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追憶~生きる意思を笑われたら、俺はどうすればいい?

両親は、もう少年の知らないところで約10年、離婚の話し合いを進めていたらしい。

その度に、元々既に付き合っている相手がお互いにいたため、少年の存在がネックとなっており、どちらが引き取り手になるかを決められず、結局少年が義務教育を終えるまで見守れ、というのが、家庭裁判所の選定だったという。

 そして、少年が義務教育を終える今年、互いに少年の親権、養育権を取らなくていいように、新しい子供を作るという先手を打ったが、互いにそうしていたことで、この1か月ほど、母親は毎日のように家庭裁判所や弁護士のもとにいたらしい。

 当然、初めから神代高校に少年を行かせる気などはなかった。

 金銭的な事情ではなく、単に少年という人間の責任を負いたくない、という理由でのものであった。

 今回の場合は、両親の宿願叶い、少年が義務教育を終えることで、両親は晴れて離婚できる公算が極めて高いのであるが。

 結局、少年の親権をどうするか――面倒を見てくれる親族がいて、養育費をどうするか、その一点。

 噛み砕いて言えば――

少年の『処分』方法に、両親親族は頭を悩ませていたのである。



「はぁ!?」

 職員室で白崎は、少年の報告に声を荒げた。

 少年は次の日、担任の白崎に、神代高校推薦の辞退を報告に来たのだった。

「いやいやいや、ちょっと待て」

 白崎は少年の両親の言い分を、少年のかいつまんだ説明で聞いた時、まるでドッペルゲンガーの如くほぼ全く少年と同じ反応で、怒りと戸惑いをあらわにした。

「し、しかし、天下の神高だぞ? そんな簡単に諦めるなんて――高校にも奨学金はあるし、それで通えば」

「俺だって諦めたくありませんよ……」

 結局少年は昨日、両親を罵倒し、父親を殴り、父親に反撃され、母親はものを投げつけ――久し振りの再会にして、かなりハードな親子喧嘩を繰り広げ。

 結局両親が気分を害して(多分に現実逃避も含まれる)団地を出ていき、一人残された少年は、近々離婚調停の結果が出るまで親族の家に預けられることになるかもしれない、という両親の言葉から、何となくの荷造りを済ませると、ひどい頭痛に襲われていた。頭痛薬が欲しかったが、金がないために布団に横になった。

 だが、少年にとって、明日住む場所の保証もないと言われたその日である。自分の将来を考えると、吐き気のするような眩暈に襲われ、思考を止めたいが脳は覚醒状態を維持し――結局一睡もできずに少年は中学に登校した。

「ただ、金の問題よりも、誰が俺の親権者として、俺を高校に行かせるか――それが決まらないそうです。金があっても、俺は未成年なんで、親権者の同意がなければ、義務教育じゃない高校の進学はできないわけだし……」

 少年の顔は、昨日一睡もできなかったということ以上に憔悴しきっていた。白崎も、クールな少年が、こんなに明らかに憔悴した姿を見るのは初めてだった。

「よし、俺が両親に電話をしてやろう。繋がるかはわからんが――仲裁に入ってやる。お前は保健室で休むか、家に帰るかは自由にしていい。少し休んだ方がいい――顔色が真っ青だ」

「――どうも」

 少年は白崎に頭を下げた。はっきり言って、結果は分かりきってはいるが、自分のために骨を折ってくれる大人というのが、少年の人生で出会った大人の中では珍しかったので、それが少し嬉しかった。

「あぁ、そうだ」

 職員室を出る前に、少年は踵を返した。

「今回のこと、ナオとユイには……」

「――分かっている。まだ知らない方がいいだろう」

「どうも。それともう一つ……」

 少年は後頭部に手を回しながら言った。

「――俺、とりあえず就職面接を受けたいんで、適当な会社を紹介してほしいんですが」

「……」

「もう、高校に行けるかもわからないし――就職と向き合うには時間が少ないんで――とりあえずぶっつけでも、面接ってどんなものか、受けてみるのが一番って思うから」

「――分かった。だが、まだ諦めるな。俺もご両親と話してみるから」

 白崎に一礼して職員室を出て、少年は壁にもたれかかり、ため息をついた。

「……」

 一夜明けても、この状況が上手く整理できずにいた。

 これから自分がどうなって、どう生きていくのか。

 ただ、流れに任せて祈るしかない今の自分……

 何となく、学校行けないなら働くしかないかな、というくらいだ。

 その結論だって、少しも自分の中で合点がいってないし、働くということがどんなことかもよくわからない。

 そして……

「……」

 職員室の廊下の向かいの窓から校庭が見える。校庭では180センチ近い長身はよく目立つ――直哉が自分を慕うクラスメイトとバスケットボールの3on3をしているのが見えた。

「……」

 少年は思った。

 この数週間、直哉と背伸びするように張り合った時間は、自分の人生で、恐らく初めて楽しいと思えた時間だった。

 ――俺が神高に行けないなんて今更言ったら、あいつを酷く落胆させるだろうな。

 何より――俺のために推薦を譲ってくれたあいつらに、何て言えば……

 ――結局俺は、単なる凡人に過ぎなかったってことかもな。

 この受験が終わったら、結衣に自分の気持ちをぶつけてみるなんて、分かりやすい死亡フラグを立てて、綺麗にそれに引っかかっただけだ。

 直哉のような奴なら、そんな運命をものともしないさ――直哉がやったから、俺も、なんて――思いあがっていたということか……

 ――翌日、白崎の説得に、両親は酷い罵声で返答したことが少年に伝えられた。

 名門校の推薦入試をこのような形で蹴るということは、入学の意思なしと見なされ、一般受験の挑戦も断られるのは確実――

 少年が、直哉、結衣と進む道が別れることが確定した瞬間であった。



「……」

「……」

 生徒は誰も知らないが、神代高校の推薦が消えたことを教師達は皆知っている。そんな視線に少年をさらすのが忍びないと思った白崎は、翌日少年を生徒指導室に呼んだ。

 互いに言う言葉がなかった。白崎は、少年を憐れみ、少年は、自分のことで両親が一方的に罵倒した白崎に対し、申し訳なさから、何を言えばいいかわからなかった。

「――先生」

「あ、ああ、なんだ?」

「前に頼んだとおり、どこか働けそうな会社の面接を組んでいただけるよう、お願い致します――とりあえずそれで、今後自分がどうするか、考えてみます」

「わ、わかった」

 白崎は、少年が酷く落ち着いていることに内心で驚いたが、笑顔を少年に見せた。

 ――だが、少年とて内心穏やかでなく、心は千々に乱れていた。

 それでもまだ平静でいられたのは、幼さ故に、自分が高校に行けなくなったことがどういうことなのかを、まだしっかり認識できなかったという点が大きい。

 少年はそれだけ、今までの人生で、人生を相談できる大人と出会ったことがなく、人生を考えさせられる思想を与えられる機会に乏しかった。

 ただ単に、いかに自分が前向きに生きられるか、どれが一番現実的な選択肢か、それを考えた結果、就職を考えるという結論に至っただけであった。

 この時少年は考えていた。

 人間には、誰にでも無数の可能性がある――

 そんなのは嘘っぱちだと。

 幸せな奴にだけ選択肢の数は多く、不幸な奴には選択肢の幅は少ない。

 もし人間に無数の可能性があるのであれば、俺はそんな言葉を唱えている奴に言ってやりたい。

 俺の代理人になって、俺を高校に行かせてみろ、と。

 誰もそんなことをしてくれもしないで、綺麗事を吐くな、と。だったら初めから事実を言ってくれる方がよほどいい。

 人間は、綺麗な嘘をつくから嫌いだ。



 3日後、白崎が少年に紹介したのは、地元の小さな倉庫であった。

 倉庫内には、いくつかの運送会社が入っていて、そのうちの一つを少年に紹介してくれた。

 就職活動と言っても、少年はリクルートスーツも、ネクタイも持っていない。学ランで面接に臨んだ。

 倉庫内の応接室に通された少年は、互いに40代くらいの、企業のロゴの入った作業着を着た男二人と対峙した。

「宜しくお願いします」

 少年は白崎に一夜漬けで教わった面接前のマナーを丁寧にこなしたお辞儀をし、学校のパソコンで作った履歴書と、白崎の作ってくれた紹介状を提出した。

「――ふぅん」

 履歴書と紹介状に一通り目を通した面接官二人は、一様に渋い顔を見せた。

「――君、何で高校に行かずに働こうと思ったの?」

 面接官の一人が訊いた。少年の父親によく似た、筋肉質だが少し肥満気味でもある大男だった。

「――はい、両親が離婚するので、高校には行けないし、これからは自分で生活したいと思って」

「何で高校に行かないの?」

「両親と親族が、誰が親権を得るか揉めていて――高校に行くまで面倒を見てくれる人がいなさそうなので」

「ふぅん」

 面接官は気だるげにそう返事をした。少年は鼻で笑われるような反応に、苛立ちを覚えていた。

「両親が離婚するから――自分の面倒を見る人がいないから、ね」

 隣にいた男も頷いた。こちらは事務作業の人間だろうか。痩せぎすの神経質そうな男だった。

「君は随分と思考が他責的だねぇ。両親が離婚する、親権を持ってくれる人がいない――そんな中で君は自分のやりたいことのために、何か頑張ったの?」

 痩せた男が、少年を見下ろすように言った。

「紹介状じゃ、君、神代高校に入学する予定だったらしいね。正直、そこも実に心配なんだよ。俺は神代高校に行けた、俺はもっとやれた――そんな風に、自分の居場所がここじゃないと思い込んでる奴ってのが、一番使い物にならないんでね」

「まあ、その通りだな。君のやっていることは、いじけた子供の反抗にしか見えないよ。社会に出るつもりなら、そのいじけた、自分はもっとできたはずだ、ってのを捨ててくれないかな。社会に出て、そんなんじゃやっていけないよ」

 太った男も少年を一蹴した。

「……」

 少年の生涯は、常に侮蔑と嘲笑が付きまとっていたから、今この時点でも、自分がこの二人に侮蔑されていることはすぐに分かった。

 だが……

 自分がここに来たことも、働いて自分で生きていこうと考えたことも、中途半端な思いで考えたわけじゃないし、自分なりにこの状況で、必死に前向きに生きていこうと思ったから、希望したことだ。

 自分の少ない選択肢の中で、必死に前向きになろうと思って、選んだ道だ。

 だが――

 ただ前向きに生きようとする意志を、簡単に笑いものにするのが人間だ。

 そして、少年は思った。

 自分はこの二人に、ただ自分の経歴を一言二言言っただけだ。

 それだけで、このように言葉は婉曲され、相手の固定観念と決めつけによって自分は評価される。

 人間は、結局、やったもん勝ち、決めつけたもん勝ちで、それをしないような奴は、そんな奴等に一方的な強要をされ続ける。

人の話を聞いているのか、とよく言うが、実際ほとんどの人間が他人の話など聞いていない。聞いた話を婉曲して、勝手な解釈を付け加えている。

「……」

 少年は今までもこんなことは何度も経験している。

 そして、この時点でこの二人の評価を覆すのは無理で、言葉を重ねれば重ねるほど、自分を相手の固定観念と決めつけで踏みにじられることを知っていた。

 なので、少年はこの時点でこの企業に採用されることを諦めていた。

「――じゃあ、どうすればよかったのでしょうか」

 少年は口を開いた。

「私がここに来たのは、中途半端な思いで来たのではなく、自分の現状を少しでも前向きに考えるために、今は働くことに向き合いたいと考えたからです。その意思すら笑われたら――私はどうしたらいいのでしょうか。高校に行けない今の状況で、働く資格もない私は、今後どうして生きたらいいのでしょう」

 少々憮然とした声になってしまったが、少年はもうどうでもいいやと開き直った。

 この二人が、自分をそこまで侮蔑するのであれば、この問いにどんな答えを用意するか、知りたかった。この場で収穫を得るのであれば、それで十分だと思うことにした。

「そういうことを聞く時点で、君はまだガキなんだよ。君ね、大人になるってのは、責任を背負うってことなんだよ。自分のことは自分で考えて決める。いつだって周りの人間が答えを用意してくれると思っている時点で、君は他責的だって言うんだよ。誰かが何とかしてくれると思ってるんだ。そんな覚悟がないんだったら、社会に出ても何もできないよ」

「君みたいにいじけて自分の意志で何かを決められない奴に未来なんてねぇよ。ふざけるなよ。そんな奴の面倒を俺達が見るなんて、とんでもない話だよ」

 面接官二人は、口々にそう言った。少年の言葉に、反抗的な態度を見たのだろう。先程よりも敵意を増した口調で。

「……はっ」

 だが、少年の口からは、失笑が漏れた。無礼だと思って、何とか抑えようとしたが、もうそんな我慢をするのも馬鹿らしくて、鼻で笑ってしまった。

 大人になるってのは、責任を背負うこと? 

 ――俺は今、その自分達の行動によって作った息子の責任を負いたくない親のせいで今こうなってるんだよ。

 俺の親が、あんた達の言うような、最低限の責任を果たすような人間だったら、俺はここに来ていない。

 思考が他責的と俺を馬鹿にするなら、この状況が俺のせいであると論破してみろ。

 誰かのせいにすることを悪いことのように言うが、世の中の全ての結果が全て自分だけのせいなんてことがあるわけがない。

 努力もせずに人に助けられて高みに登った奴も、血のにじむような努力を他人に踏みにじられた奴もいる――それが当然なのだ。

 世の中は、平等じゃない。

 そして、世の中の大人が全て大人の責任を果たして生きている? そんなことがあるわけない。

 世の中の全ての人間が、大人の責任を果たし、これ以上努力したら死んでしまうというような経験を、一人残らずやっているのだとしたら。

 今迷いの中で、光を求めてもがいている者を、そんなに簡単に馬鹿にできたりしない。同じ痛みを知っているなら、そんなこと、できるはずがない。

 大人がみんな、そんなことができているなら――世界は、もっと優しい。

 それに――誰かに答えを聞くことの何が悪いことなんだ。

 教える側は損をしないし、教えられる側はメリットがあり、誰も不幸にならない。

 誰も不幸にならないのに、何故それを悪いことのように大人は言うのか。

 ――その答えも、少年は分かった。

 その答えによって、他人の責任を取りたくないか、もしくは単に、答えが分からないだけだ。

 仮に少年が、「あなた達は15歳の時に、自分と同じ状況だったら、自分のことを自分で決められましたか? 同じ状況だったら、あなたは15歳の時に、どんな行動をとりましたか?」と問うたとしても、目の前の面接官はろくな答えを用意できなかっただろう。

 結局、他人のことだから好き勝手なことが言えるし、大人が他人に答えを教えないのは、自分が分からないことを誤魔化しているに過ぎないことだって多々ある。

他人を罵倒、侮蔑するのであれば、どうすればそうでなくなるかの案を出すのは、至極妥当なことだ。対案もないのに他人の出した案を侮辱する権利がないのと同じ。

 だが実際は、大多数の場面で対案も出さない奴が平気で他人を侮蔑して成り立っているのが社会だ。

 その時点で、人間は大多数の場面で自己の負う責任から逃げている。

 それが社会って場所だ。誰もがみんな責任を背負っていると言いながら、それを誤魔化しながら、そうであると言い張っている場所。

 それが人間の社会だ。

[――君、その人を鼻で笑う癖も、さっきから目障りだ。そういう態度をガキだって言ってるんだよ」

 太った男は、もう少年に対する嫌悪感を隠すこともしなくなった。

 少年は思った。

 自分達だって俺をさっきから鼻で笑っていただろう。

 自分がされて嫌なことを、平気な顔をしてやっている――それはつまり、俺を見下しているわけだ。

 面接官と志願者――当然その関係は間違ってはいないだろう。

 だが――自分が目上と分かれば、そんな社会人の礼儀も横に捨てて、身勝手な人間の態度をあらわにする。

 ――それが――厳しい社会を生きた大人の常識なのか? 目下の人間には、礼儀や礼節は必要ないのか?

「……」

 そして少年は、どうやらそんな人間の大人にもなる資格がないらしい。

 この面接一社で、自分の現状というのがまざまざと見えた。

 相手の理屈も滅茶苦茶なのもそうだけど――自分自身もどうやら、気持ちが明確になっていないらしい。だからこそ、こんな場面でこうも苛立ちを覚えてしまうのだろう――

 俺が現時点で、社会に出る、なんて場所に立てないってのは、本当かもな……

 ――だって、俺自身が人間を愛せないんだから。

 愛していない生き物のために働くことに、意味も喜びも見出せないし。

 それをして、自分なりに自分の人生に前向きに向き合ったところで、こうして勝手な理屈で他人が自分を踏みにじるのだとしたら。

 何のために、俺は生きるんだ……


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