001 目覚めは痛みを伴って
〈エルダー・テイル〉と呼ばれるMMORPGは今年の5月、12本目の拡張パッケージを導入することを発表した。
多くのプレイヤーの待望であったし、テレビや駅などの広告による大々的なプロモーションの効果と、無料キャンペーンも相まって、新規ユーザーの気配も感じられた。
多分に漏れず、ソードフィッシュも拡張パッケージを楽しみにしていた古参プレーヤーの一人である。
パッケージ導入日の数日前からはゲームプレイが無料解放されていた。それによって一時的に増加した〈ミナミの街〉のホームタウンは結構な重さであった。PCへの負荷に耐え兼ねて、〈ミナミの街〉から北西のゾーンに位置する〈ミノオの村〉の自宅に避難し、その時を待っていた。
◆
〈ミノオの村〉は現実世界においては割りと大きなホームタウンである。しかし、〈エルダー・テイル〉での〈ミノオの村〉は極小規模の農村にすぎない。
〈エルダー・テイル〉では、多くの家や土地が「ゾーン」と云う形で購入可能である。それは言い替えればゾーン化されているオブジェクトであれば、どの様な過疎地帯だろうと住むことが可能だ。
家屋数は10もない規模の村に、ソードフィッシュのプライベートゾーンは存在している。利便性も無い場所なので、当然ながら隣人などいない。
ソードフィッシュは大きい街が得意ではない。それはマシンスペック的にリソースが足りていないだけては無く、リアルの住まいが東京の都心であり、人混みに疲れているからである。
日本サーバーにおけるこの西の農村をホーム設定した理由は、自身の実家に近いからと云うこともあった。リアルで実家のあるゾーンは田舎すぎて只の狩りエリアとなっている〈リバーオブボア〉と命名された、低レベル向けの特筆するものもないエリアである。
◆
変化は突然起きた。
〈エルダー・テイル〉を自室でプレイしていたソードフィッシュは、突然景色が暗転していったことを覚えている。
どれくらいの時間が経ったかは判らない。目覚めた時は見慣れぬ――しかしどこか覚えのある――部屋の一室だった。うつ伏せに倒れている体を起こすと、不思議な程に体が軽く持ち上がる。
夢の中かと考え、意識が自由であることを確認する。明晰夢の類いか妙にリアルな雰囲気がある。
部屋は20畳程の大きさがあったが質素と形容出来た。ベッドと棚が1つ。姿見だろう大きな鏡があり、部屋の中心には丸テーブルと椅子が2つ。
そこまで確認した後、姿見の前に立つ。そこには見慣れた自分の顔が、見慣れぬ格好で写っていた。
日頃から同僚に「老けた顔」と云われているままの仏頂面があり、刈り込んだ髪型もいつもの自分である。
異なっているところはその服装だ。普段なら絶対に着ないだろう空色のクロークを灰色のインナーの上に掛けている。緑色のロングパンツを履き、茶色のロングブーツと云う組み合わせだ。 加えて髪の色はオレンジである。
目が覚めるかと思う程、ナンセンスなカラーコーディネートだ。妻に見られでもしたら小言を云われるだろうと思うと落ち着かない。
じっと鏡に写る姿を見ていると、不意に見慣れたパネルが視界に入ってきた。パネルにはテキストが記載されていた。
ソードフィッシュ/〈冒険者〉 妖術師 レベル90
「〈エルダー・テイル〉……?」
思わず口にした呟きは伽藍どうの部屋に、重く響いた。
まじまじとサイケデリックな服装を確認する。――そう、これはいつもモニター越しに眺めている自キャラなのだった。
(それにしても、実際自分が着て見ると、無いなこれは)
明晰夢も極まったなと思う。
やはり毎日深夜を跨ぐプログラムの仕事と、帰宅後は家庭の支援として家事を手伝い、朝は朝食を家族分作ることを日常としているストレスが夢に影響を与えているのだろう。
しかし、ソードフィッシュは慌てない。〈エルダー・テイル〉の世界が夢の舞台であればこの部屋のレイアウトにも納得である。 この世界を《わず》僅かな間だろうと、楽しむ為に薄明かるい部屋を出た。
ゲームの時とは違い、空気には香りが付き、まだ早い朝の訪れを伝えるべく肌を射す陽光には多少の熱が伴っている。緑の草木からはテクスチャでは表現できない生命力を感じた。
しかし、ここは過疎ゾーンである為、人影は見えない。都合良く誰か知り合いがいても良いものなのにも関わらずだ。
(いつものパターンであれば、そろそろ知り合いに出会っても良い頃合いなのだが……今日の夢は少し違うのか)
隣家までの距離は近くない。一先ず誰かを探しに村の中心へ向かって歩くことにした。
◆
村の中心へ向かうまで道を歩いていると声を掛けられた。
「やあ、〈冒険者〉さん」
立ち止まり声があった先を見やると、初老の農民だろう男が此方に手を振っている。男の顔を見ると、パネルがテキスト付きで表示される。
ターナー/〈大地人〉農夫 レベル18
(この表示機能は、慣れるまでは驚くな……それにしても〈大地人〉とはな)
〈大地人〉とは〈エルダー・テイル〉で云うNPCの呼称である。自分の創造力には呆れるが、芸の細かいことだと思う。どうせすぐに忘れてしまうのに。
表示されたテキストを見つめたまま暫く、そのようなことを考えていると声が掛かる
「おや、今日は珍しいですな。いつもであれば、何かに急かされている様に通り過ぎられるのに」
確かに彼等からしてみれば、珍しいことだろう。プレイヤーである〈冒険者〉は「クエストの受注」でもなければNPC相手にいちいち立ち止まらないのが正直なところだ。ましてやソードフィッシュはロールプレイヤーではない。極稀にロールプレイをしては思い出して赤面するのが関の山である。
だけれども今は気分が良かったのだ。男に向かい軽く会釈をした後に続ける。
「そうか、それは失礼を。ターナーさん」
「確かに私はターナーですが、何故私の名を?」
驚く彼に対し「それはゲームだから、パネルに表示されている」とも云えず。苦笑混じりになりつつ答える。
「〈冒険者〉だからかな」
短く答える。その答えに満足したのだろうターナーは「やはり〈冒険者〉の方々は凄いですなぁ」と感心した様子だ。そういえば、とターナーは続ける。
「今より少し前ですかな、〈冒険者〉の方が村の中心へ向かって行きましたよ。その方はいつも通り、何かに急かされているような、思い詰めた表情でしたな」
村の中心がある方角を見つめターナーは話す。そして再びこちらに目をやると柔らかな表情を浮かべる。
「そうだ。もしよろしければきっと何やらお困りだったのでしょう。様子をみて差し上げたらどうでしょう?」
典型的なクエスト開始メッセージだな。そこばかりは想像も追い付かなかったようだ。
ターナーは腰に下げた鞄からパンを取り出しソードフィッシュへ向ける。
「行き掛けの駄賃ではありませんが、家内のこしらえたパンです。腹が減っては頭も回りませんからな。それにしても、すごい服装ですなぁ」
礼を云いパンを受け取ると、〈冒険者〉が向かったと云う方角へ歩き出す。服装のことについては無視する。
ターナーから受け取ったパンは湿気った煎餅のような味わいと食感であった。
記憶を思い返しても、夢で豪華フルコースなんて食した記憶はない。つまりこれもまた想像力の限界が見せたものなのだろう。
腰に下げた〈マジックバック〉から飲み物を取り出し喉に流す。
ゲームの頃と同じく〈マジックバック〉は、その大きさからは想像できないアイテムをしまうことが出来た。取り出す時には取り出したい物をイメージすれば良いのである。これは想像に容易い。緑のタヌキ型ロボットのアニメでも有名な話だからである。
取り出した飲み物はオレンジジュースであったが、全くの無味無臭である。何故こんなに想像力にムラがあるのだろうかと嘆息する。
しかし、腹は多少膨れ、喉の乾きも潤い、徐々に高くなり出した日の暖かさもあって、意気消沈とはならなかった。
◆
(何なん何なん何なんっ!)
少女は人を探してひたすらに走る。
目が覚めたら森の中にいた。訳の判らない服装をして、全く知らない場所にいたのだ。
正直パニックである。
今日は友達に誘われて始めた〈エルダー・テイル〉を初めてプレイしていたのだけど、気付いたら良く判らない事になっていた。
走る旅に長い髪が顔にぶつかる。学校の50m走でも感じたことの無い風が肌に刺さる。
(うわ~。アタシ、メチャ速いやんっ!! って何なんコレっ! 何なん何なんっ!)
途中で農民にすれ違ったが事情を話してみたものの埒が明かなかった。パネルに〈大地人〉と出ている人は全部同じ反応だ。
いつしか、〈大地人〉は無視して走り抜けるようになっていた。
(〈大地人〉以外っておらんのっ!? 何て言うんか知らんけどっ! )
これは恐らくゲームの世界なのだ。なぜ判るかと言えば元々夢を見ない質だし、夢を見るならもっと「ファンシー」だと思う。こんな牧草臭い爽やかな夢なんてらしくないのた。では何だと言うと全く判らない。
(こんなん普通の女子高生には判らんっちゅうねんっ!)
顔にぶつかる髪をかき上げ誰かを探して走る。 村の中心だろうか、広場に出た。
何事かとわらわらと出てくる人々の姿が見える。 すぐさまパネルの表示を見ていく。
(〈大地人〉、〈大地人〉、あの人も〈大地人〉っ! )
(もう……)
「何やねーんっ!」
◆
ソードフィッシュが村の中心に着いた頃、広場では何やら喚いている女の子がいた。長い金髪に褐色の肌を持つ健康そうな娘だ。パネルのテキストには次のように表示されている。
ミオぴー/〈冒険者〉 武闘家 レベル1
設定が適当すぎる自分に悪態を付きたくなる。ミオぴーの顔を確認する。見覚えは無かった。知り合いでも見掛けるかと思ったのだが、それなりに壮大なシナリオが用意されているらしい。
それにしても五月蝿い女の子だなと思っていると、こちらに指を突き立て大音量で捲し立てる。
「あーっ!! ノー大地っ! ノット大地――〈冒険者〉っ! アンタやアンタ。これいったいどう言う事なんっ!? てかダサっ!」
今までで出会った人の中で最も五月蝿いのでは無かろうか。ミオぴーはぎゃんぎゃんと喚いている。キンと頭に響く声に思わず顔をしかめる。
その様子を良しとしなかったのだろう、彼女は「逃げるなよ?」とでも言わんばかりの形相で近寄って来る。1m程の距離に来た彼女は矢継ぎ早に言う。
「なぁ、ちょっとっ! これ何なん?」
その表情はとても怖がっているようでいて、何かを期待している様な雰囲気があった。ソードフィッシュはそんな彼女に対し特に慌てることも無く告げる。
「何かと問われれば困るが、妄想の産物だろう」
その答えは彼女の中では不正解であったらしい。明らかにガッカリした様子だ。そんな彼女の指が唐突にソードフィッシュの顔に触れようと近づいて……
目に刺さった。
「これが夢なわけあるかーっ!!」
目に異物感と痛みを感じつつ、暗闇の中で頭に響く怒号を聞いたのだった。
◆
我ながらやり過ぎたかも知れないと反省している。
ミオぴーは折角見付けた〈大地人〉以外の存在である〈冒険者〉に質問をした。返ってきた言葉は妄想だと! ――妄想ならどれ程良いか。
ここまでの道中、転んだら凄く痛かったし、お腹も好くし、風は鬱陶しいし、喉も乾いた。 流石に夢じゃないって解って絶望するまでには時間は掛からなかった。
目覚めてからでも結構な時間が経っていたし、それは現実を受け入れる――あるいは認識する――には十分な時間だと思う。
にも関わらず、この目の前の明らかに年上だろう男は云った。自分より大人なのに、現実を受け入れていないことが何だかとても頭に来た。
次の瞬間には目潰しをしていた。
◆
視界が回復しない闇の中。ソードフィッシュの頭にミオぴーの怒号が響く。 視覚が無い状態での聴覚はパフォーマンスを上げるらしい。彼女云うことは良く聞こえる。
「こんなに痛いんが妄想やって? こんなにお腹空くのが妄想? この風の臭いや、太陽の熱。どれもこれも妄想やって云うなら、アンタの想像力はヤバイわ」
――アンタの想像力はヤバイ
その言葉は衝撃だった。目覚ましのようなものだった。
今も眼は確かに痛む。今朝食べた湿気った煎餅は確かに不味かった。しかし、腹は満たされた。風は心地好いし、肌に射す陽光は、抱かれて眠りたいくらいだ。それを再認識する。
自分の想像力が残念なことは自覚していた。しかし、想像力を遥かに越えた現実がある。
彼女は怒気も無くして云う。
「夢なんかやないやろ。 こんなん嫌や、意味判らへんし。帰りたい」
――その言葉で家族を思い出す。
そう、そろそろ起きなければならない。もう起きたい。この夢にも飽きたのだ。早く起きて朝食を作って、子供たちを着替えさせて保育園に連れて行かなければならないのだから。
このゲームの様な夢を終わらせる方法、電源を落とす様な行動を考える。
〈エルダー・テイル〉を忠実にトレースしているこの夢であればと、視線を中空に、意識を中心に向ける。出て欲しいものは「メニューパネル」、それはすぐに出た。
しかし、本当に必要なものは出なかった。思わず口にする。拒んでいた現実を受け入れるように、自分を納得させるように。
「ログアウトアイコンが……消えている?」
答える声もなく、頬に触れる風だけが「ようこそ」と迎えてくれているようにソードフィッシュは感じたのだった。
◆
ゲームであった頃の〈ミノオの村〉とは違う点として、人口の増加が挙げられる。ゲームであった頃は必要最小限の〈大地人〉のみで構成されていた農村だった。村人の多くは、簡素な食料を販売している商人であったり、武具の修理工であったり、クエストの窓口であった。
しかし、窓の外を見渡してみるとそこには何も役目を与えられていない〈大地人〉が多く生活しているのが見てとれる。
また、ゲーム時代とは違った点として特筆すべきは〈神殿〉の存在である。以前までは、〈弧状列島ヤマト〉の〈ミノオの村〉地域は〈ミナミの街〉の〈大神殿〉に登録されているはずであり、〈ミノオの村〉には神殿は存在していなかったのである。
〈神殿〉とは、死亡した〈冒険者〉が復帰するリスポーン地点である。これが意味するところは、この付近で不幸にも死亡すると〈ミノオの村〉に復帰すると云うことだ。勿論、ゲームであった頃とは違う今、死亡の定義がどこまで〈エルダー・テイル〉のそれを模倣しているかは不明だ。
村の広場で起きたの騒動から一夜明けた今、ソードフィッシュは騒動の中心にいた少女、ミオぴーと〈ミノオの村〉の自宅にいた。
回復した視覚でもって彼女を見やる。第一印象と変わらない快活な若々しさを感じる少女である。ブロンドのロングヘアに褐色の肌と云う組み合わせはリアルでのギャルを思わせる。
彼女もまた、この世界に漂流してしまった〈冒険者〉である。こちらの視線に気付き遠慮がちに云う。
「あ、あのー。その……昨日はごめん。私、パニクってたって云うか。何かごめんなさい」
目の辺りを指差した後、眼前で片手を起てる。若い子の謝罪の仕方などこんなもんだろうと、手を振って返事とした。
「ほんで、宿まで借りてもうて」
昨日は騒動の後に村人を適当にあしらった後、〈大地人〉がいない自室でお互いの紹介などをした。聞くところによると高校3年生で、友人の勧めで〈エルダー・テイル〉をプレイしていたところ、この世界に来てしまったそうだ。始めたばかりの初心者で、右も左も判らないと不安をこぼしていた。
その日の夜は一つ屋根の下と云うのは倫理上どうかと思い、彼女を部屋で寝かせ、自身は門前で野宿をした。そして朝を迎え、今後どうしていくか話をしている。
「気にする必要は無い。それよりも今後、どうしていくかが問題だ。帰る目処も、可能性すら無いのだから」
それを聞くと彼女は一段と気分を沈めたようだ。それを一瞥し、会話を続ける。
「ここに私と君がいると云うことは、他にも私たちのような境遇の人間がいるはずだ。この辺りだと〈ミナミの街〉が一番大きな都市だ。そこならば、もっと情報も見つかるかも知れないな」
ここ〈ミノオの村〉から〈ミナミの街〉までは現実世界で約60kmだ。
〈エルダー・テイル〉は〈ハーフガイアプロジェクト〉と呼ばる、等身大の地球の半分の大地を持っていると公式で云われている。なので楽観的に見積もっても〈ミナミの街〉までの距離は30kmと云うことになる。
ソードフィッシュはマウントである騎馬を持っているが、同行する彼女は当然ながら持っていない。となると必然的に徒歩となるわけだ。
「ここから〈ミナミの街〉まで歩くとして60km。これは幹線道路で車を使った場合の最短距離だ。夜道は工程を進められないことを加味しても3日はかかるだろうな」
「ほんま~? メッチャ遠いやん。車とかあらへんのこの世界は」
そんな分析に彼女は口を尖らせる。あるわけ無いだろうと首を横に降って返事をした。
「勿論、馬などに乗ることは可能だが、それにもアイテムが必要だ。何せこの世界は〈エルダー・テイル〉なのだから」
トレード可能なマウント召喚アイテムはある。しかしマウントは最低でもレベル20 以上の〈冒険者〉である必要があった。それを説明したところで彼女は机に突っ伏す。
「何だか先の長い話なんですけど。直ぐに上がるのかなレベルって」
ソードフィッシュは師弟システムを思い出す。パーティーメンバーのレベルに合わせて一時的に師にあたるプレーヤーのレベルを強制的に落とすものだ。〈エルダー・テイル〉であるなら、この世界でも機能しているかも知れない。
「確かに徒歩での旅は骨が折れそうだ。 少し考えがある。パーティーを組んで見よう」
「どうやって?」
そう呟く彼女を視界に捉えパーティーに誘うイメージをする。すると何かに気付いたのか中空を見つめる。
「これは?」
「今、パーティー申請をした……と思う。承認してくれれば良い」
すると頭に鈴の音が響き、視界の隅にミオぴーと表示されたパネルが現れた。
こう言う具合に視覚化されるのか。続けて師弟システムを起動する。軽く目を瞑り、師弟システムをイメージする。
目を開くと視界の隅にはソードフィッシュ レベル1と表示された。
師弟システムでは、大幅にステータスが制限されるものの、装備やスキルは据え置きなのだ。
つまり、レベル1にしては不釣り合いな装備とスキルを持っていることになる。〈エルダー・テイル〉がゲームであった頃からこの問題は顕在していた。
しかし、運営が何かしら修正を加えるまでには至らなかった。要はスキルは使わなければ良いし、装備は低レベルの物を調達すれば良い、やりたいようにやれと云うことだろうとソードフィッシュは理解していた。
勿論、今回の目的はかなり乱暴なパワーレベリングであるし、ゲームを楽しむ目的ではない。だから気にしないことにした。
そんな時、彼女が声を掛けてくる。
「ところで、何て呼べばいいん? アンタ云うんもアレやし」
(何だそんなことか。正直ゲームのハンドルなんだ、何でも良い。君やアンタでも、お前だって良い。本質的なところは何も変わらないのだから)
「何でも良い。好きにしてくれ」
肩を竦めてそう返すが、彼女は納得していないらしい。んーだのあーだの呻き、あっと閃いた様子で云う。
「ほんなら、さかなクンっ!」
「ちょっとまて。それはダメだ」
それは予約済みだろう、使ってはダメなものだ。普通と云うものが解らないのかこの子は。明らかにガッカリした様子で彼女は云う。
「何でもええって云ったやん~。ほんならソードんな。ソードん」
いつまでも続けられても困る。もうそれで良いと伝え、席を立つ。扉の前まで歩いたところで後ろから声が掛かる。
「私のことはミオぴーでええで。ミオとか略したら許さんからなっ!」
溜め息を返事にソードフィッシュは外に出た。
◆
ミオぴーは、「チーム」の皆が付けてくれたあだ名だ。
現実世界のミオぴーはいわゆるヤンキーであって、その上チームに入っていた。親からはずっとほったらかしにされてきたし、不良を始める前からそうだった。
舐められたらアカンと云うことで入った空手部では、成績も結構優秀。見た目はヤンキーで内申点最低だったが、学力テストの結果も上位に入る。
そんな時、チームの皆が「うちらとつるむのはミオぴーの為にならんし、ここいらでつるむのやめや」と云った。そんなことを望んで居なかったし、唯一の居場所がチームだったのに。
一人で夜は寂しくて泣いた。親に相手にされなかった時も、母が死んだ時も泣かなかったのに。ずっとずっと泣いた。そんな仲、チームの一人がスマホで連絡をくれた。
「ミオぴー元気にしてん? 直接つるむと体裁悪いゆーから、ゲームとかでまた遊ぼーやって思てん」
その子はチームの仲でも特に仲が良かった子で、彼女と一緒に始めたのが〈エルダー・テイル〉だった。
しかし、気付いたらあの子は居なくて、良く判らないところに一人。とても不安で、誰かを探して走り回った。
迷惑だろう捨て猫の様な自身を、たった今外に出ていった男はなにも云わずに助けてくれた。かなり無愛想で、考えていることが固すぎて嫌なところもあるけれど、良い奴だと思っている。
人の為に自分が損な役目を買って出る奴に悪い奴はいないのだから。今の近況をあの友人と話したいな、呟く名前は質素な部屋にポツリと落ちた。
「愛音……今どこにおんねん」
翌朝、ミオぴーはソードフィッシュに連れられて、村から少し歩いた先にある森に来ていた。
ソードんはかなりのオタクらしく、〈エルダー・テイル〉をやりこんでいるように思えた。
ゲームでレベル上げが意味するところはモンスターを倒すことだと云うのは、ゲームをやったことのなかったミオぴーでさえ知っている常識だ。
だから気付くべきだったのだ。今から起こることが何なのかを。彼女は盛大に悲鳴を挙げていた。
「やーめぇ――っ!!」
コリー位の大きさの犬ー涎マシマシ可愛さゼローが物凄い勢いで追い掛けてくる。犬が苦手なのではない。
(コイツの目はアカン。食おうとしとるっ!)
「アカンアカンアカンっ! うまないってっ! 無理やってっ! ――ッ!」
飛び掛かってくる犬から守るように出した腕を噛み付かれた。けれど余り痛くない。予想以下の状況に少々戸惑っていると、横から強い声が掛かる。
「殴れっ!」
答えるように正拳を突き出す。犬に拳が当たった瞬間、乾いた破裂音が響く。犬は5mは後ろに弾き飛ばされた。
その犬の眼前にいきなりソードんが現れて、手に持ったナイフを突き立てる。間も無くして犬であったそれはキラキラと光るガラスの様にバラバラに砕けて消えて行った。
まだ手に残る正拳突きの感覚を思い出し拳を見やる。空手の試合でも感じたことの無い感覚に不思議を覚える。
すると目の前で犬にとどめを刺したソードんが顎に手を乗せて云う。
「〈冒険者〉の身体能力と云うところだな。明らかに異常にな力を行使出来ている。君の拳撃も〈武闘家〉の職業が恩恵を与えているらしい」
難しくものを云うことしか出来ないのか、とミオぴーは思うが、構わずソードんは続ける。
「それより一撃を食らっていたが、痛みはどうなんだ?」
「あー。それは、何や痛なかった。思ったよりもやけど。何や火の粉が当たった位? ……な感じ」
「緩和されていると云うことか。では死に至る一撃であったとしても、やはりそこまでの痛みは伴わない? ……いやしかし」
ソードんは一人ぶつぶつと呟いている。一向にこちらへ帰ってくる気配が無いので、森を少し歩いてみることにした。10mほど歩くと、また犬型のモンスターを見付けた。
一人で戦うのは怖いので、ソードんのところに戻ろうと振り返った。
するとそこには別の犬がこちらを見つめている。
「どうどうどう。ちょい待ちぃやな? な?」
待つわけもなく犬は襲い掛かってきた。
◆
この世界に来てから初めてとなる戦闘を終えたソードフィッシュは、現状の把握に勤める。
(私の攻撃はアイコン操作をしていなかった。にも関わらず戦闘行動が行使出来た。
しかし、相手の位置に一瞬で直進移動する転移魔法、〈ルークスライダー〉は視界にあるスキルパネルを意識する必要があった。
ここから導かれる答えは……特技と魔法では発動基準が異なると云うことか)
手にしたナイフを見る。合口八式 《あいくちはっしき》、製作級幻想アイテムであるこの相棒は、知り合いの鍛冶師にレベル80〈幻想級素材アイテム〉を渡し、高額な料金をもって生産されたオーダーメイドの武器だ。
性能はピーキーであり、使用者を選ぶ武器だ。と云うのも、この武器は筋力ステータスを著しく減少させる変わりに、使用者の知性を爆発的に上昇させる為だ。
だからと云って、メイジ系職業に人気があるかと問われれば、ない。
この武器のカテゴリーは刀剣であり、装備可能職は近接戦闘職のみだからである。
ソードフィッシュはステータス画面を確認し、サブ職業の表示を見る。
〈魔剣士〉と表示されたサブ職業は、長きに渡る〈エルダー・テイル〉の歴史においても取得方法が不明とされている称号系サブ職業だ。
このサブ職業である限り、その〈冒険者〉は全ての刀剣を装備可能となる。
サブ職業には様々な取得方法があり、多くのものはその取得方法が攻略サイトで紹介されている。
サブ職業の取得は、前提条件をクリアした際にアチーブメントとして解禁される。つまり、ソードフィッシュは、このサブ職業の取得方法を知っている。
(魔法職限定での自分より強い敵に対する白兵戦単騎撃破数100000。ひたすらコンバットメイジとして研鑽した結果――
合口八式を装備出来ている。サブ職業が与える影響もこの世界には適用されると云うわけだ)
撃破数100000は、普通の〈冒険者〉にとっては難易度の高いものではない。
しかし、そこに魔法職が、白兵戦となるとコンバットメイジビルドしか無くなり、あまりのマゾさから皆途中で投げ出すのだ。
延々と雑魚を倒し続ける〈BOT〉も、効率が悪くなることと、自分より強いと云う条件からは外れるのだ。
サブ職業は表示を隠せる訳でもなく、その存在だけは知られる様になった。数多くの「質問者」や「ストーカー」も現れたが、元々ギルドにも属していない私は、ただそれらを〈ブロック〉するだけだった。
(自慢するのは性分ではないし、こう云った未知の発見をしていくこともまた、ゲームの楽しみ方だと理解しているからな。謎のままでいいんだよ)
そんな事を思い出し〈ブロックリスト〉を表示する。数百人はいるだろう名前にさっと目を遠し閉じる。
リストの活用度は日本サーバ随一だろう。などと考え、メニューを全て閉じ思考を戻す。
(この世界の情報、仕組みについてもっと知らなければならないな。現実世界でどうなっているのかも解らないのだから)
後一つ気付いたことは、〈エルダー・テイル〉では数時間だった一日が、現実のそれと同じ位に延びていると云うことだった。合口を腰のホルダーに戻し、辺りを見渡したところで彼女がいないことに気付いた。
(まだレベル1なのに何を考えている……)
はぐれるわけにも行かず、マップを確認する。数百m先の場所にいるようだ。しかし、移動が速い。恐らく走っているだろう彼女に追い付く為、森の中を駆け出した。




