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「吾平。君に機会をあげよう」
やけに偉そうな男が目の前に立っている。隙の無い気配に軍人だとわかった。そして、その紡がれる言葉も、理解した。
「父親に、会うんだ」
「――姶良か?」
暗い空間は穴の底よりも深く闇に包まれていた。
「……ライナス」
小さな燈篭の明かりが照らす影。疲れの濃い顔は壮年の男性よりも老人に思えた。
「覚えているか、姶良よ。私のことを。父だ、お前の父だ」
「……」
『かつての友のあんな姿を見るのは辛いのだよ……』
ここに来るように言った軍人の呟きが頭に蘇った。
「――狂ったか、ライナス」
『どうか、あいつを、救ってくれ』
姶良の父ライナス。デマンドの元隊長。軍の憧れの人物、伝説ともなりえた人。ファラカイナの能力なしでサリファンダと渡り合える最強の軍人。かつての英雄。
しかし、
「俺は、……生憎と、あんたの娘じゃない」
その眼はかつての威光を濁らせた、曇った色。
吾平を逃し、その罪で投獄されて――長年の闇に、狂った狂気の色。覇気がなかった。嘗てはあった威圧感も消え去り、畏敬の念など覚えるはずもない、そこにいるのはただの老人だった。
「アンタが名付けたんだろ、俺の名前……」
「呼べよ、その名で。俺のこと……呼べよ」
ただ、認めてほしかった。
ただ、名を呼ぶだけでよかった。ほかの誰でもない、ライナスでなければいけなかった。
ライナスだからこそ、名を呼んでほしい。。そんな思いが胸を締めつける。
「名付け親が、――親が、間違うんじゃねぇよ……」
吾平は自分で何を言っているのか、わかりもせずに、その言葉を放っていた。
「“父”も“娘”も……」
弾かれたように頭を上げた。
低い声。落ち着いた貫禄のある声音。その瞳には先ほどまでと違い、意志が、理知的な光が灯っていた。望んでいたものだ、吾平がその声に、その喉に自分の名が乗ることを期待して――
「――名前など、ただの記号だ。区別するための認識番号に過ぎん」
冷酷に言葉が響く。
先ほどまでの狂ったような色は欠片も見受けられない。だが、それだけに身に染みた。
吾平への痛烈な言葉だ。向けられた凶器は刃を向く。
「姶良じゃないから吾平とつけたに過ぎん」
抉り取られた。
胸を、心を、感情を、過去を。
「所詮、お前は俺とは何の繋がりもない。お前のことなど、俺は知らん」
そして、“吾平”というもの全てが抉り取られた。




