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人間嫌いは人間に報復をしない

「人気の出そうなマスコットとかを、名前にちなんで作れると、インパクトも増すんだが……うーん……」

「私、この子が可愛いと思うんです」

 そう言って、音々は今のテレビを点けた。外に出ない音々のために、自分が持ってきた小さなテレビを見て、外の事を見ておけ、と、初春は言っていた。

『ドラ○もぉん』

『また、ジャ○アンだなっ』

「……」

 テレビには、国民的なアニメのお決まりの冒頭シーンが流れていた。どうやら最近の音々のマイブームらしい。

「ああ、確かにこれなんかいいじゃないか」

 比翼もキセルを持って頷く。

「可愛いですよね。この子を『ほおむぺえじ』に載せれば、きっと大人気になりますよ!」

「――これをそのまま使うわけにはいかんのだよ。人間は……」

 初春は名案を思いついたように言った音々に少々がっかりした。

「……」

 この町は田舎町である。住んでいる住人のほとんどが農業に従事しており、そこまで大きな高所得者はいない。

 故に、何でも屋のターゲットになるのは本当に、中級階級の人間である。田舎町の情報網は早いし、何らかのインパクト次第で宣伝の手間が省けるかも知れない。

 だが、初春はここで壁にぶち当たる。

「こればかりは図書館での勉強でどうにもならんな……」

「お前、絵とか描けんのか?」

 紫龍が訊いた。

「……」

 初春は押し黙る。

「私、ハル様の描いてくれた絵なら、どんな出来でも大丈夫だと思いますよ」

 初春に信頼を寄せている音々は、そう言った。

「――お前、俺の絵を知らないからそう言うんだよ」

「まあ、論より証拠とも言う。坊やがとりあえず絵を描いてみるといい」

 比翼が面白くなりそうと見て提案した。

「そうだねぇ、やっぱり一番人間に近い姿をしている、この娘を描いてみておくれよ」

 そう言って、比翼は音々の背中を押す。

「え、ええ? ハル様が、わ、私の絵を?」

「――何をうろたえてるんだい? あんたは」

「……」

 音々は俯く。

「――まあいい。じゃあ大真面目に描いてやるから、そこに座れ」

「は、はい。で、でも、大丈夫ですか? 私、髪の毛とか、変じゃないですか?」

「どうせ再現できんから、気にせずにいろ」

 そう言って、音々はちゃぶ台越しに座ると、初春は自分の学習用ノートを1ページ破って、ノートの表紙を下敷き代わりに、鉛筆を走らせた。

「……」

 そんなこと言われても、気になりますよ……こんなに見られてる……

 音々は、まじまじと自分の顔を見る初春の視線を避ける。こんなに誰かから自分の顔をまじまじ見られるという経験が音々にはなく、少し恥ずかしかった。

 それまで音々の顔を真剣に見ながら、黙々と鉛筆を走らせていた初春だが、10分もしないうちに、鉛筆の走りがぴたりと止まった。

「お、出来たのかい?」

 比翼は興味深々に、初春の手元を覗き込む。

「――ぷっ……」

 それを見て比翼は必死に笑いを噛み殺すと、居間の畳に突っ伏して悶えた。

「何じゃ、どんな出来なんじゃ」

 その反応を見て、紫龍も初春の後ろにすばやく回りこんだ。

「わはははは!」

 見た瞬間に、紫龍は笑い転げた。

「ひ、酷い出来じゃな!」

「……」

「どれどれ」

 一つ目や面かぶりなど、小さな妖怪たちも挙って初春の後ろに回りこむと、その瞬間に大笑いが起こった。

「ひーっひっひっひ! こ、これは酷いな!」

「こ、小僧! これでは音々殿が可哀想だ!」

「――くそ」

「は、ハル様?」

「……」

 初春は黙って音々に、ノートの紙を投げ捨てた。

「――ハル様、ひどいです……」

 気を遣える音々でさえ、描かれた自分の姿に言葉を失うのだった。まるで小学生の、しかも低学年の描くような絵である。

 初春の絵は、非常にエクストリームであり、昔から直哉と結衣は写生会などの度に腹をよじらせるほど大笑いしていた。本来初春は手先は器用で、成績の悪かった頃から初春の中学時代の美術の成績は4だが、昔から平面認識能力がない故に、平面に描く絵画だけは常に採点不可能になるほどの出来である。逆に剣道やジークンドーなどで、一撃を確実に決めるために間合いや射程等の空間認識の勘を鍛えたせいか、彫刻や工作等の立体物の造型は上手かった。

「これは――前衛的とか、そういう擁護も出来ないねぇ……」

「単なる下手糞の落書きじゃな」

 それまで不遜な態度ばかり取っていた初春の弱点を知って、来客の妖怪達も大いに溜飲を下げていた。

「まあ、俺の絵の腕前は見ての通りだ――じゃあ、音々は絵を描けるのか?」

「ふっふっふ――ハル様、私、絵には少し自信があるんです。何を描いてみましょうか」

 初春は少し怪訝な顔をした。

「――じゃあ、お前が気に入っているみたいだし、ドラ○もんで」

「分かりました。見ていてくださいね」

 そう言って、音々は自信満々に鉛筆をノートに走らせる。

 ふふふ――やっと私、ハル様のお役に立てるなぁと、音々は初春に褒めてもらえることに期待した。

「できました!」

 自信満々に、音々はノートを初春に差し出した。

「……」

 しかし、ノートを見た初春は、一瞬でその顔を曇らせた。

「あ、あれ? 自分ではいい出来だと思うんですが……」

「――まあ、300年前ならきっと名画になるんだろうな……」

 音々の描いたドラ○もんは、確かに上手いのだが、非常に雅な流し目をして、見返りで描かれており、まるで和鼓の音が聞こえてきそうである。

「センスが300年ほど古いな……」

 喜多川歌麿の描くような浮世絵になっていた。

「ほぉ、上手いじゃないか」

「音々殿にこんな才能があったとは」

 他の妖怪達も、どうやら波長が合うようで、音々の絵を挙って褒め称えた。

 だが、音々は初春が複雑な表情を浮かべているので、あまり喜べず、むしろしょんぼりしていた。

「まあ、インパクトはあるが……素性の分からん俺達がこの表紙絵じゃ、いくら何でも怪しすぎだ。これに関しては、有料でイラストレーターでも依頼した方がいいのかなぁ」

「――でも、ハル様、このぱそこんを無理して買ったばかりで、これから宣伝もあるのに、また出費が増えたら、ハル様が……」

「――まあ、それはいいや。その前に、名前を決めなきゃ――お前を示すような名前を。イラストもそれにちなむから、この問題はその後だ――今日はここまでだな」

「……」

 音々は、初春にばかり頑張らせ、知恵も絞らせているのに、自分はまだほとんど貢献できていないことが悔しかった。

「――すみません。私、絵には自信があったんですが……現代の絵とはちょっと違ったみたいですね……」

 音々は、昔から落ちこぼれとしての扱いしかされてこなかったので、初春と一緒に仕事ができることが嬉しく、張り切っていたのに、この体たらくに、申し訳なさでいっぱいだった。

「いいさ、お前が仕事が出来るような環境を整えるのは、俺の仕事だ。仕事の形が出来れば、お前が主役で、俺はついでになるさ」

 初春はいつものように、あっさりとそう言った。

「とりあえず、ホームページも9割方完成して、いいところまではいってると思うし……名前とイラストを作ったら、すぐに宣伝開始。そしたら仕事が来次第、すぐに動けるぞ」

 初春は切り替えて、すぐに次の問題に向かう。

「――ハル様って、すごいですね。いつも自分で考えて、色々と考えを巡らせてて。誰かの指示とか、全然待たないで。すごく筋道立って、仕事が進んでいく……」

 音々は言うと、周りの力の弱い妖怪達も一部が頷いた。あの紫龍との一戦以来、紫龍も比翼も周りの没落した神々達も、初春の果断即決の早さには一目置いていた。

 音々に関しては、初春の仕事の段取りのよさに、感服さえしていた。

「——俺は中学時代は、間抜けで無能の生徒会副会長と言われたんだがな」

「ハル様は無能なんかじゃありませんよ」

 幾分強い口調で、皮肉を言う初春を制した。

「……」

 初春は、自分を無能扱いしない相手に出会ったことがあまりなかったため、少し戸惑った。

「――つーか俺、誰かに指示をしてもらえたことが、元々なかったからな。自分で考えなきゃ、いつまでも放っておかれるだけだったし」

 初春は当然のように言った。

「弱い奴には、はじめから居場所が用意されてない――報連相が仕事の基本とか言うけどね、実際ハブられてる奴にはそんなもの来ないから。みんなの知っているルールを自分だけ知らない――だからどんどん置いていかれる……それで置いていかれたら『分からないなら聞かないお前が悪い』ってさ……聞いたところで教えてくれないのにな」

 初春はそう言いながら、中学にいた時にわずかに行った就職活動のことを思い出していた。

 訳の分からない理由で、直哉達と共に歩む道を断たれ、足場を崩され転落していくような心境の中、自分なりに前向きに生きようと考え行った就活で、初春は大人達に鼻で笑われ、馬鹿にされ、思いを捻じ曲げられた。

 腹いせに、自分を笑った奴等に、じゃあどうすればよかったのか、と問うたが、その問いに答えた奴は誰もいなかった。

 人間は、見下している奴の質問に答えない――初春は、仲間外れにされ、集団に置いていかれる経験を何度もしているから、それを誰よりも知っていた。

「そして、必ずいるんだよ。そういう弱い奴をハブって、そいつがオロオロしている様を見て楽しんで、それに飽きたら、直接無能呼ばわりしたりする追い討ちをかけに来て、そいつがどん底の顔に落ちるのを見て、公開処刑を楽しむ下衆な人間ってのがな。俺も昔はそれやられてめそめそ泣いてたけどな……」

「……」

「何でその当時の俺がめそめそしてたか、って言えば、自分が鈍臭いのが悪くて、それでもみんなと仲良くなりたい、そのためには何でもやりますとか、そういう気持ちでいたんだよ。多数派が常に正しくて、少数派は常に間違っている――『みんな』の中にいる奴は正しくて、そこに入れない自分は間違っている――そう思い込まされていた。でも、『みんな』なんてのは、そこに入れなかった奴を集団で踏みつける奴隷制度でしかないって分かったんだよ。その仲間に入れてほしくて、弱い奴はどんどん隷属して、中にいる奴はそいつを従属させる――そんな物だってことに俺は気付いた。だからそのうち『俺は好きにやらせてもらうぜ。迷惑がかかっても、お前が俺に指図してくれないのが悪い。指図してくれないのは、責任は主導しているお前達が背負うから、味噌っかすは好きにやれってことだろ』くらい開き直る方が楽だって事に気付いた。だって、俺、人間が嫌いなんだもん。それを認めりゃ、嫌いな人間から離れられるし、嫌いな人間の指示を待つような惨めな思いもしなくていい。人間に迷惑がかかっても、目の前の課題が片付いても、どっちにしろ俺にとってはオイシイのさ」

「無茶苦茶な理屈だな……」

「俺ほど優しい奴はそうそういないと思うぜ。ハブる様な人間の下にいても、あくまで仕事の遂行には全力を尽くして、相手の邪魔をすることを故意にやらないんだから」

 周りの神々達が顔をしかめた。

「本当の人間嫌いは報復をしない。何故なら、そうして人間と関わる、衝突すること自体が煩わしいからだ――これ、俺の人間嫌いの定義のひとつね。実際にはこの後に例外がひとつあるけど」

「――坊やの人間嫌いも絶好調だね」

 比翼ですら、呆れ果てた顔をした。

「だから音々、お前もドジをしたり、失敗したりすることをそんなに深刻に考えなくていいよ。俺だって手探りなんだし、どんどん挑戦すればいいと思うぜ」

「でもハル様、私――あんまり役立たずで、がっかりしてませんか?」

「そんなことを心配する必要はない。能力がないなんて理由で、虐げたり、仲間はずれにしたりするようなことは、俺は絶対にしない――俺は仲間内からは、ひとりも脱落者を出さん」

 力強い口調で、初春は言った。

「それに――お前は役立たずじゃない。これから役に立つんだよ」

 初春は音々の弱気を吹き呼ばすように、勢いよく言った。

「ぶっちゃけ、お前の能力って、すごいと思うぜ。こんな善良な何でも屋なんかやってるけど、正直悪用する汎用性っていくらでもある。お前の目的に反するだろうから薦めはしないがな」

 そう言って、初春は部屋の周りにたむろしている他の神や妖怪達をぐるりと見る。

「言っただろ? この町にいる神や妖怪が、みんなお前に頭が上がらなくなる――そのくらいお前は偉くなるんだ。それくらいの力はあるんだ、お前には。それでお前が俺を儲けさせてくれりゃ、俺としちゃトントンなんだ。先のことなんかわからねぇけど、俺はお前の力に投資してるんだ。今くらいのことはどうってことはないさ」

「……」

「それにお前、役に立たないって言うけど、パソコンでメール打てるようになったし、タイピングだってちゃんと覚えてる。ちゃんと努力とやる気の跡は見せてるし、ちゃんと前に進んでるだろ。俺は人間嫌いだが、努力してる奴を踏みにじるほど、下衆じゃないつもりだぜ。だから、お前もどんどん自分のこと、自信持って言っていいし、お前に出来ないことは、俺に頼ればいい。仲間から要望があれば、出来る限り応えてみるぜ」

「……」

 仲間――

 初春が、自分を『仲間』だと言ってくれたことに、心臓のないはずの音々の胸は、不意に熱くなる。

 それを聞いて、音々は思った。

 すごく無茶苦茶なことを言っているようだけど、ハル様はそのために陰で努力をしている。今の『れすとらん』というところの仕事だって、仕事の前に暗記するまで『まにゅある』を読んで勉強していたって、ハル様の服がそう言っていた。図書館に連日通って資料を読み漁り、課題の前に自分の考えを用意することを常に怠らない。

 斜に構えた発言をするが、必ず仕事をしっかり終わらせるために努力してくれる。仕事において個人の悪口を言わないし、弱い人の思いをよく知っている――ちゃんと周りにも気を配って、手を差し伸べているし、ひとりも脱落者を生まない。

 きっと――結衣様はハル様のこういうところを信頼していたのだろうな。だから結衣様は、ハル様を学校で、自分の参謀に指名したのだろう。

「……」

 音々は、先日初春の携帯に、結衣から電話があり、それに音々が出てしまったことは、言っていない。

 あの電話越しの結衣の声は、何か初春に聞きたいこと――助けてほしいことがあるようだった。その声の切実さが、ずば抜けていい音々の耳から離れなかった。

「じゃ、じゃあ――は、ハル様……」

 もじもじしながら、音々は口を開く。

「わ、私、文字を打てるようにはなったんですが、元々この家から出たことがないので、誰かとお話しするのって、苦手で――まだ『めえる』をひとりで送れるかも、分からないし……」

「ふむ」

「だ、だから、ハル様――よ、よろしければ、私と『めえる』してくれませんか?」

 音々は、握り拳を作って、自分を鼓舞するように言った。

「私――自分のできることはまだ少ないので――仕事で失敗しないように、『めえる』を練習したいし――ハル様と、もっと色々話がしたいです……」

 ずっと落ちこぼれ扱いされていた音々は、自分の都合で誰かを振り回したり、自分から何かを要求をする機会に乏しかった。だから、こんなお願いを初春にすることにも、酷く戸惑っていた。

 でも――音々はもっと初春と話がしたかった。仕事のことも、これからのことも、初春のことも、もっと初春のことを知りたかった。

「……」

 しかしその言葉を訊いた初春は、その音々の狼狽振りに、まったく別のものを見てしまっていた。

 ――この家で毎日、外にもろくに出られずに、何年も何年も、この家だけで……

 きっと、話し相手がほしくて仕方がなかったのだろうな。俺は他人と話さなくてもいられるタイプだが、こいつは外の世界に思いを馳せている――そんなこいつが、この家から出られないなんて、心細い思いも沢山しているだろう。色々話したいこと、訊きたいことが沢山あるのだろうな。

 ――などという、音々の境遇に対する同情の念であった。

「あぁ、いいよ。でも俺、家にいない時は基本仕事だから、返事は遅いぞ。俺もぼっちでメールなんかほとんどやらないから、文字打つのも遅いし」

「大丈夫です。ちゃんと待ってますから」

「……」

 初春は携帯を取り出して、音々のアドレスに空メールを送信した。

「まあ、好きにしてくれ」

 初春は立ち上がる。

「あぁ、そうだ。音々、お前、俺のいない間に家事や掃除をしてくれているみたいだけど、俺の部屋だけは、しばらくしてくれなくていいぞ。基本的に俺の部屋には入らないでくれ」

「え?」

「じゃあ、ちょっと体を動かしてくる」

 そう言って、初春はストレッチをしながら、玄関を出て行った。いつもの夜のトレーニングである。

「……」

 音々は、首を傾げた。

 まだ自分はこの家から出て、初春の調べ物のサポートも出来ない。だから何とか初春の役に立ちたくて――喜んだ顔が見たくて、色々と家事をがんばっていたのだが。

「あの小僧も年頃じゃからな。お前に見られたくないものの一つや二つあるものじゃろ」

 紫龍が言った。

「お年頃――ですか」

 そう言って音々は、初春に作ってもらった、まだ空っぽのPCメールのボックスを開いて、初春のアドレスを確認した。まだ電話帳の概念を知らない音々は、紙を持ってきて、初春のアドレスを忘れないように書き記した。

「えっと――@――これって、何て読むんだろ……上手く書けない……でも――ハル様と『めえる』かぁ――えへへ……何か嬉しいな……」

「……」

 嬉しそうな音々と、初春の出て行った玄関の方を見ながら、比翼は煙管を咥えた。

「坊や――何かいい匂いがするね……」


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