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追憶~最速の、会心の一撃

 夜も更けた午後8時半――少年はこの時間、毎日している日課がある。

 自宅の団地から毎日江古田駅と千川駅までの、どちらも大体往復6キロのジョギングコースを走ること。翌日に学校が休みの日は倍の距離がある池袋駅まで走る。

 そして駅前のスーパーを覗いてタイムセールの惣菜を狙うことである。

 スーパーの総菜を少し買うだけだから大した荷物でもない。腕に持ったまま帰りのジョギングコースを走って、少年は団地に戻ってくる。

「ふーっ……」

 団地の敷地内の広大な庭に入ると、少年は敷地内のベンチに座って汗ばんだTシャツを捲り上げて汗をタオルで拭った。

「はあ、はあ……」

 少し休んで軽く息を整えると、少年はすぐに立ち上がって拳を体の垂直の地点に来るように構えた。

 そこから少年は何もないところに向かって拳を放ち、蹴りを入れ、流れるような拳法の型を実践する。

 架空の敵を想定してその相手にいかに効果的な攻撃を放つか――それを毎日イメージして、その流れを体で確認している。

 無理のない流れの攻撃を選択して、隙ができるような型を自分で見つけて、それを戒める――

 それが終わると、少年は拳と蹴りをただ前に向かって放つ練習を始めた。サンドバックもないためただ空を切るだけだが、少年が拳を放つ度、蹴りを放つ度に、ビシュッという空気を鋭く切り裂く音が聞こえるほどだった。

()ッ!」

 ハイキックの素振り30回のラストに、少年は思い切りの蹴りを放った。足を上げるモーションに無駄がなく、非常に鋭い蹴りが大きな音を立てて空気を切り裂いた。

「はあ……はあ……」

 息を切らす少年の背後から拍手が響いた。

 振り返ると、学校の制服の学ランを着たまま鞄を背負っている直哉がこちらに歩いてきていた。

「ナオ――塾の帰りか?」

「そそ、悲しい受験生は毎日10時まで勉強だ」

「――ユイと一緒じゃないのか?」

「ご両親が心配するから俺が自習室で居残りの日は早く帰るんだよ。女の子なんだから当然だ」

 直哉と結衣は中2の秋頃から池袋にある塾に通っている。

 少年は受験をしないで済んだためにやめてしまったのではない。元々通っていなかった。

「お前は部活を引退しても、それ続けてるのか」

 直哉は少年の座っていたベンチに立てかけてあった竹刀を懐かしそうに手に取った。

「柄がもうボロボロだ――相当振り込んだな」

 そう言って少年に竹刀を手渡した。

「さっきの――ジークンドーだっけ? お前、もう中学じゃ敵なしの強さって聞いてるけど――剣道だけじゃなくジークンドーも毎日そうして欠かさずやってるんだな」

「――まあな」

「なんか飲み物でも奢るよ。今夜は気持ちいい風が吹いてるし……たまには野郎同士でゆっくり話しようぜ?」


 ――少年は直哉とベンチに座りながら、直哉の奢ってくれた缶コーヒーをあおった。

 東京の夜空には星も見えないが、今日は中秋の名月に相応しい満月が浮かんでいる。どこからか鈴虫が鳴いていて、柔らかい涼しい風が気持ちがいい秋の夜長だった。

「――しかし、俺は格闘技には詳しくないが、何でジークンドーをやろうと思ったんだ?」

 隣でコーラを手に持つ直哉が訊いた。

「格闘技自体は、お前は人に絡まれやすいから護身術として、ってのは分かるんだが……ほら、格闘技も色々あるじゃん。ボクシングなり柔道なり、空手だって色んな流派があるだろ? 総合格闘技って選択肢もある。その中で何でジークンドーなのかな、って」

「――ジークンドーの基本の思想に、6秒以内に試合を終わらせる、ってのがある。俺の今までの人生考えると、俺がやる喧嘩ってのは間違いなく俺一人を集団が囲むパターン以外ないからな。俺、ぼっちだし」

「はは……」

 少年の自虐に直哉は笑った。

「そんな状態じゃ寝技や関節技なんてかけてる暇なんかねぇから、総合や柔道は役に立たないよ。そんな状態で一人の奴が一番生存確率を上げる方法は、相手を一撃で倒す『会心の一撃』と、それを連続で繰り出せる『拳と蹴りの速さ』を極めるしかない――」

「その答えが超短期決戦のジークンドーなのか」

 直哉は頷いた。

「――それ、お前の剣道も同じ考えだろ」

 そう言って、直哉は竹刀を少年に手渡した。

「お前の練習での素振りはかなり独特だからな。ジャンプして大上段で構えた竹刀を一気に振り下ろす――あれだけでかいモーションで素振りをしてたら、肩甲骨から手首から剣速を上げる筋肉は嫌でも発達する。おかげで試合では剣に力を入れなくても速い剣が繰り出せるようになるわけだ」

「……」

「練習でお前に立ち合っていたが――最後の方のお前の剣は、本当に厄介だったぜ。攻撃する時に全く振りかぶらない、ノーモーションからとんでもなく速い剣が飛んできた。ゆらっとした静かな構えから、一瞬で剣が自分に伸びてくるんだ。まるで剣自体が伸びてくるみたいに。あれもそのジークンドーの応用だな」

「ああ、相手の油断を誘って一撃で決める――そのためには剣速を上げて、試合ではその剣がどこから飛んでくるか読めない構えを取る――剣術としては、弐の太刀いらずの示現流の思想に似てるかな。無駄な手数を使わず、最速の、会心の一撃――剣道もジークンドーも、そこにこだわってる」

「――なるほど。一撃必殺か……理に適ってるな」

 直哉は感心したように頷いた。

「さっき見た蹴りもスピードが速いだけじゃなく、蹴りがいつ始動したのか分からないほど静かな構えからのものだった――ありゃあ油断している奴には絶対に避けられんぜ」

「……」

「お前いまだに喧嘩を売られるらしいけれど――その強さを知っているのは俺くらいのもんだからな――ユイもお前が陰であいつに言い寄る男やら校内で生徒をいじめてた集団をやっつけてたことを知らないからな――詐欺だぜそりゃ」

「まだまだ、理想としては光の速さでの蹴りと音を置き去りにする拳だ」

「――どこの海軍大将と協会会長だよ……」

 少年は竹刀を持って立ち上がり、竹刀を構えた。

 そうしてジャンプをしての素振り――大上段から振り下ろすその素振りは、かなり激しい全身運動である。

「――まったく、5年間欠かさずやった結果があの剣速か」

 直哉はコーラを月にかざしながら、少年の素振りを見ていた。

「それだけ努力してるってのに、お前、過小評価のされ過ぎだぞ」

 直哉は言った。

「え?」

 少年は素振りを続けながら言う。

「球技大会のソフトボール、お前達は2回戦で負けたが本当なら余裕で優勝していたぞ」

「あぁ――そういえばお前のバスケとサッカーは、どちらもお前の大活躍で優勝したらしいな。おめでとさん」

「俺のことはいい。俺と一緒の競技をやっていれば間違いなくお前はもっと活躍していたぞ」

「……」

「お前、2試合で7打数6安打だぞ。野球部よりも出塁率は上だった。なのに負けた時には一緒のチームの連中から戦犯扱いされてた。ありえんだろ」

「そりゃ打点も得点も0だからな――何の貢献もしていない」

「お前、7番キャッチャーなんかやってたな。素人の寄せ集めだから盗塁ができないってルールじゃ、キャッチャーなんかただの的だ。剣道の全国大会に出るお前くらい動ける奴がやるポジションじゃないだろ」

「――ピッチャーが本職の野球部だったから、誰もやりたがらなかったし」

「お前の後ろの8番9番は、完全に寄せ集めの運動音痴だった。二人合わせて12打数無安打――だからお前の得点も0。そしてお前の前を打ってた5番6番は、どちらも野球部だったが典型的な鈍足プルヒッターだった。セカンドからワンヒットでホームに返れない。サードから犠牲フライやスクイズでも返ってこれない。おかげでお前がどんなに打っても、お前は打点を挙げられなかった」

「ま、長打を打てなかった俺が悪い……」

「お前がセンターあたりを守って、1番3番あたりを打ってたら確実に優勝してた。それなのにお前は野球部の連中から下位打線のせいで負けたって戦犯扱いされてた。何でそれに文句を言わなかった」

「あの球技大会は本職の野球部を気持ちよくプレーさせてやればよかったからな。女子が見ている前でカッコいいところを見せようと連中は息まいてたし。俺の活躍なんて誰も望んでない……俺のせいにして気が済むなら、別にそれでいいさ」

「……」

 直哉は少し苛立った。

 少年の無気力に対してではない。少年がこうして自分の感情を表さない自己犠牲をする癖を作ったのが、他でもない自分であることを知っていたからである。

「はぁ……」

 その自分に対する苛立ちを直哉は溜め息にして吐き出した。

 少年はジャンプの素振り50本を終えて、息をせき切りながら直哉を見た。

「はあ、はあ……悪いな、ご期待に沿えなくてよ」

 少年は直哉の隣に置いてあるタオルに手を伸ばした。

「――勿体ないぜ。それだけ毎日汗を流して、息を切らせて努力して。学校の連中は何もわかってないぜ。そんだけ努力したお前を、俺達の腰巾着だ、無能だ根暗だって罵ってばかりでよ」

「その風評も間違ってない。俺はお前達の金魚の糞で、俺の才能はお前達に遠く及ばないから、肩を並べるのに5年もかかった……俺が根暗なのも本当だろ」

「……」

「でも、ナオ」

 少年はタオルをベンチにぽいと投げ捨てると、言った。

「そうやって俺の分もお前が怒ってくれるってことで、正直ここまで大分救われてた、ってのはある。俺のことを見ている奴がいるんだな、って――割とお前に認めてもらえてることは、普通に嬉しかったから――サンキュな」

「う……」

 直哉は顔を赤くして、少年から目を背けた。

「ん? どうした?」

「――お前、学校で今みたいなこと俺に言うなよ」

「え?」

「どうやら俺とお前――ごく一部の女子からカップリング扱いされているらしいからな――そういう連中から誤解される」

「……」

「俺は女子と付き合ってないが、いたってノーマルだからな。そんな風評被害は困る」

「それだったら誰かと付き合えばいいのに」

 少年は言った。

「むしろ何でお前に彼女がいないんだよ。お前なら女の子はより取り見取りに告白してきてると思うけど……」

「……」

 直哉は沈黙した。

「なあハル――お前は好きな女子っているか?」


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