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確かに、変な子だと思ったかな

 比翼はそう言って、自分の振袖の袖から二枚貝のような形に、勾玉の形をした赤と青の石が対になった意匠のある、美しいコンパクト型の鏡と、真っ白な鋲を取り出した。

「それ、昨日ハル様が使っていた鏡ですよね」

「そう、こいつは合わせ鏡と起憶の香――この合わせ鏡は、鏡に自分を映すと自分の記憶の中へと魂を運んで、自分の奥底の記憶を探すことができ、鏡に映る者を見つめていると、見つめた者が鏡に映る者の過去の思い出を覗くことができる」

 昨日初春はこの鏡を使って、鬼灯町の野球チームの投手の投球練習を観察してもらい、その記憶にこの鏡を使い入り込んだ。

 そして朝まで音々の記憶の中で、投手の球をとにかく見ては、バットでタイミングを合わせるまでをみっちり明け方近くまでやったというわけだ。

「紫龍殿くらいになると、相手の思い浮かべる映像を投影して皆に見せたりすることも可能だけどね――私はそこまでの術を使い過ぎると、存在がすぐに揺らぐだろうからね」

「――それでも、ものすごいじゃないですか。人の心の中が見られるなんて」

 紅葉は目をぱちくりさせた。

「きっと――恋をしている人ならだれもがそんな力を欲しがると思う……」

「――と言っても、他人の心を覗くには、それなりの条件があるし、心の中を何でも見られるわけじゃないけどね」

 比翼はそう言って、白色の鋲を結衣達の前に出した。

「この起憶の香は、香りを嗅いでいるうちに、過去の記憶が呼び覚まされる術を秘めた香――記憶を共有する場合、記憶を見せる者と覗く者の両方がこの香りを嗅いで、お互いが術にかかればいいんだが、かかるかどうかはその人間次第――特に覗かれる者の心が覗く相手に向いていないと、術はかからない」

 そう言って比翼は、ちょっと気の毒そうな苦笑いを浮かべて皆を見る。

「つまり、心を許している相手じゃなければ、術がかからない、ってことさ」

「……」

 それはつまり、初春が自分達のことを本当にどう思っているかが、一目瞭然にわかってしまうということ。

「元々こいつは、長年連れ添った夫婦が楽しかった思い出を確かめたり、片想いの相手が自分に脈がある相手なのか、確かめる踏み絵として使われるものだよ。心を許さない人間と共有する思い出なんて、きっと見ても辛いだけだろうし――関係のない人間にまで自分の心の中なんて見られたら、嫌だろう? だから、見られる人間がそれに蓋をするかしないかを、選ぶことができるようになっているのさ」

「……」

 そう考えると、ちょっと恐ろしい道具だと皆思った。

 つまりこれで自分に術がかからなければ、相手にとって自分は現状では求められる存在ではないと突き付けられることになる。

 その時点で失恋や、相手の心変わりなどと向き合わなければいけない。

 ――残酷な心の選別手段でもあるのだ。

「そしてこいつは、あくまで過去に見たもの、聞いたもの、触れたものの感触が疑似体験できるだけで、その者の現在の心が見えるわけじゃない――あくまで過去限定なのさ。そして、見たい思い出を選べるわけじゃない。この香の香りが終わるまでの、せいぜい四半刻(30分)、相手の心を漂っているだけだ。あくまで本人の思いが優先で、相手が見たいものが見られるかはわからない――だから相手の同意がなく使うと効果が不安定でね」

 音々がものに宿るアヤカシの声を聞いて相手の考えや思い出を探るのは、私物をどれだけ大切にしているかで精度の差が出るものの、対話ができるので情報の自由度が高い。

 どちらも一長一短だが、比翼の術は音々以外にも感じられることが長所である。

「――つまり、今ここで、眠っているハルにこの香を……」

「多分その方が術はかかるよ。坊やが素面の時に術をかけたって、坊やは心を開かない」

「……」

「少なくともあんたには間違いなく、坊やは心を許す――もう分かっているんだろう?」

 比翼はそう言って、結衣の方を見た。

「多分、他の娘も大丈夫だろうね――坊や、あんたたちの記憶を消したことに関しては、結構引きずってたんだから――大丈夫、自分も依頼で音々に似たようなことやらせているし、自分がやられて怒るようなことはしないさ。坊やはそういうところは筋を通すからね」

「本当ですよ――紅葉様と雪菜様のこと――ハル様は結構、気にされてましたから」

 音々が言った。

「……」

 血も涙もないような初春が、自分達を気遣ってくれたというだけで、ちょっとした特別を感じてしまい。

 紅葉と雪菜は心がいっぱいになる。

「――でも私は、最初にそれを見るのはユイちゃんがいいと思うな」

 今まで黙って少女達を見ていた夏帆が言った。

「ハル君が強くなろうとしたのは、他の誰でもなくあなたのためだもの――それを最初に見るのは、ユイちゃんがいいのかな、って思う」

「……」



 結衣と音々を残して、紅葉、雪菜、夏帆は階段を降りて居間に行くと、直哉がパソコンを開いて何かを見ていた。

「あれ、もう話は終わったの?」

「いいわよナオくん、あなたはあなたの仕事をしていて」

 夏帆がそう言って直哉にかぶりを振った。

「私はユイちゃんを自分のマンションに送るから、ちょっとここでユイちゃんを待ってるわね」

 夏帆は今の畳の上に腰を下ろして、パソコンの筐体を覗き込んでいた。

「それ――高校時代のサクライさんね」

 直哉が見ていたのは、高校時代のサクライ・ケースケがサッカーをしている動画だった。

「すごいですよ。怪我をする前のサクライさんは。体が小さいのに、大男達をものともしない」

 そう言いながら、筐体の中で日本代表のユニフォームの背番号10を背負ったサクライ・ケースケは、当時ドラゴンダイブと呼ばれた、正確無比かつ鋭い角度で曲がり落ちるフリーキックをゴール隅に叩き込むのだった。

「この当時、まだ俺と2歳しか違わなかったんだよな――」

「きっとハルくんは、あなたを見ながら常に同じ気持ちを抱えていたと思うよ」

 夏帆が言った。

「自分と同い年のナオくんを見るハルくんの心は、きっと色んな思いがあったと思う」

「……」

「今、ユイちゃんがそれを見に行ってるの――きっとハルくんの思い出だから、相当きついものを見ることになると思うけど……」

「――そうですか」

 直哉は動画を一時停止する。

「――夏帆ちゃん、ありがとうね」

 それを見ていた紅葉が言った。

「ん?」

「私ね――本当は怖かったんだ。神子柴くんが術をかけられても、私――神子柴くんのことが見えなかったらどうしようって――助け舟を出してくれたのかなって」

「私もです――神子柴くんの心の中――見たい――知りたいと思ったけど、怖かったです……」

 雪菜も同意した。

「さぁ――どうかな。私、そんな気の利くオンナじゃないよ」

 夏帆は苦笑いを浮かべた。

「サクライさんとシオリさん――あの二人を見たら、自分がまだまだ子供だって思い知らされちゃった――まったく……もうちょっとお姉さんぶりたかったんだけど」

「もしかして――夏帆ちゃん、サクライさんのこと……」

「あはは――それはちょっと、無謀すぎて想像も出来ないや――秋葉さんの歳じゃ知らないと思うけど、サクライさんって、さっきの動画の頃――高校3年生の時なんか日本中の女の子の憧れだったからね」

 当時夏帆はまだ小学生だったが、あの屈託のない笑顔と、華麗なサッカー、全国模試1位を取る秀才ぶりと、サッカーを知らなくてもケースケのことをテレビで取り上げられない日はなかったほどだった。

「――素敵な方でしたよね。サクライさん――穏やかな中に豪快さもあって」

 男性に免疫のない雪菜でも、ケースケの甘い雰囲気に緊張を解かれた。

 呉越同舟の神庭町と鬼灯町を前に、野球の試合でも集会場でも空気を一変させた華やかさの中で、自分のピッチャーとしての奮闘を称えたりと、細かな心配りもある。

 深謀遠慮を称えた凛とした目は、30代の大人の色気を内包しながらも、10代に見えるような童顔も相まって、少年のような爽やかさも併せ持っている。

 リュートと並んでいる時なんて、同い年の子供のように無邪気な表情をする。

 声の響きや話し方も含めて、色っぽさを雪菜でも感じられた。

 あの人は、ものすごく女性を引き付ける力があると、雪菜でも分かった。

「それに、シオリさんを見ていると、サクライさんの邪魔なんて出来ないよ」

 夏帆の眼にも、ケースケは非常に魅力的な男性に見えたが。

 それ以上にシオリに同性として、憧れを覚えた。

 シオリの笑顔を見ていると、ほとんど毒気のない夏帆でも、妙に毒気を削がれる感覚を覚える。

 ジュンイチのように口数が多いわけでもないが、ケースケ、ジュンイチ、リュートが皆、シオリの存在に敬意を表しているのが伝わる。

お互いが、お互いの存在している日常を本当に愛しているのが伝わるのだ。

 托卵を行うカッコウだって、シオリからその場所を奪うことをためらうだろう。

 シオリには、そんな雰囲気がある。

 それでいて、守ってもらうだけの弱々しい女ではない。シオリにも、背負うものの重さを感じる芯の強さがあった。

 ただその場にいるだけで、人の心を穏やかに、優しくさせる雰囲気がある。

 その空気が、夏帆にはケースケ以上に印象的だった。

「大きな人だったなぁ……」

 不意に夏帆はそう漏らした。

「あの人達の愛は、大き過ぎるな……サクライさんもシオリさんも――お互いのことだけでなく、もっと大きな優しさを持って今を生きている――そういうの、素敵だなって思ったな」

 そう、その愛のおかげで、この神庭町と鬼灯町のいがみ合いも、ようやく前進の兆しを見ることができた。

 初春も直哉も自分のできることを精一杯やったが、ケースケの力がなくては、この町の問題を解決することは難しかっただろう。

「……」

 紅葉も雪菜も思っていた。

 まだ16歳の自分達は、愛がどんなものなんて語れるほどこの世界のことを知ってはいないけれど。

 直哉を立ち直らせるために、敢えて卑小な姿を晒してピエロを演じようとして。

 結衣を笑顔で東京に帰すために、結衣の愛を振り払ってでも直哉の救済を優先した初春の心は。

 きっと、愛と呼ぶにふさわしいものだったから……

「――あの、小笠原くん」

 雪菜が直哉を呼んだ。

「神子柴くんが――昔本当に何もできない人だったって、本当なんですか?」

「……」

「小笠原くんから見て、神子柴くんってどんな方だったんですか? 東京での神子柴くんって、私達の知る神子柴くんとは別人みたいだったって、聞いているんですけど……」

「それ、私も気になるな」

 紅葉も頷いた。

「私達――神子柴くんの思い出をまだ勝手に覗くことは出来ないけれど――もっとあの人のことを知らなきゃって思う……あの人が東京で見てきたものとは違うものを、あの人に見せなきゃ――シオリさんがそう言っていたこと、ユイちゃんだけじゃなく、私達もあの人にしてあげたいから」

「……」

 直哉は少し黙り込みながら、記憶を反芻した。

「ハルは――初めて会ったのは幼稚園に入学した頃だったかな」

 直哉は記憶を辿りながら言葉を探した。

「初めて会ったハルの印象は――確かに、変な子だと思ったかな」

「変な子?」

「――確かに、他の子に比べて発育が遅かったんだよ。『アー』とか『ウ―』とか――言葉を話すのが不明瞭だったり、体力が無かったり……それでいて、いつも自分の興味を示したものが見つかると、すぐにふらっとどっかに行っちまったり――今思うと、大人からは手のかかる子だと思われる子供だったかな」

「……」

「だけど、いつもニコニコしていたよ」

「そうなんですか?」

 意外そうに雪菜が訊いた。

「あぁ――いつも初めて触れるものには、ニコニコしてそれを眺めていた。地味な作業が昔から好きでね。昔から努力家だったよ。小学校でお楽しみ会があると、口を開かずに輪飾りを一人でいつまでも一心不乱に作り続ける奴でさ――朝顔の観察日記なんかを、毎日楽しそうに書いては、植木鉢を一日に何度も見に行くような奴だったよ。自転車に乗るのも、、逆上がりも出来るようになるまで時間がかかっていたけれど――毎日放課後に残ってひとりで自主練をやってた」

「そういうところは変わらなかったんですね……」

「あぁ――だけど小4か小5の時に、あいつは変わったんだ……」



 結衣は比翼の前に座り、比翼は煙管を点けるマッチを持った。

「音々、あんたもこの娘についていってやりな。彼岸の術を人間にかける以上、付き添いがいた方がいい」

「はい――」

 音々は頷いて、結衣に手を差し伸べる。

「結衣様、私の手を握ってください――記憶の中にいて居場所が分からなくなると、戻っても結衣様の記憶が、ハル様の記憶と混在して、記憶に障害が残りかねませんので」

 そういう音々の表情の強張り方が、その意味を物語っている。

「音々さんは――ご自分の能力でハルのことをもう知ってるんだよね……」

「はい――アヤカシから聞いたので、こうして術で直接ハル様を覗いたわけではありませんけれど……」

「――怖い――思い出なんだね」

「……」

「だから迷って、記憶が混在するとあんたも苦しむことになる――術が切れるのを待たずに帰りたいなら、すぐに音々に言うんだよ」

 沈黙する音々に代わって比翼が言う。

 比翼はマッチに火を点けて、香に火を灯した。

「う……」

 起憶の香は森の中の空気のように刺激の少ない穏やかな香りだが、脳の奥にまで香りが入り込むように、部屋中があっという間にその香りに包まれる。

「その香りを嗅ぎながら、鏡に映っている坊やを見るんだ。そうすると段々眠くなってくる――段々坊やと自分の境界が曖昧になって、記憶が混ざり合う――それも効果が出るまでに個人差あるけどね――坊やは白糸のような心の持ち主だから、すぐにかかったが」

 比翼の説明を聞きながら、結衣は香りに身を任せ、体の力を抜く。

 鏡に映る初春は、苦しそうな表情が緩んで、深い眠りに誘われているようだった。

 その鏡に映る初春の姿が遠のいて、結衣の目は、とろんと瞼が重くなる――

 結衣はそのままゆっくりと、実にゆっくりと――抗いようのない眠気に支配されていくのであった。


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