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「チセ。入るぞ」
ベッドに上半身を起こす姿は頼りない。年齢よりもずっと幼く見える顔立ちのチセだが、目を隠されていることでその印象は払拭されていた。実年齢よりも大人っぽく見えるほどだった。
「あれ、話は終わったの?」
「ああ。……過保護だな、あの保護者」
「普段はそんなことないのにねー。気障だから」
普段どおりの反応を返すチセに吾平の方が影を落とす。
「吾平くん。ごめんなさい、しよっか」
にっこり笑って、でも謝罪を求めているわけではないのだろう。形式として、吾平の気分に靄が落ちかからないように、配慮しているのだ。大人らしい反応。
感情に振り回されても無理はない状況なのに、逆に吾平へと気を回してくる。
「私と龍城。今度龍城がこっちに来たら一緒に謝ってあげるから」
それでおしまい、と笑って言うのに、切なくなった。
けれどそれを引きずるのは吾平の勝手が過ぎるというものだ。笑顔を絶やさないチセを見習い、不慣れな笑顔を浮かべる。
「――チセ、視力を失ってからコンタクトは試したか?」
本題を切り出した。
「持ってきたからつけてみればいい」
静かに頷くチセに「入れられるか」と尋ねる。うん、と小さく返された声は部屋に響く。
チセは柔らかな布の海の上に乗せた手を動かし、小さな入れ物を探す。指先に感じた感触を頼りに引き寄せ、蓋を開ける。慎重に指を伸ばし、コンタクトを片方、指に乗せる。
その間に吾平は何をきっかけでコンタクトの話になったのかを話す。
(やっぱり、駄目かな……)
もう一方を乗せても視界に変わりはなさそうだった。
隣にそわそわとしている気配がある。山茶花にもらったペンダントを握り締めているのだろうか。だいぶ熱を入れてペンダントをもらった時の感想を述べていた。それはまるで、「ねぇ、吾平くん。恋、自覚したんじゃない?」
「な……っ!?」
好きな人からプレゼントをもらった恋する乙女だ。
(顔、赤いんだろうなぁ)
真っ赤にして頬を染めてる姿なんて可愛らしい。口をパクパクと鯉が気泡を出すように開いて閉じたりして、でも何も出てこない。言葉はなく、絶句だ。
わりあいと、吾平はこの手の話に奥手で、なんにしても素直な反応が帰ってくる。それはからっぽな記憶から来た精神的未熟のせいであろうけれど、それにしても自覚に至った経緯を詳しく聞きだしたいものである。
そのまま恋愛相談へと移り変わっていくようなことならば、先輩として助言を出そうではないか。恋愛経験値が低いのはチセも変わりないのだが、完全にデバガメ気分である。
(みたいなぁ――あれ?)
「見え、てる?」
頬を染める少女の姿は想像でなく、目の前にあった。
「私は暫くの間、ここを空ける」
勿論、山茶花の調査の為だった。
他人に頼っても詳しいことは分からない。己の能力に頼るのが最も確実な手だ。だが、数少ないアカデミアの教師がこの場を離れるということは危険だ。アカデミアの、そしてその背後に控えるルーザリカ要塞の守り手が一人減る。それとともに、軍とデマンドたちとの連絡関係も今ほどスムーズにいかなくなる。
「4軍はジープニーに兼任してもらうことになるから問題はない。……お前らのところ以外はな」
「すっかり問題児だな、11隊は」
そう、漏らすフィグローゼに苦笑が零れた。
「……だが、お前は善く纏めているよ」
フィグローゼの褒め言葉を意外な気もちでシグマは受け止める。
「そう言ってもらえると苦労が報われます」
優等生の言葉だ。その裏にはフィグローゼにもっと頑張ってもらいたい、という意味合いが含められているのだが。4軍の個性的なメンバーをフィグローゼ管轄ながら、隊で中間子ながら生徒という個を纏めている。生徒との交流面で顔が広い山茶花を迎え入れたことでやりやすくなったが、その隊にしても個性的で単独行動に動きがちなのが現状だ。
隊長を勤め上げるにあたり、シグマはフィグローゼの助手のような役割も持ち合わせているのだ。4軍には11隊以外の隊が無い、ということも大きく負荷となっている。
用の無くなった廊下から部屋に戻ろうとノブを捻って、――咄嗟に左右を見渡した。
(……気にしすぎだ)
廊下の先に人影は無い。誰も聞いていない、誰もいない。警戒する必要など何処にもなかった。けれど、『――山茶花には注意しろ』
書類を書きに戻るというフィグローゼが去り際に放った言葉が、耳に残った。
「――ッ!ッ!!」
叫び声のようなものが聞こえて、ぎょっと振り返る。まだ開いてもいない扉越しに聞こえる薄い声に扉を開け放った。
「チセ!?」
「兄さんの驚いた顔、見えるよ」
歓喜の涙を落としながら笑顔を浮かべるチセにシグマはただの兄へと戻った。




