たまにはそうやって反抗しな
初春の『四海』を使って風呂はすぐに用意された。
雪菜は気後れしていた。
他の人と一緒に風呂に入るというだけでも緊張するのに、紅葉も夏帆も幼時体型の私に比べて見事な体をしている。
一人だけ子供のような体型を晒すことが、恥ずかしかった。
「うぅ――お風呂から出たらすっぴんだよぉ、神子柴くんにすっぴん見られちゃう……」
だが紅葉も別の理由で懊悩していた。
「秋葉さんもそんな胸があったら、男の子はもう顔なんてどうでもいいんじゃないの?」
夏帆はあっけらかんとして笑った。
「まあ猫ちゃんはハルくんたちが見ててくれるし、とりあえずハルくんの厚意は受け取ろうよ」
風呂はファミリータイプな上、築10年程でほとんど人が住んでいなかったから本当に綺麗だった。音々が毎日風呂掃除をしているため、水垢もない。
浴室には紅葉達の服を入れた洗濯機の回る音。
軽く体を洗ってから、夏帆と雪菜が一緒に湯船に入る。
「あぁ~あったまるぅ」
初春の沸かしたて(?)の湯は雨で冷えた体を心地よく温めてくれた。
しかし紅葉と雪菜は、ここで毎日初春が風呂に入っていることを妄想して、つい気恥ずかしくなった。
そして……
「本当にあの人、女の子に自分の家のお風呂を貸すとか全然気にしないんだね……」
学校の男子だったら、少なくとも自分の家の風呂を夏帆が借りたとしたら、それだけであられもない妄想で悶々としているだろうが、初春にはそのような頓着がない。
紅葉は体を洗いながら、動揺しない初春に少し悔しさを覚えた。
「そういう計算なしで優しくしてくれるところがいいんでしょ? 二人とも」
夏帆が言った。
「……」
「今日の二人の仕事、結構良かったと思うよ。冷静な智謀担当の柳さんと、明るさと行動担当の秋葉さん――どっちもらしさが出ていてよかったと思う」
「でも――私は全然役に立てませんでした」
雪菜が湯船の中で膝を抱えた。
「猫を捕まえるのも、ほとんど秋葉さんが一人でやったし……」
元々紅葉は猫好きである。猫の警戒心を解くファインプレーで猫を捕まえたのは紅葉のその優しさが大きかった。
「大丈夫よ。二人ともハルくんの力になりたいって気持ちがあれば、これから活躍できる機会はいくらでもあるって」
夏帆は言った。
「それにしても――あなた達は同じ男を好きなのに、あまり揉めそうな空気はないのね」
「……」
紅葉と雪菜は顔を見合わせる。
今まで気付かなかったが、互いにその可能性を考えるのが初めてに近かった。
「――まあ、今は誰かに取られそうにないって分かるからかも――それに神子柴くん、そういうことで揉める女とか、嫌いそうだし……」
「わ、私友達がいないので――本当に今は神子柴くんのお手伝いができて――こうして秋葉さん達ともいられるのが嬉しいので……」
「――クレハでいいよ」
紅葉が濡れた髪をかき上げて、雪菜に微笑んだ。
「その代わり私も、セツナって呼んでいい?」
「せ……」
雪菜は緊張で体を硬直させる。
「――大丈夫だよ。私もまだ神子柴くんとどうこうなんて関係じゃないもの。今の細いつながりを維持するだけで精一杯だから――」
「……」
「これからあの天然さんの愚痴とかいっぱい言うことになると思うから、セツナが私の話も聞いてくれたら嬉しいな。私こんなに本気で誰かを好きになったことないから、そういう話できるのって、セツナみたいな真面目に考えてくれる人がいいな」
「は、はい……で、でも私――人を呼ぶの慣れてないんで――く、紅葉ちゃん、からでもいいですか……」
「うーん、仕方ないなぁ」
「クレハちゃーん」
不意に浴室の外から幼い声が聞こえた。
「ココロ?」
紅葉が浴室から上がって脱衣所を出た。脱衣所には鍵がついていて、念のため閉めていたのだった。
「ココロ? 何でここに?」
「さっきハルくんにあってね。クレハちゃんがおようふくが雨でぬれちゃってこまってるっていうから、とどけにきたの」
「え……」
あれから初春は火車の背に乗って、音々と一緒に雨の中、心を探しに家を出たのだった。この時間夕食の買い物の手伝いをしているだろう心を町中で捕まえて、困っている紅葉達に着替えを運んでもらおうという算段だった。
「だ、大丈夫なの? ココロ」
「だいじょうぶ、ハルくんといっしょにきたから。おきがえもあるよ」
ドアを開けると、ココロは紅葉の着替えを3セット持ってきてくれていた。
「私達の分も、ってことか――ハルくんやるなぁ」
「何も言わないけど、こうやって気を回してくれるんですよね」
喜んで紅葉達は、心の持ってきた部屋着に袖を通した。
風呂から出ると、居間では初春が濡れた髪にタオルをかけたまま、穏やかな顔で眠っている三毛猫に両手を添えていた。
初春が両手で機を送り込むと、三毛猫は敷き詰めていた新聞紙と、その上の砂に尿と糞を出した。それを出し終わると三毛猫は一気に楽になったように表情を緩め、目を閉じた。
「今の……」
「うん、衰弱は治癒術をかけたし、体も洗ったし、ちゃんと体の中のものも出したから、かなり楽になったと思うよ。あとはあったかくして休ませて、起きたらまめに水分補給と、ちょっと栄養のある食事を与えれば大丈夫さ」
「よかった……」
比翼の診断に音々も胸を撫で下ろした。
「……」
さっきの術――鳴沢達を拷問した時と同じ術である。
だが今回は、弱った猫の自力排泄を助けるための使い方だった。
その猫が安らいだ顔に、ふっと手を当てて毛並みを撫でる初春の姿は、とても紫龍の術で見た、人間の肺に穴を空けるような大怪我をさせた後、糞尿にまみれさせた人とは思えない優しさに溢れていた。
「ハルくん」
ココロにはこの家にいる妖怪達は見えず、初春が一人しかいないようにしか見えない。
「ネコちゃん、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ、ちょっと疲れているみたいだから、ココロも静かにしてやってな」
「うん、シー……だね」
初春の真似をして、心も人差し指を口元に立てた。
「み、神子柴くん、ありがとう。ココロを探して着替えを取ってきてくれて……」
「別にいい。礼を言うのは俺の方だ。依頼をこなしてくれて――猫は今晩は休ませて、明日依頼主のところに返そう――これでとりあえず仕事は一段落だ。お疲れだったな」
初春は立ち上がる。
「で――バイト代も出せないが、よかったら飯を食っていかないか。大したものじゃないんだが」
そう言われて、紅葉達は居間の奥のキッチンからいい匂いがしていることに気付く。
キッチンには素麺と野菜のかき揚げと鶏天が盛られた食卓が用意されていた。
「み、神子柴くんがこれを……」
「秋葉のお婆ちゃんの真似だけどな。仕事の対価として飯をご馳走する――金のない俺にできるギリギリのところなんで、受け取ってくれないか」
夏帆の部屋の帰り道で、自分があいつらに金が出せない分何かできないかと考えた結果であった。とは言っても、本当に材料費は格安なのだが。
「ううん、食べたい! すごく美味しそうだし!」
不意に紅葉の脳裏に、初春と出会ったばかりの頃、ファミレスで初春の賄いを毎日食べていたことを思い出す」
「ココロもたべる!」
「ココロの分もあるぞ、食ってけ」
それから5人での食卓は、初春の家で始めて妖怪達の宴ではない、人間の宴が開かれた日だった。
雨が小降りになると、妖怪達も今日は比翼の計らいで家を出て行き、紅葉達は初春とはじめてこの家で穏やかな時間を過ごした。
「あーおなかいっぱいだぁ」
紅葉、雪菜、夏帆は皆初春の揚げたての天ぷらが、体力仕事のあとの食欲を刺激し、ついつい食べ過ぎてしまった。
その間、初春、音々、心は目を覚ました三毛猫について居間にいた。
もう猫は体調を持ち直し、絶好調とはいかないまでもちゃんとした足取りで家の中を歩いていた。初春が鶏天にした鳥の胸肉の残りを少量の野菜と煮詰めてから丁寧に潰しペーストにしたものを皿に取って猫の前に置いておいた。子猫が食べるようなドロドロの流動食だが、数日食べていなかった猫はゆっくりとがつがつ食べていた。
初春は図書館で借りた本を読みながら、何も言わずに食事を摂る猫に付き添っていたが、三毛猫は食事を摂るとさっきからずっと初春の側に寄り付いていた。
「わぁ、神子柴くんいいなぁ。ネコちゃんに好かれて」
紅葉は猫に近付く。
「……」
その後ろから雪菜が顔を出すが。
三毛猫は雪菜の姿にばっと後ずさる。
「あ、あれ……」
苦手といっても嫌いではなく、仲良くしたいと考えている雪菜にとっては、ちょっとショックである。
「怖がっているから向こうも警戒しちゃうんだよ。ちゃんと敵意がないことを見せなきゃ」
紅葉はそう言って居間の畳に膝をついて、両手を開いた。
「ほらほらおいでー、私にあなたをモフモフさせてー」
紅葉は猫撫で声ととろけそうな笑顔で猫を迎える。
猫も山での紅葉を覚えているようで、雪菜よりも警戒心なく、紅葉の方へと近づいてくる。
「よーしよし、可愛いねぇ」
そう言って紅葉は三毛猫を抱きかかえるが。
抱きかかえてしばらくすると、三毛猫はイヤイヤと身をよじって紅葉の豊満な胸から逃れ、初春の方にゆっくりといってしまうのだった。
「な、何で急に嫌がっちゃったんだろ……」
「それがこの猫の家出の原因なんじゃないの」
初春は本に目を落としながら言った。
「俺もホームページのこの依頼内容に目を通したが――毛繕いをしたい猫に服を着せて、家の外にも連れ出さずに四六時中猫可愛がり――そんな人間に四六時中抱きかかえられて、人間だったらストレスになっちゃうだろ。たまには一人になりたかったんじゃないの。一方的な愛なんか四六時中注がれるなんて、俺だったらうんざりしちゃうぜ」
「……」
三毛猫は適当に放っておいて、でも怯えも拒絶もしない、自分の居場所を許容してくれ、心配してくれる初春の隣が居心地よさそうで、初春に撫でてと甘える。
「お前は気高い猫なんだな――人間はお前達を愛玩動物なんて言うが、思い上がりもいいところだ。命にオモチャみたいな名前を付けるなんてな――お前は人間に都合よく遊ばれるためのオモチャじゃないってんだよな。それをたまにはわかってもらうために、お前はたまにはそうやって反抗しな。でも息が詰まりそうな時は、今度は山じゃなくてここにおいで。いつでも歓迎するぜ」
初春はそう言って、小さくひと撫でだけ三毛猫の頭を撫でた。
「……」
愛玩動物――命はおもちゃじゃない……
初春の人間への言葉はいつも重い。
初春も、今まで人間にどれだけ弄ばれてきたのだろう。
それもこの三毛猫のような曲がりなりにも愛情と呼べるものではない、もっと利己的な理由で……
だからだろう。
この人は、他人の意思や命を尊重はしているのだ。
理由がなければ傷つけもせず、相手のことを思いやっている。
それが嫌いな人間であってもだ。
「……」
雪菜はそんな猫に文句も言わずに付き従って案じる初春を見て、これはまずいと思った。
自分の中でどんどん初春に対する気持ちが強くなって、溺れてしまいそうだ……
今でも初春が怖い一面があるのは分かっているけれど……
こういうの、母性本能っていうのかな……
なんか、放っておけない、側にいてあげたいって……
――そしてその想いは、紅葉も同じだった。
どんなに神子柴くんが悪人でも、かばってあげたい、守ってあげたいって、思う……
この人の優しさや非情さ、激しさと穏やかさと――そんな対極の表情にどんどん夢中になっている。
この人のことを――私はどんどん……
「ねえねえハルくん。今日ココロ、ハルくんとネコちゃんといっしょにいたいな」
そんな二人の視線をよそに、心も猫のように初春に近づく。
「今日、おとまりしちゃダメ?」
「こ、ココロ! 何言ってるの?」
紅葉は狼狽えながら、お子様の気楽さにちょっと嫉妬した。
その言葉、私はもう安易に言えないのに……
「別に俺は構わないけど――ココロのママが許さないだろ。今日は帰りな」
「えーなんで? いっしょにいようよ」
心はぐずりかけるような表情になる。
「ママが心配するだろ。お姉ちゃんだってココロを一人にしたら心配する。俺みたいな得体の知れない奴のところにいたらさ」
「……」
これは別に、音々達がいるから遠ざけようとしているわけではない。
本当に自分が人間に信用されていないということを、もう初春は思い知っているだけ。
「やだぁ、かえりたくない……」
心はイヤイヤと駄々をこねながら、初春にしがみついた。
「クレハちゃん、ママにお願いしてぇ」
「ココロ……」
「またいつでも来ればいいよ。帰りも送ってあげるから、一緒に帰ろう」
そしてふと反射的にしがみつく心の体に腕を回して。
不意に思う。
心の体はちっちゃくて、ふわふわしていて、だけどちゃんと骨の感触があって。
そしてあったかかった。
あまりに小さなその体の力は、こちらが力を込めたら壊れてしまいそうだったけど。
「……」
何だろう、この感じ……
こうすると、妙にほっとする……
母親にも抱きしめられたことのない初春にとって、悪意のない人間の感触は生まれて初めて味わうものだった。
それをした時に、不意に去来するものがあった。
それは……
――初春が心を抱きしめたのと同時刻、2階の初春の部屋にある携帯電話に着信が入っていたことに初春は気が付いていなかった。
「――やっぱり出ない……」
その着信の主は、東京、新宿のバスターミナル、バスタ新宿の夜行バス乗り場の待合室にいた。
「これは神庭町に着いたら、探すようかなぁ」
その少女は携帯を開いて、中学の時に撮った写真を目にする。
「ハル――会いたいよ……」
この話も細々続けていますが、100話になりました。
短い話をつなげていくつもりが、なかなか話を短くまとめられない現状です。
この話を書くにあたって句点を減らす試みを始めました。前作の「ひとりぼっちのキミに」は結構無意識に書いていたのですが、読み返すと句点がやたら多いなぁ、と思ったので…
これで読みやすくなっているのかはよくわかりませんが。




