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大将の心得(7)

 25球目に、投手はキャッチャーの後ろに届くような大暴投をわざと投げて、初春に四球を与えた。

「ボール、フォアボール」

「はっはっは……」

 初春はバットを肩に置いて、グラウンドを一瞥した。

「お前等、馬鹿丸出しだぜ。素人いたぶるつもりがこんな薄みっともねぇ敬遠とはよ」

「……」

「二度と舐めた口聞くんじゃねぇぞクソが!」

 露悪的な捨て台詞を吐いて、初春は一塁に走った。

「……」

 球場中が静まり返る。

 紅葉のお爺さん達も鬼灯町の失態に喜ぶ以上に、普段温厚な初春の見せる露悪的な振る舞いに、驚き気圧されていた。

「……」

 それはベンチにいる結衣達も同じである。

「ハル……」

「心配するな、演技じゃ」

 紫龍は言った。

「物量や兵力――戦力差のある戦いの序盤戦は、いきなり相手の戦力を抉る必要はない――こちらの損害は軽微に――だが派手に立ち振る舞い、小さな傷を与えろ――必ずそれで竦む者が出る――勝ち戦に奢る兵に死兵の怖さを見せる――それが基本じゃ。あいつはそれが分かっておるから、無駄に派手に振る舞っておる」

「――それも、人間に教わったことですか」

「人間というよりも、人間によって刻まれた無数の敗北からだな――おぬしらのように師がいて教わった軍学ではあるまい――だからこんな経験のない試合でも、手持ちの武器で応用が効く」

「……」

「ま、あの演技がいつ本気で人間に向けられた怒りになるか、瀬戸際のところにあいつはおるがな」

「え……」

『四番ショート、小笠原くん』

 ようやく直哉に打順が回る。1回表だけで既に36球を投げ、20分以上炎天下に晒されている鬼灯町チームである。

「さすがにもう守備もだれておる――球も威力はかなり失せておるじゃろうが、おぬしも気持ちを切り替えるんじゃな。おぬしもだれてたら、小僧の振る舞いが無駄になる」

 紫龍からアドバイスをもらい、直哉が打席に入る。

「頑張って―」

 遂に登場した直哉に、午前中に直哉のファンになった神庭町の観客席から黄色い声援が飛ぶが、観客席も初春の執拗な粘りにだれており、歓声もまだ元気がなかった。

「……」

「このっ」

 相手投手は仕切り直して一球目にカーブを投じるが、内角にわずかに外れてボールになる。

「……」

 110キロ台のカーブは緩やかだが、変化量もそれなりに大きい。

 球種が分かっていても、これだけの変化をしっかり捉えていたのか、ハルは……

 しかし、打てない球じゃない。投手に疲れが出たせいか、球威がユイ達に投げた頃よりもかなり落ちている。

 だが……

 この回、ここまでハルが苦しめた投手相手に、俺が簡単に打っていいのか。

 もうツーアウト――得点する可能性は低いし、ここで俺ももう少し粘るべきなのか。

それとも……紫龍さんにいい形で回すべきなのか。

「……」

「――いかんな」

 一塁ベース上の初春、ネクストにいる紫龍が同時に首を傾げる。

 直哉は4球目、ワンスリーから相手投手の得意球である外角のスライダーを捉えてライト方向に流し打ちした。

 打球はセカンドの頭上を越えてライト前へ。

 初春はスタートがよく、ライトがボールを捕るのを見ながら3塁まで進み、ツーアウト1,3塁となる。

「やっぱりあの二人、何だかんだで頼りになるわ……」

 夏帆は二人で作ったチャンスに感心するが。

「……」

 初春は一塁にいる直哉に向けて、両手を上げて肩をすくめるジェスチャーをした。

「……」

 簡単に終わらせないというつもりで打ったが――あれでも駄目か。

『五番サード、紫龍さん』

『さあ、一回戦では2打席連続のホームラン、7打点という活躍のバッターの登場です』

「さて……」

 点を取るのは簡単なんじゃが……儂が点を取ってもあまり関係ないからな。

 なら、はじめの攻撃は……

 紫龍はすっとバットを前に出し、投手の顔に照準を合わせる。

「う」

「挨拶代わりじゃ、女子共に手を出す気なら、貴様を狙う」

「う、うるせぇ!」

 投手は渾身のストレートを投げたが。

 紫龍のバットは容易くストレートをはじき返す。

「ひっ!」

 打球はマッハのスピードで相手投手の頬を掠めたと思うと、ぐんぐん伸びていき、センターが定位置でバンザイしている間に頭の上を超えるというとんでもない打球となった。

 三塁ランナーの初春は歩くようにホームインし、直哉も俊足を飛ばして一挙ホームへ。

紫龍は袈裟に草履のまま三塁まで走る。明らかに本気で走ってはいなかった。

「三塁打! 神庭町チーム早くも2点先制! ツーアウトから一気呵成の攻撃で劣勢の予想された神庭町が先制点を奪いました」

「……」

投手は尻餅をついたまま、紫龍の打球が掠めた際の風切り音がまだ耳に残響していた。

 や、やべぇ……本気で賭けを持ち出したことに、あいつらキレてやがる……

「神子柴くん! 小笠原くん!」

 ベンチで紅葉が自然な流れでハイタッチを求めた。それに軽く手を合わせられると、紅葉の胸が一気に早鐘になった。

「……」

 そんな風に素直に振る舞えない雪菜と結衣は、タイミングを逃してしどろもどろするのを、夏帆は見ていた。

「悪い秋葉、水あるか?」

 初春はベンチに戻ると、日陰の席に腰を下ろした。

 紅葉がその声でベンチに振り向く前に、大男が水のペットボトルをクーラーから取り出し、初春に渡していた。

「無理もない――君もあのファール戦法で炎天下に晒されて、ベース一周だからね。チェンジになる前に飲んでおきなよ」

「どうも」

 初春はペットボトルの水を勢い良く口に流し込む。打席には六番の御伽が入っている。

「あの人には、サインが必要か……」

 初春は音々の方を見て、サインを御伽に送る。

「て言うか君に近づいて大丈夫か?」

 大男は苦笑いを浮かべて言った。打席には六番の御伽が入っている。

「本当にあれ、演技なのかい? あんまりにも真に迫る感じだったからね」

「別に演技でもないっすよ。必要があると思ってやったけど、俺が人間(クズ)にキレてるのも確かですから」

「女の子を賭けの対象にしたことにかい?」

「それもありますけど……」

 初春はもう一口水を飲み、再びサインを送る。

「俺、学校に行ってないんで、バイト先では秋葉やユイに手を出そうとしているサル同然に扱われていますからね。だから俺があいつらと同じことをやったら、即性犯罪者扱いされるんですよ」

「あ……」

「俺は何もしなくたって性欲持て余したサル扱いされるってのに、あんな連中がヘラヘラして、あんなことを平気で言ってものうのう生きていられるんだからな……笑えないっすよ。冗談じゃねぇ……」

「……」

 その言葉はベンチ中の人間が耳を傾けていたが。

「ハル様……」

 音々を含めて、それが初春にとってどれだけ屈辱的なことか、想像に余りあるものであることに、言葉を失う。

 そして、紫龍が打席に入る前の言葉の意味を、改めて再確認する。

 本当なら目に映る人間全てを殴り殺したいと思うほどの怒りを、理性のギリギリ崖っぷちでこらえている初春の状況を。

「ボール!」

『御伽さんもツースリー。球数がどんどん増えていきます』

「――別にお前等が気にすることじゃねぇって。誘っちまった以上お前等に嫌なことをさせる気はないし、文句を言う気はないからさ……」

 次のボールはストレート。初春がストレートのサインを出す。

 御伽はストレートを綺麗に捉えて、紫龍が帰り3点目が入る。

「タ、タイム!」

 キャッチャーがタイムをかけてマウンドに駆け寄り、内野陣も集まりだした。

「さすがに気付いたようじゃな、球種がばれていること」

 ベンチに戻る紫龍がマウンドを見ながら言った。

「予想より早く気づかれちまったか――少し露骨にやり過ぎたか」

神庭町チームは打席に入る前に、初春、直哉、紫龍以外の打者は全て同じ作戦を伝えてある。

変化球を無条件で見送り、ストレートは思い切り強振。

それが相手にばれ、今球種を読まれていると疑念を抱いているのだ。

「あのピッチャー、球種は多いが狙ったところにストライクを取れるほど変化球のコントロールはない。だから変化球を見送っていれば必ず球数は増えるし、ストレートにどこかで頼ってくる。だからこっちは空振りしてもいいからストレートは思い切り振る……そうしていれば相手は常にストレートを全力で投げざるを得なくなる――そうして気の抜けない状況を作って、消耗させまくるんだ。アウトになって構わない」

「しかし作戦がばれているよ? どうするんだい?」

「続行です。恐らく相手はサインを盗まれていると思って変えるでしょうけど、俺達が球種が分かるのは別にサインを盗んでいるからじゃないから問題ないし――それで何度も試合中に修正施して、余計な頭を使ってくれれば消耗はもっと早くなりますよ。この炎天下だから余計にね……どんどん苦しめてやりましょう」

「――絶対君を敵には回したくないね……」



 結局次打者の紅葉がストレートに当てたがショート真正面のライナーになってしまい、チェンジとなる。

 肩で息をしながら投手はゆっくりベンチに下がっていく。

『何と1回表、鬼灯町チームの要した球数は50球を超えました! 鬼灯町の選手達はベンチに下がるなり皆水を手にします』

「ただいまー」

 チェンジになる直前に、ベンチに秋葉心とリュート、シオリの3人が手にいっぱいのビニール袋を持って帰ってきた。

「あ、すごい、もう3点も取ったの?」

 シオリは目を丸くした。

「……」

 シオリの横で大男が首を振って苦笑いを浮かべた。

「何か――あったみたいね」

「まあ、みんなは気にしなくていいよ。それよりあいつに水でも持って行ってやれば?」

 大男は主審を務める童顔の男を指差しながら、センターの位置に走っていった。

「柳、投球練習をするかはお前に任せるよ」

 キャッチャーの位置について雪菜に声をかける初春。

 その後ろに立っている童顔の男も、初春の方を見ていた。

「はい、お水」

 シオリはそんな童顔の男に水の入った紙コップを差し出す。

「ありがとう――いやぁ、1回表が長くて喉がカラカラだ……」

 さすがに童顔の男も冷えた水を天の恵みとばかりに飲み干す。

「――何か雰囲気がおかしいけど――あなたの顔を見る限り、面白いことがあったみたいね」

「あぁ――リュートにはちょっと早いが、この試合、なかなか面白いことになりそうだよ」

 シオリと男が話している矢先に、スタンドがどよめく。

 マウンドにいる雪菜が投じたボールのあまりの頼りなさにである。

雪菜の球は投げた瞬間重力に負けてボールが落下する。へなへなと空気を漂っているような球道で、ようやく初春のミットに届かせていると言った有様なのである。

「いいぞ柳」

 初春はゴロで雪菜にボールを返し、雪菜は自分の前で止まりそうなほどのゴロを、グラブを上からかぶせるようにして止めて拾い上げた。

「いいか、こんな遅い球をまともに相手してられねぇ。相手がその気なら俺達も徹底的にやってやろうぜ」

 鬼灯町チームは初回から円陣を組んで声を出す。

 一番打者が打席に入り、一回の裏が始まる。

「やってやれよ! ランナー貯めろ!」

「柳、落ち着いて投げろ」

 初春はど真ん中にミットを構える。

「は、はい」

 初春の声に背中を押されるように、雪菜はボールを投げる。

 すると。

 投球と同時に一番打者はバントの構えを取る。

「あ」

 雪菜が声を出したと同時に、一番打者はプッシュバント気味に打球を雪菜の正面にバントした。

「わっ!」

 雪菜は声を出して慌て、グラブを出したが体にボールが当たって尻餅をついた。

 サードの紫龍が前に出て雪菜の目の前のボールを拾うが、既に一番打者はファーストベースを駆け抜けていた。

「あぁ、これは――何でもない打球ですが、柳さん、止められませんでした」

「いいぞ、相手のピッチャー守備できねぇぜ。ランナー貯め放題だぜ」

「す、すみません……」

 雪菜は紫龍に頭を下げた。

「構わん。おぬしは小僧の言うとおり、落ち着いて投げればよい」

 続く二番打者は早くもバントの構えで打席に立つ。

「サードファースト、前進しろよ」

 初春が紫龍と御伽に声をかける。

 雪菜が第一球を投げると同時にファーストの御伽はダッシュを敢行。一塁ランナーはスチール禁止のルールはあるが、大きくリードを取った。

 しかし雪菜が投げた瞬間、二番打者はバットを引いて構え直し、バスターでボールを叩いた。

『危ない!』

 打球は前進した御伽の正面に飛び、近距離でボールを受けた御伽は止めるのが精一杯で、ボールをはじく。

 セカンドの結衣がはじいたボールを拾うが、1,2塁ともに投げられずオールセーフ。

「よしよし! 相手の守備はヘボだぜ!」

『な、なんということでしょう。神庭町チームは完全にピッチャーの柳さんの守備ができないことを見越しての執拗なバント作戦です! あっさりとノーアウト1、2塁の大ピンチを、わずか2球で作ってしまいました』

 雪菜の球は遅い。途中でバットを引いてバスターに切り替えても十分狙い打ちできるのである。それもコースも自在に狙えるほど、構え直してからの余裕がある。

 さすがに雪菜へのピッチャー返しはできなくもないものの外聞もあり自重したが、内野がダッシュしなければ雪菜へのプッシュバント、ダッシュしてきたらその相手への強襲ヒットという使い分けをする――

それがこの回の鬼灯町チームの作戦であった。

「タ、タイム」

 初春が狼狽した表情を見せながらタイムをかけてマウンドに駆け寄る。

 それを見て内野手も全員マウンドに集まった。

『神庭町チーム、神子柴くんがたまらずタイムです。1回から両チームとも激しい点の奪い合いになりそうな様相です。このまま神庭町チームは柳さん狙いの作戦に、ビッグイニングを作られてしまうのでしょうか!』


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