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4.Footsteps of trial(試練の足音)

 午後の診療も、午前中と同じように、ご年配の方の方言との格闘だった。その後は回診があるのだが、入院患者はどうやら満君だけのようだ。体調がよくなっているようならば、早いうちに退院させたい。

「満君、元気か?」

「あ、雅治さん。俺は別に元気っすよ。どうかしたんすか?」

「回診の時間だから。これで熱測って。その間に診察だけするから。」

 体温を測っている間に、聴診器で胸の音を聞いたり、悪寒があるかなどの問診をしたりする。特に異常はなかった。体温計の音がしたので体温計をわき腹から取り出すと、体温も平熱並みに戻っていた。

「どこも異常ないね。何も問題なければ、明日には退院できるよ。」

「世話になったよ。」

「親は?見舞いには来たの?」

「ああ、さっき。」

 そんな様子はなかったけどなぁ・・・見落としただけかな?

「・・・の割に早く帰ったんだね。」

「仕事が忙しいって。」

「ああ、そうなんだ。」

「午前中、悠馬と宝が来ただろ?」

「え?うん、来たけど。」

「いいなあ、悠馬は。」

「何が?まさか、骨折したこと?」

「んなわけないだろ?!その・・・支えてくれるような存在がいてくれることさ。」

「何か悠馬も似たようなことを言っていたような・・・」

「俺には母くらいしかいないけど、いつだって付き添ってくれるわけじゃないし。まあ、いつまでもべったりされたらそれはそれで気持ち悪いし、そもそもそんなの無理だけど。」

「えっ、友達とかは?」

「いるけど・・・今頃まだ学校じゃないかな?そろそろ終わる頃だと思うけど。」

「なるほどね・・・別にいいんじゃない?たまには一匹狼でも。」

「は?」

「誰かと一緒にいないと気が済まないようじゃあ、心が持たないよ。まあ、だからといってずっと孤独ってのもまずいけど。」

「それは・・・どういう?」

「都市部でも孤独死の問題が相次いでてさ。これは医者が梃入れすることでどうにかなる問題じゃない。誰かと繋がりを持つっていうことの重要性を、改めて印象付けた出来事だったと思うね。確かに人と人のつながりってのは大事だけど、いつもそばにいないからといって繋がってないわけじゃない。」

「・・・・・・」

「今の時代、通信網も発達してるし、顔も分からない人と繋がることもできる。決して孤独なんかじゃない。そこんところ、分かってもらえたらいいな。」

「・・・雅治さんに説教されるとはね。」

「ああ、いつの間にか滅茶苦茶な台詞ばっかり吐いてる・・・僕も老けたかなぁ。」

「・・・ありがとう、先生。何か勇気付けられた気がする。」

「そう?それはよかった。」

 突然ポケットに入っている携帯電話が鳴る。画面には「着信中 雨宮水穂」とある。登録したばかりの番号だ。

「もしもし?」

「あ、雅治さん、今海斗君から連絡があって、急患受け入れてほしいそうなんですが、今こっちに来れますか!?」

「ああ、行けるよ。どんな状況?」

「泳いでて溺れたって言ってました。」

「OK。水穂ちゃんは処置室の準備をお願い。僕もすぐに行くよ!」

「分かりました、お願いします!」

「ごめん、急患だわ。ちょっと行ってくる。」

「応援してるよ!頑張って!」

「うん!」


 俺にとって、海は楽園のようなものだ。水平線の先までどこまでも続く広い海。そこを自由に泳ぎまわることができるし、その水も尽きることがない。俺は今こうしてここに存在することが奇跡のように思いながら泳ぐ。

 誰かが岸で口笛を吹いた。俺を呼んでいる合図だ。俺は深海から水面まで一気に浮上し、顔を出す。

「うわっ、冷たっ!」

「おお、インキュバスじゃないか、久しぶり!」

「おいおい、もうちょっと丁寧に上がってこれないのかよ・・・」

「こんなところに来るなんて珍しいな、どうした?」

「いや、この間ここに来た新人クンのことを聞きにきたのさ。」

「ああ、スサノオのことね。今はここにはいないぜ。ウンディーネと一緒に合宿という名のデートに出かけてる。」

「で、デート!?」

「おいおい、そこ反応するところじゃないだろ。」

「いや、まあ、そうなんだけどな。俺がここに来たわけはだ、それは」

「あ、分かった!サキュバスに唆されたんだろ?」

「えっ・・・」

「図星?やっぱりな。そんなことだろうと思った。」

「ど、どうしてそんなこと言うんだ?」

「だってあいつのことだから、面と向かって『やりたいです』なんて言わないだろ~。ましてやここに来たばかりの新人だぜ?お前がそんなこと言い出したら大問題だし、だとしたら他にここに来る用はないし。」

「うっ・・・」

「しばらくしてから、また来てみなよ。そのときにはサキュバスも連れてな。きっと二人も帰ってきてるだろうから!」

「大丈夫か?」

「何、俺は全然問題ないぜ!後は本人同士の問題だ。」

「・・・そうだよな。彼女にはそう言っておく。アドバイス、ありがとな。」

「ちょっと待ったぁ!俺がタダでお前を帰すと思ったか?一泳ぎしてから帰れよっ!」

「あ、ちょっ、おい!」

ドバーン!


「急患は?」

「もう少しで来ると思います・・・来た!」

 診療所の裏手にある急患受付の入り口に救急車が止まる。運転席から海斗が降りてきて、後部の扉を開けてストレッチャーを出す。処置室まで患者を運ぶ最中に話を聞いた。

「状態は!?」

「泳いでて溺れたんだとよ!肺に入った水、いくらか抜いたが、脈が測れねえんだ!」

「何分くらい経った!?」

「・・・3分くらい!」

「あと気になったことが・・・」

「何?」

「お前、びしょ濡れじゃないか!どうしたんだよ!?」

「着の身着のままで飛び込んだんだよ、悪いか!」

「誰も悪いなんて言ってない!」

 処置室に到着し、患者をストレッチャーから台に移す。水穂ちゃんが点滴注射や電極パッドの取り付け、菘さんは気道挿管をやってくれた。脈が測れないとのことだったから、僕はその横で胸骨圧迫、即ち心臓マッサージを始める。海斗は、びしょ濡れのままサポートに回った。

 しばらくすると、心電図モニターから規則的なピッという音が聞こえてきた。

「ふぅ・・・蘇生したね。」

 菘さんと水穂ちゃんが患者を病室に運んでいく。僕が後片付けを始めると、海斗は処置室の台に腰掛け、ため息を一つついた。

 見かねた僕は、処置室に置いてあるタオルを取り出し、海斗に放る。

「風邪ひくから、服も脱いで、それで拭きな。」

「ああ、悪いな。」

 海斗が着ていた服を脱ぐと、鍛え抜かれた肉体が露になった。

「うわ、すげえ筋肉・・・」

「すげえだろ?伊達に消防隊員やってるんじゃねーんだぜ?」

「学生時代は何やってたの?」

「水泳やってた。インターハイにも出たぜ。結果は散々だったけど。」

「ふうん。」

 この村、とんでもない逸材がゴロゴロ出てきそうな予感。

「じゃ、俺はそろそろ戻るわ。」

「え、大丈夫なの?少しくらい休んでいったら?」

「エマージェンシーは待ってくれないぜ?」

「・・・欧米かっ・・・あれ?」

 片付けがひと段落したので、少しは冗談気味に乗っかってあげようかなと思ったが、妙にカッコいい言葉だけ吐き捨てて、海斗はいなくなっていた。

「容態も安定してるし、問題なさそ・・・何してたの?」

 いきなり、戻ってきた水穂ちゃんが、ぼーっと突っ立ってた僕に声をかけてくる。

「あ、いや・・・その。」

「海斗君は帰った?」

「あ、ああ、帰ったよ、ついさっき・・・」

「ふうん・・・」

 水穂ちゃんは、退屈そうな素振りをしながら、海斗が置いていったタオルを片付けていた。

 居ても経ってもいられなくなり、そそくさと処置室を後にし、病室へ向かった。満のいる病室から笑い声が漏れる。誰かいるのかな。

「満、いる・・・あれ?」

 満のベッドはもぬけの殻だった。おかしいな・・・

「あ、雅治さん、こっち!」

 奥のベッドから声がかかる。さっき急患で来た男子のところに、満もいた。

「あれ、二人は・・・同級生?」

「あ、飯田(いいだ) (とも)()です、助けていただいてありがとうございます。」

「ああ、いやいや。僕は宮崎雅治。無事で何より。」

「伴夜がここに来たときはビックリしたよ。俺、心配で飛び起きちゃった。」

「ああ、お休み中悪かったな。」

「・・・のクセに心配して損したよ。足つって溺れたんだっけ?」

「お前、それは言うなっ・・・」

「あっははは!照れ屋なんです、こいつ。」

「そ、そうなんだ・・・いや、海斗がびしょ濡れになって運んできたから、僕も驚いてるよ。」

「よかったなぁ、海斗さんがいなかったら、今頃水底だぞ?」

「・・・怖いこと、言うなよ。」

「未練タラタラで死ねないってか?」

「当たり前だろ、まだ16だぞ、16!」

「ははは、それは満も同じなんじゃないの?」

「そうだけど・・・」

「うっ・・・げほっげほっ。」

「ああっ、安静にさせてた方がよかったっすか?」

「あ、ううん、大丈夫。回復に向かってるし、運がよかったら仲良く退院できるよ。」

「よかったな、伴夜!」

「お前もな!」

「「「あはははは!」」」

 二日でこんな風に打ち解けて話せるようになるとは思っても見なかった。彼らの仲もよさそうだし、僕がいてもかえって邪魔かな。

「じゃあ僕はそろそろ戻ろうかな。何かあったら呼んでよ。勉強で分からないことがあっても聞くよ?」

「分かりました、頼りにしてます!」

「じゃあね!」


 バシャッという音を立てて、インキュバスが水辺に上がる。

「うっ・・・げほっげほっ。」

「大丈夫かぁ?」

「あぁ・・・な、何とか・・・」

「・・・じゃあサキュバスにもよろしく言っといてくれよ!」

「ああ、じゃあまたな。」

「また来てくれよ!」

 最後のは冗談として受け取っておこう。俺は翼を羽ばたかせて空へ舞った。

 飛んでしばらくすると、急に空が暗くなって風が強くなってきた。

「ちっ、マジかよ・・・」

 無理に飛ぶのもよくないし、たまには歩いてみようと地上に降り立つ。木々が延々と並ぶ密林の中。人目につきにくい、鬱蒼とした森の中を歩き始める。

 孤独感に苛まれそうになるほど歩いたとき、遠くから物音が聞こえてきた。そしてその物音の合間に、不気味に甲高い悲鳴も混じる。好奇心に突き動かされ、音のする方へ向かうと、洞穴が見えた。

「・・・・・・あ。」

 ポタッと落ちる水滴。雨脚は一気に強くなり、雨宿りがてら洞穴の中に入ってみることにした。

 雨音にかき消されている間、いつの間にか甲高い悲鳴は止み、不気味に何かを引き裂くような音だけが、洞穴の中で反響している。

 暗がりに目が慣れてきたとき、穴の奥に黒い塊が見えた。気付かれないように進んでいたつもりだが、水溜りを踏んでしまい、その音に黒い塊が振り返る。

「・・・・・・!!」

 口元を真っ赤にしたそいつは、大柄な狼だった。その奥に横たわっているのは鹿だろうか、多分食い殺されているのだろう。

 足元に目をやると、踏んだのは水溜りではなく、血溜りだった。狼は鬼のような形相で迫ってきた!

「ま、待て待て!俺なんか食ったって、いいことはないぞ?見てみ、この肌、毒々しい色だろ?」

 脅しが通用したのかどうかは分からないが、そいつは俺の目の前でぴたりと止まった。そして魂が抜けてしまったように、急にバタッと倒れこんだ。

「おい、大丈夫か!?」

 その体に触れようとしたときだった。毛深かった体は、どんどんと地肌が見えるようになり、大柄だったはずなのに、標準体型に戻っていく。そしてその見た目は・・・普通の人間に戻った。

「な、どういうことだ・・・?」


 病室を後にし、1階に向かう最中、急に建物内が暗くなった。窓の外を見ると、傾いていた太陽は雲に隠れてしまい、1階のテレビで天気予報を見なくても、これから天気が悪くなることは察することができた。

「・・・は今夜から明日にかけて、大荒れの天気となる予報です。松江や出雲も、今夜から明日いっぱい、雨が降ったり止んだりの天気で、局地的にはザーッと強く降る時間帯がありそうです。」

 1階の休憩室には、菘さんと水穂ちゃんがいた。テレビでは夕方のニュースをやっている。

「あ、雅治さん、お疲れ様。」

「お疲れ。」

「二人ともお疲れ。天気、やっぱり荒れるって?」

「そうみたい。」

「今夜も帰れませんね。」

「え、もしかして、あの土砂崩れのところ、復旧してないの?」

「当たり前でしょ。1週間はかかるって。」

「かーっ。来て早々、寝泊りになるとは・・・」

「いいじゃないですか、朝寝坊の心配がいりませんよ!」

「僕は寝坊なんかしないよ!」

「あははは!まあ、そのうちこの村に来るんだったら、慣らしておいて損はないと思いますよ?」

「そうかもね。」

 小腹の空いてくる時間帯。夕食はどうしようかなと思っていたら、見透かされたように菘さんにこう言われた。

「私、もうすぐ上がるから、夕食、一緒にどう?」

「そうなの?じゃあご一緒しようかな。水穂ちゃんは?」

「私は弁当持ってきてるので。」

「あっそう。じゃあちょっと行ってくるね。終わったら帰ってくるから、それまで水穂ちゃん、留守番よろしくね。」

「はい!」

 菘さんは私服に着替え、僕と一緒に診療所を出る。車でいこうかなと思っていた矢先、昨日事故ってボロボロだったことを思い出す。公民館の駐車場に置いてあった僕の緑の車は確かにボロボロだった。

「あ、車・・・」

「いいわよ、車使うほど遠くないし、私の家。」

「・・・そう。」

 菘さんの家は、診療所から歩いて10分くらいの場所にあり、診療所と同じ守崎地区にある。

 この村は街灯が少ないせいか、日が暮れるのが早く感じる。菘さんの家の周りの住宅街でさえ、暗く感じるほどだ。この住宅街で新築一戸建てが目立つが、街灯が少ないと住む気はなくなる。

「お邪魔しまーす。」

 田舎暮らしという言葉から、僕は一体何を想像していたのだろうか。そこにはある種の懐かしさを感じさせるものがあった。全体的にエスニックで、アンティークを多用し、それでいて落ち着いた感じ。壁やフローリングは洋風なのに、家具は和風で面白い。

「すぐ作るから、そこに座って待ってて。」

 そう言われて指差されたのが小さなテーブル、ちゃぶ台のように見える。

 片付いている部屋を見渡す。ちょっと気になったのが、女子らしいものが少ない点。かわいい物や美しい物といった物がない。和風でアンティークな渋い物ばかりだ。

 本棚を見てみる。医学の教科書や有名作家の小説ばかり。強いて言えば旅行のガイドブックがあったくらい。渋いというか、真面目といった方が正しいのかもしれない。

 その中に数冊、異彩を放つ書物があった。

「ん?『分かりやすい日本神話』?」

 似たようなタイトルの本が3冊くらいある。1つ1つ手にとって読んでみた。

 1冊目に取り出したのは・・・頭が痛くなるような論説文。古代文学の専門家が、日本神話を読み解いて書いたらしく、専門用語や難語がびっしり。とても読む気は起きない。

 2冊目に取り出したのは・・・現代風の台詞やかわいらしいイラストで、思わず見とれてしまいそうな漫画。これなら確かに読みやすいし分かりやすい。・・・卑猥なシーンまで余計にリアルに再現されているが。

 最後の3冊目は・・・ん?これはどうやら菘さん自身の手記のようだ。さっきの論説文や漫画のコピーを貼り付けて、マーカーで線を引いたり、ボールペンで文字を書き込んだりしている。人の性格や物語の展開について書かれた文章に線を引き、余白にコメントを書き込んで線とつなぐ、という風に見て取れる。細かい点まで分析してるんだな・・・

 ところが、途中1ページ抜けてから、パソコンのサイトを印刷して切り貼りしたものが出てきた。内容は日本神話とは異なり、欧州各国の神話や聖書、その他の都市伝説などで出てくる生物。中には精霊や鬼など、人に近いものもリストアップされている。やはりマーカーなどで線や文字が書かれている。内容は先と変わらない。生真面目だなあ。

 すると、再び途中から内容が変わった。日本神話の登場人物と、伝説上の生物が箇条書きで書かれている。そしてそのすべてに、ある共通点があった。

“ウンディーネやリヴァイアサンなど水系→水穂ちゃん?海斗君?”

“狼男→満君?”

“小人や餓鬼など特定人物と従属関係にある→魎君?”

 何だ、これ。どうしてそういった名称や、共通する特徴で括ったグループから伸びた矢印の先に、僕の知っている人の名前が書いてあるんだ?ちょっと考えてみよう。

 水系だから水穂ちゃんや海斗か・・・名前は確かに水に関連した文字が入っている。それに、思い出してみれば「水」という共通点が二人にはある。偶然かもしれないが。

 それは、水穂ちゃんが好んで診療所に置いている水飲み鳥、海斗がインターハイにも出た水泳。言われてみればそうかもしれないが、これはいくらなんでも強引な気がする。水に関連するものがあったから水系じゃないかって・・・

 狼男が満なのも気になる。ハテナマークがついているが、満が徘徊した昨夜は満月だったし、本当は狼男であったとしても不思議ではない。

 では、魎の名前に引っ張られた、従属関係とは一体何なのだろう?確かに駐在さんだが、それは村や警察組織に対する従属なのだろうか?素直に頷けないが、筋は通っている気がする。

 これほど偶然が続くと、偶然でない気がしてきた。なるほど、これは面白い推測だな・・・よく、前世は何とか、生まれ変わったら何とか、聞かれるものだが、こんなに事細かに調べれば、自分と似ている人物や生物が分かる。自分の前世も気になってきたぞ。

「・・・ごめん、できたから、持ってってもらってもいい?」

「ん、ああ、いいよ。」

 読んでいた手記を元あった位置に戻し、台所に向かう。慌しそうに料理を作る菘さん。僕が近づくと、すぐ横の炊飯器を指差し、「好きなだけ盛って」と言われた。棚から茶碗と杓文字を取り出し、炊きたてのご飯を軽く解し、茶碗によそる。「菘さんはどれくらい?」と聞くと、「自分でやるからいい」と言われた。

 ご飯と箸立てを持って先にちゃぶだ・・・机に戻る。遅れて菘さんが「お待たせ」と言いながら、焼き魚と味噌汁を持ってきた。小さく盛り付けられた厚焼き玉子と漬物が、華やかで、それでいてかわいらしさを醸し出している。

「おいしそー!」

「ご飯と味噌汁はおかわりもあるから、いっぱい召し上がって。」

「じゃ、いただきまーす!」

 菘さんの手料理は・・・おいしくて、優しい味がする。頬っぺたが落ちそうだ。いや、この勢いで昇天するかもしれない・・・

「おいしい?」

「うん、最高!」

「それはよかった・・・」

「あれ、味噌汁に入ってるこの貝は・・・」

「シジミよ。宍道湖でたくさん採れるのは知ってるわよね?」

「ああ、そうか!ここからだと微妙な距離だけどね・・・」

「すぐ近くの魚屋さんで売ってるのよ。雅治君も、あそこは知っておいて損はないと思うわよ。」

「へー。この辺は海の幸が豊富そうだから、ここに越してきたら贔屓にさせてもらおうかな。」

「それがいいわね。」

 他愛もない会話を交えながら食事は進む。女の人とこんな風に打ち解けて会話をしながら食事をしたことなんか、多分ない。東京にいた時は女の人と食堂で話をしたが、大抵は仕事の話だったし、途中で呼び出されないか不安に苛まれながらの食事で、落ち着かなかった。それに比べて・・・ってもうその比較はやめるんだった。気をつけないと。

「あー、おいしかった!シジミのうまみが味噌汁に溶けてて、最高だったなぁ~!」

「あまり煮付けすぎると貝殻がボロボロになっちゃうから、さじ加減が難しいんだけどね。気に入ってもらえてよかった。」

「ふぁあ・・・これから戻んなきゃいけないのに、眠くなってきちゃった。」

「ここで寝たいなら、止めはしないけど?」

「・・・冗談だよ。早く戻らないと。じゃ、ごちそうさま!」

「また明日ね!」

 菘さんの家を後にする。外はとっくに真っ暗だったし、身を切るような寒さに包まれている。

「雅治!」

 後ろから声をかけられる。僕の横に止まった自転車に乗っていたのは魎だった。

「魎?どうかしたの?」

「定時巡回中にばったり出くわすとはなあ。俺たち、何か運命的なものがあるような気がしないか?」

「ウンメイテキって・・・疲れてんじゃないの?」

「お前こそ、こんな暗い夜に何やってんだ?迷子にでもなったのか?」

「違うよ!村から出る一本道が塞がってるから、菘さんの家で夕食を」

「へー。あんたらやっぱりできてるのか!」

「できてない!」

 何でどいつもこいつもそんな恨めしいことを言うんだ・・・

 あの神社に祭られているのが縁結びの神様だったら・・・恐るべし。

「まあせいぜい気をつけるんだな。暗い夜道は、一匹狼でも、怖いもんだぜ。」

「ご丁寧にどうも。」

「じゃ、俺は仕事に戻るぜ。お前も早く休めよ!」

「分かってるよ!」

 まったく・・・魎のあの絡み方はわけが分からない・・・

 診療所の表玄関は鍵がかかっていたので、裏の急患受付から入った。急患受付には水穂ちゃんが常駐していて、声をかけられた。

「・・・あ、おかえりなさい!」

「お疲れ。何事もなかった?」

「ええ、問題なし。」

「そう。・・・眠くないの?」

「0時になったら寝るけど、それまで頑張れるわよ!」

「そうなんだ・・・家はどこなの?」

「えっ・・・うーん、高徳院の方にあるにはあるんだけど、半ばここが家かな?」

「え?」

「ほら、夜間外来とかで診療所がもぬけの殻だったらまずいでしょ?」

「それなら、今日は僕がやるよ。どうせ僕はしばらく家には帰れないし、たまには自分の家に帰ってみたら?」

「いいの?使う人は少ないけど、大変だよ?」

「大丈夫。夜間の当直だって何度も経験したことだし。道具の場所とかも覚えたから。」

「そう・・・じゃあお言葉に甘えようかな。」

「っていうか、今まではどうしてたの?」

「0時以降に急患があったら、受付にあるボタンを押してもらえれば、宿直室に繋がるようになってるの。」

「なるほどね・・・そのときの所長さんも、ここに泊り込みだったのかな。」

「そうみたい。あの人、結構年行ってたから、そんなに無理したら毒も同然だって、誰でも分かるのに。」

「体に鞭を打つってのは、まさにこのことだね。初日からそんな羽目に遭うとは。」

「無茶しない程度にね。じゃ、私は帰るから。何か分かんないこととかあったら電話していいよ。おやすみ!」

「うん、おやすみ!」


 洞穴の奥には、食い散らかされた鹿の死体の他に、木の枝や枯れ葉が無数に散らばっていた。落ちていた石などを使って火を起こし、さっき狼から人間に戻った奴を傍に寝かせ、俺もその近くに座った。

 外の嵐の一向に収まりそうにない。さっきまで綺麗な月夜だったのに、帰りがけにこんな目に遭うとは。

 まあ、不幸をいちいち嘆いたってしょうがない。雨宿りのついでに、こいつに恩を売っておくか。

「・・・うぁ・・・・・・ん?」

 もぞもぞとそいつが起き上がる。まだ状況がつかめていないらしく、周りをキョロキョロと見回す。その最中、俺と目があった。

「おい、大丈夫か?」

「あ・・・あなたは?」

「俺?俺の名前はインキュバス、通りすがりの淫魔だ。」

「淫魔・・・ですか。」

「お前は?人狼か?」

「あ、俺はライカンスロープです・・・」

「まあまあ、そんな硬くなるなって。俺だって男だ。お前を犯すつもりはねえよ。」

「えっと・・・」

「とりあえず、少し横になってろ。落ち着くまで。」

「う、うん・・・」

 やはりまだ動揺しているようだ。しばらく俺が傍にいてあげよう。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 ・・・落ち着いているんだか否か、分からないが、聞こえてくるのは洞穴の外の雨の音、雷鳴、それと目の前の焚き火から火の粉が爆ぜる音だけ。お互いに黙ったままだった。

「・・・腹減ったなー。木の実でも摘んでくるか。お前も食うかー?」

「俺は・・・大丈夫。肉食ったから・・・」

「・・・あ、そうか。・・・うわー、雨止まねーかなぁ。」

 意を決して土砂降りの中に飛び出す。

 適当に探り当てた洞穴だったが、その周りには茂みや木々が多く、小ぶりな果実ならばたくさん取れた。びしょ濡れになりながら、食べれそうな果実や木の実、キノコや葉っぱをかき集め、洞穴に持って帰った。

「この辺って思った以上に食い物があるんだな。お前もデザートでも食うか?」

「あ、うん、せっかくだから。」

 びしょ濡れになりつつも、食べ物を調理する。焼いたり、練ったり、つぶしたり。いかにもヘルシーだが、結構腹に溜まる。

「うまかったー。ちょっと冷えてきたから、ここでちょっと暖まろ。」

「俺も、何か眠くなってきたなぁ。横になるか。」

 そういって二人して焚き火の傍で横になった。焚き火を挟んで向かい合って寝そべっていると、ちょっとした孤立感に苛まれ始めたので、腹這いになってそいつの横まで移動する。

「ちょっ・・・近くない?」

「いいだろ?別に。」

 俺らは、互いの吐息がかかるくらいの至近距離まで顔を寄せていた。最初は気恥ずかしそうにしていたが、しばらくするとお互いに「フッ」と笑った。

「・・・確認するけどよ、お前って、狼男なんだよな?」

「・・・うん。」

「そのときの記憶とかって、あるのか?」

「・・・分からない。おぼろげにというか、断片的にというか・・・」

「じゃあ、俺がここに来たときのことは?」

「・・・いや、覚えてない。」

「そうか。」

「いきなり視界が真っ白になって、気付いたらここで寝てた。」

「あの死体を食ったことは?」

「それは覚えてる。美味しいなぁ、と感じながら、ひたすら貪ってたのだけは。」

「・・・大変なんだな。」

「そうでもないよ。一匹狼でいることぐらい、慣れれば。」

「か、悲しいこと、言うなよ。」

「・・・・・・」

「よし、入り口の辺りに、旗か何か、目印になるものをおいて、またここに集まろう。それなら寂しくないだろ?」

「・・・誰も寂しいなんて言ってな」

「いいや。露骨に寂しがってる。」

「何でそんなことが分かるんだよ?」

「見てきたから、そういう奴を、何人も。」

「・・・淫魔だから?」

「まあ、そうだけど。とにかく、そんなのを見たら放っとけない性質でね。嫌なら来なくてもいいんだぞ?とりあえず、目印はっと。」

「・・・・・・」

 寝そべっているライカンスロープを放置し、目ぼしいものがないか探し回る。この洞穴の中には、枯れ葉や枝、鹿の死体くらいしかない。・・・ちょっとエグいかもしれないが、これで行こう。

 鹿の死体の首の付け根の部分に棒を当て、後ろから石で叩く。

「何やってんの?」

「気持ち悪いかもしれないけど、目印に。」

 くそ、背骨が結構硬い。それでも自棄になって棒を石で叩きまくっていたら、鈍い音を立てて、棒が首の中へ埋もれていった。鮮血が流れ出して不気味だが、その手を止めたりはしない。

 硬い骨を砕きつづけていると、急に手ごたえが変わった。布を切り裂く音がした直後、硬いものを砕いている感覚がなくなったのだ。確かめると、棒が喉の方まで突き抜けていた。あとはてこの原理を使って、首をねじ切るだけだ。

 グチュグチュと不快な音を立て、棒が刺さっているところからは血が噴き出す。前後左右に何度もねじっていると、ベリベリッという音を立てて首が取れた。それを焚き火の中に放り込む。

「その頭が目印?」

「多分、一番目立つと思ったから。」

 火にくべたからといって、すぐに骨だけになるわけでない。皮膚、筋肉、脳みそなどが残っているから、結構時間がかかるだろう。眠くなってきたし、今夜はこいつと一緒に寝てしまおう。

 ライカンスロープは既に寝ていた。こいつの寝顔、結構かわいい。ここまで孤独に生きてきたこいつを思うと、胸が締め付けられる思いになり、俺はこいつと体を寄せ合って寝ることにした。この方が暖かいということもある。二人はこうやって眠りについた。

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