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7.Unexpected ending(予想外の結末)

 ずっと誰かが僕に向かって囁き続ける。声の主を頭の中で変換するのに手間取り、目の前にはぼやっとした幻影だけが映し出される。

「・・・・・・ん?」

 囁き続ける声が止んで、辺りがシーンとなると、僕はそこで目を覚ました。あまりに物静かだったので、耳鳴りがする。

「・・・雅治、大丈夫か!?」

 すぐ横にいた人影が、僕の顔を覗きこむ。その人影が誰か判別するまで、ちょっぴり間が空いた。

「・・・魎?」

「どうしたんだよ?!襲われたって聞いて駆けつけてみたら・・・この村に来て、早速誰かに妬まれてるのかよ!?」

 魎は僕が体を起こすや否や、僕の両肩をがっしり掴んで、矢継ぎ早に質問をぶつけてきた。

「ま、待って。まだこめかみ辺りがズキズキする・・・」

「ああ、すまない・・・」

「うぅ、ここに来てもう2回目だよ、所長を務める診療所のベッドで2回も寝そべる羽目になるとは・・・1回目に事故った時とは違う感覚。」

「・・・一応俺だって警官だ。お前のダチでもあるが、話を聞かせてもらうぜ。」

「ああ、いいよ。頭痛も大分楽になったし。」

 実はちょっぴり鈍痛が残っているが、そこから事情聴取というものが進んでいく。とはいえ、殴られたせいで記憶が曖昧で、魎がいう現場検証の結果とも噛み合わない。

「・・・通路にいた?お前、それ、マジで言ってる?お前が倒れてたのは処置室だぞ?」

「処置室?何で僕がそこにいたのさ?」

「それは俺が聞きたいよ。しかも、地下1階に通じる階段は鍵がかかってて、通れないんだけど?」

「おかしいなぁ。確かに僕は地下1階の通路にいたはずなんだけど。」

「ん~、その様子は嘘じゃなさそうだな。じゃああれは?血のついたナイフ。」

「ナイフ?メスじゃなくて?」

「・・・かもな。俺、医療器具はよく分からないんだわ。」

「あっ、そう。」

「それもお前の傍に転がってたぞ?でもお前、刺されてはないんだよな?」

「うん、殴られただけ。」

「襲われたときに、抵抗した記憶とかあるか?」

「どうだろう・・・僕は刺されてないし、誰かを刺した覚えもないから・・・」

「・・・困ったな。これだけ記憶障害があると何も」

「記憶障害って言い方、やめてくれる?しかも本人の目の前で。」

「あ、ああ、すまないすまない。そんなマジで怒るなって。」

「それはこっちの台詞だよ!思い出せないことだってあるのに根掘り葉掘り・・・あいててて・・・」

「大丈夫か?無理させたなら出直すぜ?」

「だいたいお前、菘さんとかに許可は取ったのか?」

「特に重傷じゃないって言ってたけど?」

「そうか・・・あれ、そういえば菘さんは?」

「お前が倒れてるって通報してから午後の診療をやってる、って水穂ちゃんから聞いたけど?」

「え!?」

 それを聞いてはっと我に返る。腕時計を見ると、午後5時45分。もうすぐ午後の外来受付も終わる時間だ。

「あっちゃー。仕事全部押し付けちゃったよ・・・」

「怪我人が無理すんなって。いち早く通報と処置してくれたことも感謝しとけよ?」

「余計なお世話だよ!」

「あははは!これ以上逆撫でしちまう前に退散するか。また後で来るよ。そのときには、色々話、聞かせてもらうぜ?」

「それはいいけどお前、仕事は平気なの?」

「この時間は観光客も皆帰っちまってるし、定時巡回まで時間もある。心配すんなって。」

「ああ、それを言ったら、僕も心配かけたよ、ごめん、怒っちゃって。」

「いいって。じゃ、また後でな!」

「ああ!」

 一人病室に置いていかれる。窓からは暖かさを増してきた夕日が差し込む。夏が近づいているのか。

 ここに来て1ヶ月。この村に馴染んできてはいるが、まだ謎めいた点は多い。排他的な晴子の性格もそうだし、施錠されていて僕が襲われた地下空間。それを言ったら、初日に村を回っている間に感じた違和感は、どれも如何わしい。

 ・・・やめよう。馴染むことに精を出さないと。馴染まなければならない村に対して、疑心暗鬼になっては、診療所の所長として仕事をすることにも支障を来す。やっぱり、最初のうちは受容的になって、様子見するしかないのだろう。

 頭痛がひと段落したので、体を起こし、階下へ向かった。もうすぐ午後の受付が終わる時間なので、静まり返っている。

「誰かいない?」

「はい?」

 受付の机の下からひょっこりと顔を出したのは、水穂ちゃんだった。

「ま、雅治さん!?ダメですよ、動いちゃ!」

「いや、それどころじゃなくて来たんだけど・・・」

「午後診療は私たちだけでやり繰りしたから、雅治さんはゆっくり休んで!」

「大丈夫、もう痛くないから・・・それより、菘さんは?」

「休憩中。多分家で晩御飯でも食べてるんじゃない?」

「もうそんな時間か・・・」

「晩御飯、どうする?患者さん用の食事なら作るけど?」

「いや、いいよ。外で食べてくる。」

「・・・そう、分かった。魎が来るまでに帰ってきてよ。20時くらいって言ってた。」

「20時ね。了解。」

 実際に頭痛はないし、視界もクリアだし、真っ直ぐ歩くこともできる。強いて言えば、額に大きな瘤ができてしまったくらい。包帯で隠しているが、簡単に感づかれそうだ。

 僕は一体、誰に、なぜ殴られたのだろう。疚しいことをしたつもりはない。いや、鍵のかかった地下1階には足を踏み入れたが、僕はあそこの所長だ、入る権利だってある。じゃああそこには番人のような者がいるのか?それとも、中途半端な施錠だったから、空き巣か誰かとばったり出会ってしまったのだろうか?・・・どの道、謎がまた一つ増えた。これだけ増えると全部でいくつあるのか分からなくなりそうだ。

 いつしか空は暗くなってきた。日が暮れてきたというのもあるが、月も星も見えない。分厚い雲が広がっているようだ。このまま雨になったらちょっと憂鬱だなぁ。

 夜になると、昼間のような賑わいは消え、風の音と、遠い向こうの海岸線から聞こえてくる波の音が、やや距離のある神社前まで響いてシンクロし、体の中に沁みこんで行く。自然と直に触れ合ったことがないから、途轍もないほど新鮮で心地いい。早いとこ引越しの準備を進めよう、なんて考えていたりいなかったり。

 それ以外の音も聞こえてくる。近いところからは、車やバイクのエンジン音。遠くからは、船の汽笛や飛行機のエンジン音。まあ、これらの音は東京でも普通に聞けるけど。

 昼間も来た喫茶店に、再びやってきた。ディナーの時間だが、客は朝や昼間よりはまばら。観光客はほとんどいないし、地元の人たちも各々の家庭で食べることが多いのだろう。ちらほらいる利用客も、大半は食後のデザートなんかを嗜みに来ている人たちだ。

 二人掛けのテーブルに着くなり、汀ちゃんがお冷を持ってきてくれた。入れ替わり立ち代りで、大柄な人影が横に立つ。

「お前、俺の存在に気付かなかったのかぁ?」

「・・・あれ、海斗、いたんだ。」

「いたんだ、じゃねーよ!普通気付くだろ?!」

「ごめん、全く気付かなかった。」

「かー・・・俺って影薄いのかな?」

「図体はデカいのに?」

「それな。はぁ・・・このギャップに悩んでんだよ・・・」

 海斗はいくらかぼやくと、無言で僕の向かいに座った。

「ここで晩飯?」

「ああ、今日はちょっと疲れたから、飯作る気になれなくてよ。」

「何したの?村内一周ランニングとか?」

「それはそんなにしんどくないんだけど・・・」

「しんどくないんだ!?」

「まあな。それより今日は、ガス漏れ3件、小火が1件、急患搬送が1件。狭い村だっつーのに、忙しくなったもんだよ。」

「高齢化も過疎化も進んでるしね。その辺はこれからもっと忙しくなると思うよ。」

「お、カッコいいこと言うじゃん!」

「もー、そんな風に茶化して。」

「ははは!」

 実際、日本は高齢化が進んでいる。数少ない若年層も都会へ出てしまうため、村落などでは必然的に過疎化も進んでいく。そこでは高齢化が他の地域よりも顕著になり、やがては村落などの運営・居住は不可能になる。それに比べたら、この辺は若い人も多いから、廃村になってしまう危険性は孕んでいないのかもしれない。この村を治める村長の晴子、駐在員の魎、消防隊員の海斗、郵便局員の魅鳥ちゃん、神社の巫女の風香ちゃん、喫茶店店員の汀ちゃん、そして僕ら診療所職員。いずれも若手ばかりだ。村には珍しく、外部から若年層が引っ越してきているという話も聞いている。この村が潰えるオッズは、他の寂れた村と比較したら低い方だろう。

 黙々と二人で夕食を食べていると、海斗が口を開いた。

「この村に来てからどうよ?」

「いろいろ大変だよ。やっとのことで出雲に抜ける一本道が通れるようになったけど、行き帰りも大変、ご年配の方々の方言も大変。今日なんか診療所で殴られてさー。」

「・・・あ、本当だ、包帯してる。」

「20時に魎が来て、話を聞かせなきゃいけないんだ。」

「何?喧嘩でもしたの?」

「違うよ、襲われたの!」

「襲われた!?」

「ちょ、海斗、声デカい。皆見てるよ。」

「あ、ああ、すまない。」

「強盗だったとしても、午後は通常通り診療してたって言うから、何も盗まれてないんだろうけど、何だったんだろう、僕を殴るだけ殴って逃げるなんて。」

「俺はその辺詳しくねーけどさ、来て早々誰かに襲われるって、お前それは相当まずいことをしたんじゃねーの?」

「まずいことって何さ?」

「だから詳しくは知らねーって。」

「僕は至って普通の医者として過ごしてきたに過ぎないけど?何が誰かの癇に障るようなことなんだよ?」

「俺は、雅治って敵対意識とかなさそうだから、誰かに憎まれたりはしねーだろうなって思いたいけどさ。現に襲われてるんだろ?だとしたら、何か疚しいことをしたんじゃねーかっていうのは、自然な推理じゃねーか?」

「何、禁忌を犯したとか?そんな神聖な場所なのか?」

「一応神社もあるし、守り神ぐらいいてもおかしくはねーけどな。」

「とにかく、何があったかはこれから調べてみるつもりだよ。そうでもしなきゃ、僕の心が休まらない。」

「あ、そうだ。お前、この村に引っ越す予定なんだって?」

「え?誰にそれを?」

「水穂から聞いたよ。知ってるか?俺と水穂の仲。」

「知らないよ。遊んでいるところを見たわけでもあるまいし。」

「数少ない休みの日には、一緒にどこかに行く仲なんだぜ。」

「はー、さぞかしラブラブなんだろうな。」

「おいおい、余談だよ、悪かった。そんなに拗ねるなって。」

「僕は別に拗ねてねーし!」

「雅治も声大きいぞ。もうちょっとトーン抑えて。」

「とにかくね、出雲からの移動も大変だし、貯金にも余裕があるから、第二のマイホームを探してるってわけ。守崎に新築物件がいくらかあって、今度モデルルームとか行ってみようと考えてるところ。」

「新しく買うくらいなら、俺の家に来いよ!部屋空いて」

「いや、結構。僕、結構面倒くさい人間だよ?」

「そうかぁ?こうやって一緒に飯食うくらい、どうってことねーだろ?」

「そうかもしれないけど。」

 海斗と同棲・・・考えただけで悪寒がした。するなら水穂ちゃんとしろよ。

「僕、もう戻らないと。魎が待ってる。」

「じゃあ、俺もお供させてもらうぜ。」

 二人で会計を済ませ、店を後にする。外は真っ暗になっていて、弱々しい街灯の明かりがアスファルトを照らすだけ。

 それもあってか、横にいる海斗の存在感が途轍もなく威圧的に感じられた。身長は2メートル近くはあるだろうし、分厚い胸板を見ると、まさに巨漢。ボディーガードにしたら心強そうだ。

「じゃ、僕はここで。」

「おう、がんばれよ!」

 海斗とは神社の境内で別れた。夜になるとシーンと静まり返り、木々のさざめきと動物の鳴き声だけが響き渡る。提灯のやんわりとした明かりに照らされた朱色の社殿は、それだけで厳かな雰囲気を醸し出す。

「ご参拝ですか、雅治さん?」

「わっ!」

 後ろからいきなり声をかけられた。少なからずトラウマを覚えていた僕はそれに過剰にビクつく。振り返ると巫女服を着た風香ちゃんが立っていた。

「う・・・うん、夜の散歩の帰りに通りかかったから。」

「この村にはもう慣れましたか?」

 この質問、今日だけで何回目だろう。

「うん、おかげさまで。それより、気になったことが2つあるんだけど。」

「何でしょうか?」

「こんな時間もバイト?」

「助勤って言うんです。もう少しで今日はおしまいですが。」

「それと・・・その・・・・・・腕、触ってもいい?」

「えっ!?・・・か、構いませんが。」

「そんな、あの、厭らしいことじゃないから。一瞬だけ。」

 恥ずかしそうに差し出した風香ちゃんの腕を握る。ちょっと力を込めたら折れてしまいそうな、細い腕だった。

「・・・大丈夫だね。」

「何がですか?」

「いや、前回同様、いきなり声をかけてきたから、幽霊なんじゃないかと・・・ってそんなわけないよね、僕の勝手な被害妄想だよね?」

「お祓い、しましょうか?」

「え、僕、何かに取り憑かれてる?」

「いえ、随分疑心暗鬼になっていらっしゃるなって思ったものですから。」

 あながち間違いではない。診療所で襲われて以降、周辺人物に対して違和感を覚える。向こうとしては普通に接しているつもりなのだろうが、襲われてから、ある種の固定観念というか、トラウマのようなものが植え付けられてから、それすらも僕にとっては精神的に辛いものがある。それを負担と感じ取ってしまうから、自然と当たりが強くなってしまうのだろう。それだと信頼関係を一瞬でぶち壊しにするようなことをしでかしそうで、自分が怖い。もう少し慎重に、落ち着いて考えないと。

「じゃあ、お守りか何か買っていこうかな。売店はどこ?」

「こちらです。」

 数多く置いてあるお守りなどの縁起物。開運除災か無病息災かで迷っていると、カウンター越しに風香ちゃんが痛烈な一言を浴びせた。

「今年は運がないんですか?」

 こ、こんな一言はないだろ・・・悔しすぎて逆に苦笑いしてしまう。

「いや、今年は厄年でも何でもなかったはずなんだけど・・・」

「厄除けのお守りじゃなくて、家内安全のお守りとかはどうですか?」

「僕、一応独り身なんだけどなぁ・・・」

「あ、失礼しました・・・」

 これまた痛烈。顔から火が出るのを苦笑いで必死に隠す。結局僕は、開運除災のお守りを買うことにした。これなら厄除けにもなるし、運勢も上がるかな、と思ったからだ。

「あの天照大神にご利益をお願いしたんだけどなぁ・・・さらにお守り持ったら、一体どれだけ神頼みすることになるんだろう?触らぬ神に祟りなしって言うのに。」

 僕が代金を払いながらそう呟いた。半分愚痴になっているのを察したのか、風香ちゃんはこうアドバイスしてくれた。

「時期尚早なだけじゃないですか?もう少し待ってみれば、必ず神様は答えてくれます。雅治さんにご利益があるように、私の方からもお祈りしておきますね。」

「そうか・・・そうだよね、運に見放されたわけじゃないよね。励まされたよ、ありがとう!」

「はい、またおいでください!」

 天照大神にお参りしたことについて、思い出したことがある。それは、天照大神の弟でもある素盞鳴尊(スサノオノミコト)のところに、まだお参りに行っていないことだ。あの日は確か、強風に阻まれたんだっけ。

 思い出したように、辺りが急に冷えてくる。前ほど風は強くなかったので、石段を駆け上がり、素盞鳴尊が祀られている社殿の賽銭箱の前に立つ。もしかして、もうお守りの効果が発揮されてる?

 ちょっとした高揚感から、財布の中から10円玉を取り出したつもりで100円玉を取り出しても、何とも思わずに賽銭箱に放り込む。そして両手を合わせて目を瞑る。天照大神にはご利益を、さっき買ったお守りにはご加護をお願いしてある。あと何かお願いすることってあるか?お慈悲?恋愛成就?何を考えているんだろうと思いつつ、しばらく瞑想していたときだった。

「・・・面目ない。」

 ・・・・・・え?

 今、何か聞こえたか?

 はっとして目を開き、周囲を見渡すが、誰もいない。風来坊の風香ちゃんでさえいないし、人の気配もない。じゃあ、今僕に囁きかけてきたのは、誰だ?

「気のせい・・・じゃないよな?」

 もう一度お祈りしてみる。両手を合わせ、目を瞑り、暗闇の中のあるはずのない一点に集中して・・・

「・・・良きに計らえ。拙者は待ち続ける。」

 また聞こえた。って、ちょっと待て。何だ、この武士っぽい言葉は。神様の言葉じゃない、よな。死んだ武士の霊?それとも武士の神様でもいるのか?僕の目の前にあるのは素盞鳴尊の社殿。スサノオノミコトって、何の神様だ?まさか、戦の神様だったりするのか?いや、日本神話に戦のシーンなんか、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を討つシーンくらいしかなかったよな・・・じゃあ、この声の主は何だ?まるで菅原道真の祟りに直面した醍醐天皇の気分だ。

「僕に君の声が聞こえるのなら、君には僕の声は聞こえるのか?」

「・・・・・・」

「聞こえるなら答えてくれ、君は誰なんだ?」

「・・・・・・」

 背中に何か冷たいものが当たる。再びはっとして振り返るが、やはりそこには何もない。

 ・・・顔や手にも冷たいものが当たる。見るとそれは水滴だった。空を見上げると、灰色の雲が空を覆っていた。・・・雨か。雨具を一切持ってきていなかったので、駆け足で診療所まで戻った。

 診療所の面接室では、既に魎が待っていた。20時を過ぎてしまっている。満はさすがに帰っている。

「ごめん、待たせた?」

「ったく、あと少し降りだすのが早かったら危なかったぜ。」

「ごめん・・・」

「まあいいや、こっちだってねちっこく質問攻めして嫌われたくないし、サクッと終わらせようぜ。」

 菘さんが面接室に入って、ドアを閉めた。菘さんも立ち会うんだそう。

「聞きづらいけどさ、記憶は大丈夫なのか?」

「多分平気。頭痛もないし。何でも聞いて。」

「じゃあ、お前が襲われるまでの経緯は?」

「えーっと・・・」

 所々断片的に忘れている点はあったが、大事なことはしっかりと覚えていた。施錠された地下1階に向かい、鈍器のようなもので殴られたこと。持っていたメスで図らずも切りつけてしまったこと。

 しかし、どうも菘さんと魎の表情は晴れない。なぜなら、僕と彼らとの間で、話が噛み合わないからだ。

「菘さんが第一発見者らしいけど、お前はその地下1階の通路で倒れてたって言ってたよな?」

「それに関しては間違いない。」

「でも菘さん、雅治が倒れていたのは、処置室なんだよな?」

「そうよ、血のついたメスを片手にうつぶせに倒れて、こめかみから若干流血してたわ。」

 おかしい。あそこで襲ってきた奴がその後どうしたかは分からないが、僕は地下1階の通路で意識を失い、その場から動くことはできないはずだ。それなのに僕は処置室で見つかり、しかも聞いたところによると、僕が入っていったドアも鍵がかかっているということだ。

 誰かが、現場を操作した。その考えが頭に浮かんだが、おそらく、そんなの誰も信じてくれないだろう。監視カメラがあれば話は早いのだが、辺鄙な村の公民館に併設された診療所に、そんなものはない。

 僕は被害者でありながら、濡れ衣を着せられた加害者のような気分だ。辻褄は合わないし、僕の話も現実味を帯びていない。目の前にいる魎と菘さんは、味方のはずなのに、僕は一人、疎外感と孤立感に苛まれていた。そのせいか、取調べ中の記憶も曖昧である。


 ゴトッという重い音が、誰もいない静かな村の夜の闇に響き渡る。

「よっこらしょ。」

 ウンディーネの持っている桶には、日本酒がナミナミと注がれていた。

「ふぅ、これ運ぶだけで汗が吹き出てくるわね。」

「大丈夫?あと全部、俺がやっておこうか?」

「平気よ、どうせあと5つでしょ?それくらいヘッチャラよ。」

「ふーん。」

 二人は交互に、日本酒の入った桶を8つ、民家を囲うように並べた。

「こんなのでうまく行くのかしら?」

「聞いた限りじゃ、正攻法だとどうにもならなそうな相手だし、ここは姑息な手段に出るしかないだろ。」

「にしてもすごいアルコールの匂いね、こっちが酔いそう。」

「これなら平気だろ。」

 桶に入っている日本酒は、どれもアルコール度数の高い、つまり強めの酒だ。これで酔わせてズタズタにしてやろうっていう作戦らしいが、果たしてうまく行くのか、大いに疑問ではある。

「さてと、後は来るのを待つだけね。私、先にお風呂に入ってくるね。」

「おう。ゆっくりしてな。」

 一人残されたスサノオは、セッティングが完璧なのを確認し、家に入った。裏口近くの流し場では、クシナダヒメが食器を洗っていた。その健気さに惹かれ、自然とクシナダヒメの傍まで歩み寄る。

「手伝おうか?二人でなら捗るぞ?」

「いいですか?じゃあお願いします。」

 そこから二人で黙々と食器洗いを続けた。時折ドジって食器を落としたりすると、二人で笑いあう。それが終わると、狭い部屋で蹴鞠や歌詠みで意気投合した。

 どれくらい経った頃だろうか。スサノオが大きな欠伸を一つすると、クシナダヒメははっとしたように外を気にし始めた。

「・・・気になるか?」

「・・・はい。」

「・・・怖いか?」

「・・・はい。」

 そりゃそうだ。何度か見たことがあるから。次は自分の番と分かっているから。これほど気が滅入ることはない。いや、滅入るどころか、怖すぎて発狂するかもしれない。

 何とか守り抜きたい。その前に、怖がっているクシナダを落ち着かせたい。何か自分にできることはないか?必死に何度も考えて、

「大丈夫、俺たちがいるから。」

 と言って、小さな体を抱きしめた。するとクシナダは、堰を切ったように感情を露にし出し、スサノオに抱きついたまま号泣し始めた。

「・・・あ、そうだ。もし俺たちの作戦が失敗しても、お前がすぐに見つからないようにしてやろうか?」

「え?どうやって?」

「そうだな・・・名前がクシナダだから、櫛にでもするか?」

「・・・気付かれなさそうですか?」

「誰だって櫛を食おうなんて考えないだろ?」

「そうですね・・・じゃあ、お願いします。」

「行くぞ。」

 指をパチンと鳴らすと、クシナダヒメは眩い光に包まれ、櫛になった。スサノオはそれを自分に髪に差す。

「これならバレない。」

 これは保険に過ぎないが、準備は万端だ。いつでもかかってこい。


 島根県の県庁所在地、松江市。

 夜でもビルの明かりが照らす市街地の中心に、島根県庁はある。

 時計は21時前になろうとしているが、島根県知事の大森(おおもり) 能久(よしひさ)は、まだ県庁の知事室にいた。机の上のインターホンが鳴り、それに答える。

「・・・社不知村長の神村様がお見えです。」

「通してくれ。」

 通してくれとは言ったものの、すぐに席を立ち、ブラインド越しに空に浮かぶ月を眺める。満月を過ぎて間もない頃の中途半端な形だった。しかしその月も、しばらくすると分厚い雲に隠れてしまった。今夜は荒れるだろう。

 後方のドアがノックされ、「入れ」と言うと、

「失礼します。」

 社不知村村長の神村晴子が入ってきた。

「夜分遅くに申し訳ありません。緊急の報告があって参りました。」

「電話では邪魔が入ったとか言っていたな。詳細を聞かせてもらおうか。」

「はい。診療所の地下に侵入されました。」

「相手はあの青二才か?」

「青二才?」

「新しく診療所の所長になった奴だ。」

「はい、左様でございます。」

「そうか・・・」

「・・・・・・え、それで終わりですか?」

「別に気にすることでもなかろう。いつかはバレると覚悟していた。で、お前はそいつに鉄拳制裁の一つや二つ、したのか?」

「闇討ちを試みましたが、この様です。」

 そういって上着の袖を捲る。その腕には包帯が巻かれていた。

「さすがにそれぐらいじゃあ懲りないだろうが、殺してしまったらそれはそれで厄介だ。引き続き、監視を続けたまえ。」

「分かりました。」

「・・・・・・そいつはあの地下に何があるか、知らないのか?」

「えっ?・・・・・・おそらくは知らないかと。」

「あそこに封じ込められているものは、外へ出ようと常にもがいている。迂闊に近づけば危険だ。あそこには近づかせるな。お前もなるべく近づかないほうがいい。難しいことを言っていると思うが、あそこに封じ込められているものが放たれれば、収拾がつかなくなる。あの村に、いや、この世界にあってはならない存在が、そこら中に溢れかえることになるだろう。それだけは避けたい。しかし、あそこのセキュリティは脆弱だ。こちらでいくらか援助をして、セキュリティの強化を」

「大森先輩、教えてください。あそこには・・・何があるって言うんですか!?」

「・・・・・・・・・・・・」

「彼は好奇心がある以前にあの診療所の所長です。またあの地下に入るかもしれません。それを止めるなんて・・・私には、荷が重過ぎます!」

「・・・・・・・・・・・・」

「大森先輩も、この重責から逃げたかったんでしょう?だから社不知を去り、島根県知事になった。そうでしょう?」

「・・・・・・・・・・・・あそこに封じ込められているものとは、魔物だ。」

「・・・ま、魔物?」

「一言で括ればな。どうやらあの辺りは異次元空間と繋がる何かがあるらしい。それをあの地下空間で封じ込めているのだ。それとは知らずに好奇心でその封印を解こうものなら、人類は終焉への一途をたどることになる。」

「そんな・・・そんなものが?」

「とにかく、県側としてもバックアップを強化させるつもりだ。それまで何とか持たせてくれ。お前のその執着心なら、どうにかなると信じている。よろしく頼むぞ、神村。」

「・・・はい。失礼します。」

 後味は完全に悪くなってしまった。そそくさと県庁舎を後にし、駐車場から自分の車を出す。松江から出雲まで高速道路を走り、出雲の市街地を抜け、社不知村へ伸びる海岸沿いの一本道を走る。途中から大雨になり、視界は最悪。慣れている道とはいえ、前方がほとんど見えないので、そのハンドル捌きは覚束ない。

「あっ!」

 水溜りにハンドルを取られ、車がスピンし始める。一回転するとガードレールにぶつかり、車体をガードレールに擦りながら後ろ向きに進む。ブレーキを一気に踏むと、車はやっと止まった。

「何なのよ・・・」

 シートベルトを外し、車外に出て状況を確認しようとしたときだった。

 ガコッという音を立てて、車の寄りかかっているガードレールの支柱が、根元から外れたのだ。それに釣られて、晴子の乗った車が崖の方へ傾き始める。

「うわっ!?」

 ドアに体をぶつけた拍子で、ドアが開いてしまい、一瞬にして晴子は宙ぶらりんになってしまう。

「う、嘘でしょ・・・こんなのって!」


 縁側で満月を眺めていると、背後からドタバタと慌しい音が聞こえてきた。

「ね、ねえ、クシナダちゃん、どこ行ったか知ってる!?」

「ああ、見つかったらまずいかと思って、櫛に変身させたけど。」

「何だ、びっくりさせないでよ・・・」

「お前が勝手にビックリしただけだろ?」

「うるさいわね!そっちだって勝手に変身なんかさせ」

 会話の最中にドスンという地響きがあった。

「え、何?」

「ついに来たか?」

 スサノオは長い剣を携えて玄関の方に向かう。遠くの方に巨体を揺らしながら近寄ってくる大蛇が見える。あれか?

 玄関の物陰に隠れて、気配を消す。その間にもその足音は少しずつ近づき、やがて玄関前に・・・あれ?

 足音は玄関を通り過ぎていった。確認のために顔を出す。家の周りに並べてある桶には、まだ日本酒がたっぷりと入っていた。どういうことだ?作戦失敗か?

「きゃあああぁぁぁっ!!」

 縁側の方から悲鳴が聞こえてくる。まさか、ウンディーネのいる方に!?

 しかし、案ずるのも束の間、奥からウンディーネが走って玄関まで来た。

「どういうことなのよ!?あんたの作戦、失敗してるじゃない!!」

「甘く見すぎていたか。お前も美人だからうまそうに見えたんじゃないのか!?」

「美人だからって食べられたくないわよ!!ちっとも嬉しくないし!!」

「困ったな。何とかしてお前の存在を隠さないと。見られてるんだろ?」

「だって目が合ったもん。心臓止まるかと思った。」

「くそっ、嗅ぎ付けられないようにしねーとな。」

 玄関から家の中に入り、あちこち探し回る。その間にも家の外には大蛇が歩き回っているから、窓の近くでは身を屈める。食器や壺、桶などはたくさん見つかるが、どれもウンディーネが入れるとは思えない。

「・・・うぇっ、臭っ。」

 ウンディーネが台所の傍にある樽を開ける。中には糠漬けが入っていた。

「この中に入るしか、ないわよね?」

「しばらくの辛抱だ。そこにいろ。」

「分かったわ。」

 糠漬けの入った樽にウンディーネが身を隠したのを見届け、スサノオは臨戦態勢に戻る。外にいる大蛇は、ようやく美女を諦めたのか、それとも桶に入った日本酒に気付いたのか、8つの頭をそれぞれの桶に突っ込み、がぶ飲みしている。窓辺からそれを見ていると、数分でそいつが泥酔していることに気付く。スサノオが姿を現しても、気付く素振りを見せないどころか、そのままウトウトと寝始めた。今しかないと思い、持っていた剣で滅多打ちにする。

「おりゃっ!おりゃあっ!!」

 8つの頭を切り落とし、胴体もズタズタに切り刻んでいく。辺り一面、真っ赤な血の海と化していた。

 最後に尾を切り落とそうとしたときだった。既に息絶えていたが、持っていた剣を振り下ろすと、硬いものを叩く感覚があった。おかしいと感じて何度か振り下ろすと、ついに剣の先端が折れてしまった。

「何でだ?」

 尻尾の皮を剥いで見ると、中に煌くものが見えた。引っこ抜くと、それは立派な太刀だった。

「折れた剣の代わりに使えそうだな・・・」

「何それ?」

 糠漬けの樽から脱出したウンディーネが近寄ってくるが・・・

「お前、すっげー米糠臭いぞ、もう一回風呂入ったら?」

「分かってる。後で入るわ。それより・・・」

「ん?」

「ありがとう、助かったわね。」

「気にするなよ。あ、あとこいつも。」

 髪に差していた櫛を外し、指を鳴らして元に戻す。

「・・・助かったのでしょうか?」

 クシナダだ。さっきと全く変わっていない。

「そうよ。私たちは助かったの!」

「ありがとうございます!助かりました!!」

 寝ていた老夫婦も寝床から這い出し、玄関に出てきた。

「こりゃ一体!?」

「何と言うことだ・・・」

 二人とも、その死体と鮮血に驚いているようだ。二人は腰を抜かしながらも、真っ直ぐに立ち直った。

「ありがとうございます。うちの一人娘が助かりました。」

「なんとお礼を言ったらいいか・・・」

「いやいや、礼には及びま」

「じゃあ、一つだけ、わがまま、聞いてもらっていいか?」

「何でしょう?」

「何でもおっしゃってくだされ。」

 スサノオはそういうと、クシナダヒメをじっと見つめる。

「俺は、お前が好きだ。結婚してくれないか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 周囲が凍りつく。いきなりすぎる提案に、誰も、何も口出しできなかった。

「構いませぬぞ。」

「本当にお世話になりましたから、うちの一人娘、大事にしてくださいな。」

「・・・フッ、よかったじゃない、結婚おめでとー。」

「いや、照れるなぁ。ありがとう。ウンディーネ、お前、まさか泣いてる?」

「うん、怖かったから。」

「本当に?」

「本当よ。お二人は仲良く、この辺りで添い遂げればいいわ。私は先に帰ってるわね。私の居場所はここじゃないから。またいつでも戻ってきてね。」

「待ってくれよ、ウンディーネ!」

「気安く呼ばないで!あんたには・・・クシナダちゃんしかいないはずよ!」

「そんなこと言うなって。この剣、あげるからさ。」

 スサノオがウンディーネの肩に手をかけたとき・・・

 バシッ!ビンタの音が山麓の村に響き渡る。

「私ね、今凄く清々しい気分なの。頭から水かぶっても味わえないくらいのスッキリ感を味わってるのよ。それなのに、まだ未練を残らせるつもり?!」

「・・・・・・・・・・・・」

 すっかり感情が崩壊してしまったようだ。ウンディーネは観念したようにうな垂れると、スサノオに抱きつく。

「助けてもらったことは本当に感謝してるわ。せめて私のことだけは忘れないでね。それじゃ、末永くお幸せに。・・・また会えたら会おうね、スサノオ君!」

「・・・・・・・・・・・・ああ。お前こそ、元気でなー!」

 ハッピーエンドのはずの日本神話の、想像もしなかった幕切れ。世の中と言うのは、実に理不尽なものなのである。


「・・・この話、もう何回目だよ!?」

「埒が明かねーな、このままじゃ。」

 取調べは2時間以上も続いていた。僕も魎も嫌気が差してきたし、菘さんに至っては壁に寄りかかりながらうたた寝している。

「嘘をついているようには聞こえないし、俺もお前の意見を尊重するよ。とにかく、これからこの診療所にもたまに来させてもらうから、そのときは頼むぜ。」

「ああ、分かったよ。よろしく。」

「・・・ん?話はついたの?」

「ああ、一応ね。」

「定時巡回のときにお邪魔させてもらうわ。じゃ、俺はこれで。」

「じゃあね。」

 魎が帰り、診療所も閉める時間になった。

「・・・じゃあ、何かあったら電話して、なるべく早く駆けつけるから。」

「出雲からどれくらいかかるの?急患が来て持てばいいけど。」

「だから、なるべく早く駆けつけるって言ってるんじゃん。具体的な数字は言えないよ。」

「分かった。さ、帰りましょう。」

 菘さんと二人で診療所を出る。僕は公民館の駐車場に止めてある車に荷物を載せる。

「こっちに引っ越してくる話はどうなったのかしら?」

 菘さんが話しかけてきた。僕は車に寄りかかりながら話をする。

「一応、この辺の新築物件にいいのがないか探してるところ。引っ越すのは大分先になりそうだな。」

「そうなの。」

「実際、出雲に引っ越してくるときだって、手続きとかが大変で、何ヶ月も前から準備しないといけなかったから。いきなり引っ越すって話になっても、そう簡単にはいかないと思う。」

「そうよね。じゃあ、話がまとまったら教えてよ。」

「分かった。」

「それじゃあ、また明日、会いましょう。」

「うん、お休みなさい。」

 菘さんが住宅街方面へ歩いていくのを見やり、僕は車に乗り込んでエンジンをかける。先日修理を終え、エンジンもスムーズに動くようになった。車を動かし、駐車場を出て、海沿いの一本道に入る。

 なだらかな道で、車通りも少ない。ぼーっとしているとまどろみに呑まれそうだから、より一層注意しないといけないと思う。

 この日も再び、目の前にはっとするものが見えた。海側のガードレールに後ろから突っ込み、こっちにケツを向けている乗用車が1台止まっていた。

「あ、事故ったのか?」

 僕は近くに車を止め、素早く事故車両の方に向かう。

「うう・・・ん!」

 どこかから人の声がする。ガードレールから身を乗り出すと、ドアにぶら下がった晴子が見えた。

「晴子!?おい!大丈夫か!?」

「ま、雅治!?た、助けてっ!」

「ちょっと待ってろ!」

 車は外れたガードレールに引っかかっている。体を乗り出して引き上げるのは難しい。一番手っ取り早いのは、助手席側から車内に乗り込み、手を伸ばす方法だろうか。バランスを間違えると、車ごと一気に落ちてしまう気がして怖かった。ぶっちゃけあまり感じが良くなかった晴子だったが、このまま見殺しにするのは僕の善意が許さなかった。

 気がつけば、僕は助手席のドアをこじ開け、助手席のシートに足をかけ、手を伸ばしていた。

「届くか!?」

 両手でぶら下がっているうちの右手を恐々と外し、こちらに伸ばすが、あと少し足りない。

「ダメ、怖くてこれ以上は伸ばせないっ!」

 僕だって怖い。車ごと落っこちてしまうかもしれないからだ。仕方なく、運転席のシートと助手席のシートに跨るように寝そべり、手を伸ばす。シフトレバーを両足で挟むようにしていた。

「頑張れ!」

 ガタッという音とともに車が大きく揺れる。僕は心臓が飛び上がるのを感じた。ただただ、怖くて仕方がなかった。衝動的に体を一気に乗り出し、伸びかかった右手を引っつかむ。そして、形振り構わず引き上げる。体を後ろにスライドさせ、晴子の上半身をしっかり抱き、車外に脱出する。

「・・・・・・ぅぅ・・・ぅっ・・・・・・」

 晴子は僕に思いっきり抱きついてきたが、その体は震え、涙をボロボロ流していて、顔はクシャクシャだった。

「大丈夫、もう大丈夫だから。」

 片手でスマートフォンを取り出し、魎に事故発生を報告する。

「・・・あ、ありがとう・・・雅治・・・っ。」

「怖かったよな、もう大丈夫だから・・・」

 やっとのことで晴子は僕を解放し、両手で顔を覆った。そのとき、初めて気付いたものがあった。

「晴子、その右腕の包帯・・・」

「・・・これは・・・ぐすっ・・・許して、雅治ぅ・・・」

「お前、まさか!?」

 僕は、晴子がまだ泣きじゃくっているにもかかわらず、両手で勢いよく突き飛ばす。覚束ない足で僕の車まで後ずさりする。そして両手で頭を押さえ、その場にしゃがみ込む。

 冗談だと信じたい。嘘であると信じたい。だけど、本人は認めている。頭の中がゴチャゴチャしているが、その中で特定のピースだけが繋がりあう。

 僕は、あの診療所の地下1階で殴られた。そのとき、殴った奴をメスで切りつけた。目の前にいる晴子は腕に包帯をし、しかも自供している。・・・全部、繋がった。

「・・・うわぁ、こりゃ俺だけじゃどうにもならないな。」

 軽パトに乗った魎が着くまで、僕は放心状態だった。魎に声をかけられて、初めて我に返った。

「おい、雅治!」

「・・・・・・何?」

「大丈夫か?」

「ぼ、僕は大丈夫。事故ったのはあいつだし。」

「晴子さん、どうかしたのか?こんな道で事故るなんて。」

「知らないよ。駐在所に連れて行って、ゆっくり聞けば?僕は帰りたい。後は任せた。」

「そ、そうか・・・」

 僕はびしょ濡れになっていることなんか気にせずに車に乗り込み、そのまま出雲のマンションに帰って、シャワーを浴びてソッコーでベッドに入った。

 だけど、寝られない。さっきのシーンを頭の中で何度も反芻してしまうのだ。僕は、あいつに殴られたのに、あいつを助けた。情けは人の為ならずっていうことわざが嘘っぱちのように思えてきた。あいつがこれで改心してくれればいいのだが、晴子のことだ、ねちっこく付きまとってくるに違いない。あとあの診療所の地下。殴られようが何をされようが、何度でもあそこに入ってやる。あいつが隠そうとしたこの村の秘密を、暴いてやるのさ・・・


 辺り一面が眩い光に包まれ、天照大神が水辺に姿を現した。それに気付いたのか、水面からリヴァイアサンも顔を出す。

「お、久しぶりだな、女神様。」

「スサノオはどこだ?」

「あいつなら、ウンディーネとデート中のはずだけど?」

「さすがに長すぎないか?心配になってきたぞ?」

「あいつらのことだから、できちゃったんじゃねーのか?」

「何を抜かしているんだ、全く。」

「ははは・・・」

 ぎこちない雰囲気がしばらく続いた。森の奥から足音がしたので振り向くと、ウンディーネが歩いてきていた。

「お、噂をすれば何とやら。おかえり、ウンディーネ!」

「あ、ああ、ただいま、リヴァイアサン。」

「どうしたんだよ、そんながっくりして。スサノオは?」

「あの子は・・・帰ってこないよ。」

「おいおい、ちょっと待て、帰ってこないってどういうことだよ?死んだのか?」

「そうじゃないけど・・・」

「やめておけ、リヴァイアサン。」

「だけどなぁ・・・」

 二人から遠く離れた河岸に、ウンディーネは腰を下ろした。

「おい、アマテラス、お前はどう思う?」

「喧嘩でもしたんじゃないのか?」

「あんなに意気込んでたのにか?ちょっと想像がつかないぜ・・・」

「あまりしつこくまとわりつかない方がいいな。こういうときは、そっとしておけ。」

「いいや、仮にも同じ嗜好なんだ、俺はちょっと慰めに行ってくるぜ。」

「それは勝手だが、余計なことは言うなよ?」

「そんなの、言われなくても分かってる。」

 ウンディーネはそこそこ遠くに座っていたが、リヴァイアサンはそこまで泳いですぐに着いた。

「どうしたんだよ?また前みたいにガツンとやってくれないのか?」

「・・・・・・」

「俺でよければ話聞くぜ?」

「・・・・・・・・・・・・」

「それとも、一緒に泳ぐか?」

「あのね、今私、そんな気分じゃないの。放っておいてくれる?」

「じゃあ気が向いたら話してくれるんだな?スサノオと何があったか。」

「・・・・・・・・・・・・」

「別に、今ここで吐け、なんて言わねーからさ、気が向いたら教えてくれよ。」

「・・・れた。」

「は?何、よく聞こえない。」

「途中で別れたの・・・っ」

 やっとのことでその一言を吐き出した感じだった。耐え切れずにウンディーネは号泣し始める。

「な、泣くなよ、ったく。」

 手を伸ばしてウンディーネの上半身を引き寄せ、軽く抱きしめながら頭を撫でる。

「スサノオに比べたら、取るに足りないかもしれねーけどさ、俺がいるから。俺じゃダメか?」

「・・・うっ・・・・・・」

「・・・・・・どっちだよ。」

「ふふっ、気が向いたら教えてあげる。」

「お、やっと調子戻ってきた。」

「あー、ずっとモヤモヤしてたのが嘘みたい。泳ご、リヴァイアサン。」

「待ってました、そのノリ!」

 傍観していた天照大神は、ウンディーネが立ち直ったようでほっとしつつ、場違い感を薄々感じ取っていた。

「私は邪魔なようだな、また出直すか。」

「あ、アマテラス、ちょっと待って!」

「何だ?」

 ウンディーネは手に携えていた太刀を天照大神に差し出した。

「これは?」

「スサノオがあっちでうまくやっていけてる証!」

「そうか・・・かたじけない。」

「彼もうまくいってるみたいだし、私もうまくいくように頑張ってみるね!」

「ああ、頑張って!」

 天照大神が去るのを見送ると、ウンディーネは「泳ぐぞー!」と叫び、勢いよく水の中に飛び込んだ。

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