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化け物と罵られた。仲間からも恐怖の視線を得た。
涙と泥と血がぐちゃぐちゃに混ざり合って前が見えない。
何を踏みつけただろう、グチャリと赤い糸が靴から地面から引いていた。
赤い視界。赤い空、赤い月。――赤い世界。
すべてが真っ赤で、深紅で……あんなにも白かった世界は変わり果てた。赤く、黒く、闇色に染まって、汚れがこびり付いていく。
汚れが落ちない。こびり付いた赤はいつしか黒に変わって、塊に、しこりに、錘へと変わってゆく。
(……どうして?)
吾平の見ていた世界はいつでも赤くて、――けれど本当は白いはずの世界。
吾平は白い世界を赤く塗り替える。
(何故、今日はこんなにも赤いのだろう)
疑問に首傾げる吾平を前に、ただ世界は赤かった。
白い世界はいつしか正常化される。それが予定調和だ。けれど、赤に染まった世界はもう、白に戻らない。
ただ、吾平は目指す。歩き続ける。
前だけを見て、家族の元へ――
口から長く伸ばし出した舌は方々に向かい、それぞれに動きを見せている。獲物を絡め取る様などは触手のようにも感じさせた。“サリファンダ”の黒い身体はハウネの舌までも黒く染め上げている。それを、吾平は躊躇いも無く刻む。刺身を下ろすように、剣が滑る。体勢を立て直す暇を与えず、吾平は本体へ走り、突き刺した。
背後から一息。けれどそこで油断はしていられない。サリファンダにファラカイナ以外の攻撃は利かないし、その生命力は人には計り知れないものがある。だから、
「やっぱり、甘いね吾平は」
そう言った口はいきなり、吾平のものと重なった。
凄まじい力で押さえつけるハウネに、吾平は自然と抵抗をなくして行った。その口が、その舌が這い回る。吾平の奥にあるものを捜して、舌を滑り込ませる。
口の中を探る舌は血を溢れさせたままだ。吾平の口の中ですぐにそれは満杯になる。傷ついた舌から流れる血は吾平の唇を伝い、彩った。そして、壮絶な美しさに艶を覗かせて吾平は壊れた笑みを浮かべた。
接吻はただの必要手段でしかない。吾平の中にあるものを、ハウネは舌によって取り出そうとしていた。食事ではなく、傷付いた体を補うための――ファラカイナ。
舌が絡んだ。吾平の中に蓄積された、ファラカイナ。
――体内でそれは神秘的にファラカイナの塊として吾平の願いに答えていた。それが何処からともなく現れる、金色の剣の正体。吾平の強さの秘密。姶良もまた、ファラカイナを体内に取り込んだ者。……擬者。
唇が離れ二人の間に空気が、風が通る。金色がその間を通った。
「僕らの力をなめている。もっと決定的に傷つけ……」
「剣」
金色が吾平の手の中に顕現する。
剣が回った。血を吐き出しながら続けられた言葉は不自然に途切れた。
「最後まで、くだらないことばかり――何がしたかったんだ、お前」
横凪にされた剣によって跳ばされた首がゴロンと転がる。
「――――ハウネ。さよなら、だ」
奪った命は、姶良の家族で、仮であっても吾平の家族でもあった。
今は、合わせる顔もない。
(姶良は、どう、思うかな)
ぼんやり滲む景色を前に思った。
吾平はもう、何も現実を見ていられなかった。




