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蒼に空間が染まっていた。
吾平は愛し気に頬を冷たい氷に擦り付けていた。
「君は全てを知ってどうするつもりだった?」
“オメガ”は近づく。
そんな時間さえも惜しいと、吾平を掻き立てる。
「答えははじめから出てただろう!実行するんだッ!他のすべてと引き替えに欲したのを忘れたか!?」
祭壇として整えられた上とは比べようも無く、自然のままの、氷柱が空間を戒めるような、そんな場所で、吾平は目を瞑っていた。
「いいよ、君にその勇気がないなら僕がやる」
青い部屋といっても過言ではないような、透き通る氷と結晶の壁に囲まれた空間。その中央に柱が一本、立っていた。その中に浮かぶ、霞んで輪郭だけの揺れる存在。それが愛羅だった。
それに抱きつくように、頬を擦り付ける吾平の細腕をオメガは取った。
「君の心臓、貰うよ」
ぱちり。
そんな言葉が合うように、吾平は目を開け、言い放った。
「お前の好きになんてさせない」
瞬間、吾平は首のネックレスを引き千切った。二つのペンダントヘッドが弾け飛ぶ。
(あ……っ!)
倒れこむ少女の身体を抱きとめる。
それは吾平ではなく、姶良だった。
吾平と姶良を同一化させていた太陽のペンダントが外れ、姶良の意識をリセットし続けていた月のペンダントが外れる。
「お前は俺の傍にいろ」
吾平は、“山茶花”に言った。死を望むオメガにそれは残酷な言葉かもしれない。この世界の意思という無邪気で邪悪なる意志に動かされた結果が永遠の転生。死ぬ痛みを何度も受け、生の苦悩を認めなければならなかったその心。磨耗してゆく精神に生きるという言葉はどれほど酷く響いただろうか。
けれど、(思い通りにはさせない)
吾平は解放なんてしない。死なせてなんてやらない。永遠の地獄を歩むのだとしても、
囚われればいい。
(魂の救済などしてやるものか)
「……ばかだなぁ、吾平は」
目の前にある、氷のような透明の結晶に手を触れて、山茶花はそう呟いた。
愛羅の輪郭は明確になっていた。それは、吾平の融合を意味する。世界の、平和。
けれど、吾平はもうここから動けない。この結晶の中で、生き続ける。
世界に意識が融合するまで、どれほどの時間がかかるのかわからない。けれど、それほど遠くないうちに吾平の意識は消滅する。このまま、囚われたまま。
「生憎、俺は物分りのいい、“バカ”にはなりたくないんだよ」
そんな、吾平の言葉が聞こえた。
結晶の中の人が、山茶花に笑いかける。
逃げたくても、止めたくなっても、心が消費されていっても逃れられない。
それでも――
(君を好きでいさせてくれるのか)
真っ直ぐな瞳を、以前と同じように向けてくる。そのことに、嬉しく感じた。




