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吾平がアカデミアを見あげた時。
『吾平、あなたはここで、この場所で、今この時から変わっていく。ううん、変わって欲しい』
吾平が月夜に膝を抱えていた時。
『吾平。悩まないで、大丈夫、あなたは強い』
吾平がオメガに負けて、心が乱された時。
『吾平!こんな奴、気にすることない!けちょんけちょんにしてやるのよッ』
吾平が山茶花への恋心を自覚した時。
『吾平。もしかして気づいてない?恋よ、恋。行け行けゴーゴーなんだからっ!』
吾平が嫉妬心を知りえた時。
『吾平、私に嫉妬しないでよ。もぅ、後ろ向き思考反対』
吾平がハウネと対峙した時。
『気にしないで、なんて言えないけど――でも、私は大丈夫だから』
吾平が戦いの意味を失った時。
『吾平……あなたが何ものでも、構わないのに』
吾平が姶良に問いかけた時。
『吾平、私はあなたのことが大好きよ。憎いなんて思わない。だってあなたはもう、私の大事な人。きっと、半身なのね』
それは最後の時。
『お別れ、なのかしら。もう……。さみしく、なるわね』
いつだって、声なき声で吾平と姶良は繋がっていた。
いつだって吾平は姶良に語りかけ、心配をし、その姿を見出そうとした。
いつだって姶良は吾平の傍にいて、訴えかけられない言葉で、心で寄り添ってきた。
「最後まで、言葉を交わすことも出来なかったのね、私たち」
結局は、和解することもなく、ここまで来てしまった。
微笑が見えたのは、でもきっと、気のせいなんかじゃない。
姶良は別れを胸に、立ち上がった。
ここから、姶良はまた始まる。姶良は好きな人がいた。大切な弟妹がいた。そんな日々は遠い。もう、二度と戻らない。
吾平とともに生きていた。その日々も、たった今、終わった。
それでも、姶良は生きている。また、生きなければならない。何も無い場所から、はじめなければならない。
「思えば私たち。似てたのね」
世界というすべてがあった、秘玉はすべてを失った。世界の愛に包まれていたアイラは愛羅に奪われてきた。姶良もまた、すべてを失い、けれど新たなものを手に入れた。記憶を無くし、自分を無くしていた吾平と、今の姶良はすごく近いに違いない。
ほんの少し、痛む心を二人の姿に重ねて。
姶良は階段の先を上ってゆく。
心には大事なものがぽっかりと空白を残してる。とても大切な、大事になってしまった存在の、抜けてしまった後だった。全てを奪われた。心までもが盗まれた。
それでも、何も無い明日に、まっ白な明日に、姶良は歩き出した。
誰にも踏み荒らされていない純白の雪に自らの足跡を付けていく。
吾平が姿を取り戻したことで世界は数百年ぶりに姿を取り戻す。
例えその結果に正常なる世界が待っていたとしても、それまでは激震が走る。
世界中が正常化するまで、どのくらいかかるかは分からない。だが、少なくともサリファンダはいなくなる。ファラカイナもなくなる。ファラカイナによる影響も無くなる。ファラカイナによって視界を取り戻した少女も、再び光を失うだろう。けれど、彼女ならきっと、笑って言うはずだ。
「大事な親友を護れたその勲章だから」
親友同士、慰めあおうではないか。きっと、気が合うはずだ。
失ったものは多かった。
失ったものはもう二度と戻らない。
戦う意味は復讐だったのかもしれない。始まりは確かにそうだった。だが、それでも戦い続けたのは、――無くしたくない、まっ白な明日を得るため。
「先ずは自己紹介から、かな?」
アイル・ローゼ・ラクシリア・ファルコ――ガダンでの意味は“汝、愛の喪失を取り戻す”。
(でも、そこに愛はあるから)
自分の名を誇らしく名乗ろう。
吾平と同じ、姶良という名を。




