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私を待っていてくれませんか?

「そうか、イラストの方もOKが出たのか。ありがとな、柳」

 図書館からの帰り道で、初春は雪菜からの報告を聞いていた。

「じゃあその人に、これを渡してくれ。この中央に来るようなイラストを依頼したいんだ」

 そう言って初春は、音々と試行錯誤して、技術書を見ながら作ったポスターのひな型を差し出した。

「ねんねこ――神社?」

 雪菜はポスターの上部に書かれた、飾り文字での名前を見た。

「――か、可愛い名前ですね……」

 雪菜は割と本当にそう思った。無骨な印象のある初春から、こんなふわふわした名前が出ると思ってなかったので、ちょっとそのギャップに萌えた。

「――他の奴等には軒並み不評だったんだけどな。可愛いものに猫ってのは、安直なのかね」

「……」

「――まあ、これでイラストが完成したら、ようやく仕事として動き出せる――『ねんねこ神社』の爆誕だな」

 初春は自転車を押しながら、ほっとしたように言った。

「――あまり、嬉しそうじゃないですね」

 その様子に雪菜は違和感を覚える。

「そう見える? 俺、祭りの本番よりも、祭りの準備の方が楽しいってタイプの人間だからかな」

 初春は中学時代は生徒会の副会長という名目上、結衣の黒子として、各イベントの雑用を精力的に行っていた。目立つ仕事を結衣がやっていたために、評価されることはなかったが。

「むしろ祭りの本番のあの『楽しまなきゃいけない』『楽しんだもん勝ち』『楽しめない奴はおかしい』みたいな空気は苦手なんだ。邪魔しないようにおとなしくしてりゃ『つまらなそうな顔して周りの空気悪くしないでよ』とか言われるのとか最悪だな。そういう感情を強要されるのが苦手でな」

「……」

 ――どうしよう。その気持ち、すごくよくわかる。そういう気持ちを持っている人が私以外にもいてくれて、嬉しい。

 何か言いたかったけれど、変なテンションになりそうな自分を律して、初春に変に思われないように、にやにやしてしまう自分を律するので精一杯になる。

「それに――あいつも多分、思い知るだろうしな……」

「え?」

「いや、こっちの話だ。今回のこと、ありがとな。お礼に柳の依頼があれば、何でも格安で引き受けるからな」

 初春は頭を下げた。

「あ、そうだ。ついでってわけじゃないけど、よかったらこれ使ってくれ」

 そう言って初春は自分の財布から、小さな紙片を取り出して、雪菜に差し出した。

「これ」

「俺がバイトしてるファミレスの従業員優待券。俺は使わないし、柳、そんなに本を読むなら図書館が休みの日とかどうかなと思って。ドリバーだけでも100円でずっといられるし。休みの日は図書館よりも快適かもしれんぞ」

「……」

 神子柴くん。ファミレスでバイトしてるんだ。白いシャツのギャルソンとか似合いそうだなぁ。

「――あ、ありがとうございます。じゃあ図書館が休みの日に……」

 神子柴くんの働いている姿って、ちょっと見てみたい……

 雪菜はもらった優待券を大事に握りしめた。



「はい、柳さん」

 女教師は柳雪菜にUSBを手渡した。

「そのUSBに画像データが何パターンか入っているから、好きなのを選んでポスターに添付するように『何でも屋の君』に伝えてね」

「あ、ありがとうございます」

「でも、柳さん、そのUSBをそのまま『何でも屋の君』に渡しちゃダメよ」

「――どうしてですか?」

「だって柳さん、『何でも屋の君』の連絡先とか、聞けてないでしょう? そういうの男の子に訊くの、苦手そうだし」

「……」

「だから、このUSBからデータを携帯に転送して、そこから送るって言えば、彼の方から連絡先を聞いてくれるでしょ?」

「……」

 す、すごい……

 この先生はまだ美大を卒業したばかりで、歳も近いことから放課後に女子生徒の恋の相談を聞いたりしていると噂で聞いていたのだけれど。

 ――世の乙女達は、連絡先を訊くのにもこうして戦略をイメージして臨むものなのかと、雪菜は感心した。

 それと同時に、まだ家族しか連絡先に入っていない自分の携帯に、初春の連絡先が加わることが、雪菜は酷く照れ臭かった。

 自分の携帯に、神子柴くんの番号とか、アドレスとかが入るなんて!

「ちょっと、それだけでいっぱいいっぱいになってちゃ困るなぁ」

 逡巡してもじもじする雪菜を見て、女教師は可愛いものを見たように笑う。

「柳さんの中学時代の内申書見ちゃったんだけど、成績も優秀で規則もよく守る優等生だけど、本ばかり読んでいて人間関係が苦手だって、どの学年の先生も書いていたわね。多分人見知りなんだろうけれど、『何でも屋の君』はちゃんと話せるんだ」

「で、でも、ちゃんと話せているかはわからないです……」

 雪菜は自分でも、話す時に初春の目をちゃんと見られてないことに気付いていた。

 相手の目を見るって、苦手――むしろどうやれば、この、相手に変に思われないかって不安が消えるんだろう――私も自分の目をじっと相手に見られたら、恥ずかしいのに。

「そうなの? でも、『何でも屋の君』を助けてあげたいんでしょ? それで、もっと話したい、と」

「……」

 いつも図書館に行くと、遅れて神子柴くんがやってきて。

 私の顔を見ると『よお』とか『押忍』とか挨拶してくれて。

 閉館時間になると、いつも貸し出しカウンターの最後の利用者になって。

 それが終わると神子柴くんが『一緒に帰るか?』って言ってくれて。

 ほんの10分足らずの時間を一緒に歩いて、最後に『またな』と言って、スーパーの前でお別れ……

 ――たったそれだけだけど、いつの間にかその時間が、私の楽しみになっていた。

 この学校でも入学してまだ2週間ほどだけど、まだ友達もできていない雪菜は中学と同じ、教室の空気になっていた。

 自分でもわかっている。本ばかりに逃げ込んで、自分の世界を広げようとしない――話もできない自分が悪いって。

 初春はそんな自分に声をかけてくれて。

 少しひねくれているけど、自分の見ているものと同じものを彼は見ているような気がして。

 自分と同じ――本質的に人間が苦手で、多分向こうもそれを分かってくれるから、一緒にいると安心する。

 そういうのを無理して合わせなくていいって、そう言ってもらえるような気がして。

 それでいて――私と違って非常に軽やかな空気を持っていて、友達のために、何でも屋なんかを作ってあげる決断ができて。

 そういうところは、私も見習わなくちゃと思う……

「……」

 時間が欲しかった。

 もっと私も、彼に自分の思っていることを聞いてもらいたい。

でも――今は無理――人と話すことでいっぱいいっぱいで、どういう風に言葉を紡げばいいか分からないの。

だから――もう少し、今のままでいいから――少しの時間を……

「でも『何でも屋の君』か――この学校の生徒なのかしらね」

 女教師はポスターのひな型を手に取った。

「ねんねこ神社――名前のセンスは変みたいだけどね」



「もうできたのか? 早いな……」

「はい――ポスターに貼るならPDFの方がいいだろうって、携帯にデータを送ってくれて……」

「そうか――じゃあ、柳がそれを送ってくれるのかな。俺にアドレスを教えたくないなら、捨てアカ作って送ってくれればいいんだが」

「そ、そんな! 嫌じゃないです!」

 雪菜は初春の隣でびっくりしてかぶりを振った。

「そうか? じゃあお願いするかな。つーか赤外線ってどうやって使うんだっけ……」

 慣れてない手つきで、初春はメニュー画面から赤外線を探す。

「……」

 本当に先生の言うとおり、簡単に神子柴くんから私の連絡先を訊いてきた。

 世の女子は、こんなことをちゃんとやっていて――リア充になるためにこういう綿密な計画をちゃんと立てているんだろうなぁ。

 本の中では、恋愛に触れることも多いのだけれど――私って、女子力が低いのだろうか……

「どうしたんだ?」

「えっ?」

「柳って、妙に思いつめた顔する時があるな」

「え? あ、あの……」

 雪菜はばっと初春から目を背ける。

 神子柴くんに私のそんな顔、見られてたの? 恥ずかしい……

「まあいいや。でも考え込んでもきりねぇぞ。特に俺なんかに気を遣っても意味ない」

「え?」

「俺は社会の最底辺の人間だからな」

「……」

 どういう意味だろう? 雪菜は首を傾げる。

 でも――別に信用されようだとかそういう打算を感じずに、淡々とこういう気遣いを見せるから、私は安心するの。

 だから――

「あ、あの、神子柴くん」

 雪菜は意を決して拳を握り締めた。

「い、依頼——格安で受けてくれるって、仰ってましたよね」

「ん? ああ」

「じゃ、じゃあ――お願いしたいことがあるんですが……こ、これからたまに、メールとか、して、くれませんか……」

「……」

「ま、まだ、私――神子柴くんに話したいことがあって――で、でも、言葉が出てこなくて……だ、だから、その――もし、迷惑じゃなければ――ちゃんと話ができるまで、私を、待っていてくれませんか……私、人と話すと緊張しちゃうので――そういうのを、ちゃんとしたくて……」

 これから神子柴くんが、何でも屋さんで忙しくなったら、もう図書館に来なくなってしまうかもしれない……

 そしたら、こうしてもう話をすることも、一緒に帰ることもなくなってしまうかもしれない。

 ずっとそれを考えると、不安だった。

 神子柴くんなら、私のそんな話を笑わずに聞いてくれるかもしれない……

「――そんなんでいいのか?」

 初春はきょとんとした。

「悪いけど、その依頼は請けられないよ」

「え?」

「その程度で金とるって、俺が守銭奴でもさすがにな……『ねんねこ神社』がいかがわしい恋愛商法の店みたいになっちまうし」

「れ、恋愛……」

 雪菜はその言葉にドキリとする。

「無料でいいよ。その依頼なら。俺の返事が遅いのを我慢してくれるならな」

 そう言いながら、初春は再び自分の携帯電話を取り出した。

 自分のメールボックスには、音々からのメールが毎日何通も届くが、不精な初春はあまり返事を返せていない。

 やれやれ――俺、大丈夫かな……指つっちゃうんじゃないのか?



「わぁ! 可愛い猫の絵ですね!」

 家に帰って携帯からパソコンにデータを移し替え、ディスプレイで絵を確認する。

 ころっとパンダのように丸い白い猫が、アニメ風に沢山の表情をしている。泣いていたり、笑っていたり、はしゃいでいたり……

「すごいなこれ、秋葉が無料通話アプリのスタンプで稼いでいる人もいるって言ってたけど――これ、そういうのでかなりの金になるんじゃないのか?」

 もらったイラストはかなりのクオリティである。正直予想以上……

「これでぽすたあも完成ですね」

「あぁ、あとはこれを中心に貼り付けて……」

 初春はポスターに絵を貼り付ける。

「おおおお!」

「あとは絵に合わせて背景を少し変えて……これで完成だ」

「やったぁ!」

 音々は嬉しさを隠し切れずにはしゃぎ回る。

「ハル様、やっとお仕事ができますね」

「――ああ」

 はしゃぐ音々とは対照的に、初春の表情は硬かった。

「音々、明日からはこのポスターを貼らせてもらえるように、色々頼みに回るようだな。明日ファミレスのバイトが終わったら、お前も少し付き合ってみるか?」

「は、はい! ハル様ばかりにやらせるわけにもいきませんので、お供いたしますね!」

「……」

 ――まあいいか。まだそうなると決まったわけじゃないしな。



「はぁ……」

 雪菜は自分の家の部屋で、今日借りてきた本を横に、ベッドに寝転がり、仰向けに自分の携帯電話をかざし見つめていた。

 液晶画面には、『神子柴初春』の文字。

「……」

 今日、私、頑張ったよね……

 でも、私の頑張りは許容範囲を超えちゃったみたいだ……今日の今日に、いきなり神子柴くんにメールを送る勇気はない……

 話してみたいことはあるの――聞いてほしいことも。

 なのに――言葉が出てこないの。

 何で私、こんなに本を読んで、本の言葉を覚えているのに、自分の言葉は出ないんだろう……

 そんなことを考えている時に。

 両手の中で握りしめていた携帯電話が急に鳴った。

「わあっ!」

 普段鳴ることのない電話が突然鳴り出して、雪菜はびっくりして飛び上がった。

 落としかけた携帯電話の液晶画面を見て、雪菜は再びぎょっとする。

 その画面には『神子柴初春』の名前で着信が来ているのだった。

「み――神子柴くん? 何で?」

 心の準備ができてない――で、でも待たせてしまうのは悪いし、居留守を使うのは失礼だ……震えそうな手で携帯電話の通話ボタンを押す。

「も、もしもひ?」

 心の準備ができていない雪菜は、いきなり噛んでしまう。

「うぅ……」

 恥ずかしさに声なき声が漏れる。

『悪い柳。もう寝てたか?』

 受話器越しの初春の声は、耳元で聞くとちょっと別の人の声みたいだ。まだ声変りの途中みたいな、ちょっと高めの声だけど静かな口調で話すから、吐息のノイズも聞こえるくらいで、妙に艶めかしい。

「だ、大丈夫です……本を読んでいました……」

 わざわざこちらが恥ずかしいことをいちいち揚げ足を取るようなことをしないで、放っておいてくれる。雪菜はほっとする。

「み、神子柴くん、こんばんは……で、でも何で?」

『柳が、俺に迷惑かけてるんじゃないかとか考えてるんじゃないか、と思ってな。最初に俺が柳に声をかけた方が、柳も話しやすくなるかな、って思って。用件はそれだけなんだが』

「……」

 依頼じゃない――お金がかかってるわけじゃないのにそんな心配してくれたの?

「い、いいんですか? 私、お金も払うわけじゃないのに……」

『いいんだよ。俺個人の事じゃ『ねんねこ神社』としても仕事請けても意味ないし』

「……」

『でも――俺と話すよりも、学校でそういう奴を作れるように頑張った方がいいぞ』

「え?」

 そう言われると、雪菜の心に恐怖にも似た不安が広がってくる。

『俺、高校に行ってない、何もできてない社会の最底辺だから。友達を作るなら、学校で作った方がいい』

「え……」

『ま、そういうことだ。俺と話しても、柳のメリットは薄いってことは先に忠告しておくんで。それじゃあ、おやすみ』

 そう言って、通話が切られてしまう。

「……」

 携帯から、ツーツーという音が雪菜の耳に残響する。

 ――そうだったのか。道理でこの町の子供のほとんどが進学する神庭高校に、彼がいないわけだ。

 そして――何で自分が神子柴くんといて、心地よさを感じるのかが、少しわかった気がする。

 彼も――今までそんな他人からの酷い差別を受けてきたのだろうか。

 私の想像もできないような、辛い思いを……


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