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2.Beginning of mistery(謎の幕開け)

「消すわよ~?」

 水穂ちゃんが面接室の電気を消そうとしたので、足早に部屋を出ようとしたとき、落ちていた硬いものを踏んでしまった。

「いてっ!・・・ん?何だ、これ。」

 拾ってみると、それは十字架の飾りがついたネックレスだった。

「あ、それは満君の・・・」

「忘れ物?とっておいてあげようか。」

「今なら間に合うんじゃない?」

「そうかな?暗いし、簡単には見つからないし、家までどうやって行くのか分からないよ。」

「雅治さん、今日は車で来た?」

「うん、そうだけど。」

「私も探すから乗せてくれない?」

「う、うん。」

 うまい具合に話に乗せられ、僕はそのネックレスを片手に車に乗り込む。助手席に水穂ちゃんが乗り込んだ。菘さんには「デートドライブじゃなくて忘れ物の配達」と言っておいた。僕もこの村の村民感情に呑まれつつあるなぁ・・・

「そこ、右ね。」

「うん。」

「見当たらないわね・・・」

 車は山を貫くトンネルに入った。肝試しにはちょうどよさそうだ。

「こんなおっかないところを通るの?」

「仕方ないじゃない?道がないんだから。一番近道なのはここだと思うよ。」

「ふーん。」

「あ、そこ、左。」

「OK。にしても高そうなネックレスだよな、これ。学生のクセに。」

「満君のお気に入りなんだって。銀でできてるらしいよ。」

「銀製!?そ、それはさぞかしお高いんだろうなぁ。」

「貧民感情丸出しにしないで、そこ、もう一回右!」

「はいはい。」

 車は高徳院地区の海沿いの道に出てきた。真正面に海を照らすまん丸の月が見える。

「綺麗な満月だなぁ。」

「満月?」

「何、何かヤバいことでも?」

「いや・・・」

「?」

 意味深な疑問符だったが、僕はそれを頭の片隅に押しやり、運転を続けた。

「・・・あれ、何だろう。」

「・・・あ!ちょっと止めて!」

 急ブレーキをかけて車を止めると、水穂ちゃんは少し後ろの茂みの中を漁りはじめた。そして手に持っていたのは、ボロボロになった衣服だった。

「それ、何?」

「これ・・・満君が着ていた服・・・」

「え・・・?」

「雅治さん、満君の家に行きましょう、急いで!」

「は、はいっ!」

 焦って車を急発進させてしまう。

 数分走ったところに、その家はあった。表札には「本山」と書いてある。あの子は本山 満、って子だったっけ。

 水穂ちゃんは僕が車から降りるのにもたついている間に、玄関前にかけつけてインターホンを鳴らす。

「あ、夜分遅くに申し訳ありません!社不知診療所の雨宮水穂です。満君はお帰りですか!?」

 僕が水穂ちゃんのもとに歩み寄る間に、二、三言のやり取りを済ませていた。玄関から母親と見られる女性が現れた。

「・・・そちらは?」

「申し遅れました。私、本日より社不知診療所の所長の任に就きました、宮崎雅治と申します。」

「よろしくお願いします、満の母の本山(もとやま) 満月(みつき)です。」

「今夜も満君が診療所に来たのですが、忘れ物があったので届けようと、こちらに向かう最中に、これを・・・」

「これは・・・?」

「満君がさっきまで着ていた服かと。」

「・・・一体、何が?」

 僕は慌てる素振りを見せ始めた母親、満月さんを尻目に、携帯電話で診療所に電話をかける。

「お電話ありがとうございます、社不知診療所、徳永がお受けいたします。」

「あ、菘さん?」

「・・・雅治?」

「魎・・・駐在所の電話番号は分かる?」

「分かるけど、何かあったの?」

「ああ、落し物はひとつじゃなかったみたい。」

「どういうこと?」

「ビリビリになった服を見つけてさ。身投げしそうな素振りはなかったし、追いはぎに襲われたのかな、と思ってさ。そしたら駐在所の電話番号が分からなくて。」

「雅治、落ち着いて。カウンセラー気取りなんて言いたくないけど、もっと詳しい状況を教えてよ。」

「・・・車で忘れ物を届けに行く最中、茂みに満君の服がビリビリになって落ちてるのを見つけてさ。家にも帰ってないらし」

「ちょっと待って。つまり雅治、あなたは満が失踪したって言いたいのね?」

「そ、そうは言ってないだろ。それを言うなら、行方不明、って方が最適じゃない?」

「どっちにしろ、ただ事じゃないのは変わらないでしょ。」

「まあね。今水穂ちゃんがお母さんに事情を説明してるところなんだけど・・・」

「通話口越しに聞こえるわ。相当慌ててるみたいだけど、当然よね。」

「毎晩診療所に来てたらしいから聞くけど、思い詰めている様子とかはあった?」

「いや、プライバシーの問題があるから詳細は伏せるけど、諸般の事情で、うちで勉強しに来るようになったのが去年の春から。でも、それほど切羽詰っていたようには見えなかったわね。」

「至って平然?愚痴みたいな形で、何かを告白したりしなかった?」

「全然。むしろうちに来ることを楽しみにしてたみたいよ。」

「一時的な現実逃避・・・とは考えられない?」

「いや、精神病の既往歴とかはないし・・・」

「家庭事情に問題とかは?DVとか。」

「お母様を見てみなさい。アザとかある?」

「・・・いや、見えない。」

「とにかく、彼には問題はないわよ。追いはぎだと思うのなら、駐在所の電話番号教えるから、そこにかけることね。」

「ちょっと待って、今メモする。・・・いいよ。」

「言うわね。0853‐××‐××××。」

「OK。今からかけてみるわ。」

「任せたわよ。」

「うん。」


「今夜は月の美しいこと・・・誰かこの夜景を共に見てくださる方はいらっしゃらないのかしらねぇ。」

 とある城の一室。ゆりかごに入れられるは二人の男女の幼子。その可愛らしさは、今夜の月にも勝る。

 ガタン!

「失礼、セレネー様、報告に参りました!」

「どうしかしたのですか?」

「城内に不審者が侵入した模様、現在衛兵隊が総力を上げて捜索しております。セレネー様も、どうかお気をつけください!」

「分かりました。気をつけますわ。あなたたちもお気をつけて。」

「御意。」

 不審者か・・・このご時勢、しょっちゅうあることなので、大して警戒心を抱いてはいなかった。

 しかし、すぐ近くから聞こえてくる遠吠えに背筋が凍る。狼でもいるのか?!

「いたかー!」

「こちらは見つかりません!」

「城門は固めました!逃がしませぬっ!」

 外から聞こえてきた衛兵の声に一瞬、油断した。

 唸り声が聞こえたので振り返ると、黒い影が目の前に飛び込んできた。

「うあっ!」

 黒い影に突き飛ばされ、壁に頭を打ちつけ、視界が揺らぐ。黒い影はゆっくりと立ち上がり、私の許を離れると、ゆりかごの上に飛び乗った。

 ダ・・・ダメッ!!

 無我夢中で立ち上がって黒い影に飛びつく。しかし黒い影は素早かった。すぐに身を翻して、また私を突き飛ばしたのだ。今度は柱に頭をぶつけ、意識が朦朧とする。

 かすんだ視界の中で、今度こそはとゆりかごに飛び乗った黒い影が・・・

「・・・ぃゃ・・・いやああああぁぁぁぁっ!やめてええええぇぇぇぇっ!!」

 ガタン!

「おい、何をしている!!」

 黒い影は衛兵たちに気がつくと、入ってきた窓から一目散に逃げていった。

「セレネー様、お怪我は!?」

「あ・・・ああ・・・・・・」

「おい!赤ん坊は無事か!」

「うっ・・・これは・・・・・・」

「ひどい具合に食い散らかされてるな・・・息はあるか?」

「娘さんは・・・息をしていません・・・・・・」

「そんな・・・ぁ・・・・・・」

「・・・息子さんはまだ息をしています!すぐに医務室に連れて行きます!」

「頼んだぞ!」

「う・・・・・・そ・・・」

「せ、セレネー様・・・?!」

 意識朦朧とし、足はふらつき、視界はぼやける。それでもゆっくりと、鮮血に染まったゆりかごに近づく。

 その中には・・・もはや人と呼べるのかも分からない、散らかった肉片があるだけだった。

「・・・イィヤアアアアアアァァァァァァ・・・・・・・・・!!」


「・・・事情は分かった。俺も定時巡回が終わったから、今からそっちに行く。」

 そのような旨の電話があってから10分もしないで、魎は駆けつけてきた。

「定時巡回の間には、満は見つからなかったんだよな?」

「ああ、行き違いかもしれないが、少なくとも俺がこの村を回ってる間には、満は見てない。」

「困ったな・・・」

「奥さんの話も聞かないと。」

 焦燥しきっている満月さんの許に向かう。僕もそれに続いた。満月さんは携帯電話を操作していた。

「・・・駄目だわ、出ない。」

「とりあえず、俺が出雲署に掛け合ってみます。」

「それまで、僕らで手分けして探してみない?夕食の時間だし、冷えてきてるし。」

「そうね。お母様はここで、満君のご帰宅を待っていてください。」

「じゃあ俺は都賀野と高徳院を当たってみる。あんたらは守崎と和上を頼む。」

「おう。じゃあそっちは任せた!」

「お願いします・・・」

 僕は水穂ちゃんと再び車に乗り込み、まずは南の和上地区を目指した。帰宅のルートを逸れたくらいならあり得る圏内だが、山がちで雑木林ばかりなので、案外難航しそうだ。

「ねえ、あれ!」

 大分南に来たところで、雑木林の中を抜ける小道の入り口に、今度は靴が落ちているのを発見した。

「何で、こんなところに?」

「とにかく、探してみよう。」

「あ、そうだ。懐中電灯があったんだ!」

「お、物持ちいいね。」

「そうでもないよ。とりあえず、ダッシュボードを開けてみて。」

「うん。」

 ダッシュボードを開けると、ほとんど何も入っていない中で懐中電灯があった。

「はい、どうぞ。」

「え、僕?」

「肝試しとかは、男の人が先導するものでしょ?」

「そうかもしれないけど・・・離れないようにね。」

 近くに車を止め、懐中電灯で地面を照らして、小道を突き進んでいく。

 小道とは言っても、登山道とはとても言いがたく、山奥に住んでいる人でもいるのか、あればいいくらいの荒れた道だった。

 山の中に入ると、懐中電灯以外の明かりはなくなり、虫の声や鳥の声がして、不気味な様子を呈している。

「おいおい、肝試しにしてはハードルが高すぎないか?」

「私も、ちょっと怖くなってきちゃった・・・」

 べったりくっついてくる水穂ちゃんと一緒に山奥に入り、しばらく経ったときだった。ライトが、倒れている人間の体を照らした。

「・・・いた!」

「おい、大丈夫か!?」

 うつぶせになっている体を引き起こし、脈を測る。

「・・・まだ生きてる、けど・・・冷たいな。」

「服、着てないの・・・?」

 確かに満は上裸だった。僕は着ていたコートを脱ぎ、満に着せる。

「うぅ・・・ん」

 満は意識朦朧としている様子だった。急いで診療所まで戻りたいが、戻ろうにも、道は暗いし、間違えた道を歩いてしまったら迷ってしまう。仕方なく、満を負ぶって、来た道を戻り、車に乗り込んだ。

「さすがに毛布とかは持ってないよね?」

「後ろにカイロがあったと思うけど?」

「どんだけ物持ちいいのよ!」

「嫌ならきつく抱きしめておけ!」

 車を動かしながら、ポケットから携帯電話を取り出し、診療所にかける。

「あんた、運転中に電話って・・・」

「・・・見逃して。・・・ああ、菘さん、雅治です。満君は見つけました。頼みがあるんだけど、処置室の暖房つけて、部屋を暖めておいてくれない?・・・設定温度は28度・・・効きが悪い?じゃあ30度くらいにしておいて。・・・経費からエアコンの買い替え費用、出せないかな?」

「それはまずいと思うよ・・・」

 車を診療所の駐車場に止め、満君を担いで処置室に駆け込む。

「うわ、暑っ!」

「設定温度30度だっけ?」

「全然効いてるじゃん・・・」

 毛布や湯たんぽを持ってきて、大動脈の通っている部分に当てる。指先なども凍傷防止のために当てたいが、それをやると血液の流れが分散されて、体温がなかなか上がってこないので、それはやらない。

 体温計を持ってきて体温を測ると、なんと27度だった。もう少し発見が遅かったら危険な状態だっただろう。

「少しずつ体温も上がってきて、安定してきてる。目を覚ますまで、ここで寝かせておくわね。」

「ありがとう。でも、何であんなところに・・・?」

「帰り道のルートにしては、和上を通るのは遠回りだし・・・」

「あの山の中ってのも不審だよなぁ・・・」

「破けた服に、脱げた靴・・・追いはぎにしては、落ちている場所が不自然じゃない?」

「じゃあ、一体何が・・・?」

「目を覚ましてから、聞いてみましょう。」

 水穂ちゃんが連絡し、遅れて魎と満月さんが診療所に到着した。しかし、なぜか晴子さんも同行していた。

「あれ、晴子さん、どうしたんですか?」

「この村の中を、パトライトを回しながらパトカーが走り回ることなんてありませんでしたから。何の騒ぎかと思って。」

「それは・・・お騒がせしました。」

「事情は聞いたわ。大変だったみたいね。」

「他人事みたいに言うなよ。この村で死人が出たら、もっと嫌だろ?」

「・・・・・・上から目線で言わないでくれる?」

「晴子さんだって上から目線じゃないか。」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・こらこら、こんなところで睨み合いなんかしないで、ね?」

「・・・そろそろ失礼するわね。」

「・・・・・・ちょっと待てよ!」

 逃げ帰ろうとする晴子さんを、威圧するような大声で制止する。

「・・・この村の住民でもないクセに、その態度は何?」

「こっちの話ばかり筒抜けじゃあきまり悪いだろ?イキサツってものを教えたら、帰してやる。」

「は?話して何になるの?」

「・・・お前の株価が上がるかもよ。」

「・・・・・・私、夜中まで役場にいるわけじゃないの。もちろん近くの家に住んでるわよ?」

「さぞかし立派な豪邸なんだろうな。」

「夕食の余韻に浸っていたら、パトライトを回したパトカーが家の前に止まって、警察官が『本山満君が行方不明になっているんですが、何かご存じないですか?』って。」

「それで気づいたんだ。でも何で同行なんかしたの?」

「もちろん協力のためよ。他所から来た方よりも、そして、この村で誰よりも、この村を知り尽くしているんだから。」

「・・・・・・」

「道中、雲を掴むような気分だったわよ。結果として、私じゃなく、あなたたちが見つけたんだしね。」

「・・・・・・」

「村で起こっていることを熟知してこそ、村長っていうのが務まるのだから。・・・これで納得行った?」

「・・・・・・」

「その顔は行ってないようね。悪いけど腑に落ちなかったとしても、細かい話をするつもりはないから。そんな義務はないだろうし、話しても分からないだろうし。」

「・・・・・・」

「じゃあ、私は帰って、明日の仕事に備えて寝るから。おやすみなさい。」

「・・・待てや、こら。」

 このときの僕は、感情に飲み込まれていたのだろう。いつしか晴子さんの目の前まで歩み寄っていた。

「・・・何?」

「・・・近々、この村に引っ越すから。」

「・・・・・・で?」

「・・・・・・それだけ。」

「・・・そう。」

 晴子さんは踵を返して帰っていった。

「・・・こわー。あんな啖呵切って、平気なの?」

「平気じゃないけど・・・気になるし。もっと問い詰めるには、どうやらあいつにべったりと張り付く必要がありそうだなぁ。」

「でも、この村に引っ越してくるって、本当?今日、出雲に引っ越してきたばかりじゃないの?」

「荷物もあまり開いてないし、地価も安そうだから、この辺。」

「ああ、田舎だからって馬鹿にしたー!」

「してないよ!空気はおいしいし、眺めのいい場所も多いし。」

「雅治とか、休日に農業してそう。」

「・・・日曜大工ならしそうだけどね。」

「ははは!この村に住めば、診療所への往復がずっと楽になるでしょ?ガソリン代も節約できるし。」

「確かにね。一石二鳥どころか、五鳥くらいありそうだね!」

「うん!うちらは大歓迎だから!」

「じゃあ、今日はもう遅いし、帰らないと。また明日ね!」

「あ、外は雨が降ってるみたいだから、気をつけてね!」

「雨?マジかー、傘持ってきてないよー。」

「そうなんだ、ビニール傘、持ってく?」

「大丈夫、車だし。」

「そう。じゃあ、また明日!」

 診療所を後にし、公民館の建物から出ると、外は土砂降りになっていた。素早く車に乗り込んだつもりだが、結構濡れてしまった。

 海沿いの一本道も、雨が降ると景色はよくない。夜だし、真っ暗で街灯も少なく、見通しが悪い。

 車の通りもほとんどなく、単調でゆるやかなカーブが続く道を走ると、眠くなってくる。今日一日いろいろあった。この村には、きっと何かがある。それが何かは分からないし、確証もないが、さっきの晴子さんの態度を見れば一目瞭然だ。僕はこの村に留まる必要があるのだろう。

 そんな風に物思いに耽っていたときだった。眠気を吹き飛ばすようなモノが、目の前に現れた。

「・・・っ!?」

 左側は山の斜面になっているが、大雨のせいか、のり面が崩れて道路をふさいでいた。とっさにハンドルを右に切り、ブレーキを踏むが、雨で路面が濡れていて、車輪が滑る。車はそのまま盛り上がった土砂に突っ込んだ。土砂は海に向かって斜めに盛り上がっている。このままでは海に落ちる!

 左に急ハンドルを切った直後、体がふわっと浮いた。車が右に一気に傾き、側面からアスファルトの道路に叩きつけられた。車は一回転し、ようやく止まったが、僕は頭を打って意識朦朧としていた。

「うぅっ・・・」

 かすんだ視界に、再びえげつない物体が目に留まる。

 ・・・巨大な鳥とでも言うべきなのだろうか。車の目と鼻の先に、翼をばたつかせながら着地する、大きな鳥のようなモノが見える。

 三途の川の代わりに現れたのだろうか・・・本気でそう思った。その物体が車に向かって近づいてきたとき、ぷっつりと意識が途切れた。


 ・・・このバルコニーに立つと、あの夜のことを何度も思い出す。今は元気で庭園を走り回る息子の体にも、古傷がいくらか残っている。本人はそんなことは知らないように、はしゃぎまわっているが。

「・・・失礼します、セレネー様。晩餐の支度ができました。」

「そうですか、もう少ししたら行きます。」

「はい。」

 外で走り回っている息子に声をかけた。

「ライカンスロープ、夕食の時間よ、戻ってきなさい!」

 息子・・・ライカンスロープは、元気な返事をすると、すぐに遊びを中断して戻ってきた。実に忠誠な息子だと思う。

 西の空に沈み行く太陽。東の空からは、入れ替わり立ち替わりで、まん丸の満月が昇ってきた。こんなに美しいと思えるのは久しぶりだ。

 ・・・娘が食い殺されてから、しばらくは満月が不気味に思えていた。しかし、よくよく考えれば、月を司る私が、月を憎んでどうする、とも考えたし、周りのものでいちいち過去を振り返っていてもキリがない。潔く今を生きようと決意したではないか。

 夕食の後、私は庭園に出た。迷路のように生えた生垣の根元に、ライカンスロープがさっきまで遊んでいたオモチャがいくらか転がっている。こうして遊んでいると思うと、涙が出そうになる。

 不意に城壁の外から物音がした。私は城門の方に周り、こっそりと外を覗く。

「・・・なあ、本当にこっちであってるのか?」

「間違いないわよ!私は方向音痴じゃないし!」

 すぐ向こうの森林の中を彷徨う一組の男女。もちろん知らない顔だ。

「だって、あっちに山が見えるぞ?海に行きたいんじゃないのかよ?」

「その山の近くの川を下れば海辺にたどり着く・・・はずなんだけど・・・」

 どうやら道に迷っているようだった。声をかけてあげたいのは山々だが、またあの時のように曲者に入られたら・・・迷っていることが演技だったら・・・トラウマが自分を疑心暗鬼にさせる。結局、見て見ぬ振りをしようと、城門からゆっくりと離れる。

「・・・あ。あそこにお城があるよ。聞いてみようよ。」

「いいの!私の言ったとおりに進めば着くの!」

 この城を見つけたようだ。私は生垣に隠れて様子を窺った。

「・・・止まれ、何者だ?」

「いやぁ、ちょっと困ったことがありまして・・・」

「違うんです!私たち、そんな疚しいことはっ・・・」

「何だ?理由を言え!」

 あーあ、面倒くさい衛兵のことだ、きっと簡単には帰してあげない。私は、さすがにそれは可愛そうだと思い、姿を現して衛兵に指示する。

「やめなさい。旅人のお二方に、そんな接し方じゃ可愛そうですよ。」

「あ、セレネー様、いらっしゃったのですか!」

「え・・・?」

「私の衛兵が失礼をいたしました。お困りのようでしたら、私めがご案内いたしますが。」

「ああ、あの、海って、どっちの方角です?」

「海の方に出たいのですね?それなら、南に行って、カーリアの山脈を越えた先にありますよ。」

「ほらね?言ったとおりでしょ?」

「お前は途中に川があるって言ったじゃないか?」

「地図をお渡ししましょうか?この辺りの主な街道が記されています。それにしたがって行けば、明朝までには着けるのではないでしょうか。」

「ありがとうございます!」

 私は守衛室の中にある地図を1枚引っ張り出し、それを見せながら指で追って道順を教えた。

「確かに途中に川がありますが、この街道を通れば橋があるので、そのまま渡ってください。」

「南に行って、山を越えて、川を渡るんですね?ありがとうございます!」

「この地図をお渡しします。どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ。」

「あ、ちょっと待ってください!」

「はい、何でしょう?」

「せめて、その・・・お名前だけでも・・・」

「うわー、口説く気ぃ?」

「構いませんわ。私はセレネーと申します。」

「セレネー、俺はスサノオって言います。」

「わ、私は恋人とかではなく、ただの付添い人のウンディーネですっ。」

「スサノオ様とウンディーネ様ですね。心に留めておきます。また会う日まで、ごきげんよう!」

「はい、行ってきます!」

 ・・・本来のギリシャ神話では、セレネーはとある美男子に恋をする。しかし、本来ここにいるはずのないスサノオに、少しばかり親近感を覚えていた。ウンディーネとも、多少は打ち解けた。

 城外に興味を持ったことはほとんどなかった。危険な場所と心得ていたからである。現に子供たちは外部から来たと思われる狼に襲われた。

 そんな危機感を和らげてくれた二人。もっと仲良くなれたらな、と思っていた矢先・・・

「・・・城内に不審者侵入の情報アリ!セレネー様はどこですか!?」

 突然響いた衛兵の声。私は恐怖心から縮こまってしまう。

「セレネー様ならここにおられます!・・・セレネー様、ここは危険です。お部屋までお供します。」

「わ、分かりました。」

 衛兵に護衛されながら、自分の部屋に戻る。・・・中には誰もいなかった。

「息子は・・・ライカンスロープを見た者はいないのですか?!」

「し、少々お待ちください。」

 衛兵はドアを開けて、別の衛兵に声をかけ、捜索させるように言った。

「セレネー様、ここでしばらくお待ちください!」

「・・・いいえ!息子がどこにいるのかも分からないのに、ここでのんびり時が過ぎるのを待つわけにはまいりません!私も探します!」

「・・・分かりました。」

「護身用の剣を持って行きますから、同伴は必要ありません。」

「そうですか・・・分かりました、では、持ち場に戻ります!」

「気をつけてくださいね?」

 私は部屋を後にし、城内を探しまわった。

 衛兵たちの話だと、不審者がいたとの通報があったのは城の北側。息子がどこにいるのかは分からないが、衛兵たちは、しばらくは自分の持ち場の周りを探す。北側だからといって集中的に捜索して、結果として違う場所にいては意味がないからだ。私はまだ他の衛兵が探していない場所を探ることにした。

 城内のサロンやエントランス付近は衛兵が固めていた。牢獄付近も衛兵が詰めている。となると、水路の近くや備蓄倉庫の周りは意外と手薄になっていそうだ。

 水路は、城外を流れる川に繋がっていて、城内を一巡している。南北の城門付近には船着場もあり、衛兵の許可を得れば、船舶での入城も可能である。

 船着場付近にも衛兵がいたが、その他の薄暗い場所には人影はない。不審者らしき姿もないし、ここにはいないのだろう。そう思うと備蓄倉庫に向かった。

 備蓄倉庫は東西に分かれている城の東棟の裏にある。牢獄が近いのであまり近寄りたくはない。しかもこの辺りは夜になると木々によって月明かりが遮られて真っ暗に限りなく近くなるので、不気味さではここが一番だろう。

 この辺りも警備は手薄で、人影もない。諦めようとしたそのとき・・・

 グチャグチャという、咀嚼する音が聞こえてきた。何かを引き裂くような音も聞こえる。どこだろうか?

 暗闇に目を凝らしても見当たらない。備蓄倉庫に近づくと、ドアは半開きになっていて、中からその音は漏れていた。

 私は近くに備え付けられていた松明を持ち、剣を構えてドアを開け、中に入った。

 備蓄倉庫の中は広い。野菜、魚、肉、卵など、様々な食料がぎっしりと詰め込まれている。例の音は、光の届かない奥から聞こえているようだ。

 意を決して奥に進んでいく。見ると、床一面に、普段は棚に綺麗に並んでいるはずの穀物の袋や野菜の箱が、いくらか撒き散らされていた。そのうちのいくらかは食い散らかされている。

 すると、ぼんやりとした光が、倉庫の奥を照らした。音は近いが、何もいないのだろうか・・・

 その刹那、倉庫の隅にある黒い物体が、びくっと動いた。それに剣を向け、ゆっくりと近づいていく。それは・・・例の黒い物体、狼だった。

 貪っていた骨付き肉を手放し、私のほうに振り返る。すると、ヌクッと立ち上がり、私に歩み寄ってきた。

「く、来るな、曲者っ!さもないと、斬るぞ!」

 その脅しに気圧される様子もなく、ゆっくりと近寄る狼が放った言葉に、凍りつく。

「・・・お母さん、僕だよ、ライカンスロープだよ?分からないの?」

「・・・え・・・・・・っ。」


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