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大将の心得(3)

 次の日は雲一つない快晴に恵まれ、蝉の鳴き声と、湿気の混じる潮風がわずかに届く蒸し暑いいつもの暑い夏の日となった。

 朝9時半――初春達は農協に集合した後、神庭町内の公共グラウンドに向かった。

 内野は土、外野は天然芝の敷かれた野球場が2面取れる敷地のある、自治体の管理するグラウンドである。ここを農協が一日借りて、今日のイベントが行われることになる。簡単なベンチが供えられ、その上に500人ほどが座れる観客席がある。バックネット裏にも特設席がいくつか用意されていた。

 娯楽のない神庭町や近隣の町にとって、このようなイベントというのは俄然注目の集まる行事である。農協の宣伝もあって、多くの観客が集まっていた。

「やあ」

 初春達が到着するより先に、グラウンドには昨日会った童顔の男と、助っ人の大男、そしてシオリとリュートがいた。男二人はサングラスをかけている。

「おはようございます」

「今日はよろしく頼む。シオリさんとリュートは君達のベンチに入らせてもらうし、俺も少し写真を撮らせてもらうが、ちゃんと戦力になれるようベストを尽くすよ」

 大男はサングラス越しに、にこやかに微笑んだ。

「あなたは?」

 初春は童顔の男を見た。

「それが私が神庭町のチームに入ったことで、鬼灯町から物言いがありましてね。元々農協の職員が審判や運営をするイベントだったのですが、私がいることで農協が神庭町に有利な裁定をするのではないかと」

 御伽が言った。

「僕も来てびっくりしたんだが、どの町とも関係のない見物客の僕に白羽の矢が立ってね。君達の試合の主審をすることになった」

 苦笑いを浮かべる童顔の男。

「ひいきをして折角の試合に物言いがついてもつまらないからね。えこひいきはできないんだが、僕としてはベンチで見るより近くで君達の試合を見られるのは退屈しなさそうだからね。役得と言ったところだ。頑張れよ」

 そう言って童顔の男は一人、農協の本部へとステッキをついて向かうのだった。

「……」

 その後ろ姿を初春がじっと見ていた。

「すごいですねあの人、昨日一番体動かしてたのは間違いなくあの人なのに」

 紅葉が首を傾げた。

 童顔の男は昨日、ノックを300球以上は打ったし、その後に日が暮れるまで初春達の打撃投手を務めてくれた。

 一人ずつポジションの選手を抜いて、空いたポジションにシオリを入れて順番に打たせてくれた。合計で200球近くひとりで投げたが、無駄球はない。体重移動ができないため、上体だけの投球でスピードは100キロ程度しかなかったが、見事なコントロールだった。

「私なんか昨日でちょっと筋肉痛来てるのに……」

「――悪いけど、今日は秋葉に一番頑張ってもらわないといかんからな。筋肉痛がきつかったら早めに言ってくれ。早めにフォローする」

「え?」

「葉月先生――それとあなたも」

 初春は夏帆と大男にも声をかける。

「昨日の時点で言っていますけど――外野の3人には今日相当走ってもらわなきゃいけなくなるんで。この炎天下できついでしょうけど、お願いします」

「大丈夫だよ。やるからには勝ちたいしね」

「君の活躍もまだ見せてもらってないからね。楽しみにしているよ」

 大男は初春に握手を求めた。初春もその手を握り返す。

「よろしくお願いします。僕も勉強させてもらいます」

 リュートは相変わらずしっかりとした口調で初春達に挨拶した。

「リュート、運がよかったな。このチームの野球はなかなかためになりそうだぞ」


 開会式もそこそこに終わると、すぐに試合の準備が始まる。

 一回戦は両面グラウンドを使ってそれぞれ試合を行い、決勝は午後に同じ場所で行われるため、勝者はダブルヘッダーである。

「神子柴くん、御伽くん」

 初春達は試合前のベンチで、神庭町の紅葉のおじいさんや、他の町の人間から気合を入れられていた。

「儂らが力添えできることが少なくて申し訳ないと思っておる――だが頼む! 鬼灯町にだけは何としても大敗だけは阻止しておくれ!」

「……」

 複雑な事情があると聞いてはいたものの、隣町との因縁は深い。

 直哉と結衣はその町民達の剣幕を見て、改めてこの勝負を受けた初春が、単なる勝敗以上の責務を負っていることを知った。

「な、なぁ、よそ者の俺達が首突っ込んでも大丈夫なのか?」

 直哉が小声で初春に訊いた。

「それも含めて俺はお前達に依頼したんだぜ」

「おいおい、そもそも決勝まで勝ち進めるのか?」

 高笑い気味に景気のいい声が初春達の背後からした。

 以前紅葉と一緒に神庭町の集会場で会った鬼灯町の町長であった。後ろには皆同じユニフォームを着た屈強な若い男達が勢ぞろいしている。明らかに高齢化の進むイベントの中で異質な雰囲気である。

「神庭町はチームの半分が女かい。早くも負けた時の言い訳ができていいなぁ」

 町長とその取り巻き達は、ユニフォームもない、半数が女性という布陣を見て早くも勝利を確信したような面持ちだった。

「むぐ、鬼灯の……」

 紅葉のお爺さんは苦々しい顔をしていたが。

「……」

 後ろにいるユニフォームを着た連中の視線を初春はずっと見ていた。

「頼むから決勝に出てきてくれよ。町の威信がかかっている試合なんだからな」

 後ろにいたユニフォームの連中の、一番先頭にいた男が少し弾んだ声でそう言った。にやにやと笑いながら、一礼をして踵を返し、自分達のグラウンドへと向かっていく。

「み、神子柴くん、頼むぞ!」

 試合開始が近づき、神庭町の人間達も観客席に引き上げていく。

「――ふ。こっちを素人扱いしている癖に、審判に難癖付けているんだからな――」

「幸か不幸か、どうやらかかったようですね。あなたの罠に」

 後ろにいた御伽に声をかけられる。

「うちの女性陣に彼ら目が行っていましたよ」

「まあ上等な餌ですからね――あいつらは」



 一回戦の神庭町の相手は、西ヶ丘町という町で神庭町とは敵対的でもなく、ごく普通の隣家と言った間柄の町である。

 シートノックを見ているが、これがまた草野球を絵に描いたようなチームで、40代くらいの男性を中心とした、特筆するところのないようなチームであった。

「……」

 初春はそのシートノックを重々観察していた。

「経験の少ないチームが本番を迎える前の相手としては、おあつらえ向きですね」

「御伽さんがくじを操作したんですか?」

「さあ――」

 御伽の真意を確かめることをせず、初春は雪菜を見た。

「ユイ――少し頼みたいことがある」

 そう言って、初春はベンチにいる結衣に声をかけた。



 オーダー交換と共にじゃんけんで先攻後攻を決め、初春達は負け、相手に後攻を取られた。

 試合開始は10時から――1回戦は時間制限があり、7回まで試合をするか、正午までか10点差がついた時点のコールド――いずれかで勝負が決する。

 試合開始10分前になると、グラウンドの周りも300人近い観客が集まりだしていた。

「ハルくーん」

 ベンチに秋葉心が来た。

「ココロ――そうか、もう夏休みか」

「ハルくんとクレハちゃんの応援のお手伝いに来たの」

「へぇ、秋葉さんの妹か」

 きょろきょろと心はベンチを見回すと、リュートの姿を見つける。

「ねえハルくん、ココロもベンチにいてもいい?」

「あぁ――そうだな。リュート君も子供一人じゃ退屈だろうし……でもボールが飛んでくるかもしれないから、ちゃんと注意するんだぞ」

「はーい」

 そう言ってクレハはリュートの方へと走っていく。

「はじめまして。アキバココロです。よろしくね」

「初めまして、サクライ・リュートです。よろしくお願いします」

「サクライ……」

「……」

 リュートの身長はまだ1メートルにも満たないのだが、口調はもう3つは年上の心よりもしっかりしているかも知れなかった。

「クレハ」

 それを見ていた紅葉は観客席から声をかけられる。

「里穂――みんな」

「応援に来たよ。クレハも出るんでしょ?」

 そこには昨日海で会った自分の神庭高校の仲間達が来ていた。

「……」

 後ろにはリョウもいる。試合前にバットを振る初春の方を見ているが、初春は気付いていない。

「いやぁ、あの『ねんねこ神社』の人が気になってさぁ」

「面白いものが見られそうだと思って、来ちゃったんだ。クレハも頑張ってね」

「う、うん」

「しかし――このチームの顔面偏差値、高すぎない?」

 里穂はベンチ周りにいる紅葉のチームメイトを見回す。

「あのカッコいい人、あとで紹介してよ!」

「あの美少女何? あんなの神庭町にいたか?」

「あと、あの子も可愛いよね。誰?」

「あぁ……セツナのこと? うちのクラスの柳雪菜さんだよ」

「えぇ? 柳さんってあんな可愛かったの?」

「うおぉ――地味で野暮ったい感じだったけど、あんな可愛かったんだ」

 直哉によって少し改造された雪菜の姿は、それまでの姿しか知らないクラスメイトでは気付かないほどの変わりようであった。

「あと、私達は神庭町チームじゃないよ。チームねんねこ神社だから」

「よし、両チーム整列」

 審判のマスクを持ち、プロテクターをした童顔の男の号令で、挨拶もそこそこに両軍がホームベース上に集まった。

「両軍、悔いのないよう戦うように、礼!」

 挨拶を終えて先攻の神庭町は、初春が農協の用意したヘルメットをかぶる。

『一番、キャッチャー、神子柴くん』

 農協の用意したウグイス嬢のコールで、初春が打席に入る。

『さあ注目の神庭町チーム。実況は農協一のお喋り、古館宏がお送りいたします』

「ハルくん、頑張れ!」

「ハルくーん」

 ベンチで夏帆と心が初春にエールを送った。

「リュート、この試合で一番大事なことってのは何か分かるか?」

 大男がベンチで隣に座るリュートに訊いた。

「え? 勝つことではないのですか?」

「それだけじゃ駄目だな。うちのチームは人数が少ないし、これからもっと暑くなる――ピッチャーをやるお姉ちゃんがこの試合だけで疲れちゃわないように、この試合で消耗なく終わらせることが大事だ」

 大男はベンチに聞こえるように少し声を張って言った。

「あ、そ、そうですね……」

「できれば本番の前に手の内も見せず勝つのが最良だけど……そこまではさすがに出来過ぎかな」

 大男のリュートに向けたレクチャーで、改めてチームの目的意識が共有される。

 投手の雪菜は文系少女である。体力のなさは今更言うまでもない。

 ましてそこそこ観客もいるのである。緊張もあるだろう。

 全員で雪菜をフォローしなければならないのだ。

「少なくとも打席のお兄ちゃんはそれをもう分かっている……この試合で次も見据えているだろうな」

 バットをゆったりと構えて右打席に入る初春。

「応援をするのもいいが、攻撃は長く、守備は短く――そうできるようにしないとな」

 大男がそう言っているうちに。

 初春は相手投手の二球目を叩いて、綺麗なセンター前ヒットを決める。

「やったぁ!」

「さすがに自分で一番打者をすると決めただけある――」

 初春はベンチが沸き立つのを見て軽く会釈を返す。

「ドンマイドンマイ」

「ひとつずついくぞぉ」

 ノーアウトランナー一塁になっても牧歌的な雰囲気の漂う西ヶ丘町の面々であった。

『二番、セカンド、日下部さん』

 その初春のヒットに歓声の沸く中、結衣がネクストバッターズサークルから打席に向かう。

「うおぉ」

「な、何だあの美女は?」

 場内がどよめく。

「て言うか、ネクストにいるあの人、すごいイケメンじゃない?」

 グラウンドに現れた眉目秀麗な結衣と直哉の登場に観客が気付き、グラウンドが途端に色めきだった。

『大歓声です。今年の神庭町チームは何とも美男美女が揃っております。いまだかつてない華やかさがあっていいですね』

「確かにあの娘は綺麗だ――高校にいた頃のシオリさんを思い出すよ。若い男の心を華やがせる雰囲気があるよなぁ。ありゃアイドルのスカウトも三顧の礼で来るだろう」

 大男はベンチでシャッターを構える。

「しかしあの娘、あの小僧が飾りで二番に置いているわけではないじゃろう」

 紫龍が言った。

「えぇ――あんな顔して、あいつはしっかりしていますから」

 ネクストバッターズサークルで直哉が言っているうちに。

 結衣は投球と同時にバントの構えをし、三塁線に上手く打球を殺したバントをした。

 サードが慌てて前進して捕球したが。もうセカンドは間に合わない。

「おい急げ、ファースト!」

その可憐な風貌に反して想像以上に結衣の足が速く、サードに速い送球を促す声がする。もう結衣は塁間の半分以上を走り抜けていた。

サードは慌ててファーストに送球。

「セーフ!」

 駆け抜けた結衣は二歩以上の余裕を持ってセーフになった。

『あぁ、一塁ランナー神子柴くん、この間にノンストップで三塁へ!』

 初春はこの間にセカンドを蹴って一度もスピードを緩めずに三塁へ走っていた。

 ファーストが送球体制を取るが、この間にショートがサードへカバーに入っておらず、投げられないまま初春も三塁に悠々到達した。

『鮮やか神庭町チーム! 無駄のない攻撃で早くも得点のチャンスです』

「やるなぁ、理想的な攻撃だな」

大男はカメラで結衣と初春を捉える。

『三番、ショート、小笠原くん』

 女性の黄色い歓声が響き渡って、直哉はゆっくりと左打席に入る。

 初春はそれを見て頭を掻いた。

 ――まあ、緊張するってことはないか――あいつにとってはこんな歓声、日常なんだ。

「……」

 初春の思うとおり、黄色い歓声を浴びることが日常の直哉はこんな歓声で集中が途切れたりはしなかったが。

 あいつらが折角作ったチャンス――俺達は柳さんを休ませるために無駄な攻撃をなるべくしないようにしたい。

 となると――

 守備位置を確認。ゲッツーとバックホームを両方できるようにやや前進守備を敷いている。盗塁はないからセカンドに入る必要はないが、ゲッツーを狙っている分セカンドがベース寄りに守っており、1,2塁間がやや空いている。

 相手投手のボールを直哉はアウトコースを逆らわずに流し打って、広く空いた1,2塁間をゴロで抜けるヒットを放った。

 初春はゆっくりホームイン。結衣も俊足を飛ばして三塁まで進んだ。

 黄色い歓声が一段と大きくなる。

 一塁上でほっと一息つく直哉だったが。

「……」

 ホームを踏んで、ベンチに戻る前の初春が自分の方を首を傾げて見る姿に気付いていた。

「……」

 何だ、その顔は――ちゃんと仕事はしたはずなんだが……

『四番、サード、紫龍さん』

 そんな直哉の疑問もそぞろなまま、紫龍が打席に入った。

「ふむ」

 紫龍は昨日初春や童顔の男達にバットの握り方、振り方を教わったばかりだったが。

 相手投手の一球目をバットで捉えると、きぃん、という乾いた快音を残してあっという間に空の彼方にボールが見えなくなった。

 その飛距離たるや、センターオーバー、フェンス越えなどという生易しいレベルではない。

「ありゃあ――ヤフオクドームでも場外だな……」

 もはや笑うしかないという顔で、主審の童顔の男がマスク越しに呟いた。

「ば、馬鹿、もっと手加減しろ……」

 初春は紫龍の実力に改めて驚くとともに、改めてその強さのやりすぎさに顔をしかめた。

 結衣、直哉、紫龍と帰って打者4人で一挙4点。

ワンアウトも取れていない上に初回の一挙4点はさすがにこの炎天下もあって士気が大いに下がる。しかも紫龍のあのでたらめなホームランである。

「結衣ちゃん、足速いねぇ」

 紅葉達が結衣達をベンチで出迎えた。

「ふう」

 直哉はベンチの奥の方の席に腰を下ろして、守りの準備の前に水を飲んだ。

「まあ悪くない打席だったよ」

 そんな直哉の横に初春が座った。

ベンチはバッターボックスに入った御伽の方を見ていて、二人の話は誰も訊いていない。

「お前の考えたことは分かる。でも、初回なんだしお前が試合を決める一打を狙ったって良かったんだぜ。つなごうなんてのは俺に任せておけばいいのさ」

「あれじゃ駄目だって言うのか? お前の求めていることはそうじゃないと」

「うーん、どうかな」

 初春は立ち上がり、手に持っていたレガースを足に付けてキャッチャーの準備をする。

「まあこの試合はどっちにしても俺達の勝ちだ。お前がどうこうと悩むに値しない試合なんだが……だからこそお前、次の試合はちゃんと頭回しておけよ」


野球を知らない人のための解説…(前作でもこんなことやってて懐かしい)

ヤフオクドーム:福岡県にある球場。かつては日本一広い球場だったが、現在はテラスが球場内に作られ狭い球場に。日本初の屋根を開閉できるドームで、場外ホームランを打つための必要な距離は200メートルとも言われている。

松井秀喜選手の現役最長のホームランの飛距離が大体150メートル(推定)と言われている。

まあ要するに人間業ではないってことですね。

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