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「オルイナは姶良を好きだった。山茶花は君を好きだと言っただろう?結局は同じ――まるで血脈に刻まれた呪いだ」
オメガは会話中、吾平にはどこまでも冷たいと思われていたが内心は酷く乱れていた。動揺と混乱が面に出ないようにする事だけで手一杯で、表情に気を配る余裕がなかった。それを吾平は冷たい態度と取っていただけだ。
オメガが反撃に転じた。傷ついたフードを被ったまま、吾平との距離を狭める。動きを制限するローブはしかし、吾平にとっても動きを不鮮明化する。ひらひらと、広がる裾に隠れて疾走するオメガは白い煌きを空に残して移動する。
だが吾平は何をするでもなく、距離がなくなるのを待った。ただ、構えて、一瞬を逃さない。
(――間合いに入った)
一瞬の何分の一秒にも満たない、判断でオメガに迎撃するよう、疾走した。ぐんっと急激に距離が狭まり、オメガの走りに淀みが生まれた。その機会を逃さず、吾平は己のローブを目晦ましに投げつけ、斬り付ける。
「っ!?」
攻撃は空を掴んだ。身を捻って背後の攻撃に剣を差し入れた。
交差する剣が弾かれ、手から跳ね飛ぶ。攻撃が躊躇いもなく隙に叩き込まれる。
「……外したか」
オメガの攻撃が入る前に吾平もまた、剣を追うように空に舞っていた。そのまま、オメガは吾平が遠く距離を取るのを見過ごした。今度は立場が逆になる。オメガが機を待ち、吾平が焦れる。
吾平の剣撃を、自らのファラカイナを介して対応する。剣身は分厚く、鋭いというよりも重さを重視した鈍器といった方がよい。攻撃力は、故に強大。故に体格に不利のある吾平には負担になる。切り結ぶ回数が追う毎に交わしきれない攻撃が肌を切り裂く。雪原の風景の中でも尚、白くほんのりと赤味を持った初々しい肌は徐々に血によって染められていく。少女独得の柔肌は触れることなく剣圧によって切り裂かれていく。
場数だけならば、オメガが圧倒する。それは少しずつでも積み重なった、オメガの中に蓄積された記憶だ。だが、それを扱うのは未だ人の域を出ない、山茶花。技量と場数で押すとしても、吾平には山茶花にはない、身体能力がある。幼い頃から慣らされた、殺しの術。――体が戦う事に最適化していった故の、現在。姶良の躊躇いのなさ、心の強さ。年数はそれほどでなくとも、密が違う。たった17年、それだけで姶良と吾平はオメガの数千年に追いつく。だが、それも最初だけだ。少女の身体では吾平の猛攻に耐え切れない。そして、オメガの技量が勝ってくる。
幾つもの細かい傷が傷を上塗りして、深まり、重ねられていく。それはオメガの中にいる“何者か”の意志を揺さぶるような光景だったが、同時にオメガの中の独占欲とも所有欲とも言うべき衝動も掻き立てる。――所有印。赤く生々しい傷跡は、どんな愛の行為よりも深い、己の“跡”だ。
(どんなに生まれ変わっても僕は、僕らは君を好きになる)
「君がアイラと呼ばれるのも、すべて神が定めた!」
修羅に愛される人。愛を網羅する存在。誰もが魅了される。
アイラ――吾平。
オメガはそれに逆らえない。オルイナも、山茶花も、他の人間より、どんな存在よりも惹かれる。その魔に魅入られやすい。
「僕らの残酷なる神はこの時を迎えてどう思ってるだろうね。――幾度繰り返されたかもわからない、この出来事に!」
幾度繰り返されたかも分からない、この対峙。その結果はオメガが、正確にはオメガの依り代が命尽きるか、もしくは愛羅を宿す“アイラ”が壊れて愛羅が逃げて終わる。
どちらの方が多かったかなんて、覚えてもいない。同じ時代に生きられるとも限らない。ただ、その血に宿ったオメガは世界中を愛羅を求めて、力尽きるまで彷徨う。そのためにはサリファンダを従えることも、人をサリファンダ化――擬者とすることだって躊躇いはなかった。とにかく、オメガには一回一回の時間が短かった。
一族の若者が思春期から覚醒まで、そして覚醒から同化へと至る。その時になってようやくオメガはオメガとして動く事が出来る。個人としての意志とオメガの意志が交代となって短い時を過ごし、徐々にオメガの支配権が増えるに連れ行動時間も多くなる。それからは愛羅を探す日々だ。世界中を当てもなく探すには、時間が短い。人の時間は余りにも儚く、短い。しかも、オメガという超越した存在を憑かせるのに、彼らは一様に寿命が短くなる。不老不死と歌われるオメガ。その実、酷く寿命が短い。
一族特有の顔立ちがその激しく入れ替わるうちに同一者として認識するだけだ。そもそも、オメガが完全に同一化した瞬間から時は止まる。少なくとも表面上、外見上は全く年というものを取らなくなる。身体機能も一定だ。……それでも、確実に命は搾り取られていくのだ。しかも急速に。寿命が尽きる分、不老不死とは真逆といっていいほどだ。
繰り返された。けれど慣れることのない痛み。死ぬ間際の激痛も、愛しいものの死を目の前にする心痛も、どちらも慣れることはできない。
神というような統合意志があるならば、この出来事をどのように思っているだろうか。悲劇。しかし、喜劇だ。滑稽なほど結末は単純でいつも同じ。
(柱でなく、神がいたならば――君は、僕らはまた違っただろうに)
「……僕らは人だ。どれだけ化け物じみていても、人なんだよ」
化物じみていない、普通の人間になれたかもしれない。
口をついた言葉は音を消す白の中に吸い込まれた。吾平が突撃してくる。
(愛羅を何度、目の前で失ったか)
壊れてゆく存在。わざと、傷つける。優しく触れて、温もりを与えて、――手ひどく裏切る。その心を傷つける。
「君のゆりかごはいつも非常に不安定だった。姶良も――オルイナと姶良の間に縁ができていたことは素晴らしい偶然だった。傍で支えられるからね、君が壊れないですむと思った」
吾平の切り刻む攻撃を避けて、紡ぐ。
どんな時でも敵同士になる。それは必然だった。
けれど、愛しい君を傷つける自分が許せない。辛く、悲しい。それさえも口に出すことができず、誰にも、何も言えずに生きてきた。――目的のために。
(すべては……やり直すために)
フ――ッと、吾平の膝が落ちた。
失速、いやそれよりも直接的に、膝が折れた。身体が崩れ落ちる。




