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儂と試合うてみんか?

「ハル様、お帰りなさい」

 玄関を開けると、音々がすぐに玄関に出迎えた。恐らく自転車を止める音が家の中から聞こえたのだろう。

 山道にあるこの家は、ただの自転車では、普通に歩くよりも疲れる。下る分には景色もいいし、楽なのだが。

「はあ、はあ」

 初春は家に帰るといつも息が切れている。

 既に家には紫龍やあの蛇のような髪の女や、一つ目の大きな頭の妖怪や、多くの彼岸者が集まっていた。

 図書館の帰りに、近くのスーパーによって、少しの食材を買って帰る初春は、二階の自分の部屋に行き、服を部屋着に着替えて、食事の支度を始める。

「あぁ、そうだ」

 冷蔵庫にまだ使わない分の食材をしまうと、初春はビニール袋の一番下にあったものを手に取った。

「約束のブツだ」

 そう言って、初春は小さなプリンの容器を差し出す。

「こ、これが『ぷりん』というものですか?」

 音々は首を傾げる。

「いやだなぁハル様。これは茶碗蒸しではないですか。私だってそのくらいのことは分かりますよ」

「――まあ、確かに見た目も作り方も似ているがな――これも卵を使ってるし」

 初春は小さなスプーンを音々に渡した。

「まあ、食ってみればわかるさ」


「んーっ!」

「……」

「うう、ううう、うううう!」

「……」

「おいしい! な、何なのですかこれは? 口の中でとろけて、黒い部分がいい香りがして……すごく美味しいです!」

 プリンを食べながら夢中になって話す音々の姿に、初春は軽く引くほどであった。

 初春の今日の食事は、スーパーでタイムセールになっていた唐揚げに片栗粉をまぶして軽く炒め、醤油と酢を合わせた甘酢あんかけもどきである。

「あぁ、もう食べ終わっちゃった……」

 夢中でスプーンですくっているものだから、小さなプリンは1分も持たずになくなってしまい、音々はしょんぼりした。

「……」

 何とも馬鹿正直な反応である。

 たかだか100円のプリンでここまで喜ぶのだから、ちょろいと言うべきか……

「へぇ、そんなに美味しいのかい。私も食べてみたいものだね」

 煙管をふかしながら、居間で音々の様子を見ていた女が興味深そうに言った。

「お前が神様になれれば、いくらでも食えるさ」

 初春は茶碗のご飯の最後の一口分を食べた。

「先に言っておくが、俺はお前に協力する、とは言ったが、残念だが俺にも生活があるし、時間も限度がある――ボランティアで動くことはできないからな。神様なんて高尚なものを目指すお前の意には反するかもしれないが、お前にはある程度、金に還元できることをしてほしいんだ」

「は、はい。それは分かっています」

 音々は気を引き締めて頷いた。

「よし、それを聞いて安心した」

 初春はそう言って、二階から持ってきた分厚い本を開いた。

「俺も図書館に行って、神に関する本ってのを少し探して読んでみたが――お前等神様ってのは、自分を信仰した人間の記憶の中で姿を留めるとか言ってたな。それって具体的にはどんなことをするんだ?」

「はい、徳の高い神様は、お社とか祠とか、住む場所や、信仰のよりどころとなるもの、神が実体を留めやすい、記憶にも留めやすいものを現世に作り、そこから人々を見守るのです。そんなものが持てるようになるのが、八百万の神々全ての目標なのです」

「まあ、そんな神様なんて、七福神や、天神みたいなひと握りだがな」

 一つ目の妖怪が口を挟んだ。

「なんかマイホームを欲しがる人間みたいだな」

 初春は頷いた。

「じゃあ尚更金は必要だぞ。何をするにしても、金は必要になる。お前がお社を立てるのであれば、それ相応にはな」

「はぅ……頑張ります……」

 音々は早くも意気消沈気味だ。

「お金を稼ぎながら信仰を集めるって、何をしたらいいんでしょうね。私は人間に姿を見てもらえないし、外に出ればすぐにものが持てなくなってしまうし」

 そう、それが問題である。

 人のためになることを、この家の中だけで行うことは難しい。ましてや存在を認知してもらい、感謝、信仰を集めなければならない。

 音々の代わりに初春が働くのでは、手柄が初春に行くだけで、意味がない。

 なかなかに縛りがきついのである。

「まあ、お前も信仰を集めたら、外でもっと活動できるんだろうが――現時点でできることは決まってるな」

 初春は言った。

「お前が実行部隊で、俺が代理人だ。俺が人間とお前の間を仲立ちして、仕事を請け、報酬を受け取る。お前は請けた仕事を解決するところをやってくれ。お前が実質的な仕事をしたって、依頼人に認知させる方法は、何か考えるよ」

「そうですね。宜しくお願いします」

 音々は初春に深く頭を下げた。

「でも、仕事ですか――何をやりましょうか」

「……」

 仕事をする上での最大の問題は、音々の行動時間である。

 音々の体は、1時間も外に出れば、体の実体がほぼ消え、3時間も外に出れば、その存在自体が消えてなくなってしまう。

 行動時間が短いということは、必然的に、活動範囲が狭いということだ。

 つまり、ほとんどこの田舎町の神庭町内だけで、まずは認知度を上げなければならない。

「――まあ、ココロの時のことを考えると、やっぱり探し物が、お前にとって一番いいんじゃないか」

 音々の能力は、人間が大切にしている思いが強ければ強いほど、そのものに宿った小さなアヤカシの声を聞く能力である。

「でも、今のままじゃ仕事は選り好みできませんし……ハル様が動きやすくなるように、仕事はあれば何でもこなしていきたいです。信仰が少しでも集まれば、私の外での活動時間も伸びるはずですから……最初はそれを優先した方がいいかもしれませんね」

「――そうか。よし、じゃあ、一応得意なことは、、『失せ物探し』と断った上で、『何でも屋』だな」

 初春は頷いた。

「だが、何でも、と言っても、引っ越しの手伝いとか、ドブさらいとか、俺が働くだけでお前が力になれない仕事は意味がないからな――なるべくそこを重視して仕事を請けたいな」

「――すみません」

「いいさ、どうせ手探りだ。とりあえずやってみる、で、そこから修正はいくらでもできる」

 初春は頷いた。

「とりあえず、これからすることは決まった。失せ物探しを軸に、できそうな仕事があれば受けていくスタンスで『何でも屋』だな」

 ここでまず方針が決まった。

「――となると、次の問題は――」

「どうやって仕事を取るか、ですね」

 音々の言葉に、初春も頷いた。

「そうだなぁ。まずは仕事がなければ、どうしようもない」

「まずは、『何でも屋を始めた』っていうことを、周りに伝えなきゃいけませんね」

「宣伝か……」

 これも縛りの一つである。

 活動範囲の狭い地域内で、限定的な宣伝をすること。

 いわゆる広告には、それなりにお金がかかってしまうくらいの知識は、生徒会の経験で、子供の初春でも知っている。

「軍資金が少ないから、最初で何とか効果的な宣伝をして、あとは口コミで広まれば最高だが」

「なかなか難しいですよね」

「……」

 まず『何でも屋』というのがそもそも胡散臭い。

 仮に家のポストに『何でも屋をはじめました』なんてチラシをポスティングしたら、大抵の人間は読まずに捨てるだろう。

『何でも』の基準が曖昧だ。

 その点では『失せ物探しが得意』という具体性があるのは好材料ではあるが……

「――こればかりは、広告や宣伝の知識が必要だな……マーケティング関係の本ならまた図書館で探せそうだ。それを見て、宣伝方法なりを考えなきゃな」

「――じゃあ、今日決められることは、とりあえずここまでですね。私も何か、宣伝方法になるものを考えてみます」

「ああ、よろしく頼む」

 そう言って、初春はキッチンの席を立った。

「ハル様、もうお休みですか?」

「――いや、少し体を動かしてくるよ」

 初春は体をほぐしながら、一度二階に上がった。

「面白そうなことになってるじゃないか」

 隣の居間に集まって、さっきから二人の様子を見ていた着物の女は言った。

「あの坊やも、真面目じゃないか。図書館に行って調べものとはね。紫龍殿もあの坊やのことは目にかけているようだし」

「……」

 紫龍は何も言わずに、居間の壁に背中をもたれかけていた。


 ジークンドーには特別な型はない。

 特に初春のジークンドーは、我流交じりであるために、本家のものとは少し違うものではあるが、初春なりに自分に必要な攻撃力にこだわった仕上がりの武術となっている。

 できるだけ小さな初動で拳を放ち、蹴りを放つ。相手の攻撃を想定して、防御を終えたら即攻撃につなげる早い切り替えを、想定した敵の動きに合わせてシミュレートして体を動かす。

 神庭町に来てからも、初春はこの型の確認を毎日行っていた。

「へえ、なかなかに滑らかだが、鋭い拳を放つじゃないか」

 庭に出て自分の格闘の型を確認する初春を、縁側から来客達が見ている。初春の速い蹴りは、ここ1カ月、草むしりをした掘り返された柔らかい土を跳ね上げる。

 外は一際大きな満月と、周りが暗いためにくっきりと見える星々が、庭を照らしていた。

 一通りの型を終えると、初春は縁側に立てかけていた竹刀を手に取る。

「ふぅぅ……」

 大きく息を吐いてから、初春は大上段に竹刀を構え、ジャンプする。

 試合で小さなモーションでも、速い剣を出せるように、練習では大きな振りを意識する。これを5年毎日続けたことで、初春は中学剣道ではトップクラスの使い手に成長した。

 50回も振ると息が上がり、初春はジャンプを止めた。

「まったく、暇な奴じゃ」

 初春が手を止めると、縁側から今までずっと黙っていた紫龍が声をかけた。

「お前、そうして体を鍛えておるが、何かしたいことでもあるのか?」

「あるように見えるか?」

 初春は憮然として言った。

「これは俺の好きなミュージシャンの一人が言っていたんだがな――やりたいことがないなら、取り敢えず金を貯めておけってな。人間じゃないお前達には分からないかもしれないが、俺はこれからすることなんてなにもねぇんだ。住む家も、バイトも、決めるにも未成年は保護者の同意が必要だが、俺にはそれがいないからな……俺はあと5年、何の選択肢もないんだ。何も自分で決めることができない――できることと言えば『とりあえず金を貯める』『とりあえず体を鍛える』『とりあえず知識を磨く』の3つをして、そのうち何かが役に立つ時が来るのを祈るだけだ」

 そう、自分の人生を他人に踏みにじられ、自分の今までの努力や人生を全否定されても、初春がそれを続けているのは。

 そんな行き場のない、すがるような祈りのようなものだ。

 明日は、今日よりましな一日になりますようになんて、そんな誰に当てるわけでもない、天に唾を吐きかけるような、聞く人のいないことのわかっている祈り。

 自分の運命を自分で選択できないことへの、ささやかな抵抗のようなもの。

「ふ――じゃあ、お前に少しばかり暇潰しを与えてやろうか」

 そう言うと、紫龍は錫杖を持って、縁側から庭に降りた。

「どうじゃ、儂と試合(しお)うてみんか?」


この話で初春の言う、「好きなアーティスト」とは、実在のアーティストが本当に言ったことです。割と有名ですが、誰か知りたい人は、ググってみるとよいです。

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