表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
128/156

大将の心得(5)

 打席に入った初春は、2球目をまたお手本のようなセンター返しで出塁する。

「ふむ……」

 審判をしている童顔の男は、昨日打撃投手を務めたが、ありえない打球をかっ飛ばす紫龍と、簡単に打球をヒットにする直哉のバットの鋭さが印象に残っていたが。

 このキャッチャーの子は、それにはない凄みがある。

 昨日僕は、ボール球に手を出さないことを指摘しようと、ちょっとコースを外れるボールを時に織り交ぜ打撃練習をしたが。

 この子だけは全てのボールを無理やり振った。だが空振りは一度もしなかった。

 相当当てるのは上手い。フォームも力が適度に抜けていて、一番綺麗だと感じたのは彼だ。

 基本の忠実さを、幾重にも積み重ねた修練の時間を感じる……

 続く結衣は、その可憐な容姿にピッチャーが投げづらそうにしていて、2球ファール、フルカウントの後に四球で出塁。ノーアウト一、二塁となる。

『三番、ショート、小笠原くん』

 初回の先制タイムリーと、さっきのファインプレー。

 観客席の女性陣の評価がうなぎのぼりの直哉は、黄色い歓声を背負って打席に入る。

「……」

 審判のマスク越しに童顔の男は直哉の顔を見る。

 これは――相当悩んでいるね。自分の役目を見失っている。

 勝負を決めようとしながらも、後ろにあのでたらめな打撃の和尚さんがいるから、無意識にそちらを頼りにしてしまう心も多分にある。

 ――どうやらあのキャッチャーの子は、この子を立ち直らせたくてこんな大会に参加したらしい。

 あの和尚さんが、この二人の違いというものを指摘していたから、彼にしてほしいことというのは僕も知っているが……

 ――結局、黄色い歓声を浴びるアウェー感と疲労が相まって、もうコントロールも定まらずに直哉にも四球を出してしまった。

 ここで紫龍を敬遠されると無駄なイニングが増えるので、初春はできれば直哉で返してほしかったと思っていたが。

 結果的に満塁になり、敬遠ができない状態で紫龍に回った。

 そして初春達は、特大の(と言っても紫龍なりに手加減はして)150メートル満塁ホームランで一斉にホームに返ってきたのだった。

 9対0になった時点で完全に戦意喪失した相手は、御伽、大男に連続四球。

 念のため紅葉に送りバントを指示したが、結局紅葉にも四球を与えてしまい。

 夏帆のスクイズで10点差になりゲームセット。

 神庭町は決勝へと駒を進めることとなった。


「ありがとうございました」

 試合後の整列を済ませると、初春はベンチに戻って自分の荷物を持ち、皆とは別方向に走っていった。

「み、神子柴くん?」

「ごめん、相手の試合が終わる前に、ちょっとでも見ておきたいんだ。みんなは次の試合まで、飯でも食って休んでいてくれ」

 そう言い残し、ひとりで鬼灯町の試合会場へと向かって行ってしまった。

「ハル――」

 今自分達にある疑問に答えることもなく、初春はさっさと先に行ってしまった。

「本当に変わったな、ハルは――こういう勝負事で勝とうなんて気を見せたことなんてなかったのに」

「変わったのではない」

 紫龍が直哉と結衣に言った。

「確かにあの小僧は勝負事の勝敗にはあまり興味はない――負けた時に酷い目にあう覚悟もできているし、思想が薄く自己主張を人間に対してしないからな」

「……」

「じゃがあいつ以上の勝負師はなかなかいないぞ。奴の戦闘は生存確率の計算に他ならん――あいつが今まで生きてこられたのも、その生存確率の計算の精度を上げた結果じゃ。お前達はあいつがそういう凄絶な場所で生きていることを真に理解していなかっただけに過ぎん」

「……」

 不意に二人の心に、今の迷いが去来する。

 今まで初春とはずっと一緒にいて――幼馴染のことは何でも知っていると思っていた。

 だけど……今は何も分からない。

 初春の考えも、今の行動の真意も……

 二人は何も見えなくなっている。

「どうやらまだおぬしらはあの小僧の言いたいことが伝わりきっておらんようじゃな。あれだけ小僧が暗示してやっているというのに……」

「だから、何なんですか? ハルが俺に求めていることって。もう教えてくださいよ」

「……」

 紫龍は煙管の煙を吐いた。

「それを知る前に、次の試合での小僧の立ち回りを先入観なしで見ろ。お前の知らん小僧を見られるじゃろう……」



 初春が別会場の観客席に着いた時には、もうこちらの試合も鬼灯町が8-0とリードしており、次の回でほぼ確実にコールドが決まると思われる場面だった。

 鬼灯町の守備、3回でワンアウトランナーなしという場面。

 投手が打者を見下ろすようなワインドアップからストレートを投げ込む。

「おぉ、130……いや、135くらい出てるかな」

 不意に初春の隣で声がした。

 横を見ると、童顔の男と大男が初春の隣に立っているのだった。

「やあ。君の目論見通り、あの娘に長いイニングを投げさせることなく決勝に行けた。その相手がどんなものか、僕も先に見ておきたくてね」

「そうですか」

「しかし君、9-0からスクイズを指示するとは思わなかったぞ。ワンアウトでまだ余裕があったのに」

「勝負は決める時に決めるもんでしょ……俺はやり方にはこだわらないんで」

「……」

 鬼灯町の投手は当然のように三振を重ねてあっという間にチェンジになる。

「変化球もあるみたいだね。スライダーとカーブ、フォーク――東京の高校野球の都大会なら、ベスト8くらいにいる投手ってランクかな……」

「……」

 その童顔の男の評価の横で、初春は一言も発せずにその投手の投球を見ていた。

「……」

 大男は思わず首に下げていたカメラで、初春の横顔をレンズに捉えた。

「おいおいなんだ、偵察かい? 神庭町の人間だろ?」

 迷惑そうな声で初春に声をかける観客席の面々。最初に気付いたのは朝に会った鬼灯町の町長であった。

「神庭町の奴等に頼まれたのか?」

「い、いえいえ、何しろこっちは半数が女子のチームですから……勝てるなんて思っていませんよ。ただ女の子達が打席に立って危なくないか、一応確認しておきたいなという程度のものでさぁ」

 苦笑いのような笑みを浮かべながら、初春は偵察が見つかってバツの悪そうな顔をする。

「でもやっぱり偵察なんて卑怯ですかね――じゃあ、大人しく退散します……すいません、俺越してきたばかりで神庭町とのこととかよく知りませんで……」

 最期まで卑屈に頭を下げながら、すごすごと退散していく初春。

「ははは――何だありゃ、おどおどしちゃって」

「まあ今年は神庭の連中を叩きのめすために現役選手を招集しておるからの。今から神庭の連中が顔を真っ赤にするのが楽しみじゃて」

 観客席がすごすご退散する初春を見て、

「……」

「おい、見たかよあの子。思わず俺、写真に撮っちまったが」

「あぁ――相手の投手を見る時に、すごい冷たい目をしてたな。マウスを観察した後に解剖する科学者みたいにな」

「その後のへりくだる演技の落差――ありゃ――闇深ぇぜ――」

 大男は思わず戦慄した。

「――だがそれが彼の魅力なんだろう?」

 童顔の男も立ち上がった。

「あのチームはあのショートの彼ではなく、キャッチャーのあの子に信を置いている――その理由が個人的に気になっていたが……」

 童顔の男は空を見上げる。

「あの子も俺と同じか――ラブ&ピースを謳う人間になるには、性格が悪すぎるな」



「神子柴くん」

 球場の脇は市民公園になっていて、紅葉達はそこにシートを敷いて昼食を取っていた。街路樹が両脇に立つ散歩道が続いており、いい具合の木陰が日差しを隠していたが、さすがに真夏の暑さは逃げ場がなかった。

 紅葉達はシオリと話し込んでおり、すっかりシオリとリュートの二人に打ち解けたようだった。

「あれ? ナオとユイは?」

 初春があたりを見回すと、皆の視線が横を向く。

 見ると直哉と結衣がそれぞれ神庭町の応援に来ていた若い男女達に囲まれて質問攻めにあっているのだった。

「あぁ――」

 初春は今更驚くことでもなかった。中学の剣道大会でも、直哉が試合後に他校の女子に囲まれることなど日常茶飯事だったし。

「しかし――ユイがああいうの苦手なことは知ってるだろ。どうもまだあいつに遠慮してるようだな」

「ところでどうだったの? 鬼灯町のチームは」

「あぁ――なかなかにやばいな。素人がまともにやって勝てる相手じゃねぇよ。ありゃ」

 淡々と初春が言った。

「そこで――少しだけだが打順を変える――あのでっかい人を一番にして、俺が三番に入る。四番がナオ、おっさんは五番にしよう」

「それ――何か意味があるの?」

 夏帆が首を傾げた。

「私は素人だけど、さっきの試合、あの打順でかなりいい感じにつながっていたと思うけど」

「次の試合、おっさんは敬遠されることも考えないといけないし――今の打順だと、どうもナオはおっさんに頼るというか――ただつなぐだけの意識が強くなっちゃうんでな。あいつには、このチームの大将になってもらわんと困……」

「ハルくん!」

 初春の説明が終わらないうちに、秋葉心が紅葉の陰からひょこりと顔を出した。

「ハルくんはやっぱりなんでもできるんだね! なんでもやさんだ」

 そう言って、心は初春に弁当箱を差し出す。

「ん? これココロが作ったの?」

「ううん、まちのひとのさしいれだって。ハルくんもたべて?」

「そうか――」

 初春はふっと笑うと、心の頭を撫でた。

「悪いココロ、次の試合がはじまる前に、ちょっとお使いを頼みたいんだが、いいか?」

「おつかい?」

「あぁ、ちょっと待ってろ。メモを書くから……」

 初春は自分の鞄からペンとメモ用紙を出して、心に渡す。

「飲み物の用意をしてなかったんだ。リュートくんと一緒に行って来てくれないか? 家の手伝いをしているココロならできるだろ?」

「うん! わかった。リュートくんといってくるよ」

「いいですよね?」

 初春は一応シオリにも確認を取った。

「分かったわ。私が車で二人を連れていきますから」

「……」

 その心と初春のやり取りに複数の視線を感じ、初春は皆を見回す。

「何だ?」

「――ハルくんって、幼女の面倒見はいいよね」

「本当に人間嫌い?」

「――そんなんじゃねぇって……」

「――ふん」

 脇で見ていた紫龍が煙管の灰を落とした。



 昼食を食べて小休止の後、1塁側のベンチに移動した神庭町チームは、午前中に直哉や結衣の美貌を聞いて、午前中よりもさらに増えた観客に見守られていた。

「頑張れ神庭町―!

「鬼灯―!」

 直哉達の影響も少なくはないが、それでも二つの町の不和が根強く、その敵愾心がこの注目を集めていることも否定できなかったが。

「よし、両チーム、整列!」

 童顔の男の号令で両チームがホームベース上に整列する。

「へへへ……」

 鬼灯町チームはご丁寧に全員が野球用のユニフォームを着ており、対してこちらは半数が学校のジャージであり、初春に至ってはTシャツで試合に臨んでいる有様である。

 体の大きさも15歳の初春と比べると皆一回り大きく、半数が女子の神庭町チームは酷く貧弱に見えた。

「改めてルールの確認だ。試合は草野球なので7回まで。盗塁は禁止だがリードはあり。決勝も10点差がついたらコールドだが、時間制限でのコールドはなし――あとのプレーは随時不明点は僕に確認するように」

「あ、ちょっといいですか?」

 鬼灯町の先頭に立っていた男――前の試合で投手をやっていた選手が手を挙げ、同じく先頭にいた初春を見る。

「何か?」

「いや何、この試合、長いこと対立している二つの町同士の、絶対に負けられない戦いじゃないか。それでただ野球をするってだけじゃつまらなくないかい?」

「……」

「そこでだ、試合が盛り上がるひとつの手として、何かを賭けるっていうのはどうだろう? 既に町同士は、負けたら服従するとかの約束はしているかも知れないが、俺達も勝敗によって何かを賭けようじゃないか」

 その声はよく通り、観客たちもざわめく。

「そ、そんなの困る……どう考えてもこっちが不利なのに……」

 紅葉が弱気に呟いた。

「――成程、お話は分かりました」

 初春は涼しい顔で頷いた。

「それで? 僕達に何を賭けろと?」

「ふふふ――そりゃあ――なぁ」

 鬼灯町チームの面々が顔を見合わせにやにやする。

「君達のチームの女子達とのデート権を賭けてもらおうかな」

「は!」

 紅葉が声を上げる。

「そりゃいいぜ! 神庭町もこの娘達を差し出すなんて屈辱だろ!」

「やれやれ!」

 鬼灯町のチームだけでなく、観客席まで沸き上がる。

「そ、そんな……」

「は、ハル……」

 結衣も嫌な予感に少し気が弱くなり、すがるように初春の方を見た。

「ふ、ふふふふふふふ……」

 しかし。

「くくくくく……」

 先頭の初春が、肩を震わせていると。

「ハッハハハハハハ! ヒャハハハハハハハ!」

 観客全ての度肝を抜くような甲高い声で、狂ったように腹を抑えて笑い始めた。

 その笑い方は鬼灯町チームの面々も引くほどだったが。

「はぁ……」

 一通り笑い終わると、初春は腹を抑えた格好のまま、顔を上げた。

「最高だぜ――賭け事をやろうって言い出す野郎ってのは、勝つ確信を持っている奴だけ――つまり、弱い奴から搾取しようとする奴だけだからなぁ」

「は、ハル?」

 直哉と結衣が戦慄する。

 そう言い捨てる初春の表情が、自分達の見たことのないような表情に変わった。

「だが、相手が人間(クズ)だと分かってほっとしたぜ――どうせ潰すならお前等みたいなクソがいい……」

 まるでそこにある憎しみを全て集約したような、爛々と輝く目――口元を歪めた笑みを浮かべて、初春は目の前のチームを睨んでいるのである。

「俺は会う前からお前等が人間(クズ)だってことが分かっていたんだよ。こんな草野球大会で素人ボコろうなんて提案に乗るような野郎共だ。弱い者いじめの好きな、幼稚な奴等なのは想像がついていた……」

 嘲笑を浮かべながらも、心底軽蔑するような冷たい目を向け続ける初春。

 そう言って初春は自分のチームメイトを一瞥する。

「だから餌を撒いたんだよ。お前達が弱い俺達から搾取を望む格好の餌――女をな」

「え……」

「そしてお前達はその餌に食いついた……お前達が正々堂々勝負をするような奴等なら、正攻法で勝負するつもりだったが――これでいい」

 初春は鬼灯町チームの面々を一瞥する。

「こいつらは絶対に渡す気はないんでな――全力で抵抗させてもらうぜ」

 初春はそう言って、審判の童顔の男を見た。

「――挨拶なんでいいでしょ。そういう気分じゃないし、さっさと始めません?」

「――みたいだね」

 童顔の男も溜息をつきながら頷いた。

「じゃあ、お互いベンチに戻って。すぐに試合開始だ。高校の鬼灯町チームはすぐに守備位置へ」

 その審判の声で初春がすぐに踵を返したのを見て、皆慌ててホームベース上から解散となった。

「……」

 ベンチに戻った皆は、初春に視線を向けていた。

「あの子供達をお使いに出させたのは、お前のあの演技を見せないためじゃろう?」

 その沈黙を破るために、紫龍が口を開いた。

「え、演技?」

「あぁ……ココロを失望させたくなかったんでな」

「……」

 演技――あれが演技?

 それにしては、あまりにも真に迫る感じだったけれど……

 初春は直哉の方を見る。

「どうするよ。あんな奴等にユイがデートされちゃうんだってよ――うじうじ考えてる暇はなくなったぜ」

「……」

「この試合、お前は四番だ。大将に据えたんだから、働いてもららないと勝てないぜ」

 そう言って、初春の肩を叩く。

「――ユイ、秋葉達も――悪い。俺は最初からお前達を餌に使っていたんだ。あの連中がお前達を欲しがることが分かっていたからな」

「……」

「文句は後で聞く――だけどお前達を全力で守らせてもらうから――今は従ってほしい」

 そう言い残すと、初春は皆の返事も待たないまま、先頭打者の大男の方へと駆け寄っていった。

「……」

 沈黙。

「おぬしらだけじゃなく、そこの娘達もそうじゃが――あの小僧の真価は、人間の――それも質の悪い奴を相手にした時に最も発揮される。お前達の知っている小僧は、餌を食い終わって惰眠を貪っている状態の肉食獣みたいなものじゃ。狩りをする時のあいつを知らないじゃろう」

 紫龍はネクストサークルあたりで大男と話をする初春の背中を見る。

「こういう勝負は、小僧の本質が色濃く出る――おぬしらの関係を進めるという今回の仕事も、ここからが本番じゃぞ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしこの話を気に入った方がいれば、クリックしてください。 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ