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「おれは……人に守られる価値なんてない。ただ、戦うだけが、“俺”で……」
みなが戦う理由をもっている。
(俺は――何の為に戦うんだ?)
そのことに思考がたどり着いた時、吾平は呆然としてしまった。
カラン、乾いた音がして剣が地面に転がり落ちた。顕現をしていたそれは吾平の思考に想像力の欠片もないことを知ると音もなく金の胞子となって消えた。だが吾平の耳には金属の甲高い音が未だに残っている。転がり落ちていくような音と、戦場で耳にした硬いものが折れる音。――吾平の中で戦いは終わっていない。いまだ戦場の真っ只中だ。だが、それでも茫然自失と立ち尽くしてしまったのは、吾平が既に意識をこの場に留め置かなかったからだ。そのやりどころなど、あてもなく、ただ虚ろに成り下がる。
絶対だと思っていたものが崩れ去る瞬間、“吾平”がなくなった瞬間だった。
『あなたは孤独なのね。誰にも顧みられない。心配してくれる人もいない。あなたには期待するだけして、その結果が出なければ責めるくせに――誰も喜んでくれない』
ガラファの声が蘇る。――そう、初めから居なかったのだ。あったのは与えられたもののみ、姶良のものだった。偽者の家族さえもなくなった。
吾平は、今こそ本当に一人になったのだ。
(――ひとり)
思考に引っかかった。
自分の流すシャワーの音が世界を満たす。返り血が水に紛れて流れを作り、排水溝へ流れてゆく。赤い糸が大きな渦に翻弄されるかのように見えた。水を打つ、水の音。床一面の水と、新たに降り注ぐ水。身体を伝う雫の感覚。柔らかで白い体。姶良の身体。
(それをどうして俺は今、こんなに汚してしまったのだろう)
雪に劣らない清らかな白さを持つ身体が今、血の穢れに塗れている。
『あなたに向けられるのは憎しみだけなのよ!そう、あなたはかわいそうなのだわっ!』
向けられた憎しみでさえも今は愛しかった。それをぶつけてくれる対象さえ今はいない。
違う、誰かが心に訴える。
急激な息苦しさを感じて湯気のたちのぼるそこから出る。曇りガラスの浴室の扉を押して開く。折りたたみ式のそれに構う事もない。拭うものを、と思うこともなく視線を漂わせ、部屋が暗い事に気づいた。
(ひとり、なのか……)
浴室のドアの向こうだけがほのかな温かみを持つ色に照らされて、吾平は先の暗い場所へと踏み出した姿だ。(もう、戻れないのか――)
暖かな場所、優しく微笑みが見えていた場所。けれど、ここは既に戦場だった。
「――――」
寒さを感じて、用意しておいたバスタオルに身を包む。そして、暗い廊下を光の一つもなく進んだ。自分の部屋に滑り込むように入り、――そんな吾平の眼を月明かりの青光りする世界が射した。月は柔らかで、けれどどこか軽薄で冷たい眼差しを向けていた。
たまらず、服を切る事もないまま、生まれたそのままの姿でシーツの中に身体を埋没させた。強く、強く瞼を閉じる。
『ふふ、ふふふふふっあはははははははははっ!!!!』
彼女の笑い声が頭の中に反響していた。
けれど、吾平の閉じた瞼の裏に、何かが映りこみそうだった。荒い息が出そうになって、胸元をきつく握る。
(戦う理由なんて、俺にはもう何もなかった)
温かな笑顔が、血に濡れてカチリと音を立てて再現された。




