のような心で人間を見極めるために、俺はこの仕事をやってるんだ。この人間の反応を見て、俺が悪かったと思えるなら、俺も人間に対して、斬りたいと思わなくなるかもしれないと思ったんだが」

「……」

 紫龍は初春の周りに流れる気を凝視する。

 悲しみに暮れる音々の横で、初春の心音や体温などで周りの空気が淀む気配はまるでない。

 この結果を見て、あれだけこの『ねんねこ神社』のために様々な準備をしてきたというのに、初春はまるでショックを受けていない。

 人間が自分の思うとおり、本当に救い難いという認識を深めて、改めて失望しているだけだ。

 瘴気の少しも出ていない。不気味なほど落ち着いていた。

 メールを一通り消し終わると、初春は横でショックを受けて泣いている音々の方を見る。

「……」

 こいつは、人間を信じていたのに。

 こんな奴らばかりの人間を救うために、心から力になるために。

 心を砕いて、一生懸命働こうとしていたのに。

 それを人間は、最低の形で踏みにじった。

 可哀想なことを――音々が泣くのも無理はない。

 つまんねぇことしやがって――

「俺が人間の次に嫌いな生き物は蝉だ」

 初春が言った。

「人間の手に届かないところに引っ込んで、戦うこともしないで最後には小便引っ掛けて、おちょくり倒して逃げてくんだ」

「……」

「俺が人間じゃないんだとしたら、こいつらは蝉だ――自分は安全な場所にいて、他人に小便引っ掛けて嘲笑ってる蝉みたいだよ。これが俺や音々も踏みにじる人間様ってわけかい」

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