こういう時は、体でお支払いだって
急いで自転車を漕いで、家の前の長い坂道も一気に駆け上がり、初春はバイトから家に戻ると、襖を勢いよく開けて、居間の掃除をしていた音々を驚かせた。
「わあっ! は、ハル様、お帰りなさい……」
「はあ、はあ――ね、音々、何でも屋の名前、いいのが閃いたぞ」
「え?」
「ねんねこ神社だ!」
「ね――ねんねこ?」
「ああ、響きが可愛いだろ? お前の名前と猫をかけてみたんだ。やっぱり可愛いものと言えば、猫なのかな、と思って。これで何でも屋のマスコットも、猫で決定だな」
「……」
「どうした?」
「い、いえ」
音々は、もうずっと人間界で外に出ていないから、その名前が果たして可愛いのかイマイチよく分からなかったが、まるで手強かったパズルが一気に解けた時のようにその名前に行き着いた初春の、珍しく見せる嬉しそうな顔に、何も言えなくなってしまった。
「で、でも、どうして『神社』なんですか? ハル様、この何でも屋は『会社』だって言ってたのに……」
「そりゃ、お前を神様として認知させなきゃいけないんだから、その方がいいだろ?」
「……」
「お前を神様として客に知らせる方法は、前々から少し考えてたことがあってな。それを今日、夜までに何とかして、お前に見せるから。しばらく俺は部屋にこもらせてもらうぜ」
それだけ言うと、初春は台所で畑仕事の泥の付いた手をもう一度水で流すと、二階にある自分の部屋に行ってしまった。
「……」
忙しないなぁ、ハル様って。
でも――まだハル様は、そうして何かをして、倒れるように眠るだけの生き方を欲しているのだろうか。
ハル様はまだ、雪山の中で助かる見込みを見つけられずにいるのだろうか。
ハル様は、いつも頑張っているけれど、時々危なっかしいから……
「ねんねこ神社?」
夜に比翼にその名前を告げると、比翼は失笑を浮かべた。
「――坊やって、考えてるようで意外と発想が安直というか、単純だよね……」
「可愛いのかどうかは議論の分かれるところじゃな」
夜になって帰ってきた紫龍も、初春のセンスには懐疑的であった。
「しかし、ようやく何でも屋も名前が決まったのですか」
今日も家にやってきた妖怪や神々達も、センスはともかく、長い間二人が悩んでいた問題をクリアできたことには好意的な反応を示した。
「それで、小僧はどうした?」
「それを告げてから、ずっとお部屋にこもりきってます……もうひとつ準備していたものがあるとかで」
そう音々が言った時、上の階からドアが開く音が聞こえた。
階段から降りてきた初春は、80センチ四方ほどある大きな木製の板に乗ったものを持っていた。
「は、ハル様、何ですかそれ?」
「俺からお前にプレゼントだ」
そう言って、ちゃぶ台の上に木製の板を置いた。
そこには、平屋建ての小さな家と鳥居、そして賽銭箱が付いていた。
「こ、これって――お社、ですか……」
「手作りでこれを作っておったのか?」
「仕事をして報酬を貰う時に、一部をその賽銭箱に入れるように客にお願いするんだ。そうすればお前の仕事は、神社のものとしてお前に還元される、って考えたんだけど……どうかな」
「――確かに、こういう見えるものがあるってのは、神をぐっと認識させやすくなるね」
そう言って、比翼は音々の肩をぽんと叩いた。
「よかったね。お前もこれでお社持ちの神じゃないか」
「……」
「しかし小僧、金もないのにこんなでかいものをどうやって」
「よく見ろって」
その初春の言葉に、紫龍達は顔を近付けて社を見る。
「ん? 随分細い木を使っているね――これって」
「割り箸だよ。バイト先で出た客の使用して、捨てる割り箸を水に晒して乾かして作ったんだ。費用は木工接着剤とガムテープだけ。小学生の自由研究みたいなもんだ」
そう、これは初春が紅葉にも協力してもらってバイト先で集めた使用済みの割り箸で作った手作りの社である。
「これ、土台も全部割り箸なのかい? えらい手間がかかってるね」
「金がない分、手間はかけないとな。補強してあるが、あんまり乱暴に触るなよ」
まだ接着剤とガムテープで継いだだけなので、所々の隙間もあるが、木目をある程度揃えるために、余計なところを削りながらの作業だったので、見事な出来であった。
「ま、今はこんなでしょぼいけど、勘弁してくれ。あとはこれに色を塗って、鳥居に招き猫の飾りでも粘土か何かで作ってみようか? そしたら少しは見れるものになると思うんだが……」
「あの坊やの絵の酷さからは想像も出来ないねぇ」
「俺は平面は苦手だが、こういう空間認識が必要なものは得意なんだよ」
初春は他の神達と軽口を叩く。
「どうかな、音々。お前、これに色を付けるんだとしたら……」
そう言いながら、音々の意見を聞こうとした初春だったが。
「……」
もう音々は、ちゃぶ台の上に乗っているお社を見ながら、胸をいっぱいにして、歓喜の涙を静かに流していた。
「お、おい」
「――わ、私……嬉しくて……」
「おいおい、社って言っても割り箸で、犬小屋より小さいようなクオリティだぜ?」
「そりゃどんなものより嬉しいだろうさ」
比翼が言った。
「社を持つなんて、全ての神の目標だ。人間に、必要とされている――ありがとうって、言ってもらえてることだからね」
「――そんなものか?」
「ああ、神にとって、人間からしてもらえることってのは、何より嬉しいんだよ」
「ありがとう――ありがとうございます――ハル様……」
皆が見守る中、音々はその小さなお社の前で泣いた。
いつまでも、その社を見つめて、泣いていた。
そこからは、神々達の計らいで、お社を持てた音々を祝福する宴が開かれた。
とは言っても、いつものように酒を飲んで、話に花を咲かせているだけだったが……
音々は神では珍しく、酒は飲めない。それに自分が宴の主役として祭り上げられることになれていなかったので、隅っこにいるだけだったが……
宴の最中、きょろきょろと部屋を見回す。
「ハル様は?」
「そういえばさっきから姿が見えないな」
「小僧も酒は飲めんが、食い物なら持ってきたのだ。一緒に食えばよいのに」
「ちょっと待ってください」
音々は、目を閉じて、耳を澄ませる。
『ハル様を知らない?』
心で念じ、この家のものに宿るアヤカシと交信を始める。
――今は自分の部屋にいるよ。
すぐにそんな返事が返ってくる。
「私、ハル様を呼んできますね」
酒の入っていない音々は、居間を立って、二階の階段を上り、初春の部屋の前で、ドアをノックした。
「――ハル様、皆さんが私達をお祝いしてくれるそうなので、ハル様もよかったら、と仰っているんですが……」
部屋の前で呼びかけるが、返事がない。
「――入ってもいいんじゃないのかい?」
後ろを付いてきた比翼が言った。
「坊やがお前に部屋に入るなって言ったのは、あのお社を作って、お前を驚かせるためだろうし、それが終わった以上は、特に気にしなくていいと思うがけどね」
比翼が言い終わると、音々の耳にいくつか声が聞こえてくる。
――入っても大丈夫だよ。ご主人は今寝てるから……
そんな声が聞こえた。
「――失礼します」
音々は、もう一度ノックをして、10秒待ってから、少し戸惑い気味にそう断って、ドアを開けた。
初春の部屋に入ったのは、多分何でも屋の計画をはじめてから、初めてである。服などは数が少ないから、綺麗に整理されていて、元々のものの少ない部屋は、引っ越してきてからもすっきりしていたが、やはり少し木工接着剤の臭いが染み付いていた。
四脚のテーブルの横にゴミ袋があり、そこに沢山の切られた割り箸や、削り節が捨てられている。
そして初春は、その四脚のテーブルの前に座り、後ろのベッドに寄りかかりながらシャープペンを持って眠っていた。机の上には、数学Ⅰの参考書が開かれており、二次関数の放物線の点から関数を導き出す問題に挑戦していた。
「勉強していたのかい。頑張るねぇ」
比翼が舌を巻いた。
「あんなものをずっと作っている間も、お前の何でも屋のために色々考えて、ぱそこんでほおむぺえじ作って、図書館で勉強もして、トレーニングもやって……」
「……」
「本当、努力を絵に描いたような子だね」
比翼の言葉の後に、音々の耳には、この部屋にある初春の持ち物が挙って初春のことを語るのが聞こえた。
昔はいじめられっ子だった初春が、直哉や結衣を自分のために馬鹿にされたくないと誓った日から、毎日苦手だった勉強も運動も、こつこつと努力をし続け、5年間やってきたことを。
「……」
久し振りに仕事をそれほどせずに家で過ごして、気が抜けたのだろう初春はしばらく起きそうにない程ぐっすり眠っている。
比翼はちりりんと自分の着物の袖の下から取り出した鈴を鳴らし、自分の神獣の蛇を自身の神力で少し縮めて召喚すると、初春の体を安物のパイプベッドに持ち上げ、布団をかけて寝かせた。
「さすがに疲れてるか――親に捨てられてこの町に当てもなく来て、無理してるのは間違いないよね……」
「……」
沈黙。
「――比翼様」
「ん?」
「こんなに頑張ってるのに――ハル様は、人間から役立たず扱いされてるんですよね……」
「そうだねぇ……」
「私――ハル様には私がずっと欲しかったものを、この人月足らずでいっぱい貰っちゃったんです。名前も、お社も――何より、私をでき損ないじゃないって言ってくれたのはすごく嬉しかったんです。なのに私、いまだにハル様に何もできてなくて……」
「……」
「私――ハル様に何かお礼をしたいんです。今の私でもできることで、何か考えてるんですけど……」
その音々の真面目そのものな表情を見て、比翼は一度初春の寝顔を見てから、音々に耳打ちした。
「ええっ!」
暗い部屋で、初春は目を覚ます。
寝ぼけた目をしばたたかせながら、時計を見ると、夜中の2時半をさしていた。
時計を見て、自分がいつの間にか眠ってしまっていたことに気づいた初春は、しまった、と思った。一応はじめは一日おきで農家のバイトを入れてもらったから、今日は朝のバイトはない。9時からレストランのバイトに行くまでたっぷり中途半端に時間もできてしまった……
もう一度布団に横になってみるが、これはしばらく寝付きそうにない。
窓を開けて、バルコニーに出て、夜の神庭町を見下ろすと、本当に小さな街路灯がちらほら見える以外、外は真っ暗だ。下よりも空の星のほうが明るいくらいで、これが曇りや雨なら、下の町なんか見えないのではないかとさえ思えてしまう。海の方に漁に出ているのか、電灯を点けた漁船と、ゆっくり光を放つ灯台がはるか遠くに見えた。
「はぁ……」
手持ち無沙汰な時間が出来て、つい立ち止まってしまうと。
自分は今何をしたくて、何のために生きているのか考えなければならないような焦燥がひしひしとやってきて。
そして、そんなものが自分の中にないことをすぐに思い知る。
それを思い知ると、本当に心が沈み、何もやる気が起きなくなっていく。
初春はいまだにこの町に来て、自分の本当にすべきことが見つかっていなかった。
本当に、日銭を稼いでただ何となく生きているだけだ。
――今まで自分の人生など、特に何も考える思想を持ち得なかった自分が、ようやくそれを見つけたら、次の瞬間にそれは自分の手から離れてしまい。
それを失った喪失感と、次の生きる意味が見つからない焦燥感が、気を抜くとすぐに、初春を闇に引きずり込むようだった。
「シャワーでも浴びるか……」
畑仕事をして汗をかいたのに風呂にも入らずに一日過ごしてしまったので、とりあえずシャワーを浴びることにした。
階段を下りると、居間に電気が点いていて、中を見ると、音々がちゃぶ台の前に座って、初春の作った社を見ながら、パソコンに向かっていた。
「音々?」
「ハル様、こんな時間にどうなさいました?」
「中途半端な時間に寝たせいか、目が覚めたら眠れなくてな……シャワーでも浴びて、汗を流そうかと思って。お前は寝ないのか?」
「私達も眠りはしますが、基本2,3時間も眠れば体の浄化は済みますから」
「神様って便利だな」
初春もこの生活をしていると時間の貴重さがよく分かる。睡眠時間を削れたらどんなにいいだろうと思った。
「おっさんは?」
「お師匠様は夜は山の見回りをしたり、天界の遊郭に行ったりが多いですね」
「そうか……」
そう言って、初春は音々の方を見る。
絹みたいに艶のある黒い髪を後ろでひとつに縛り、額を出している髪形で、後ろから見えるうなじは折れそうなほど細い。背は初春の顎くらいの高さで、黙っていたらかなりの美少女である。
――見た目は普通に可愛いけど、家で二人きりっていう状況が今まで何度もあって、あまり意識せずにいたな……
「お前、何してたの?」
「今、ハル様の借りてきた本を読んで、パソコンで『ぽすたあ』を作れるそうなので、作り方を勉強してたんです……何かお役に立たなきゃ、と思って」
「お前、そんなことも出来るようになったのか。すごいな」
「まだ全然出来ませんけど……できることはやりたくて」
ふと会話が途切れる。
「あ、あの、ハル様。今日はこんなお社をいただいてしまって、ありがとうございます……」
「さっきも聞いたぜ。そんな遠慮しなくていいって。所詮割り箸だしな」
「あ、あの、それで折り入った話があるのですが……その、ハル様のお部屋で、お話させていただきたいのですが」
「折り入った話? ――別にいいけど」
そう言って初春は音々を連れて部屋に戻り、自身はベッドに、音々を勉強用の座布団に座らせた。
「で? 折り入った話って、急にどうした?」
「……」
音々はもじもじする。
「あの――は、ハル様はずっと私のために働いていただいてしまったので――そ、その――報酬をお渡しするのが、普通なのかな、と思いまして……」
「ん? うーん……そんなもんなのかな」
「で、ですが私、今はお金もありませんし……お金を稼ごうにも、まだほとんど外に出られないし……」
「――なんだ。それじゃ意味ないじゃないか。それは仕事を実際請けてからでもいいんじゃないの?」
初春は笑った。
「あ、あの――でも、仕事はいつ来るのか分からないですから」
「だなぁ。いずれにしても怪しい何でも屋だしな」
「で、ですので」
既に音々の白い肌は、首や耳まで真っ赤だった。
「こ、こういう時は、わ、私が知ってる限りだと、か――体でお支払いだって……」
「は?」
初春はばっと後ずさった。音々は自分の着ている小紋の帯紐に手を伸ばした。
「た、試したことはないんですが――私の体は、その――人間と酷似していますので――多分、行為も可能ではないかと……」
初春は思わず音々の帯紐にかかる手を抑えた。
「ちょ――ちょっと待て! お前どこでそんなこと覚えてきた?」
「比翼様が――ハル様に今お礼したいなら、それがいいだろう、って……」
「あいつ……」
初春は目を覆った。
「ハル様の歳なら、元服したばかりですし、遊郭に行かれることも珍しくないのでは……」
「それは江戸時代の話だ!」
初春は言った。
「はっきり言っておいてやるけど、俺は童貞だ。女子と手も握ったことないよ」
「――そうなのですか?」
「はぁ……」
初春はがっくり肩を落としながら、座っているベッドの布団を自分の足元にかけた。
俺は馬鹿か――こいつは見た目確かに可愛いけど、人じゃない、いわばUMAと同じだぞ。それも俺の何代前のおばあちゃんと同じ世代かもしれない。
腰元が引けて、立てなくなりそうである。初春は布団の上から、自分の股間を強く押さえつけた。
「ふうぅぅ……」
そして、大きく深呼吸。
「――さすがにとんでもない天然ボケだな……」
「す、すみません……」
「馬鹿、すごく馬鹿」
鉄面皮の初春もさすがに面食らい、変な叱り方になった。
「いくらなんでも馬鹿正直過ぎだ。本気にするかよ普通」
「――す、すみません……」
「――いや、お前が何も知らないのは、無理ないんだよな……この家から出られないんだもんな……」
「……」
時間が経ってみて、分かることがある。
俺は今は立ち止まると、自分が生きているか死んでいるかも分からなくなりそうになる。
だから無理やり何か自分にできることを作ろうとすることができるが。
こいつはそれもできない。俺がこいつと同じ、家の外にも出られなくなったらと思うと、とても恐ろしかった。それを何年間も……
だからこそ――見殺しにする気にはならなかった。
「――なあ音々。お前は落ちこぼれでも出来損ないでもないと思うぞ。だからさ――俺にそんなことをしなくていいんだよ。仕事をしていけば、いつかはお前はこの家を出られるから――そうしたら、お前は自由に生きられるんだよ」
「自由に……」
「ああ、そうだよ。お前はもう、誰かに自分の価値を決められなくていいんだよ。だから、そんなことしなくていい」
「……」
初めて言われた、そんなこと……
「でも――自由って難しいです……私、不安なんです。外の世界って、今どんな風になっているのか――当たり前のことなのかもしれないけど、それが分からないから。あんなぱそこんみたいなすごいものも出ている世界なんて――私より力のある神様も、住処を人間に追われるような場所ですから」
「――そうだよな。外に出られるって言っても、もう何年も出られなかった奴じゃ、怖くて当然だよな」
初春は暫し天井を見上げた。
「俺も自由ってよくわかんねぇんだ。東京にいた頃は、人間にそんなものを許されなくて――今は自由なんだろうけれど、俺がずっと憧れてた、流れる風や水のような心で生きるってのは、なかなか難しいみたいだ。だからさ――これから『ねんねこ神社』をやりながら、お互いそういうの、探してってみないか?」
「……」
「お前から貰う報酬ってのは――金以外じゃそれでいいや。少なくともお前の意に沿わないのに体で払ってもらうより、俺もすっきり行くしな。そういう相手を食い物にするようなのは、俺もされてきた身だから、あんまりしたくない……」
「ハル様……」
その初春の言葉が、今まで不安だった音々の心をほどいていく。
ハル様――ハル様が一緒なら私、怖くない。
私――もしかしたらハル様のことが……
柳雪菜は学校では、いつも息を殺すように過ごしている。お弁当は一人で校庭の木陰で食べ、学校が終わると、いつもそそくさと荷物をまとめて、学校の図書館をたまに除いて、町の図書館へ向かう。
だけど今日、雪菜は放課後に、美術室に来ていた。
「じゃあねぇ夏帆ちゃん!」
美術室の前に立ち尽くす雪菜をよそに、派手で可愛らしい女子グループが美術室の扉を開け、香水の香りを放ちながら、雪菜の脇を通り過ぎていく。
「頑張りなさいよ」
そう言って、開け放たれた扉から、一人の女性が出てくる。
絵の具だらけの服に、長い髪を縛ったスレンダーだが、出るところの出ている、非常に美人だが化粧っ気のない女性である。
「ん?」
その美人が、脇に立ち尽くす雪菜に気が付く。
「この時間にここに来る娘としては、珍しいタイプね――新入生か。私としては、廃部目前の美術部の入部希望の新入生だと嬉しいんだけど」
「い、いえ、そうじゃないんです……」
「あら、それは残念……じゃあ、何か相談事ね。入って」
雪菜はその美人に美術室に通されると、コーヒーを出された。たった一人しかいないが、美術室は絵の具の臭いに満たされていて、その中に混ざるコーヒーの香りは、雪菜には若干受け入れがたかった。
「ごめんね、基本的に私、話は絵を描きながら聞いちゃうけど」
そう言って絵筆を取って、目の前のキャンパスに描き込んでいく。
「どんなご用件かしら」
「あ、あの――先生に、絵を描いていただきたくて」
「絵?」
雪菜はそれからたどたどしい口調で、知り合いが何でも屋を開くために、宣伝用のマスコットを作りたいと考えていることを話した。
「ふぅん。珍しいね、何でも屋……」
「は、はい――少ないですが、報酬を出すということも言ってました」
「でも、あなたはその何でも屋の一員じゃない。けど手伝いたい……」
美人は筆を止める。
「それをやっているのって、男の子でしょう?」
「えっ?」
「見たところ、あまり異性と話をしたりするのは苦手そうだし……あなた、その男の子のこと、よっぽど好きなのね」
「……」
雪菜の顔がどんどん赤くなる。
そんなつもりはなかったけれど、誰かに自分の気持ちをやっかまれるという経験がなくて、どう答えていいのか困ったのと、無性に恥ずかしくなってしまったので、どうしようもなくなってしまった。
「――まったく、適当にカマをかけただけだったんだけど、可愛いなぁ――よし、可愛い生徒のためだ。お引き受けしましょう」




