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大将の心得(4)

まだワンアウトも取れないうちに一挙4点を取られても、どこかのんびりとしている西ヶ丘町の面々だったが。

 さすがに農作業で普段から炎天下に慣れているとはいえ、ビッグイニングにどこか散漫とした雰囲気が漂っていた。

 その気の緩みを見て、5番の御伽はセーフティバントを決める。今度は一塁線にバントを決め、結衣にも劣らぬ足で、ベースカバーの投手よりも早くファーストベースを踏んだ。

「掴めん人だなぁあの人。昨日の練習見ていても、御伽さんは下手ではないけど、上手いのか普通なのかよくわからなかったし」

「……」

『六番、センター、匿名希望さん』

 サングラスをかけたままの大男が打席へと向かう。

『えー、匿名希望選手は本人の都合で名を明かしたくないということで、このように呼ばせていただきます』

「バントしても下位打線だからな。お前には打たせるしかない――か」

 主審を務める童顔の男は、打席に入る前の大男にそう呟いた。

 さすがにまだ一つもアウトを取れていないことで、肩で息をしている投手だったが。

「おいしょー!」

球速100キロもない曲がりの小さなスライダーを、大男は豪快に空振りした。

「おじさん!」

 ベンチからリュートの叱咤が届く。

「――あの人、本当に守備は一流だったけど、打撃が大味だったからなぁ」

 今審判を務めている童顔の男の投げるフリーバッティングで、センターを守っているあの男の守備は確かに一流だった。

 打者の構えと投げたボールのコースで守備位置を微妙に変え、紅葉、夏帆の守る両翼のカバーリングも完璧にこなした。

 だが童顔の男の言う通りバッティングは苦手らしく、当たれば飛びそうなスイングをしているものの、その確率が低い。

「守備ならともかく、打席ではサングラス取った方がいいと思うけどな」

「まああれでいいじゃろう。あれだけの体があるんじゃ。大味でも振っているだけで相手が勝手に警戒してくれる」

 その豪快なスイングは、カスっ、という小さな音を残して、ボテボテのピッチャーゴロになった。

「な!」

 二塁は間に合わないものの、一塁を殺されてようやくワンアウトになる。

「ふふふ――ナイスバント」

 童顔の男がマスクで顔を隠しながら、腹を抑えて笑っていた。

『七番、レフト、秋葉さん』

「クレハー」

「クレハちゃん、がんばって!」

 観客席にいる学校の同級生、ベンチにいる心、紅葉のお爺ちゃんを通して昔から知られている地元出身の紅葉に声援が飛ぶ。

「ここで一点でも入れば、予想以上に試合が早く終わりそうだが」

 初春はちょっと期待していた。

 紅葉の運動神経は、結衣と比べても見劣りしない。やや器用さに欠ける部分もあるが、打席での期待度は大男よりも上かも知れない。

 夏帆も日常的にランニングをしたりしていて、運動音痴ではないが、やはり美術教師という文化系なので、守備はすぐに上手くなったが、打撃では非力さが目立つ。

 雪菜に打撃での活躍は全く期待できない。

 初春は打撃に関して言えば、この二人は自動アウトでも仕方がないと考えていた。

 4点差と5点差では、次の回に同じ攻撃ができてもコールドになる確率に差が出てくる。

 ここで紅葉が一点取るか取らないかは、投手である雪菜の球数にも影響してくるのだ。

「……」

 そしてその初春の期待は、紅葉もよく分かっていた。

 正確には、初春の足手まといになりたくないという女の意地であった。

 この野球の試合で、神子柴くんはセツナにべったりだし――

 結衣ちゃんの心配ばかりで、私のことは二の次三の次。

 ――色々とストレスが溜まっているのだった。

 その一念が通じ、紅葉の打球は三遊間を抜けるレフト前ヒットになった。セカンドから御伽が軽快な足を飛ばして一挙ホームイン。

「よし」

 紅葉の気も知らず、初春は拳を小さく握った。


 その後夏帆がショートゴロ、雪菜が一度もバットを振らず三振に倒れ、神庭町チームはいきなり打者一巡の猛攻で一回表を終えたのだった。

「よし、じゃあちゃっちゃと終わらせようか」

 初春は雪菜にボールを手渡して、ホームベースへと向かう。

「柳さん、頑張ってね」

 夏帆が背中を叩いて雪菜をマウンドに向かわせる。

「さあ、この回ゼロで抑えて、コールドにしたいところだね」

 ホームベース後ろにいる主審の童顔の男が、相手チームに聞こえないように初春に呟いた。

「――お見通しですか」

 マウンドに雪菜が上ると、観客席がざわめく。

 直哉の改造によって可憐な雰囲気の雪菜の風貌だが、色白の文科系女子の風貌は、とてもマウンドを任せるような雰囲気がなかったからだ。

「練習球、8球」

 童顔の男はマウンド上の雪菜に投球練習を促す。実戦のマウンドが初めての雪菜は投球練習も分からないのであった。

「柳、3球でいいよ。肩が勿体ない」

「は、はい」

 そう言われ、雪菜は昨日童顔の男に教えてもらったセットポジション(ランナーの有無でモーションを変えた投球をする余裕がないため、最初からセットポジションだけ教えた)で、初春にボールを投げる。

 ボールはふわふわと緩やかな放物線を描いて、蠅が止まりそうなスピードで、すぱっという小さな音で初春のミットに収まった。

 観客席がどよめく。

 球速で言えば60キロ程度しか出ていないだろう。その山なりの遅い球。

 マウンドの傾斜を利用して投げ下ろすのではなく、更に上を狙って何とか届かせているといったその球道に。

「おいおいこれはいけるぞ!」

 相手の西ヶ丘町も、あまりに遅い雪菜のボールに俄然意気が上がる。

 投球練習が終わり、一番打者が打席に入る。

「プレイ!」

 童顔の男のコールで、雪菜はセットポジションを取る。

 バックの直哉や紅葉の応援する声も聞こえているが。

 もう雪菜は緊張のあまり、目の前の初春のミットしか目に入っていなかった。

 周りから見たら冗談のようなスローボールだが、雪菜にとっては全力も全力の投球である。それでやっとミットまで届かせているのだ。

 昨日は初春と童顔の男の協力で、届かせるだけで終わってしまったのだけれど。

 ――本当に大丈夫なのだろうか……

「柳!」

 自分に対し疑心暗鬼になっている雪菜を見抜いて、初春が声をかける。

 その声で、はっと雪菜は我に返る。

「……」

 そう――私は神子柴くんを信じるしかない。

 それに――私は精一杯頑張るしか、神子柴くんに出来ることなんてないから。

 雪菜の全力投球は、初春のミットにすぱっと収まる。

「ストライク!」

「いいぞ柳」

 初春はボールを下手投げのゴロで返す。上手投げのボールは雪菜が捕れないのである。

 その初春の冗談のような返球にも、観客席がどよめく。

「……」

 そして、敢えて見送った一番打者も呆気に取られていた。

 ボールが遅過ぎて、投げたボールの縫い目まではっきりと見える余裕がある程の絶好球である。

 ――こんな球、小学生だって打てるぞ。

「よし柳、もう一丁だ」

 初春は損な打者の思いも素知らぬ顔で、同じコースにミットを構える。

 球種もない雪菜に初春はサインを出しておらず、できればこの辺に投げてくれ、という場所にミットを構えるだけである。

 雪菜は初春のミットをよく見て、二球目を投じた。

 きぃん、と、金属バットの快音が響く。

 打球は三塁線、サードベース上を襲う痛烈なゴロになるが。

 紫龍が逆シングルで鮮やかにそのゴロを好捕すると、矢のような送球が御伽のファーストミットに瞬く間に収まっていた。

「アウト!」

『と、捕りました! サードのナイスプレーが飛び出します!』

 バッターは苦い顔をしてベンチに戻っていく。

「どうだ、ボールが手元で変化するとかあったか?」

 二番打者がすれ違い様、一番打者に聞く。

「全然、ただの山なりボールだよ。打てるって」

 それを聞いた二番打者は、安心した面持ちで打席に入る。

 ワンアウトが取れてほっとした雪菜は、さっきより少し速いテンポで第一球を投げた。

 きぃん、と、またも快音。

『打った! サードの頭を超えるレフト戦の長打コース!』

 実況がそう言い終わるくらいのところで。

 打球はあらかじめレフト線寄りに守っていたレフト紅葉のグラブに収まっていたのだった。

『あぁ、レフトライナーです! おや?』

 実況がその異変に気付く。

『よく見ると神庭町の外野はやや左寄りの守備位置を取っていますね。センターをレフト寄りにし、ライトが定位置なら右中間のポジションを取っています』

 初春は苦虫を噛み潰した。実況、余計なことは言わなくていいのに。

 続く三番打者も初球攻撃で打球を飛ばす。

 打球は三遊間を勢いのついた打球で抜けていくコースだったが。

 俊足を飛ばし、深めに守っていたショートの直哉がまたもその打球に追い付き、ステップを踏まずに上半身だけで一塁に送球し、ノーバウンドで御伽のミットに収まった。

「うお、すげぇ」

 童顔の男が思わず声が出てしまうファインプレーであった。

『何と神庭町チーム、ファインプレー3つで、たった4球で一回の裏終了です!』

「ナイスプレー、柳もナイスピッチングだ」

 直哉や紅葉、雪菜に声をかけながら初春は足早にベンチに戻っていく。先頭打者が自分のために、急いで防具を外すためだ。

「……」

 しかし当の雪菜はまだ信じられないという面持ちで目をぱちくりさせていた。

「本当に神子柴くんの言うとおりになってるね……」

 紅葉も首を傾げて、バッターボックスに向かう初春を見ながら、昨日初春がポジションを決めた時のことを思い出していた。



 昨日の河川敷での練習前――

「いいか、はっきり言ってこのチームに投手力だけで高校や大学で野球やっているような奴等を抑えられる奴はいない。仮に俺が投げたって、120キロにも満たないようなボール、打ち頃で捉えられちまうしな」

 初春は自分の作ったオーダーの紙を見せる。

「それなら一番球の遅い奴に投手をやってもらった方がいい。力学的に言っても、飛ぶボールっていうのは球速のあって回転(スピン)の多い球だしな――逆に遅くて回転数の少ない球を投げられれば、バットとの反発力が減ってボールは飛ばないはずなんだ。そうして頭を超えるような打球を減らす方が理に適っている。長打がないし、飛ぶ場所も限定されるから守りやすいしな」

 そう言って初春は、自分のオーダー票の直哉と紫龍を指差す。

「そんなわけで守備位置が重要なんだが、遅い球を引っ張らせるわけだから、サードとショートには強い打球が行く。だからここに一番守備範囲が広いのを置く。そしてこの二人の速い送球を捕るために重要なのがファーストで、ここはさすがに女子には任せられない。同様の理由でキャッチャーも、ファールチップなんかで女子に怪我させるわけにもいかんから、男がやることが絶対のポジションだ」

 そこまで言うと初春は雪菜の方を見た。

「だからファーストとキャッチャーのどちらかを俺と御伽さっていう消去法で決めたんだが――人見知りの柳が面識の少ない御伽さんとのバッテリーじゃ緊張しちまうかと思って、消去法で俺がキャッチャーをやることにした」

「なるほど。お優しいことで」

 御伽がふっと笑みを浮かべる。

 この時点ではまだ大男がいなかったので、男性が4人という前提で決めたポジションである。

「でも柳を投手にする以上、一番打球が飛ぶのはおそらくレフトだ。左打者の場合はライトに飛ぶだろうけど――レフトが守備の要だろうな」

「そ、そんな重要なポジション、私でいいの?」

 ちょっと脅しめいた言葉に紅葉は緊張が走った。

「だから二人の負担を減らせるように、守備のカバーリングのできるセンターに守備の上手い人が入ってくれると助かるんだが――まあこればかりは仕方ないな」

「……」

「ハルくんのことだから、キーポジションは結衣ちゃんに任せると思ったよ」

 紅葉が言いよどむことを夏帆が代弁した。

「あぁ――ユイのセカンドは、流し打ちとセンター返し対策ですよ」

「え?」

「回が進んでくれば、相手もあまりに打ちやすい球をこちらがわざと引っ張らせて、ナオとおっさんの守備で罠にはめていることに気付くはずですから。そうすれば当然ナオとおっさんのいる方向を避けて、ライト方向に流すことを考えるはず――」

「ふむ。当然そうなるね」

「でも実際、遅くて回転のない球を無理に引っ張っても思いのほか飛ばないのに、流し打ちで逆方向に強い打球を飛ばすなんてまず無理ですよ。ライトの頭を超える打球なんてまず飛ばないから、セカンドに守備範囲の広いのを入れておけば、逆方向は術中にはまるでしょ。一番懸念するセンター返しも、なるべくレフト寄りにポジションを取らせておけば、ナオとユイのどちらかが二塁ベース上までの打球なら追いついてアウトにしてくれる――」

「……」

「俺の見通しでは、柳のボールを無理に引っ張ってこっちの罠にはまるので2イニング、それを避けようとして流し打ちで術中にはまるので1イニング――合計3イニングは柳をもたせられると踏んでいる。勿論相手が気付くのが遅い馬鹿ならもっと持つだろうがな」

「……」


 あの時、その初春のポジションの根拠が非常に理に適っているように聞こえ、誰も反対することなくそのポジションに同意した。

 そして1イニング、本当に初春の言っていた通りの展開で話が進んでいる。

 実はその説明の後、その真意を見抜いた童顔の男が、雪菜の投球により回転のかかりにくい握りを教えてくれたのは、初春の想定以上だったが。

 打順にしても、あの可憐な容姿に似合わぬ俊足の結衣を見れば、本当に広大な守備範囲を持っていると期待せざるを得ない。

「……」

 その驚きは紅葉と雪菜だけでなく、直哉と結衣も驚いていた。

「おぬしらにはあまり経験のない勝負ではないのか」

 それを見ていた紫龍が声をかけた。

「自分達の最善の手で正面からぶつかり合うのではなく、罠にはめ、自分達の生存確率を上げるような戦い方――おぬしらはそういった戦い方をあまりしないじゃろう」

「ハルがあんなに幾重にも状況を想定した策を取るなんて――恥ずかしいけれど私、知らなかったです――東京ではいつもハルは私達の意見を優先していたから」

 直哉も結衣も、思想の薄い初春が主導で何かに取り組むといった経験をしたことはなかったが、その幾重にも練り上げた罠の多さ、深謀遠慮に驚嘆していた。

 初春は東京ではいつも二人の意見を尊重し、自己主張をしなかった。それが結果的に初春が二人のイエスマンで、金魚の糞であるという風票につながったのだが。

 これだけの深謀遠慮を、初春は何で東京で使わずにいたのだろう……

「おぬしらもあの小僧のことを知らなさすぎるな」

 紫龍は呆れたように言った。

「次の試合になればおぬしらとあの小僧の違いというのがもっと如実に出てくるからよく見ておくがいい。それを踏まえた上で、おぬしらもこれからのあの小僧との関係を決めるんじゃな」

 ヒントじみた言葉を残して紫龍は去っていく。

 相手の投球練習を見ていた初春が、終了を確認して右打席に入っていく。

「……」

 二人には今の初春の考えが分かりかねていた。

 昔は何もできず、力を持たなかった初春。

 今まで思想が薄く、何かを自分から主導してやることなんてなかった初春――

 その初春が、自分達の前で初めて策を披露して。

 もう初春は私達が思っている以上に、強くなっているのかもしれない……


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