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12.Endangered one(危険に晒されて)

「あー、違う違う!もっとこっち!」

「・・・これはしたり。拙者としたことが。」

 キッチンの方が騒がしい。モゾモゾと体を起こし、暑苦しい寝室からリビングに出る。

 冷房のかかったリビングに併設されているキッチン。そこに健治と満の姿があった。料理中のようだ。

「あ、雅治さん、おはようっす!」

「ぉ、おはよう。」

「すいません、勝手に色々使って勝手に料理してますけど。」

「いや、いいけど、大丈夫なの?」

「健治さんも料理ができるみたいなんで、二人で連携してやってます!」

「へー、健治も万能なんだ。」

「・・・ガスの使い方が分からなかったみたいなので、教えておきましたよ。」

「おお、そうか。それは助かる。」

「・・・面目ない次第でござる。」

 やや気恥ずかしそうに健治が言った。

 満曰く、もう足の痛みも引いたそうだし、朝食ももうすぐ出来るから待っていて欲しいとのこと。だから、僕は大人しくリビングのダイニングテーブルに腰掛けた。

 満といい、健治といい、キビキビと、流れるようにその手を進め、料理が作られていく。満はまだ年代的にも料理なんかしなさそうなのに、器用で慣れた手つきは、さながらテレビに出てくるイケメン料理家のようだ。健治はガスの使い方に慣れないながらも、調理の素早さには一種の職人気質のようなものを感じる手さばきだ。それを僕は、まるでレストランで料理を待つ客のように、期待に胸を膨らませながら待っている。

 時計はまだ午前6時半。朝から日差しが強く、気温も30度に迫っているらしい。日本海側って、四季がはっきりしている分、暑さと寒さは極端なんだな・・・

 やがて、満と健治が出来たての料理を持ってきてくれた。野菜炒めに焼き魚、厚焼き玉子、それと冷蔵庫に入っていたポテトサラダ。炊き立てのご飯には納豆でもかけて食べようかな。とにかく、村の喫茶店で洋食ばかり食べていた僕にとっては、和食はある意味で新鮮な感じがある。

「「「いただきます!」」」

 男三人で食卓を囲むことも、これまた新鮮だ。

 いつかここで家族と食事をすることを無駄に期待して、ダイニングテーブルを購入した。まさかこんな形で実現しようとは。

「にしても、健治さんって面白い人っすよね~。」

 食事中に満が口を開く。・・・そうか、僕が起きるまでずっと二人きりだったもんな。

「確かに、話し方が少々ぎこちないというか、古臭いというか・・・」

「・・・・・・」

 当の本人――健治は黙々と箸を進める。うーん、礼儀正しさで言ったら鏡のような人間なのだが。

「どこで知り合ったんですかぁ?」

「えっ・・・・・・」

 僕はどう答えればいいか分からなかった。いや、分かっていたはずなのに、おそらく満に言うことまでは予想していなかったのだろう。とてもじゃないが、そっくりそのまま満に言うと、いろいろとややこしくなる。

「・・・あぁ、ホームレスだったんだよ。困窮してるみたいだったから連れて来た。」

「ふぅん、その割には逞しい体つきしてますね。」

「うっ・・・いや、それは満の偏見だよ。」

「じゃあ、小難しい話し方をするのは?第一、見ず知らずのホームレス連れてきて大丈夫なの?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 矢継ぎ早に質問を浴びせられ、僕が何と答えたらいいのか考えていると、満も釣られて黙り込んでしまう。・・・健治はさっきから黙って箸を進めている。

「話し方に難があるのは、何か理由があるんだと思うけど、まだ細かい話は分からないよ。でも、これだけは言える。僕は多分・・・」

「多分?」

「・・・健治のこと、信じてるんだと思う。」

「・・・・・・」

「でなきゃ、得体の知れない、しかも武士みたいな言葉を話す人なんか、自分の家に招き入れないでしょ?」

「・・・・・・」

「医者の仕事もそうだけど、人を信じないと始まらないよ。治療費やQOLの話をする前に患者を信用しろ、っていうのが僕の恩師の名言でね・・・」

「・・・信じる、か。」

「満だって信じてる人いるでしょ?満月さ・・・お母さんとか、あとは・・・伴夜とか!・・・ああでも、いきなり誰かを信じるのは、さすがにムズイかなぁ。」

「伴夜のことは、初対面のときから信じてますよ。最初に知り合ったヤツでもあり、今の大親友でもありますから!」

「お、大事だよ、その心意気!これからも仲良くやっていけよ!」

「はい!」

 健治が終始黙ったままなので、僕ら二人だけ盛り上がってしまっていたが、それでもこれほど華やかな朝食は初めてだ。朝から堅苦しい説教みたいで、何をやっているんだろうと僕はしばらくして反省するのだが、満が笑顔になってくれただけで、まあいいかと自己解決している。

「ごちそうさまー!」

「満、食器片付けたら、ソファに置いてある服、健治に着せてあげてくれない?」

「サイズ合いますかぁ?」

「多分合うと思う。」

「かー・・・小さい子供に服着せるみたいっすね。」

「・・・かたじけない。」

 そうは言っても、現代風の所作は何度かやれば健治も慣れているし、洋服の着方も覚えるだろう。

 僕もその間に着替える。時計を見ると7時半。既に水穂ちゃんは診療所でスタンバイしているだろう。満を家に送っていく時間を入れても、何とか午前の受付に間に合うはずだ。運がよければ菘さんとバッタリ・・・

「健治さん、大丈夫っすか?」

「ああ、面目ない。」

 何やら悪戦苦闘しているようなので、リビングに戻ってみると、大胸筋が浮き出て、襟のボタンが今にも弾け飛びそうなくらいにピッチピチの服を着た健治がいた。満がそれを見て困惑している。

「・・・そりゃあ、僕はそんな胸板厚くないからね。」

「ズボンは何とか自分ではけそうっすね。」

「・・・・・・」

 服のチョイスを間違えたことを後悔する僕。今にも破けてしまいそうな服装に困惑する満。着慣れない洋服に違和感を覚えて赤面する健治。なんとシュールな画なんだろう。

「さてと、準備も出来たし、そろそろ行こうか!」

 切り替えていこう!と自分の中で気合を入れ、満と健治を連れて自室を出、車に乗って駐車場から出る。出雲市街には朝からサラリーマンの姿も目立つ。観光客が来るのはもう少し後だ。

 出雲大社の前を通り、社不知村に通じる海沿いの一本道に入る。窓を開けると、心地いい海風が入ってくる。

「うーん、涼しー!こんな風にここを走ったの、初めてだなぁ!」

「出雲の街の方には行かないの?」

「滅多に行かないっすよ。大事な用、とかもないし。」

「そうなのか・・・」

 しょっちゅうここを通る僕には、その羨ましさは分からなかったし、むしろ微妙な通勤距離が短くなるのなら村内にいた方がいいと思いつつある。

 本山家の前で車を止め、満を降ろす。

「あざっす、送ってくれて。」

「今から学校間に合う?」

「間に合いますよ!母もちょうど深夜勤でいないし、ちょうどいいっす。」

「そうか・・・じゃ、頑張れよ~」

「雅治さんも、行ってらっしゃい!」

 さて、次は健治をどうしよう。どこの家の出か分からない以前に記憶が曖昧でどうにもならない。一応常識と判断力はあるので、盗みを犯すようなことはしないだろう。ただ、何をするのかも見当がつかないし、適当にその辺にポイッと放って徘徊でもされたら困る。

「ん?あそこは・・・」

 どうしようものかとドライブしていると、健治があるものに目を留める。視線の先には社不知神社があった。

「・・・神社?いい場所だけど、1日中あそこにいるものまずいよなぁ・・・お。」

 ここに来てようやくひらめいた。僕ってやっぱり長考すれば良い答えが出せるのか。・・・それって医者には不向きだということにもなるが。

「よし、じゃあこれを渡すから、何かを買うときとかに使ってよ。で、この村の中ならどこにでもいていいけど、山の中とか周りに何もないところには行かないようにね。夕方くらいには迎えにいけると思うから、そのときはこの辺にいてね。」

「・・・承知つかまつった。」

 僕は健治に千円札を数枚握らせ、神社の前で下ろした。傍から見れば変質者には見えないが、挙動不審でしょっ引かれるという最悪の展開も覚悟しておく必要があるかもしれない。

「さてと、仕事仕事。」

 僕は改めて診療所への道を急いだ。


 川沿いの草むらを駆け抜ける一つの影。その背後には紫色の霧が迫り来る。

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」

 いくら走っても、影のようにぴったりと張り付いてくる紫色の霧は、見た目だけでもそれが危険なものだと安易に想像がつく。

「・・・ウンディーネ・・・聞こえますか・・・?」

 急に背中を押されるような強い追い風が吹いてくる。その中に、聞き覚えのある声が混じった。

「・・・シルフィード、そこにいるの!?」

 私の声に応えるように、力強い追い風に紛れて姿を現した。身軽だし、空を飛べるので、今となってはシルフィードが羨ましく思える。

「一体、この森で何が起こっているのでしょう?」

「知るわけないでしょ!どうなるかも知ったこっちゃないわよ!」

「・・・とにかく、この先に山があったはずです。そこを越えれば霧も来なくなるはずです。」

「だといいけど・・・」

 とにかく全力で走った。シルフィードが後押ししてくれて助かった。おかげで例の霧も、気付けばはるか後方にある。きっと食い止めるように霧の方にも風を送っているのだろう。

 やがて視界の先に見えていた山が、どんどんと近くなり、麓までやってきた。

「・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・ちょ、ちょっと休ませて・・・」

「結構な距離、ずっと走り抜けましたからね。私もちょっと疲れました。」

「この辺で少し休もうか。霧も見えないし、今来ても動けないだろうから。」

 川沿いにずっと走ってきて、山の麓のところにある池に辿り着いた。ウンディーネはその中に躊躇いなく飛び込み、水浴びを始める。シルフィードは木陰の丸太に腰を下ろした。

「う~ん、気持ちいい~♪やっぱり水は最高ね!あなたもどう?」

「ふふふ、いいですよ。人には人の好みがありますから。あなたは水が好きだし、私は森の中を縦横無尽に駆け巡る心地よい風と澄んだ空気が好き。それぞれの好きなものを満喫するのが一番じゃないですか?」

「そうかなぁ。同じ楽しみを二人以上で共有できたらもっと価値のある物になると思うけど。」

「まあ、考えも人それぞれですから。」

「もー、またそんな風にはぐらかして。」

「ふふふ。」

 水の精霊と風の精霊。決して親しい仲というわけでも、仲違いしているわけでもない2人。それは2人の精霊それぞれの司るものが違うからとも言えるが、それで思考や理想、好みなどのベクトルが、完全に一致するとも全く違うとも言えない。

 暫し休息の時を過ごしていると、自分たちが走ってきた方から、白波が水しぶきを上げて勢いよく迫ってくるのが見えた。

「何、もう来たの!?」

「・・・・・・いや、霧は見えませんよ。でも、あれって・・・」

 警戒して水辺に上がるウンディーネ。やがて荒波は目の前に来て静かになった。

「・・・何かいますね、気をつけましょう。」

「そうね・・・」

 シーンと静まり返った水面を2人で眺める。その刹那、巨大な物体が水面から勢いよく姿を現した。

「「わっ!!」」

 水辺にいたウンディーネとシルフィードに水しぶきがかかる。目を擦って、見開いた先にあった物体は・・・

「おい、どこ行ったんだよ、ウンディーネ!いなくなるなんてひでえよ!」

「・・・あ、ありゃ?」

 あまりの巨体にビックリしたが、それはリヴァイアサンだった。

 私が紫色の霧を目撃して一目散に逃げてきたとき、リヴァイアサンはいなかった。だから道中、何度か彼を気にかけたが、至って平気なようだ。

「私ならここよ。」

「・・・お、いたいた。全く、無駄に心配かけさせやがって。」

「・・・必死だったんだもん。それにリヴァイアサンだっていなかったじゃない!」

 二人の会話にシルフィードが水を差す。

「ほらほら、痴話喧嘩はその辺にして。第一、リヴァイアサンもあの霧から逃げてきたのでしょ?」

「まあな。あの毒霧、もろに吸ったらまずそうだが、水面下なら問題なかった。だからソッコーで泳いできたってわけよ。」

「あれってやっぱり毒霧なの?」

「多分な。少なくとも、俺がちょっと顔出しただけで、結構煙たくて息苦しかったから、長時間吸ったらまずいだろ。」

「やっぱり山の上に逃げるしかないのね・・・」

「何、山の上にしか逃げ場がないのか!?」

「・・・・・・どうなの、シルフィード?」

「・・・ええ、このまま陸地を彷徨っていても埒が明かないと思うのです。私の力で霧払いをするのも限界があります。」

「仮にそこまでいくとしてだ、俺はどうすればいいんだ?干からびて死んじまうよ。」

「・・・困ったら私があなたの頭上にでも雨雲を作ってあげるから。」

「そりゃどうも。」

「とにかく、さっきの霧が来る前に、行きましょう。リヴァイアサン、陸まで上がって来れますか?」

「いまいち気が進まねーけど、ここにいたって時間の無駄だ。とりあえず、山の上までお供するか。」

 リヴァイアサンはその巨体を陸地に持ち上げた。そのときに小さな地響きが起きて、さながら地震のようだった。

「さ、モタモタしてても、毒霧に巻かれるか俺が干からびるかだぜ。サクサク行くぞ!」

「言われなくても行くわよ!」

「行きましょう!」

 ウンディーネは歩き、シルフィードは飛び、リヴァイアサンは巨体を這わせて、山道を登り始めた。


 公民館の駐車場に車を止め、足早に診療所の中に入る。梅雨前なのに、真夏を思わせる蒸し暑さから、一刻も早く逃れたかったのだ。

 診療所の扉の向こうから、何やら賑やかな話し声が聞こえる。誰かいるのだろうか、警戒しつつ扉を開ける。

「・・・あ、雅治さん、おはようございます!」

「おはようございます、雅治さん!今日もいい天気ですね!」

 水穂ちゃんと魅鳥ちゃんがいた。どうやら思った以上に遠回りしてきてしまったようだ。

「おはよう、二人とも。」

「雅治さんに、郵便物がいくらか届いてますよ。」

「お、嬉しいね。ありがとう、魅鳥ちゃん。」

「いいえ、それが仕事ですから。じゃ、失礼しますね!」

「うん、お疲れ様!」

 僕は魅鳥ちゃんから、分厚い封筒を2つ受け取る。魅鳥ちゃんが去った後、僕はそれを持って診察室に入る。まだ受付開始までは時間があるし、ちょっと調べごとをしてみようと思う。カバンの中からノートパソコンを引っ張り出し、電源を入れてデスクトップを立ち上げる。その間に届いた封筒を一つずつ開けていく。

 一つは差出人が「大森能久」になっていた。あの強面の島根県知事からだ。前から話していた福岡での医療シンポジウムの話だろう。中身を一つずつ取り出していく。シンポジウムのパンフレット、依頼だの感謝だの堅苦しい文面で埋め尽くされたプリントが2枚、そして小さな封筒には出張費、の代わりに航空券やホテルの予約票なんかが入っていた。

 僕はまずパンフレットを開いた。

 何年も前から行われている日本医師学会主催の医療シンポジウムで、会長は国立医大の学長も兼任しているんだとか。目的は主に日本の医療の現状などを提示し、今後の医療技術乃至医療環境について話し合うこと。それとは別に、開催される度に変わるテーマを元に、ゲストみたいな形で専門家を招き、別の観点から切り込んでいくスタイルの会合も行われる。ここ数年のテーマを見てみると、「日本国内で猛威を振るう熱帯性感染病」とか「若年化の進む性感染症」とか。なぜか今年は「地方医療の現状」となっている。開催地もその都度変わるらしく、東京、大阪、名古屋、札幌、仙台、新潟、広島、松山、福岡、那覇と、各地方でローテーションのようなものを組んでいるのだろう。ここからだと広島が一番近いが、まだ札幌とか沖縄じゃないだけ不幸中の幸いとでも思おう。

 結構規模の大きい学会のようで、お偉いさんとかが出てくることなど容易に想像がつくし、緊張して堅くならないか、ちょっぴり不安ではある。

 続いて僕は堅苦しい言葉が多いプリントを引っ張り出し、読むことにした。1枚目は大森さんからだ。

「この度は日本医師学会主催の医療シンポジウムへのご出席依頼に応じていただき、誠にありがとうございます。社不知村のみならず、島根県の代表として健闘されることをお祈りしております・・・うげぇ。」

 そこから、のんびり読むのもしんどくなりそうな、ウダウダと堅苦しい字面で埋め尽くした文章だった。

 所々読み飛ばしつつ、内容を要約してみれば、島根県の看板を背負って、地方医療のありのままを日本全国に向けて発信してほしい、とのこと。遠回しに売り込みをして来いと言われているようで、あまり気に食わない文面になっている。

 2枚目は主催者でもある日本医師学会の方から、感謝の言葉と、具体的な流れの説明、簡単な挨拶、といった形の文面だった。・・・こっちの方がもっと堅苦しかった・・・

 ノートパソコンに目を移すと、既にデスクトップが立ち上がっていたので、インターネットを開いて検索エンジンにキーワードを打ち込む。

「えーっと・・・須佐木、人名、っと。」

 今回は予測変換の欄には何も出なかった。そりゃそうだ、珍しい人名だし、そんなこといちいち検索する人なんかいないだろう。前世とかが知りたい人でもない限り。

「・・・・・・え?」

 一番上に出てきたサイト名を疑った。・・・いや、疑いようのない事実なのだろうが、あまりに意外すぎて、こっちが信じたくなくなるような内容だった。

「島根県沖で男性漂流 溺れたか」

 そういう見出しで始まるニュース記事だった。恐る恐るそのリンクをクリックしてみる。

 ニュースの日付は去年の11月半ば。内容は以下の通りであった。

「16日午前、島根県社不知灯台の沖合い8キロの地点で、男性が漂流しているのを、航行中の漁船が発見し、救助。その後救急隊によって病院まで搬送されたが、極度の低体温状態で、意識不明の重体。服装に乱れはないものの、所持品などはなく、17日午前11時現在、男性の身元は不明のまま。警察は男性の身元確認を急ぐとともに、海上保安庁とともに漂流した原因を調査する方針。」

 記事を読んで呆然としてしまった。思わず額に手を当ててしまう。関連する記事に、もう一つ気になるものがあった。「漂流男性の身元が判明」という見出しだった。

「16日の午前に島根県社不知灯台の沖合いで漂流しているのを発見され、現在も意識不明の重体となっている男性の身元が19日判明。男性は無職 須佐木健治さん(27)。出身地は島根県雲南市となっているが、現住所は不明。漂流した原因やその経緯は未だに不明のまま。」

 意外と人の識別なんていくらでもやる方法はあるんだな。死体に限らず、色々と手段は多い。DNAや指紋、歯型・・・最近の最新技術を持ってすれば、他にも様々な方法がある。

 16日に見つかり、19日に身元が判明。しかし未だに意識は戻らず、漂流した原因も分からないまま。他にもっと細かい情報はないだろうかと、関連記事の欄を探った。

「・・・・・・あれ?」

 ・・・ない。

 普通なら、死亡したとか、回復したとかあるはずなのに、そういった記事が全然ないのだ。一番新しい記事でも4ヶ月前のもの。ほとんどのマスコミがこんな事故は忘れているのだろう。4ヶ月もあれば、他に目ぼしいネタなんかいくらでも手に入る。きっとそんな魂胆なんだろう。忘れられる側の身にもなってほしいものだ。

 と、こんなところでマスコミに対する愚痴をこぼしている場合ではない。次の検索ワードを打ち込んだ。

「カエルのぬいぐるみ、と。」

 昨日見つけた、例のぬいぐるみのことが気になった。だがそれだけ打ち込んで検索すると、通信販売やオークションサイトのリンクばかり出てきたので、画像検索に切り替える。

「えーっと・・・」

 結構似たようなぬいぐるみがずらりと表示される。僕は昨日携帯電話で撮った写真を表示し、照合作業を始める。

「・・・・・・・・・・・・何だこれ?」

 ケロロ軍曹だのディズニー映画のカーミットだの、全く関係ないのまで出てきてしまった。とはいえ、カエルのぬいぐるみと一口に言っても、その種類は様々。先述したようなキャラクター化されているものがあれば、癒し系の可愛らしいもの、表皮の毒々しいラインまでリアルに再現されて逆に気持ち悪いものも。

「・・・あった。」

 それっぽいものを探り当てる。顔も全部緑色、唯一お腹だけ白くて、目玉は黒くて大きい、胸元に赤と白の勾玉のようなペンダントをつけている・・・完全一致した。

 画像を提供しているサイトのリンクをクリックすると、やはり通信販売のサイトに行き着いた。メーカーとかも表示されているが、どうやら大手オモチャメーカーが出しているもので、それなりに流通しているらしく、品番とかを確認するのは無駄なようだ。

 この件に関して、収穫はほとんどなかったと言えるだろう。インターネットも多様化するし、なかなか思い通りに行かないことだってある。時間があったらもう少し調べてみよう。

 時計を見ると午前の診療開始に迫っていた。僕はノートパソコンを片付け、最後に残った封筒を開ける。差出人は、僕が地下空間で見つけた人骨の鑑定をお願いした、民間の研究機関になっている。

 封筒の中には、「鑑定結果報告書」と書かれた分厚い冊子状の紙の束が入っていた。立派な機関で立派な鑑定をしてくれたんだろうなぁ、と期待と疑念を抱きつつ、冊子のページを捲った。

 1ページ目には、目次と、今回の鑑定の目的、方法、書類などの機密性が事細かに記されている。まあ、長めの前書きとでも思って、結果報告となっている次のページを捲った。

「・・・・・・・・・・・・えっ。」

 ページの中央にやや大きめに書かれた結果の欄の文字に愕然とした。同時に悪寒が襲ってくる。

 嘘だろ・・・・・・こんなことってあるのか。不安で手が震え始める。どうやってこの事実を受け入れればいいのだろうか・・・

「・・・ぁ、おはようございます、菘さん!」

「水穂ちゃん、おはよう。雅治は?」

「もう診察室入りしていますよ。」

「そう。すぐ着替えてくるから。」

「はあい。」

 菘さんが来たようだ。時計を見ると外来受付の開始時間が迫っている。急いで資料を片付け、診察開始の準備を整えた。


 真っ暗闇に差し込む朝日。空は橙色から淡い青色へ、鮮やかな色合いを醸し出しているが、眼下にはどす黒い霧が漂うばかり。

 その中を駆け抜ける8本足の天馬、スレイプニル。その背には二人の影。

「ねえ、もう大分飛んでない?」

「もうすぐだから・・・お、見えてきた!」

 天空に浮かぶ城。それは、かつてティアマトと一時を過ごした城とは桁が違う大きさの、城というよりは宮殿に近いものだった。

 スレイプニルは建物から突き出したベランダに着地した。ロキに介抱されながら、エキドナもベランダに降り立つ。

「なぜにベランダ?」

「ここからなら誰にも気付かれないだろ、多分。」

「・・・・・・・・・・・・」

 ベランダから寝室に入る。ロキの寝室なのだろうか、ティアマトのそれとほとんど同じような異彩を放つインテリアが多い。

 部屋を出ると左右に長い廊下が伸びている。迷うことなくロキはその廊下を進んでいった。

「どこに行くの?」

「とりあえず、腹減ったろ?飯でも食うか。」

 一応こちらの質問には素直に答えてくれるようにはなったが、それでもその先に何が待ち受けているのか、どういう意図があるのかは未だに不明のままだ。

 廊下の突き当たりは上下に伸びる石段になっていた。そそくさと階段を下り始めるロキに私も続こうとしたが、何しろ足の代わりに蛇の体なのだ、そんなに急げるわけがない。おばさんくさく、「よっこらしょ」と言いながら、ゆっくりと階段を下り始めた私の目の前に、ロキの手が差し出される。

「手伝おうか?」

「・・・ぅ、うん。」

 私は赤面してまともに返事も出来なかった。渋々手を伸ばすと、その手を勢いよく引っ張られる。

「うわあ!」

 つんのめったまま落ちていく私の上半身を、片手で慣れたように抱き上げ、反動で伸びた下半身をもう片方の手で抱き上げるロキ。

「えっ・・・」

 まさかのお姫様抱っこに、ただでさえ赤面しているのに、体中が火照ってくるのを感じずにはいられない。

 それに・・・なんだろう。体が火照っているのにも理由があるはずだ。ひょっとすると、ロキの手が熱くなってる?

「・・・・・・な、何だよ、こっち見るんじゃねぇ・・・」

 不意にロキと目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。ロキにも私の赤面が移ったようだ。

 足早に石段を駆け下り、階下に辿り着くなり、私をそっと下ろしてくれた。

「・・・ぁ、ありがとね。」

「いや・・・こうでもしないと、お前、下りれないだろ?」

「うん・・・・・・」

「さ、早く行こうぜ。」

「ひゃっ・・・」

 今度は手を繋いできた。私は相変わらず顔を紅潮させるが、今度のロキはしっかりとこちらを見つめている。

 そりゃ不安もあるし、こんな気障なヤツのことを信じられるかも疑問だ。でも、今はロキが私のことを気にかけてくれているのだから、私もそれなりに答えてあげないと。いつまでも赤面しているのはよくないと思う。私自身も変わっていかないといけないのか。

 いつしか地上のことなどどうでもよく思えていたのだろう。そんなことは頭の片隅にもなく、ただロキと長い廊下を歩き続けていた。


「・・・・・・ぐぅ~」

 静まり返る診察室に鳴り響くお腹の音。朝食はたくさん食べたが、時間的にちょっと早すぎたのもあって、お昼前には限界が近づく。

 もうすぐ6月。梅雨に入り、観光客もいなくなる、寂しい平日が続く。暇だし、狡貴の回診に行っても爆睡しているし、僕も空腹感に苛まれ始めるし・・・

 診療所の奥にある急患受付の電話が鳴り出し、僕は素早く立ち上がる。やっとのことで仕事だ。

「はい、社不知診療所です。」

「お、その声は雅治か、ちょうどよかった。」

「おう、海斗、どうした?急患ならいつでもいいよ。」

「いや、そうなんだけどさ。」

 ありゃ、予想と違う返答が帰ってきて面食らう。

「今俺、守崎の方でガス漏れの通報があったから向かおうとしてるんだけどよ、ついさっき高校からも通報があってさ、急患の。」

「あ、そうなの?」

 守崎地区と高校のある高徳院地区は逆方向だ。なんとなく、電話の内容がつかめてくる。

「それでさ、悪いんだけどよ、雅治、高校の方に行ってくれねーか?」

「えっ・・・」

 全く予想していなかった仕事の依頼に、僕は肩を落とす。

「いいけど、どんな症状なの?」

「電話で聞いた感じだと、頭痛、吐き気、意識喪失の症状を訴えてるヤツが何人かいるんだと。」

「うん・・・え、ちょっと待って、何人か?」

「ああ、化学の実験中に発生した気体を吸ったらしい。」

「何、シアン化物じゃないよね?それだと手に負えないよ。」

「詳細は分からないけど、とにかくそっちは雅治の方が詳しそうだから、とりあえず高校に行ってくれないか?こっちはガス漏れを何とかするから。」

「よし、分かったよ。高校の方は任せておけ。」

 受話器を置くと、僕は処置室の棚から応急処置に必要な最低限の道具が一式揃った救急セットを引っ張り出し、入り口へと駆け出す。

「あれ、雅治さん、どこ行くの!?」

 受付でぼーっとしていた水穂ちゃんに声をかけられる。

「あー、ごめん!海斗の応援に行ってくるから、菘さんと留守番よろしくね!」

「・・・あ、うん、分かった。」

 僕は診療所のドアを開け、公民館の外の駐車場から自分の車に乗り込む。助手席にさっきの救急セットを放り投げ、エンジンをスタートさせて、高校へと急いだ。

 ほんの少し西に走ったところ、山の斜面を切り開いたところに、社不知高校はあった。僕は開きっぱなしの校門から校庭に車を滑り込ませ、昇降口の手前で車を止めた。

「・・・・・・ん?」

 辺り一面に、鼻を突くような刺激臭が充満している。温泉でよく漂っている硫黄の匂い。まさか・・・

 校舎を見てみると、ほとんど全ての窓が全開にされていて、窓辺や昇降口の下駄箱の辺りには、生徒たちが集っているのが見える。・・・嫌な予感がする。

 僕が着いたことに最初に気付いて、僕の方に走ってきたのは、担任の先生でも校長先生でもなく、満だった。

「雅治さん、やっと来てくれた!」

「どうなってるの!?」

「話は後、とにかく来て!」

 僕は満に先導され、校舎内を駆け抜ける。

 階段を上がると、さっきから感じている硫黄の匂いが強くなってくる。よほど濃度が濃いのか、僕まで目がヒリヒリと痛んできたぞ・・・

「先生、雅治さん呼んできました!」

 2階に着いて、満が走っていった方向に目をやると、担任の先生だろうか、若い男の先生と目があった。満はそのまま自分の教室に戻っていった。

「ああ、先生、来てくれて本当に助かります!」

「何があったんですか?」

「化学の授業で、硫化鉄に塩酸を混ぜる実験をしたんですが・・・どうやら塩酸の濃度が思った以上に濃かったらしくて、実験室中に硫化水素が充満しているらしくて・・・ゲホッ、ゲホッ。一斉に窓とドアを開けて換気してるんですが、どうも今日は風が弱くて・・・一応、ゴホッ、生徒は全員他の教室に避難させました。実験室の方も、周囲は立ち入り禁止にしています。」

 先生は僕の背後を指差して言った。そっちには、教室にあったであろう机を2段重ねにして、すずらんテープで固定した、高いバリケードが置いてある。

「大体の状況は読めました。先生もなるべく、空気の新鮮な場所にいてください。重症の生徒はいますか?」

「ああ、ゴホッ、症状のひどい生徒は1階の保健室に寝かせています。」

 僕としては気になることがまだたくさんある。それを尋ねずにはいられなくなっているのが、たまらなく馬鹿らしかった。

「この学校って、保健室の先生は・・・」

「非常勤なんです。今日は不在でして・・・」

「あと、実験室にドラフトチャンバーってないんですか?」

 ドラフトチャンバーは、化学の実験において、有害な物質が発生する場合に、有害な気体や揮発性の液体なんかを扱うときに、実験者の安全確保のために用いられる排気装置のこと。壁に埋め込まれているタイプが主で、水道やガスなどの配管も通っている他、突然の爆発にも耐えられるスライド式のガラス窓、換気扇や消火機能もついているスグレモノ。だいたいの学校には設置されているが、まだ設置されていない学校もある。

「この学校にはないんですよ。近々改修が予定されているらしいですが、うちにはまだ・・・」

 この学校もその一つだった。僕は情報に対するお礼をすると、階段を駆け下りて保健室に向かった。

 まだほんのりと硫化水素の匂いが残る保健室に辿り着いた。何人かの生徒の唸り声や咳き込む声が聞こえる。気のせいか、僕もさっきから頭が痛い。なるべく早くケリをつけたい。

「あ、雅治さん、来てくれたんですか。」

 ソファに腰掛けていたのは伴夜だった。僕が近寄ると、伴夜は激しくむせこんだ。

「どんな症状?」

「さっきからずっとこんな感じです。息苦しくて、ゲホッ、咳がひどくて・・・」

「じゃあ、とりあえず、これつけよう。」

 呼吸機能を促進するマスクを伴夜につけてあげる。

「・・・はぁ、大分楽になりました。他の奴らにもしてあげてください。」

「OK。」

 保健室の奥にはベッドがいくつか並んでいる。そのうちの1つはカーテンが開け放たれ、ベッドに悠馬と麻癒美が腰掛けているのが見えた。傍には車椅子も置いてある。

「二人とも、大丈夫?」

「私は大丈夫ですけど、悠馬が辛そうで・・・」

 頭を押さえて唸っているのは悠馬だった。とりあえず悠馬にもマスクをつける。

「頭痛がしんどいのなら、横になりなよ。手伝うから。」

「ああ、そうします。ありがとうございます・・・」

 僕と麻癒美ちゃんとで悠馬をベッドに寝かせ、念のため点滴を打っておく。

「はぁっ・・・・・・ぅぅん・・・・・・」

 どこからともなく荒々しい呼吸音が聞こえてきた。耳をすませるまでもなく、それは僕の背後のベッドから聞こえていると分かった。

「あっちには誰がいるの?」

「宝ちゃんです。さっきまでぐったりしてたんですけど、起きたのかもしれません。」

「ちょっと見てみるか。」

 僕はゆっくりと悠馬の許を離れ、隣のベッドのカーテンを勢いよく開けた。そこには確かに宝ちゃんがいたのだが、どうも様子が変だ。

「・・・うぅっ・・・・・・はあ・・・・・・」

「宝ちゃん、聞こえる!?」

 意識は混濁し、汗だくになり、顔色も悪く、何より呼吸が辛そうだ。あの硫化水素をもろに吸ってしまったのだろう。宝ちゃんにもマスクをつけてあげて、口とは逆の端を酸素ボトルに繋ぎ、酸素吸入で症状を軽くさせるのが目的だ。

 さてと、ここからどうしよう。僕は医者であって、目の前にいる重篤な患者を見捨てることはできない。でも相手は難しい年頃の女子だ。いくらなんでも素っ裸にするのはまずいんじゃないか、とか下心丸出しで余計なことを考えつつも、僕は医者としてやるべきことをした。

 どの道、汗が衣服にまとわりついて、体温を低下させて新たな感染症にかかっては元も子もないし、心臓の音を聴診する必要もあるし、服を脱がすことは不可避だった。

 胸元にぶら下がった小さなペンダントが揺れた。自然とそれに目が行く。それは満がつけているようなものに近いが、銀製の十字架の代わりに、真紅の宝石が埋め込まれたペンダントが付いている。綺麗だなぁ、この村には高校生のうちからこんな豪勢なものを持たせる習慣でもあるのか?貧乏人風情丸出しにしつつ、診察を続行する。

「・・・はふぅ・・・・・・はふぅ・・・・・・」

 マスクのせいでそんな音に聞こえるのだが、その音がどこか厭らしくて、集中力が保てない。何とか汗だくの体をタオルで拭いてあげて、まだ小さな胸の谷間に聴診器を押し当てて聴診した。ちょっと脈拍が安定しないので、抗不整脈薬を静脈注射で投与した。

「・・・・・・何か凄い画ですね。」

「俺もそう思う・・・」

 突如として背後から麻癒美と悠馬にぶつけられた言葉が突き刺さる。何だ、悠馬も麻癒美も白い目でこっちを見てる・・・

「・・・・・・み、見なかったことにして。」

「「・・・・・・」」

 苦し紛れにそう言うと、僕は宝ちゃんの服装を元通りに戻して、上から毛布をかけてあげた。そして養護教諭用の丸椅子にどっかりと腰を下ろす。

 僕も僕でボロボロだ。少なからずあの硫化水素を吸ったから、目も頭も痛い。僕も彼らに紛れて、ちょっと休まないと。

 ヒリヒリ痛む頭を押さえながら、昇降口から外に出る。僕を出迎えてくれたのは新鮮な空気だけでなく、焼け付くような昼間の日差しだった。梅雨の前の晴れ間とはいえ、頭痛をさらに促すようであまり嬉しくはない。手でうちわを作って仰いでいると、校門から1台の自転車が入ってきた。乗っているのは魎だ。

「雅治、大丈夫かぁ?」

「ああ、魎、できればそこの校門に立入禁止のテープでも張っておいてくれるかな。まずいものが充満してるんだ、この辺。」

「まずいもの?」

 僕は背後の校舎を指差して、「硫化水素だよ。吸ってみるか?」と茶化した。

 校門の方から、今度は鈴の音が聞こえてきた。校門に止まる自転車には魅鳥ちゃんが乗っていた。

「どうかしたのですか?」

「ああ、あんまり近づかないほうがいいよ、有毒ガスが充満してるから。」

「え、本当ですか?」

 魎は決して茶化しているつもりではないのだろうが、声質からして恐ろしく聞こえる。

「魅鳥ちゃんは、配達の途中?」

「はい、ちょっと前に出雲の郵便局から郵便物が届いたので。」

「大変そうだね、頑張って!」

「はい、ありがとうございます!」

「おいおい、俺を除け者にして華やかに話して・・・」

「はっはっは、憎けりゃお前も頑張るんだな!」

「何をー!?」

「あっははは!面白いですね、二人とも!」

 3人での他愛もない会話。僕、魎、魅鳥ちゃんという組み合わせも初めてだし、校門という場所も始めてだったから、その新鮮さに酔いしれていた。

 パリーン!

 それを破ったのが、窓ガラスの割れる音だった。それは背後の校舎から聞こえてきた。

「え、何?」

 校舎の窓を一つ一つ目で追っていくと、2階の1ヶ所の窓ガラスが派手に割れていた。

「ね、ねえ、煙出てません!?」

 魅鳥ちゃんの言うとおり、薄っすらと白い煙が、割れた窓ガラスから上空へと上っていた。

「大変だ!」

 僕は形振り構わず校舎内へ駆け戻る。

「おい、待て!」

 魎の制止を振り払い、校舎内へ戻って階段を駆け上がる。頭の中でさっき見えた窓ガラスの位置を念頭に置き、そこに向かう。割れていた窓の方は、階段を上がって右側・・・

 二段重ねの机のバリケードが、一部退けられていた。・・・嫌な胸騒ぎがする。

 実験室の前には数人の姿があり、中には満や麻癒美、担任の先生もいる。全員、締め切られたドアの前で立ち竦んでいた。

「どうしたんですか!?」

「ああ、先生、私としたことが、まだ中に誰かいたみたいで・・・」

「えっ!?」

 僕は先生たちを掻き分けてドアの前に来る。締め切ったドアの前にいても、あの硫化水素の刺激臭は感じる。

 煙が充満する実験室の中に、生徒と思わしき誰かの人影があった。煙たくて出口が分からないのだろうか、室内を彷徨っているように見て取れた。

「あの中にいるのはまずい・・・皆さんは下がっていて下さい。僕が助けてきます。」

「無茶しないでくださいよ?!中は有毒物質でいっぱいなんですから。先生の身に何かあったら、誰が彼を助けるんですか!?」

「二の五の言ってる場合じゃないです。善は急げって言うでしょ?それと一緒です!」

 そういうと僕は、生徒や先生がバリケードの辺りまで下がったのを見届けて、勢いよく実験室の引き戸を開ける。

「うっ!」

 鼻をつく刺激臭が、薄い煙とともに噴き出してくる。ポケットからハンカチを取り出し、口元に当て、姿勢を低くしながら、壁伝いに室内に入っていく。火災からの避難訓練なら大学病院時代から何度かやっていたので、お手の物だ。

「おーい!ゲフッ、どこだー?」

 火災の煙というよりは、火山ガスの中に飛び込んだような感じだ。まだ硫黄の匂いを感じるだけ、僕はまだ健常なんだと思う。

「・・・来るな・・・・・・ッ。」

 しわがれたような声が聞こえてきた。既に重症化しているのだろうか。僕は声がした窓際へ急ぐ。そっちの方が酸素は濃かったが、割れた窓ガラスの部分が煙の噴出口となっているので、相変わらず視界は悪い。声がした辺りを探るように右手を伸ばす。

 そして、布状の何かに触れた感覚があったので、躊躇うことなくそれを引っつかむ。そのまま実験室から連れ出そうと、ハンカチを持った左手も伸ばしたときだった。

「触れるんじゃねぇッ!!」

 どんな剣幕かは煙のせいで見えなかったが、無防備な僕の体を簡単になぎ払った。

 なぎ払うというよりは、放り投げたといったほうが正しいだろう。僕だって大人だし、それなりの重さはある。それなのに、僕はまるでハンマー投げのハンマーのように軽々と放られた。誰に?さっき引っつかんだ相手にだ。

 パリーン!

 え?

 確かに尋常じゃない腕力で放られたけど、僕は今、実験室の窓ガラスを突き破って、青空を見上げている。何度も言うが、僕は赤ん坊のように軽いわけじゃない。じゃあ、僕は何で、青空を見ながら、自由落下しているんだ・・・嘘だろ・・・!?

「うわああああぁぁぁぁ!!」

 ガサッ!

 僕は落下の直前になるまで死を悟ることはなかった。目の前で起きていることが現実味を帯びていなくて、もしかしたら現実世界へ戻れるんじゃないかとさえ思った。

「ま、雅治さん、大丈夫ですか!?」

 でも、僕が今魅鳥ちゃんの上に寝そべっているというのが現実だ。上を見上げると、実験室の窓ガラスが2ヶ所割れ、そこから薄い煙が空へ上っていた。

「あれ、僕は・・・」

「雅治、魅鳥ちゃんも、大丈夫か!?」

 遅れて魎もやってくる。僕は状況をいまいち把握できないまま、重い腰を持ち上げて、下敷きにしてしまった魅鳥ちゃんを引き上げる。

「よかった。雅治が落ちてきたから、何があったのかと思ったぜ。」

「実は当の本人もあまり理解できてなくて。・・・そんなことより、実験室にいるヤツ、早いとこ取り押さえたほうがいいよ。意図的にあそこに閉じこもっているような気がしてきた。」

「そうなのか?」

「うん。煙たい実験室に一人でいたから、外に連れ出そうと思ったら、逆上されて突き落とされたんだ。・・・ようやく整理がついたよ。」

「何か裏がありそうだな。分かった、俺がひっ捕らえに行くぜ。」

「ひっ捕らえたら僕に引き渡してよ。」

「何でよ、拷問でもするのか?」

「しないよ。僕は医者だよ?応急処置するのが先だよ。本人は気付いていないかもしれないけど、あんな危なっかしい場所にいて無事なはずがない。」

「じゃあ、急がないといけないな。」

 魎はそれだけ言うと、僕を置いてさっさと校舎内へ入っていってしまった。

「魅鳥ちゃんはここにいて。また突き落とされるかもしれないし。」

「はい・・・」

「ところで・・・気になったんだけど。」

「何でしょうか?」

「えーっと、僕を受け止めてくれたんだよね?」

「・・・ええ、一応。いきなり落ちてきたので、無我夢中でした。」

「直前まで校門のところで魎と話してたんでしょ?実験室の下までどうやってきたの?」

「・・・・・・あのー、火事場の馬鹿力ってヤツですよ。雅治さんのところまで夢中で走りました。」

「へー・・・・・・」

 でも僕が落ち始めてから落下点まで、校門から走ってくるとしても20メートルはある。オリンピックで金メダルを取るような選手でも、僕があの窓を突き破って落ちてくるまでの数秒で、僕の下に潜り込んでくるのは無理がある。魅鳥ちゃんが人じゃなくて神速で来てくれたのか、はたまた僕が無重力状態になって浮いていたのか、とか訳の分からないことをつい考えてしまう。

「雅治さん、行かなくていいのですか?」

「・・・あ、ああ、ごめん、ぼーっとしてて。じゃあ、ここで待っててね。」

 僕は慌てて校舎内に駆け戻り、階段を駆け上がって実験室の前に戻る。

「雅治さん、無事でよかった・・・」

「一体、何があったんですか?」

 僕の姿を見て安心した満と麻癒美ちゃんに声をかけられた。

「どうやら一筋縄では行かなさそうだから、命拾いした後に助っ人を呼んだんだけど、魎のヤツ、どこ行った?」

「ああ、中にいますよ。」

「マジかよ!?」

 後を追うように僕も中に入る。相変わらず煙が充満している。

「ゲフッ、りょ、魎、どこ?」

 こっちの声もしわがれてきた。聞き取れなかったのか、返事はない。床の上にぶっ倒れているとか考えたくはないが、可能性はゼロではない。

 ガラガラッという音がした。スライド式の窓が開く音だ。窓の方に向かい、壁沿いに進む。そして再び右手を伸ばす。またしても布状のものに触れたので、勢いよく掴む。

「いてっ!」

 この声は魎だ。勢い余って腹の肉ごと抓ってしまった。

「魎、そこにいた・・・」

「全く、つまんだって薄皮一枚くらいの贅肉しかねーぞ、俺は。」

「そんなこと聞いてないよ。それより、いたの?」

「いや、見当たらないから窓開けて煙を外に出そうと思ってるんだが、なかなか消えねーんだよ、これ。」

「あいつもしかして、ここで硫化水素を大量に発生させてるんじゃないの?」

「そんなことして何になるんだよ?」

「そんなの僕が知りたいよ!」

 やがて煙が外に出て行って、室内の視界もクリアになってきた。すると、実験室の奥の方に、よろめきながら机と棚を往復する人影が見えた。この高校の制服を着ていて、悠馬や健治のような長い髪の毛は伴夜のように真っ白。全身から神聖なオーラを醸し出している。

「動くな!」

 魎がポケットから銃みたいなのを取り出した。

「それは・・・拳銃!?」

「馬鹿言え、銃は銃でも、テーザー銃ってもんだ。」

「てーざーじゅう?」

「まあ銃の形したスタンガンってところだ。あそこで何してるのか知らねーけど、少なくともお前を突き落としたし、この硫化水素を作り出している可能性もある。保険だ。」

「それは、頼りになるよ・・・」

 物怖じしつつ、そいつの方を振り返る。魎の脅しが通用したのか、そいつは棚に手を伸ばしたまま硬直している。

「おい、危ないから外に出るぞ!」

 僕は少し身構えながら、そいつの許に近づく。

「・・・来るなって言ってるだろ!!」

 相変わらずご機嫌斜めな様子だ。いきなり眼前にフラスコが飛んでくる。

「うわ!?」

 慌てて身を翻したが、その勢いで派手に尻餅をついてしまった。ヤバい、これだけあいつと近距離で、しかも仰向けだと、何も防御できない!

 パシュッ!

「がっ!!」

 乾いた音がして、見上げると、そいつの体が一瞬痙攣し、僕の目の前で派手に倒れこんだ。その胸元には針が2本。針に繋がったワイヤーは、魎の持つテーザー銃に繋がっていた。あの針が電極だったわけだ。

「よし、今のうちだ、担ぎ出すぞ!」

「分かってるよ!」

 倒れたまま微動だにしないそいつを担ぎ上げ、生徒の群れを掻き分けて1階の保健室に運び込む。

「はぁ・・・はぁ・・・」

 さっきの宝ちゃん並みに息苦しそうだが、硫化水素の中に長時間いたのだから、症状はもっと重いだろう。

 空いているベッドに寝かせ、救急箱からマスクを引っ張り出し、相手に取り付ける。脈拍が弱々しかったので、魎に酸素吸入を手伝わせ、僕は心臓マッサージを行った。やがて通常の呼吸・脈拍に戻ったので、しばらく様子を見ることにした。皮膚の色も黄緑色に変色しかかっていたので、あのまま放っておいたら危なかった。

「解毒剤を投与しておいたから、このまま様子見だね。」

「こんな状態になってまで、こいつは何がしたかったんだ?」

「さあ・・・実験に便乗して心中?それだったら一人実験室に残っていた理由が不可解だよなぁ・・・」

「校舎中にばら撒くために大量に作ったとかは?」

「それをやったところでどうなるのかも、自らの危険を顧みずにそこまでやったのも、やっぱり本人から聞き出すしかないのかなぁ。」

「一応、俺は有毒物質の発生時案でここに来てるから、生徒たちに聞き込みすることもできるぜ。一応、こいつのこと、聞いてみるか。」

「そうだね、ちょっと状況が読めない。」

 魎はそういって、保健室を去っていった。

 僕は再び頭痛を起こし、目頭を押さえる。ソファにもたれかかって天井を見上げると、幾分頭痛は引いた。・・・疲れてるのかなぁ。

「あのぉ・・・雅治さん。」

 後ろから宝ちゃんに声をかけられた。意識が戻ったのかな。カーテンを開けると、宝ちゃんが体を起こしていた。

「宝ちゃん、大丈夫なの?」

「ゴホッ、ええ、さっきよりは全然マシです。」

「よかった・・・」

「ところで、コウダイ君、どうしたんですか?」

「コウダイ君?」

「はい、柴原(しばはら) 高大(こうだい)君です。隣のベッドで寝てるでしょう?」

「え。」

 そこから気付いてたんだ。こいつの名前は柴原高大って言うのか・・・よーく覚えておこう。

「宝ちゃんも大変だったけど、高大はそれ以上にまずい状態だから、まだしばらくは寝かせて様子を見ないと。」

「そうですか・・・」

「・・・・・・?」

 どこか腑に落ちない反応だ。宝ちゃんは悠馬と仲がいいはずだし、高大と仲が良いのかは現段階では分からないが、そんな心のそこから心配するような目は、容易くできるものではない。

 悠馬が急患で運ばれてきたときは、それに加えて顔をくしゃくしゃにするまで号泣していたので、悠馬ほどではないのだろうが、それでもその目は誰にでも出来るものではない。

 その眼差しも気になったので、僕は丸椅子をベッドの傍まで持ってきて、腰を下ろして話を聞くことにした。

「僕はまだここに来たばっかりだから、あまり細かいことは知らないけど、高大ってどんな生徒なの?」

 気になることが多すぎて、出だしがちょっと警察の事情聴取臭くなってしまう。

「うーん、あんまり目立たない方ですねー。勉強も運動もできるんですけど、性格が暗いというか、ちょっと素っ気ないし、常に自分の世界に入ってる感じだから・・・あーでも、何か色々と噂もありますよ。関わったら恵まれるとか災厄がうんたらかんたらとか、在り来たりな感じですけど。」

「あの腕力なら、いじめられるどころか、誰かをいじめてそうな気もするけどね。交友関係とかは分かる?」

「座席が名前順なんで、悠馬君とか麻癒美ちゃんとかとは話しますね。その流れで、私とか伴夜君、満君とかとも話しますよ。」

 全体の人数が少ないのかもしれないが、少なくとも高大は僕の知っているここの生徒とは知り合いだ。他とはあまり関わっていないのだろう。

 ここで、僕はさっきからずっと引っかかっていたことを引き合いに出した。

「何か変なこととかしてなかった?」

「変なこと・・・ですか?」

「うん。僕、高大があの実験室に一人で閉じこもってたから、連れ出そうとしたんだけど、あの硫化水素の大量発生してる部屋に留まっただけじゃなく、僕らに対して歯向かってきたからさ。どこか尋常ならざる雰囲気を感じずにはいられなかったよ。」

「そんな・・・自殺願望があったなんて、知りませんでしたよ!?」

「いや、自殺願望かどうかはまだ分からないけど、その目的が何にせよ、普通じゃないよ、あれは。何か、変な趣味を持ってたとか、ないかな?動物を虐待乃至解剖とかしてるとか、ゴミ捨て場に放火したりとか。」

「そんなことはしないと思いますよ。むしろ環境委員で、花壇の水遣りとかしてます。」

「あのおっかないのが環境委員か、笑えちゃうな、何だか。」

「強いて言うなら、一部の人たちは『破壊神』って呼んでますよ、彼のこと。」

「ハカイシン!?」

「触れるものの大半を壊しちゃうんです、高大君。美術の授業では、完成直前の陶器を落として割っちゃうし、理科の実験でも、たまにビーカーとか試験管とかをぶつけて壊しちゃうんですよ。」

「それってどちらかというと『疫病神』なんじゃないの?単に不器用だとか。」

「『恵みの神』の一面もあるんですよ。さっき、高大君が環境委員だって言いましたけど、水遣りした花壇から四つ葉のクローバーが見つかったり、体育の授業とかでも高大君のいるチームは勝つんです。」

「それは運とか実力の問題なんじゃ・・・?」

「わ、私にとやかく言わないでくださいよ!あくまでクラスメイト数名が言ってたことですから。」

「破壊神に疫病神、恵みの神・・・か。あいつは別に神の子とかそんな高貴な存在じゃないんだろ?天皇陛下の一族じゃないんだし。」

「どうでしょうねぇ・・・神懸り的なことも多いですからね。」

「例えば?」

「えーっと・・・さっき言った以外に、予言能力があるとか、第六感があるとか、千里眼みたいなものです、要は。あとは、なかなか怪我とか病気にならないとかくらいですかねぇ・・・」

「確かになかなか神懸り級の奇跡っぽい感じはあるけどさ。本当なのかな?」

「だーかーらー、私に聞かないでくださいよー!」

 僕はこんな感じに華やかな事情聴取を続けていたわけだが、本心ではそれをずっと否定し続けている。

 神懸り?ここは現代の日本だぞ?神道の信仰が浸透している・・・といったら駄洒落になるが、この辺の信仰心が強いとしても、安易に神様の生まれ変わりとか言ったらいけないような気がする。

 それを言ったらさっきの魅鳥ちゃんも・・・ああ、ダメだ、また疑心暗鬼になって、気になることが脳内を埋め尽くす。

「まあいいや。ところで宝ちゃん、その胸元のペンダントは・・・?」

「ああ、これですか?」

 不用意にワイシャツの襟の下に手を突っ込むもんだから、こっちが萎縮してしまう。

「その真っ赤な宝石は・・・ルビー?」

「そうなんですよ。『情熱』とかいう意味が込められているらしくて、幸運のアイテムらしいんですよ。16の誕生日にもらったんです。」

「へー。じゃあさ、ちょっとぶしつけな質問していい?」

「いいですけど・・・」

「前世について、考えたことある?」

「ぜ、前世、ですか・・・・・・?」

「いや、今時の高校生は考えないかなぁ?僕の行ってた高校、自己紹介の紙に前世を書く欄があってさ、まあ面白い担任の先生の提案なんだけどさ、運動部のヤツで『ライオン』とか書いたヤツがいたなぁ、って思い出してね。」

「雅治さんは何だと思います?」

「いや、僕は何なんだろうなぁ、杉田玄白とか」

「いえ、私のことですよ。雅治さんは、私の前世、何だと思います?」

「えっ、何だろう・・・」

 そういって、胸元のルビーのペンダントを凝視しながら、考え込む。途中から宝ちゃんが、襟元を見られていると錯覚したのか、顔を紅潮させたが、僕は気にしない。

 何だろう。この深紅のルビー、何か意味があるのかな・・・でも、どこかで見たことがあるような感じだなぁ・・・ほら、あのファンタジーのゲームとかに出てくる・・・・・・あれだ!

「・・・・・・・・・カーバンクル?」

「へ?」

「確かそんな名前の生き物が、ファンタジーとかに出てこなかったっけ?」

「私が、カーバンクルだと?」

「いや、前世がね。その真っ赤なルビー見て思ったよ。」

「あー、それって面白いですね!」

「でしょでしょ?これ絶対面白いから、一過性でもいいからクラスメイトに聞いてみなよ!」

「そうします!あぁ~、悠馬君が何なのか気になるなぁ。」

「弓道やってるから、弓使いとかじゃない?」

「弓使いかぁ、カッコいいなぁ!」

 話に花を咲かせていると、保健室のドアが開いた。

「おう、雅治、手間かけてすまねーな。」

 海斗だった。仕事を終えてこっちに来たのか。

「重傷者はいる?」

「ああ、ここに2人。宝ちゃんは大分回復したよ。」

「どうする?診療所まで送ろうか?」

「いえ、大分楽になったので、大丈夫です。」

「そうか。じゃあそっちの1人だけか。」

「運ぶのなら手伝うよ。」

「おう、すまねーな。」

 確かに、監視の意味も込めて、高大を診療所に運ぶのは得策だ。海斗が昇降口に横付けした救急車に高大を担ぎ込む。

「雅治、もう行っちまうのか!?」

 昇降口から魎が飛び出してきた。そっか、まだ中にいたんだっけ。

「仕事もあるし、重傷者を放っておけないよ。そっちも話を聞けたら引き上げていいよ。」

「分かった。お疲れ。」

 僕はそのまま救急車の後部に乗り込み、意識が戻らない高大の様子を見ていた。

「で、どんな感じだったんだぁ?」

 運転席の方から海斗が声をかけてきた。

「どんな感じって、学校のことか?確かにまずい物質が充満してたけど、吸った生徒も時間の経過とともに回復したし、こいつ以外は皆問題なかったよ。」

「じゃあ後の祭りってわけだ。」

 な、何とも不謹慎な言葉だなぁ。

「そうだ、全然関係ないけど、海斗にちょっと質問してもいい?」

「何だぁ、やわな質問なら勘弁してくれよ~?」

「そんな大したことじゃないんだけどさ、海斗って、前世について考えたことある?」

「前世?考えたことねーなぁ。俺の前世ねぇ。」

「筋肉質だし、強そうだから、不死身の魔獣みたいなイメージがあるけど。」

「あー、なるほどね。じゃあ、あれだな、俺の前世は。」

「あれって?」

「・・・・・・・・・・・・」

 急に黙ってしまったので、運転席を見る。運転に集中しつつ、深く考え込んでいるようだった。そして、暫しの沈黙のあと、こう言った。

「・・・・・・リヴァイアサン、だな。」


「・・・大分高いところまで上ってきたんじゃねーか?俺もうそろそろ水不足で干上がるぜ?」

 山の中腹、森の中を進む精霊と怪獣の一行。まだ木々は鬱蒼と生い茂り、それほど高所に来ているわけではない。

「ったく、あんたも大げさね~。もう少し頑張りなさいよ、意気地なし!」

「意気地なしって・・・マジで喉がカラカラなんすけど・・・」

「見た目以上にひ弱なんですね、あなたって。」

「おいおい、シルフィードまでひでえなぁ。」

 他愛もない会話をしながら、山道を登る。その道の先も木立に囲まれ、山頂がいかに遠いか容易に推測できる。

「・・・あの、何か聞こえませんか?」

「え?」

 シルフィードの一言で全員が足を止める。そよ風が木の葉を揺らすさざめきの音以外に、目立つ音が聞こえてきた。

 ガサッ、ガサッ・・・

 草木を掻き分けるような音だ。いや、踏み分ける、といった方が正しそうな音でもある。

 バキバキバキッという音に変わった。次いで音のする方向に立つ樹木が倒れていく。

「あれ!!」

 倒れた樹木の向こう側、巨体と共に無数の首を揺さぶる化け物がいた。

「あいつ・・・さっきも見かけました。かなりヤバイヤツです。」

 そう言い出したのもシルフィードだった。

「何なの、あれ・・・?」

「無数の首を持ち、その口からは炎を吐き出す、エキドナの子、ラードーンです。私もあれに出くわして、命からがら逃げてきたのです。」

「へえ、あいつは火属性なのか、水さえありゃ敵じゃないな。ウンディーネ、俺に水くれ。」

「何に使うのか知らないけど、私の魔力をやわなことに使わないでくれない?」

「今はそれどころじゃねーだろ!?」

「シッ!」

 ラードーンの無数の首の一つが、口から炎の塊を彼ら目掛けて吐き出した。

「・・・ふんっ!!」

 シルフィードが両手を突き出すと、忽ち風が巻き起こり、炎の塊を打ち消した。

「って、属性関係なくなってるし!」

「でも相性はあるみたいです。私もそう何度も防げるわけではありません。」

「やられる前に逃げた方がいいわね。早く、こっちよ!」

 山道を駆け上がり始める一行。するとラードーンは不気味な叫び声をあげながら、彼らの後を追ってきた。

「くっ、気付かれていたみたいです!」

「今度は私の番ね!」

 ウンディーネが身を翻して右手を突き出すと、水の塊が一直線にラードーン目掛けて飛んでいった。ラードーンが咄嗟に吐き出した炎の塊も打ち消し、水の塊はラードーンに直撃する。ラードーンはそれに怯んだようだった。

「やるじゃねーか!その調子で俺にも水を恵んでくれよ!」

「うるさいわね、しつこいヤツは嫌いなの!」

「いや、マジで頼むからさ・・・」

「今はあの化け物がいるから無理!もうちょっと離れてからね!」

「言ったな?!今それちゃんと聞いたからな!?約束守れよ!?」

「いいから黙ってついてきなさいよ!」

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