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world for you  作者: ロースト
二章 深雪に微睡む
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「移送先は付属だろうが、王都には変わりない。もしくは危険と見なされてこちらに逗留することになるだろう」

(危険ってなんだろ。またサリファンダに狙われるかもしれないってこと?それとも軍にとっての危険因子になるかもって?)


「これから、ここは君にとって辛い場所となるだろう」

(……辛い。今でも辛い)

 思考はどんどんと暗く、黒く、渦を巻いていく。

 それはシグマしかこの場にいないからだろうか。弱音を吐きたくなる心は、弱い自分を知る存在の温もりが傍にあるからだろうか。

 ――戦いに心を定めた己の身が、戦いを拒絶するようになったからだろうか。

 辛いと思う。ここで出会った人々と、仲間と“サヨナラ”しなければならないこと。目が見えなくなったこと。戦えなくなったこと。全てがチセの心の中で大きな影を落とす。食らい谷底に飲み込まれるよりも深く、渦巻きに巻き込まれて重力にも回転にも抗えないままの身よりも、引き千切られるような痛みがそこにある。

(吾平くん)

 人に恐怖を与えてる強さの眼差しを持ち、人に希望を持たせる強さで立ち続ける。

 けれどその内側はひどく脆い。接してみるとよくわかる、心の不安定さ。実力に比べて弱い、精神。肉体が彼自身の枷となっているのと同じように、アンバランスに吾平は苛む。

 戦うごとに強くなっていく様が、瞭然としていた。戦うごとに傷つき、疲弊していく様が見て取れた。

(――私は彼を置いていけない)


「君もたいがい強情だね」

 チセの決意がわかったのか、若干呆れたようにシグマが言った。

「先輩こそ。人の思考トレースしすぎですよ」

「癖だからね」

「私も性格ですからね」



「それで望みは何だい。今ならサービスで一つ叶えてあげようじゃないか」

 シグマの能力は幻術だ。本物に近い望みを夢に見せる。

 しかし、ファラカイナはその影響力が大きければ大きいほど負担を伴う。現実との食い違いによって起こる作用だ。彼の副作用は大きい。額に脂汗を流し苦しむ姿がむざむざと記憶に蘇る。そんな能力をチセのために安請け合いをする。

 ファラカイナの使用は原則、必要以外には禁止されている。バレたら罰則を食らう。それでも使用を辞さないのはそれだけ、シグマに本気で心配をかけているのだろう。

 けれど、それも一度きりだろう。ファラカイナの能力は絶対だ。ファラカイナにはファラカイナしか対抗できない。だからこそ、自然回復も治療も意味を成さない。視界が戻ることは、二度とない。

(夢を見ているみたいだ)

 あやふやな、夢の中の世界でのことのように思える。自覚が薄い。

 チセの能力は影を通ることだ。離れた場所に出現することが出来る。影は影の世界を持ち、その世界は暗い、けれど広大な、自由な世界だ。何の形もないただの黒は身体の感覚さえも不明確で、時間軸からも離れている。

 けれどそれは海。影の世界には長く留まれない。顔を出すことが出来るのも、繋がった場所だけだ。人の影から入れば、人の影にしか移動できない。木の陰なら、木の陰。

 そんな世界が、チセの第二の世界だった。人と物が動き、時間の流れる色鮮やかな世界。そして黒一色、ただそこにあるだけの暗く概念も自分以外の生命を持たない影の世界。

 そんな世界同士は真逆で、――影の静かな世界に身を親しむチセは、まだこの暗闇が現実であることを実感できないでいる。

(最後に見たいもの……)

「銀色」

 ぼんやりと口を動かす。

 いつだったか、吾平に言ったことがある。「吾平くんの色彩はまるで月だね」黒い瞳と白い肌の極彩色ははっきりした性格の吾平にすごく似合っていて、混ざり合った髪の銀色は月の鋭さに似ていた。吾平のような空の銀色が好きだった。

 けれど今、窓の外の夜を照らす銀色が、その瞳には映らなかった。

 月は世界のすべてに手をさしのべる。それはある者には救いであり、ある者には邪悪だ。晒されることを恐れない人はいないというのに、世界はどこまでも無情だった。

「もう一度、あの銀色が見たいよ……」

 それが何を指した言葉か、発した彼女にもわからなかった。けれど、もう一度強く思う。

(彼を一人になんて、しない。私はどこにもいかない)


「私はここに残る。――戦うよ」

 どこまでも、その終りまではずっと。


 光を吸収したガラスは黒に塗りつぶされ明るい室内を映す。

 それは影だ。鏡の虚像ではない、陰の写し絵。――チセの顔がそこに映りこんでいた。



   *  *  *  *  *  *  


 山茶花はノックをしたが、返事はなかった。けれど躊躇はしない。今の吾平は独りなのだ。チセの怪我は一生物となった。詳しくは知らない。その場にいたのは当事者の二人だけだからだ。そっと、吾平の自室を押し開く。

 窓を横から浴びるベッドの上、吾平は膝を抱えて俯いていた。

 その顔に雫はない。頬を濡らす水滴もなく、瞳は乾いている。けれど、染めた目元に愛しさが募る。吾平は否定するだろうが、彼女は俺にとって一人の、力無い少女にしか思えない。どんなに強くてもどんなに残酷でも、同じだけ傷つき、それを隠そうとして強がっている。その姿に己の心を再確認せざるを得ない。

(やっぱり俺は――好きだ)

 いくら男だって、変わらない。見た目がどんなに変わってしまっても、その心が同じなら山茶花の心もまた、変わりようがない。

 山茶花の入ってきたことに気づいているのかも分からないほど、意気消沈していた。責任を感じるのか、罪悪感か、――己への猜疑心か。俯いていた頭は覗き込まれるのを嫌がるかのように下がり、ぴったりと膝にくっつけられた。けれど、声も音もない。ただ無音。静寂よりも、雪が音を吸収することのほうが近い。もしくは闇か。

 月明かりがその姿を半分照らす。銀の色が煌き、けれどいつもよりも寂しげに輝く。

(上手く泣けない君が、ひどく愛しいんだ)

 だからこそ、こみ上げる。その身体を抱きしめたい、その心を守りたい。

 けれどきっと、吾平はそれを嫌がるだろう。だから、膝にくっつける形のいい頭越しに、そっとチェーンをかけた。



「……これ、」

 顔をあげた吾平の首にはチェーンが回っていた。チョーカーのような短さの、ネックレスがある。そのヘッドには、鳥籠があり、檻の中には結晶が納まっている。


「もらって欲しい」

 驚きに見開かれた眼が痛かった。そこに思惑があるなどと、思いもしない。



「吾平に、もらってほしいんだ」

 独占欲と守りたい気もちの両方を抑えて、ただ言葉を重ねる。

 自分のものにしたいという凶暴な感情。傷つくことのないように守りたいという気持ち。

 せめぎ合うものが正邪混じりすぎて、どんなことをするかわからない。そんな感情を持っているなんて、吾平には気づかれたくない。


「前の任務の時、姫さまから特別にもらったんだ」

 見つめる視線から逃れるように言葉を付け足せば、面白いほどにその表情は変わった。

「……いい」

 お前がもらったものだろ。

 そう言ってつき返そうとするのに山茶花がいつもの調子が戻った。

「いや、そうじゃなくて!……その、俺が刻んだんだ」

 吾平の彫刻技術は一朝一夕にはとうてい届かない。アカデミア生のなかでも十本の指か五指に数えられるのではないかと教師にも褒められる。それは凡そ、芸術的なのではない。完全なる機能美で彩られている。アクセサリーとして持っていても不自然ではない、けれどファラカイナの装備として持つには“最強”の装飾である。

 そんな吾平の素人レベルではない技術に山茶花は到底及ばない。手先が器用だからといってすぐに出来るものではない。もともと、ファラカイナに刻む文字は共通語である場合が多い。使用者がイメージしやすいように使用者の読める字を彫るからだ。けれど、山茶花はあえて己の故郷の、ガダンの独特な文字を使った。

「“円”っていうガダンの言葉を刻んだんだ」

 共通文字は単語を刻む。そのために、その文句事態で紋様としてしまう。けれど、ガダンの文字は一文字で意味を持つ。その文字と文字をあわせて意味の輪郭を象っていく。

 一文字だけを刻んだのならば、広く応用が利く。――吾平の戦闘スタイルには共通語の単語を刻むより、ガダンの文字を刻む方に利便性が効くと思えた。

「その、上手く出来たから吾平にもらって欲しくて――」

 もう一度、手元のものを見た。銀の十字架に埋め込まれている石が輝く。


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