追憶~俺はお前と、フェアな勝負がしたいんだ
「何だよ藪から棒に」
「たまにはそういう話もいいだろ。こんな月の綺麗な夜なんだから……」
そう言って直哉はベンチに座ったまま、空に浮かぶ満月を見上げた。
「――随分アンニュイな空気を出すんだな、今夜は」
「お前、恋とかしてないの?」
「始まる気配もない」
少年は即答した。
「随分と寂しい話だな」
「ああ、学校で『バスケットはお好きですか?』って聞いてくる女子にも、校門の前で『あんパン』って言って立ち尽くしている女子にもお目にかかれないし、空から女の子が降ってくる気配もない」
「――なかなかハードルの高い出会いだな……」
直哉が苦笑いを浮かべた。
「もう少しレベルを落とした方がいいんじゃないか?」
「じゃあ――お前の机に入れるはずのラブレターを間違えて俺の席に入れる女子とか……」
「――それはツンデレと出会えそうだな。そして多分家に押しかけられて殴られる」
直哉は笑った。
「まあ要するに興味はあるけど需要まではないってことか……偶然目の前に転がってれば前向きに検討するが、自分じゃ探してない――と」
「ああ」
「最初からそう言えよ……」
「実際――恋愛はともかく女の体には正直すげぇ興味あるよ。恋愛なんてのはおまけだな」
「ハッキリ言うな」
「本当に腹が減っているのに前菜とサラダとスープを平らげないとメインディッシュが出ないみたいな感じだな。だからこそ恋愛単体はできれば省略したい――出会いの場を自分から作るって場面すら省略したいからな。だがそれを省略すると成功確率が下がることは分かっているからな」
「何となく分かるわ、それ」
直哉も頷いた。
「いずれにせよ俺は現時点で恋愛の気配はないかな……空から女の子でも降ってこない限りはそんなものが始まる気配すらない」
「……」
直哉は一瞬迷った。
「なあハル。そんなハードルが高い出会いじゃなく、もっと身近なフラグってのもあるんじゃねぇの」
だがそれを言う恥ずかしさよりもどうしてもそれを言いたいという欲望が勝り、直哉は意を決した。
「例えば――幼馴染とか」
「……」
少し強い風が二人の間を通り抜けた。
「――ユイのことはどうだ?」
直哉は訊いた。
「……」
少年は言葉を探した。
結衣のことをどう思うか――それは直哉に言われて初めて考えたことであるが、それを聞かれてから少年の中で言葉以上に言葉と感情を整理することがこんなに沸き起こるのか少年を驚かせた。
14年間ずっと一緒にいて、何でも知っているような気になっていた結衣のことを一言で言語化していいものか――自分の口の中で生成している言葉が酷く繊細なもののように思えた。
「結衣か――上手く言えないが、なんて言うかな……あいつの姿に、『女』って感じを感じるようになった――って感じなのかな、これは」
「お前もか? 俺もそんな感じだよ」
直哉も頷いた。
「昔は身長も3人とも同じくらいだった。それがどんどん、ユイと俺の差は開いていって……すげぇ華奢で、ちっちゃくなったように見えて……だけど、胸が膨らんできたりとか、腰がくびれてきたりとか……なんか、どんどん女っぽいって感じになっていってさ」
直哉は興奮したように話す。
「……」
少年はその様子を黙って見ていた。
「昔は俺達と同じような感じだったユイが、今じゃあんなに――生徒会長なんかやって、学校のヒロインなんて言われるようになっちまってさ」
「何だか――俺達とあいつは別の生き物なんだ――そんな風に思えるようになった」
直哉の思いを、少年は直哉が言う前に口にした。
「他の女子のそんな変化を見ても特別どうとも思わないんだ。小学校から見てきてユイと同じ過程を辿っているはずなのに」
少年は言った。
「ああ――そして、ユイだけが違う――他の女子との恋愛を想像すると、さっきお前が言ったように女子の体の好奇心が勝るのに、あいつとだけは……」
「……」
沈黙。
「――ハル」
直哉ははっきりとした口調で少年を呼び、少年の目を覗き込んだ。
「俺は――ユイのことが好きだ」
「……」
風が吹き抜ける。
「――アッチョンプリケ」
「ぷっ!」
少年の苦し紛れに発した言葉に、直哉は思わず吹き出して大笑いした。
「な、何だよその反応は! あははは」
「――いや――今の気持ちをどう言えばいいのか分からなくて……」
「ここ結構シリアスな場面だったのになぁ……台無しだ」
直哉は渋い顔をする。
「――まあいい」
「……」
「俺さ――ユイとだけは違うんだ。他の女子みたいに単純な好奇心とか――そういうんじゃなくてもっとこう……心っていうのかな。あいつの心を手に入れたいって思えるんだ――あいつだけは、特別なんだ……」
言葉を絞り出しながら、顔を赤くしていく直哉。
「――そうか」
全く言葉足らずではあったが、直哉の結衣への思いがどんなものであるかは少年にも何となくではあるが伝わった。
そして――あれだけ女子に告白をされ続けていた直哉のその純情さが、子供の頃の直哉のままだったことが少し微笑ましかった。
「ハル――俺、お前に先に言っておこうと思ってたんだ」
直哉は少年の目をしっかりと見据えた。
「俺、受験が終わったら、ユイに告白しようと思ってる」
「お前それ、死亡フラグっていうんじゃないの?」
少年は即座に言い返した。
「ちょっと! ここもシリアスな場面なんだよ! さっきから全然空気が整わねぇ!」
「多分このやり取りをネット配信してたら、みんなそう突っ込んだと思うぞ」
少年は小さく笑った。
「はぁ――もうちょっとシリアスに、そうか……とか言ってくれるのを期待したんだぜ、俺。そういう悪ふざけ、学校で他の奴にやってりゃお前も人気者になれるかもしれないのに」
「――俺は昔からそうなることを想定していたから別に驚きはしない」
少年は立ち上がって、月を見た。
「お前とユイは昔から美男美女って言われていたし――昔からお似合いだって言われていたから――だからいつかそうなるだろうって気がしてた」
「……」
沈黙。
「――で、何でそれを俺に言ったの?」
少年は首を傾げた。
「――お前、ショックとかじゃないの?」
直哉もその少年の緩い反応に首を傾げた。
「これは俺達の14年間が確実に変化する出来事だ」
「――まあ、そうだな」
「もしお前もユイのことが好きなのだとしたら、俺はお前とフェアな勝負がしたいんだ」
「……」
「ユイのことは俺も負けたくない――けど、俺はユイが俺の気持ちに応えてくれたなら――その時はお前に祝福してもらいたい。だからお前がもしユイのことを好きなら――と思って」
「お前が告白する時期を予告したから、俺にも悔いのない戦いをしろって?」
「ああ」
「……」
少年は月を見上げた。
「正直、俺とお前じゃ相手にならんと思うけどな」
少年は自嘲した。
「昔から何でもできて今でも学年で女子から一番人気があるお前と、半端者の俺――しかも小さな頃に、自転車にも乗れず、逆上がりもできずにべそばかりかいてた情けない姿をあいつは一番近くで見ているんだ。どう考えても俺はお前の敵じゃない」
「だが――お前がそんな様でも、必ず最後まで泣きながら特訓してできるようになった姿もあいつはずっと見てきていたぞ」
直哉は言った。
「俺もユイも、お前のそんな秘めたるガッツを尊敬している――他の男は雑魚だ。だが、お前だけは強敵だ。ユイも頼りにしているからこそ、お前を生徒会に指名したんだろう」
「……」
「ハル――正直言うと俺は神高の推薦をお前に譲ったのは、半分はお前と同じ高校に行きたかったし、お前にはもっと自由に生きてほしいからこれからのことを考える時間をあげたかったからだ。それに嘘はない。だが――もう半分は、お前とユイを受験勉強をさせることに嫉妬したんだ」
「……」
「生徒会みたいにお前とユイだけでこれ以上一緒の時間を過ごしてほしくなかったんだ……」
さっきフェアに戦いたいと宣言したからこそ、直哉はこうして言いたくないことさえも少年に伝えようとしている。
結衣の想いを通しながらも、自分に祝福もしてもらいたいという思いがそうさせるのだろう。そこには一切の嘘も駆け引きもない。自分に正々堂々の勝負を挑んでいることも十分伝わっている。
しかし……
少年は懊悩していた。
少年にとって直哉の前で自分の我を通すことは幼い頃から徹底的に周りの大人に戒められてきた。
少年にとって直哉の欲しいと言ったものは、自分は必然的に譲らなければならない――
すなわち、直哉に喧嘩を売られた時点で少年は必然的に敗北なのである。
直哉は少年のそんな落ち着きを怪訝に思ったが、少年にとって直哉と勝負をすること、直哉と一つのものを奪い合うこと自体が幼い頃から選択肢としてなかった。
そして――自分と才能で圧倒的な差がある直哉と本気でやりあって、何かを勝ち取れる気が全くしなかった。
おやつも、ゲームも――そうして少年は直哉のおこぼれを拾って生きてきた。
そのはずだった。
だから直哉がこうして自分に戦慄したということも、結衣との恋路に自分が参戦するかという決断を迫られていることも、自分の中で上手く消化できなかったのである。
少年は、こういう時にどうすればいいのか答えを持たなかった。
少年には『自我』や『思想』がなかったのである。
「――そうか」
今はそんな返事をするのが精一杯であった。
「――分かった。俺なりにこれからどうするか考えてみる」
「――そうしてほしい」
直哉も頷いた。
「……」
少年と直哉は秋風が吹き抜ける間、お互いの目をしっかりと覗き込んだ。
「――ナオ」
先に沈黙を破ったのは少年だった。
「お前がくれた時間――推薦のことも、ユイのことを考える時間も――ありがたく使わせてもらう。だから――ユイの告白が上手くいくかはさておき――お前の受験が上手くいくことは、俺も心から祈らせてもらう。それだけは確かだ。仮に俺が結衣を好きなんだとしても、俺はお前の足を引っ張らない――それは誓うよ」
「ありがとう。大丈夫だ俺は、死亡フラグになんか負けはしないから」
そう言って直哉の差し出した手を、少年はがっちり握り返した。
「頑張れよ」
「ありがとう」
そう言って直哉は踵を返しながら手を振って、団地の方に歩を進めていった。
「――ふーっ……」
やがて直哉が団地の階段を上って見えなくなると、少年は大きく息を吐いてどかりとベンチに座り込んだ。




