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「うぉわっあっぶ」
直前に察知した危険に仰け反る山茶花とは逆に吾平は眉を顰めた。
鬱陶しさに突き放そうとしても離れない山茶花のしつこさにイラついて、と題を借りて意外と本気で攻撃を当てようと武器を振り回した。
「ねーな。当たったらどうすんだよっ!」
結果、当たらなかったわけだが。
(……相当、動体視力が上がったな)
吾平の呼び動作ない攻撃にも避けられるようになったのは入隊試験のためにした特訓を続けているからだ。以前はフィグローゼに見てもらったが、それ以降は連夜に付き合ってもらっていたらしい。時々龍城も交えて乱闘気味に訓練をしていたのを見かけた。
現在までに吾平が参加することは無かったが、今では連夜と龍城では役不足だろう。この近接距離での俊敏な攻撃に避けられるのならばもう視力強制の特訓は必要ないぐらいだった。――まぁ、それもこの戦争によって全てが終わるというのだから遅いというものだ。
(長引きそうにはないからな……)
長期戦というのならば今までのことは全てがそうだった。対処療法的に応戦してきたのは戦力の薄さからだ。
アカデミア生は今年、100名以上の新入生を迎えている。それは異例なほど多い。当初設立の際にはこの巨大な学び舎に両手で足りるほどの人数しか生徒はいなかった。それは年々と上がる、ファラカイナに適性のある人数の変動でもある。
(“駒を増やした”)
それはゲームのような思考だ。だが、これではまるで今この時のために仕組まれたようだ。神がチェスをする際に駒を、ポーン兵を増やしたかのように。
「当てるつもりだからいいんだよ」
軽く口を交わして思考を切り替える。(――考えすぎだ。悪い癖だな、俺の)
癖が増える。それは吾平である証だ。吾平が吾平としてあるということの一つ。亦一つ、吾平が積み重なった。
「ちょ、普通会話ぐらい聞くだろ、遮るなよ」
冗談のように詰る山茶花に小さく笑顔が零れた。山茶花に気づかされることは多い。笑顔を教えてくれたのも山茶花だ。吾平をより人間らしくさせる――。
「あなたっていつもそうなのね」
ホールに響いた。
あの女の声だ。――吾平を詰る言葉から始まるのですぐに分かる。
「目立ちたがり屋。でも図星を指されると否定する――ひどく傲慢だわ」
吾平に向かって歩く姿は相も変わらず洗練されている。女性らしさが前面に押し出されて、でも嫌だと感じるには至らない。華麗な動きだ。
皆がサッと道を空けた。吾平を中心に、円を描くように。
それは周囲にとって忌避したくなるものなのだろうか、と思い視線を何気なく動かせばニヤッとした笑いを浮かべている者が多いことに気づく。しかもそれは4軍の面々だ。そして彼らの視線の先は吾平ではなかった。釣られるように動かせば、「山茶花……?」
山茶花だけが、吾平の半歩後ろという最初の位置通りにいる。名を呼べば、その視線は吾平へ優しげに向けられたが、すぐにあの女へと向けられた。
「まるで強者ね。努力もせずその力を持ち、苦難を知らないために覚悟もなく捨てる。誰もが羨むそれを!簡単に―――放棄する」
女の眼差しの色は悪意だ。けれど、吾平は険悪になりきれない。不愉快な感は募っていくが、周囲が好奇の視線を向けてくることが気になった。
「結局あなたは何も知らないんだわ。他人が何をやっているか、何を思っているか、興味ないフリをしてるだけ。本当は分からないだけ。知ろうと知らないんじゃなく、知れないのよ」
「俺が、何も知らないだと――?」
『どうせ君は――何故、姶良が瞳を閉じたのか。その理由さえわからないんだろう?』
蘇る言葉は姶吾平の心を一瞬にしてずたずたに切りつけた。防衛本能が――毛を逆立てる猫よりも素早く反応する。
「……お前こそ何も知らない!サリファンダの脅威も!ファラカイナが何なのかも!この世界も!どうしてこんなことになっているかも!――俺のことも!!!」
何も考えず、ただ剣が出現する。連想など思いつかない。
乱れる感情に促されるように、手にした剣は輪郭をあやふやに途切れさせ、ただ吾平の掌に握り締めた感触が猛る心に相応する。思考とファラカイナで現象化を行う。けれど、その間にはいつもは石があった。それが道をシカと定める。だが、この場にそれは無い。ただ思考が走っただけである。――そこに至るまでの道はショートカットではなく、完全に喪失していた。
それは何も無いところから、ファラカイナさえも使わずに出現した剣。
「何も知らないくせに……ッ!」
感情のままにそれを奮おうとして、「吾平!」
山茶花が静止の声を上げた。
「彼女が、何も吾平のことを知らないのは当たり前だよ。それに、こんな世界になった理由なんて……みんな、知らないさ」
「――――ッ」
心が、砕けそうだった。
(みんな知らない。そんなことは分かっている。だが、)
(……お前は、知ってるじゃないか)
知ってるからこそ、山茶花がその場で吾平を諌めたことに、傷つく。
「皆が皆、戦う理由があって、ここにいるんだ。真剣なんだ、吾平だけじゃない」
それでは吾平が皆を見くびっているというのか。(違う。ただ、俺は、俺は……ただ――)
「何も知らないって?――知らないから探してるんだろう、俺は」
深い杭が、吾平には突き刺さったままだ。ずっと、長い間動けずにいる。血が絶え間なく流れ続けて、餓えて、乾いて、どうにもならないのに何もできない。ただ息をしている。
それは苦痛だ。それが続くぐらいなら楽にして欲しいと思うほど、心が何かを渇望していた。――山茶花という水を得て、一度は潤ったはずのものが、再び砂漠へと涸れ果てる。
「だからずっと探し続けた。自分の身体を、自分の家族を、自分の故郷を、自分の記憶を!!」
「……ッ」
息を呑む音が聞こえた。けれど、山茶花に言葉は向けていても瞳だけは女から外さなかった。乾いた眼だ。女の眼も、吾平と同様に何かを嘱望している。祈りを捧げるよりも遥かに尊く、人間らしい汚さを女は持っていた。
「みんなの戦う理由は過去にある。復讐?誰かの為?――笑わせるな。俺には、それさえ、ない……」
(お前だけには、言われたくなかった)
「あい――」
――剣を、吾平は地面に突立てた。
「――もう、いい」
剣を手放す。そして、抑え切る事の出来ない感情に、鉄の意志で鍵を掛ける。檻自体が壊れる前に、気を落ち着かせなければならない。
(考えるな。何も、なにも――)
「……一人に、させてくれ」
山茶花という存在が吾平の中で大きかった。その分だけ大きな影が覆いかぶさってくる。




