お前が俺の真似なんかしてどうする
「他の連中が何を言っているのかはどうでもいい――だが誰が何と言おうと、お前は特別な奴だよ」
「はぁ?」
その台詞を聞いて、初春は怪訝そうに眉間に皺を浮かべる。
「お前は俺のことを強いと思っているようだが、お前の強さは俺とは違う――この町に来て改めて思ったよ。お前はこんな状況でも――ユイの幸せを最優先で願えて、そのために自分のことを後回しに出来ちまうんだよ……俺はお前と同じことはできないだろうな。強くなきゃできないだろうな」
「そりゃ人を壊すための『悪党の才能』みたいな話だろ。それができるからって強いことにはならないよ」
「だが――お前の行動は、お前にしかできない――自分がどんな状況でも弱っている奴、困っている奴を見逃さないってところや、相手の妨害があるような状況でも最後まで自分の仕事を完遂する――だからユイにとってお前は特別なんだ。そんなお前の正直さにユイが心から信頼を置いているのも分かっているんだよ。俺も他の奴に大抵のことでは負けない自信があるが――それはユイが信頼する相手に求めることじゃない――ユイが求めている、あいつと同じ目線で同じ未来を見るってことは出来ていなかった――俺は努力してそれが出来るようになったお前に嫉妬していたんだよ」
「……」
「お前は人間嫌いだが、優しい奴だよ。相手のことを本当に分かろうとするんだ。現に俺がこうしてユイのことを困らせているっていう無様な状況だってのに、俺を笑いも慰めもしないで話を聞こうとさえするからな……」
「プライドが傷ついたか? 変なお情けかけられているようで」
「いや、お前はそんなことをする奴じゃないだろう。お前は言質を取るようなことはするが、お前自身は正直だからな――人間みたいな詭弁を言わないだろ」
直哉は自嘲を浮かべた。
「――ユイを困らせているってことを自覚できているなら、それ以上はいいさ。人間はそれを分かって落ち込んでいる相手の痛いところを更に抉って会話の主導権を取ろうとするけど、別に俺はお前との会話で主導権なんてどうでもいいと思っているし」
いわゆる会話でのマウンティングは、自分も随分やられてきたため初春の最も嫌いな話法のひとつだった。
「――そういう人間嫌いの経験が、結果的にお前の思いやりになっているんだな」
直哉はふっと力なく笑った。
「確かにお前は自分の力に対する思想や頓着がなくて、夢や大志ってものを抱くことはしないが――井の中の蛙、大海を知らず――されど空の深さを知る――そんな奴だよ。相手の心の拒むことと、求めることが見えているんだ。単なる人間嫌いも、自分の血肉に消化している――それが出来るお前は特別だよ。俺に力で劣っていてもさ」
「……」
それを脇で聞いていた夏帆は頷いた。
この子も相当ハルくんのことを意識していたのか。結衣ちゃんと同じく、ハルくんの本質をすごくよく知っているのね。
そしてハルくんも、この全身バネみたいな身体と、知識の泉のような目を持つこの子を本気で追っていたことも分かる。体の作り方が直哉にそっくりなのだ。
この子をずっと見ていたことが、いじめられていたという学校の、自分を助けてくれず、お前の人生なんて大したものにならないと軽んじていた教師の千の授業よりもハルくんにとっては勉強になっていたのだろう。
「――俺、中学の終わり頃にはお前に抜かれないように結構必死になっていたんだぜ。今まで才能だけでやっていた俺が、中学の終わり頃になると本気でお前に近付かれないように毎日勉強も剣道も自主連してさ――周りの連中は、お前に抜かれないように頑張っているなんて言ったらみんな笑っていたけどよ」
「……」
「でもそれも経験して分かったんだ。お前は人に話も聞いてもらえないこんな世界でずっと馬鹿にされても立ち上がり続けて努力し続けてきたんだって――それも自分が馬鹿にされないためにじゃない、自分のことで俺達が馬鹿にされないようになんて、お前にとっては何の得にもならないような理由でだ。それは俺にはできないだろう……」
それを感じた時、改めて初春のことが、長年封じていた結衣の思いを成就する上で最大のライバルになると直哉は思った。
自分には考えられないような目的での努力だが――あさっての方向を向いていると思った努力の中でも、初春はその中で本質や真理を見つけられる。
だからたった5年で、学校でも最低レベルだった成績もスポーツも引き上げて、自分に並ぶところまで来られたのだ。
そんなひたむきでまっすぐで、周りの言っている罵声にも負けず、流されずに進む初春を結衣が全幅の信頼を置くようになり。
結衣が中学2年の時、生徒会長になる条件として初春を自分の右腕――副会長にするという決断をしているのを見て、直哉の中で初春は、初恋を賭けた勝負をする最大の強敵になると確信した。
「俺は自分が間違っているとも思わないし、お前とユイが一緒にいることが嫌だったわけじゃないけれど、何だか――うん、それを考えたら自分が今進んでいるのか後退しているのか、わけわかんなくなっちまって……お前との勝負で俺に足りないものが分かると思ったんだが……それがなくなったら、何だか本当にもっとわからなくなって……」
「はぁ……」
初春はそれを聞いて肩をすくめ、両手を空に小さく上げるポーズを取って力なくかぶりを振った。
「お前が本当にわけが分からなくなっているってのは今の話でよく分かったよ」
初春は思ったとおりだと呆れる。
「お前が俺の真似なんかしてどうする。俺のやることをお前は出来ないとか考えることもまったく的外れ――意味がないって、そういう考えは」
「え」
「俺は天才のお前を見て、散々ノウハウを盗ませてもらっただけ――はっきり言って俺はお前の劣化コピーみたいなもんなんだよ。お前から学んだから今の俺がいる――だから俺にできることは基本お前は何でもできるんだよ。さっき見た水や風を自分で出すなんて曲芸以外はな。そんな俺のことを警戒してどうする」
「……」
「俺にできることがお前にできないなら、そりゃお前のやるべきことじゃないか、お前の何かが病んでいる証拠だ。お前はそれが見えてねぇ、だから……」
そう言いかけた時、初春のポケットにある携帯電話が鳴った。
悪い、と直哉に会釈して、初春は携帯を見る。
「――秋葉のおじいちゃんからだ」
「え?」
「――もしもし――はい――ええ、まあそれなりに――はい。分かりました。それでは伺います」
2分程度の応対で初春は電話を切る。
「お爺ちゃん――何か言ってた?」
「あぁ、これから農協の集会場で野球大会前の各町内会の顔合わせがあるんだってさ。俺がダメモトで人集めを依頼されているから、とりあえず報告と挨拶に顔を出さないかってさ。飯も出るみたいだし――悪いんだが少し顔を出してくるよ。すぐに帰ってくる」
そう言って初春は携帯をポケットにしまうと、直哉の方を向く。
「話は最初に戻るけどさ、お前、俺と野球をやることを検討してみてくれない? ここにいる他のみんなもだけど」
そう言ってから、雪菜の方を見た。
「勿論、柳もあてにしてるぜ」
「い、いいんですか? 私――運動はほとんど何も出来ないんですけど……」
雪菜の運動神経は相当悪い。50m走ったら全力で走っても10秒を超えかねないくらい――体力は小学生並みである。
「いいんだよ。はじめから勝てると思ってやれる勝負ばかりじゃない――この天才坊やに少しばかりそういう勝負を教えてやるつもりなんだ」
そう言って直哉と結衣の方を見る。
「――見た感じ、お前達も何かこじれていて上手く話せそうにないみたいだし――でも互いに心配はしているみたいだからな。そんな時に話し合ったところでお互いの核心を突くような言葉は出ないだろ。お互いのわだかまりがなくなるまで、とりあえず体を動かしてみたらどうだよ。それに――俺と野球をやってりゃ、お前と俺の違いももっと分かりやすくなると思うし――まあ考えておいてくれ」
そう言い終わると、初春は紅葉と雪菜の方を見る。
「秋葉、柳、よければ家を出るついでにお前達も送っていくけど――どうする?」
「あ――なら私、お爺ちゃん達がいるなら一緒に町内会についていくよ。まだ越してきて日の浅い神子柴くんひとりが行くよりも、入りやすいでしょ」
「確かに――よそ者ひとりで混ざるより助かるな――お願いしてもいいか――柳も来るか?」
「わ、私は――もう少しここに残らせてください……ちょっと、気持ちを整理したくて……」
さっきから雪菜の表情はずっと固く、涙の跡が目にわずかに残っていた。
「柳さんは私がユイちゃんと一緒に送るから大丈夫よ。いってらっしゃい」
夏帆がそう言ったので、初春と紅葉はふたりで家を出ていった。
「――変わったな。ハルは」
出て行った方を見ながら、直哉はそう呟いた。
元々表情や所作の無駄をそぎ落としているから何を考えているか読めないところはあったが。
――今はまるで元々自由に飛びたかった蒲公英の綿毛が風に乗っているみたいだ。
初春は中学では人間嫌いということを、自分を攻撃しない限りはわざわざ自分から言おうとはせず、人間に対して無関心不干渉――如何に人畜無害に過ごすかに気を遣っていたようだが。
――もう今となっては人間嫌いを隠す必要すらない。
それが自由であるが故の軽さと、吹っ切れた強さのようなものを初春にもたらしたと感じた。
「野球に誘ったのだって、きっとハルくんにはあなたを立ち直らせる考えがあるんだと思うわよ」
夏帆が言った。
「これまでもハルくんは、そうして何でも屋の依頼をこなしてきたみたいだし、目的のないことを絶対にしないからね」
「――随分ハルを信用しているんですね」
直哉は笑った。
「それも東京じゃ見たことのない光景ですよ――あいつが女の子連れていることも驚いたけど、その女の子達に信頼されているなんて」
「何の力にもなれてないんだけどね……」
夏帆は力なく笑った。
「あ、あの……」
その沈黙を破ったのは、雪菜だった。
「お、お願いします――ふたりとも、野球大会に出てあげてください……」
人見知りの雪菜が男に――しかも直哉のようなスクールカーストの頂点にいるような男子に話しかけるだけでも緊張が止まらなかった。
「わ、私――まだ神子柴くんのことも、お二人のこともよく分かりませんけど――で、でも――神子柴くんのさっきの話を聞いて思ったんです――神子柴くんに、何かお二人との楽しい思い出を作ってあげたいって……」
「思い出?」
「は、はい――話を聞いていて思ったんです。神子柴くんのあの発想や観察眼って――今まで沢山あった、目を背けたくなるような――そんな無数の悲しい思い出でできたんだって」
両親に犬猫のように捨てられた話や、同級生に馬鹿にされ続けた鬼ごっこの話。
元々同じぼっち体質の雪菜はその気持ちの一部は思うところもあったけれど……
それはあまりにも悲しい……
「私は――お二人と神子柴くんがこのまま最後の別れになるようなことは望みませんが――でも、もし神子柴くんがこれを最後と決めているなら、もう神子柴くんに私がしてあげられることって、お二人との楽しい思い出を残してあげるくらいしかないので……」
「……」
「私も――み、神子柴くんは何か考えがあってお二人と野球をしたいって言ったと思います――で、でもそれとは別に――お二人と遊びたかったんじゃないでしょうか……さっきの追いかけっこみたいに――何か――熱くなれるお二人との思い出が欲しかったんだと、思います……」
「……」
「さ、差し出がましいことを言っているのは分かっているんです……この中で野球をしたら一番足を引っ張るのは私だってことも、分かっています――でも――神子柴くんに何か、私達で笑顔になれるような遊びができたらなって、思って、あの……」
「いいのか? 火車か雷牙を使えばわざわざ歩かなくていいし、すぐ家に帰れるのに」
「うん――ちょっと歩きたくて」
初春と紅葉は山道を降りて、農道を町内会が開かれている集会場の方に向かっている。
実は初春とこうして外の道を二人きりで歩くというのは、紅葉は初めての経験である。それが勿体無くてすぐにその時間が終わってしまう神獣での送迎を拒んだのであった。
既に空は薄暮になっていて、山の陰辺りからオレンジの夕日が見えるものの、空の高いところは群青色になっている。
初春は黒のTシャツにジーンズ、スニーカーという格好で、紅葉の斜め前を歩いている。
「ところで秋葉は、野球に参加することは大丈夫なのか?」
「うん、何か面白そうだからね。きっと『ねんねこ神社』の宣伝にもなるんじゃない? 戦力になれるかは分からないけどね……」
初春は確かにと頷く。特に結衣と直哉が並んでいるのであれば、それだけで十分インパクトのある広告である。
――いや、それは秋葉もか。秋葉にレースクイーンの衣装を着せたり、チアガールをやってもらうだけでも十分宣伝になる。支持層の偏りが出るだろうから提案はしないが。
秋葉はこんな田舎町にいるから騒がれないだけで、東京にいればスカウトやナンパをひっきりなしに受けてもおかしくないだろうな。
そう考えたら、秋葉もユイと同じくらいの美少女なんだよな。本当は……
「……」
少し日に焼けた初春の腕は、行雲を振り、農作業を続けた成果から細身だが確かに男の腕という感じに逞しく見えた。
不意に初春のそんな腕を組んで一緒に歩きたいと思ったけれど、今の紅葉はまだ、初春の合わせてくれる歩幅に並んで歩くだけでも精一杯だった。
本当は火車の背中に乗りながら、初春の背中につかまることも考えたのだけれど――空を飛ぶドキドキと初春の背中につかまるドキドキは、ちょっとまだ耐えられそうになかった。
「でもセツナ――大丈夫かな。悩んでいるみたいだったけど」
紅葉は今まで来た道を振り返る。
「柳も音々程じゃないが泣いていたみたいだしな……」
初春は頭を掻いた。
「――まあ俺のせいか――柳の前で少し言葉を選ばずに下品なことを言い過ぎたな。ありゃ柳は引いても無理ないか……」
やや自嘲気味に初春が言う。
「……」
実は紅葉も初春がさっき家で言った内容が妙に耳に残留していた。
俺は秋葉とやることしか考えていない――
それは勿論噂されている初春のことであって、初春の本音ではないけれど、強烈なインパクトのある言葉であった。人間嫌いで普段そういう話をしない初春が言うから尚更だ。
思わず紅葉も、初春にそうされることを想像してしまって……
「秋葉は男友達も多そうだし、もてそうだからそういう男の下世話な話にも免疫あるだろうけど、柳はそういう免疫なさそうだからなぁ……ショックだったかな」
「……」
紅葉は雪菜の心を慮る。
雪菜の涙の意味なんて、みんな分かっている。音々が泣いたのだってきっと同じ理由だ。
初春の思い出があまりに悲しかったから……
でも、本当にこの人って……
人間の悪意についてはよく知っているくせに、そういう感情については全然ダメなんだ。
私がさっきの神子柴くんの言葉で、変なことを考えたのも気づいていないのは助かるけど……
人が自分をどう思うか――考えもしないんだろうな。
「でも――私達だけじゃ6人しかいないし――音々ちゃんは試合には出られないでしょ? あと3人、どうするの?」
「農協の御伽さんが神庭町で参加してくれるって言っていた。あとひとりは――何とかなると思うんだけど――最悪もうひとりは現地で募集になるかもしれないな」
「そうなんだ――でも――そんなチームで本当に大丈夫なの?既にチームの半数が女子だよ? おじいちゃん達、相手の鬼灯町に負けたらきっとがっかりしちゃう……」
丁度農道の途中の十字路にある小さな掲示板の前を通りがかる。
「ほら」
紅葉が指をさすと、恐らく百姓向けの字と白黒写真だけの農協便りを隅に追いやり、でかでかと7色カラーで野球大会のイラスト付きポスターが張られていた。木製の掲示板に高性能印刷の上質紙の光沢がシュールだった。
「――ガチだなこりゃ」
そのシュールさは初春のツボで、少し笑いそうになりながら言った。
「そうだよ、だから結構頑張らないと」
そう言って再び二人は集会場の方へと歩き出す。
――二人がその掲示板を去った数分後。
一台の大型のキャンピングカーがその掲示板を通り過ぎるとブレーキをかけて、助手席から一人の大きな男が下りてくる。
「わはははは! 語弊があるとは承知だが、このポスターがこの町で文明を感じた瞬間だったぜ」
大男は整えられてはいるがワイルドな口髭を整え、胸板や腕の筋肉もミドル級のボクサーのように分厚い容貌魁偉な男で、首にはスリングでカメラをぶら下げている。
「一応カメラに撮っておこう」
掲示板の前で笑っていた男をよそに、キャンピングカーはゆっくりバックして掲示板の前に止まる。
運転席のドアが開いて、もう一人男が出てくる。
「流星雨の写真から、一気にスケールダウンしたな……」
そう言った男はすらりとした背格好で、それは華奢とさえ言えそうな程であった。そして女性のような甘い顔立ちをした童顔の男だった。
そしてその男は、左手にステッキを持っている。
「よく目端が利く――まあこの狭い農道だし、スピードは落としていたがな」
「しかし――気合の入った野球大会の告知だな……開催は――お、明後日じゃん。こりゃちょっと興味あるぜ」
「パパぁ」
そうぐずるような声がして後部座席の引き戸式のドアが開く。
次に降りてきたのは、まるで天使のような儚げな美女であった。その美女が生後2年程度しか経っていないような男の子を抱きかかえ、子供は美女に甘えながらも、右手で童顔の男に手を伸ばす。
「どうしたの?」
美女が訊く。
「予定より1日か2日、この町に滞在延長しようか、って、こいつの提案が出たところだ」
童顔の男が髭を蓄えた男を親指で指差した。
「――うん、いいと思う。この町、静かで自然が綺麗だし――この子ともう少し歩いてみたいもの」
「そうか――でも田舎町だから宿が取れなきゃ最悪車中泊だぜ。大丈夫か?」
「――元々あてのない旅だし、今更予定外のことは始まったことじゃないもの。この子もこの車での寝心地は気に入っているみたいだし、宿代をもっと節約してもいいくらいよ」
「ぼくだいじょうぶ! おじさんのしごとのじゃましない!」
まだ小さいが、非常にはっきりした発音で言葉をしゃべる子供であった。
「この子、全然愚図らないからなぁ。トイレももう一人でできるし、まったく、ママの教育がいいんだな。うちの娘は俺に懐かなくてなぁ……」
童顔の男は髭の男の悲哀を含んだ声を尻目に、美女の抱いた子供の柔らかな頬に手を伸ばす。
「疲れたならいつでも言えよ。リュート」
童顔の男の目は、穏やかな優しい目をしていた。




