不幸+ジャズ
バスドラムが重くそれでも軽快な音を規則正しく鳴らしている。そこにハイハットのカチカチという音が加わり、ウッドベースがボンボンと滑らかに滑るような音が聞こえ始めた。その瞬間、全ての音が和音のように重なりを見せたかと思うと、トランペットの弾けるような音が聞こえた。
バディ・リッチである。
心臓にメトロノームでも埋め込んでいるかのように機械的なドラミングで、それでいて内から湧き上がって来るような情熱がスティックを何度もヘッドに打ち付ける。相対するその二つが融合し、彼の曲はジャズという独特な形の音楽へ、そして更に極上なものへと変容して行く。
私はしがない小説家である。
小さな賞の佳作を取ったのをきっかけにこの仕事を始めた訳だが、それ程有名ではなく、今では男独り身何とか食っていけるという程度である。
机の上には束になった原稿用紙が置かれている。
私はジャズの心地良い音が鳴り響く中、やっとのことで一作書き上げたところであった。
校閲もすっかり終わって原稿用紙も依頼通りの枚数に収めてある。何とか今日の締め切りまでに間に合ったと私はふうと椅子に凭れかけた。
これからこの作品を編集者にファックスすれば、万事は上手く行く。
私は目を強くつむった。
我ながらかなり疲れている。
当然である。昨日は一睡もしてはいないのだ。しかし、バディ・リッチのマシーンと言う曲が私の気分を徐々に高揚とさせて行く。何とも言えぬ達成感と、その瞬間から訪れる喪失感は創作者特有の感覚であった。
目を開けたその時、原稿用紙の上には親指大の小さな男が一人立っていた。
私は思わず頓狂な声を上げた。
原稿用紙の中からはまだ何人かの男が這い出て来ている。
私は眠気による幻覚でも見ているのではないかと思った。しかし、原稿用紙の上の小さな彼らは驚いたように私の顔を見ている。
「あ、あなたがこの作品の作者ですか!」
一人の男が私を指差して叫んだ。その声は甲高く聞き取りづらい。しかし、ひどく興奮しているようである。
私は何度も目をこすってみた。
しかし、現実は変わらない。
私が書き上げた原稿用紙の上には五人の男が立っていた。
「あなたが作者の方ですね!」
小さな男はもう一度叫んだ。どうやら私に聞いているらしい。
「いかにもそうだが」
男は小さな目をこれでもかと大きく見開いた。
「なんとこれはこれは!私は幸彦です!五十嵐幸彦です!いやあこの度は本当にありがとうございます!」
五十嵐幸彦とはこの作品の主人公である。良く見れば端正な顔立ちで着ているスーツも安物ではあるが決まっている。そう書いたというものの、何ともイメージ通りの良い男であった。
「本当に僕の人生は素晴らしい限りです!会社で出世してその上可愛い奥さんまでもらうことが出来た!それもこれもあなたのお陰です!」
主人公の男は泣きながら私に感謝の意を伝えてきた。確かにそのようなストーリーにしたがまさか感謝されるとは全く思わなんだであった。
「経理の真弓ちゃんに想いを伝える事が出来たからこそ、彼女は今僕の奥さんになってくれたのです!僕は本当に幸せ者だ!ありがとうございます!」
「いやあこれはどうも」
こうも言われればそれ程悪い気もしなかった。
「ちょっと待ってくれ!」
隣でその主人公を睨みつけていた男が矛先を私に変えて声を上げた。
「なんだ君は」
「なんだとはなんだ!忘れたとは言わせんぞ。俺は田村秋永だ!」
その名前で私はピーンときた。この男は主人公の恋敵で登場させた男であるが、序盤、真弓がこの男に気があるのではと書いておいてそれはあくまでもこの男が自ら流したデマに過ぎぬと露呈し、会社の同僚から白い目で見られるという男である。
「俺の人生は最悪だ。こんなもん与えやがってこの野郎」
男は今すぐにでも私に殴りかかるかのように歯を食いしばって私を睨みつけている。
「いや、しかしだな。物語を成立させる為には」
「うるさい!」
男は私が話し終える前に怒号を上げた。こめかみには血管が浮き出ている。
「今すぐ真弓さんと俺がくっつくようなストーリーに変えろ!」
「いやそれは無理だろう」
「なんだと!」
「俺はこんな人生嫌なんだ!」
男がそう言うと周りで黙って見ていた男たちも狂ったように口々に声を上げた。
「俺だってこんな人生嫌だ!」
「そうだ!一回で良いから女の子と付き合いたい!」
「俺なんて父親の借金がまだ二千万もあるんだぞ!」
主人公の男は怯えたように縮こまり、その他の者たちは学生運動の暴徒よろしくでまかせに声を張り上げている。
「今すぐ書き換えろー!」
「こんな物語の何が面白いんだ!」
「女を抱かせろー!」
「お前は登場人物を蔑ろにしている!」
「それでも作者か馬鹿野郎!」
「うわあああああ!!」
私は堪らず叫び声を上げた。
机の上に置かれてある原稿用紙を勢い良く持ち上げる。
「作品を面白くする為には不幸も必要なんだ!」
私は原稿用紙を破り捨てた。
その瞬間、軽快なドラムの響きが曲の終わりを告げた。




