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「あれ、だな。行こう」
「……ああ」
あの男が向かおうとし、また俺たちに隠した場所。
その場に辿りついたのは何故だろうか。明確には覚えていない。ただ、確信のようなものを抱きながら、周囲の探索をした。氷と雪、氷に覆われた湖以外にはほかに何のものもない場所だ。見間違うはずもなく、当てもなく彷徨ってもすぐにそれは見つかった。
フラフラとした足取で、黒がぽっかりと口を空けた白い山を見た。それがギーリアの言っていた“アレ”のある場所。
一歩ずつ、深い闇の中を進む。入り口からの光は細く淡く、とても中までは届かない。けれど得体の知れない薄暗さの中で照明を灯す事は自らをも曝け出す行為だ。警戒に二人はジッと闇に慣らした目で中を観察し、氷柱を避けながら踏みしめる。
パキ――ッ
氷が足元で鳴る。気配は何もない。動いた空気も自らが作り出したもの以外はない。
道は一つのようであった。子どもがやっと通れるかどうかの大きさの道はいくつかあったが、どれもがすぐに行き止まりになる。それを除外すれば正常に長く進める道は一つしかない。それも自然の警戒か、攻撃か、氷柱が舞い降りてくるのを避けつつ進む。だが、そう長くはない。壁に従って動いていた二人の前に突如、大きな吹き溜まりのような空間が広がった。
「これは――」
「祭壇だ」
それが何だかを判断しかねる龍城に代わって吾平は断言する。一目見て、理解した。
クリスタルの台座。石の階段。刻まれた文様。そこに捧げられるはず物とそこにあるはずのもの。
「――壊そう」
やおら、言い放つ吾平に龍城が反応も出来ないまま、振り上げられていた。
おぞましい。どこか不安を与えさせる。
それは姶良の持つ感情なのか、自らのものではない感覚に突き動かされて、手を動かす。力が抜けるように、天を向く金の先がそれをなぞる。
「無茶をするよ」
剣の先が目的のものに掠ることさえなかった。まるで傷つけるのを拒むように、それは空を留まった。
「って……ぇええ?」
構わず殴りつけるように連撃を与える。だが角度を変え、力を変え、それでも届かなかった。
「君さぁ、……まぁいいや。君は君だものね」
ギリッと悔しさに歯を噛む吾平に、オメガは零した。そして手を下ろす。指先一本、それだけで攻撃を無効化するオメガだったが、それをするまでもなく、吾平は自らの意志で、その場を壊すことができなかった。
這い上がる嫌悪と得体の知れない恐怖が身に走っても、身体は、意志は拒み続ける。
「さぁて、君は退場してもらってかまわないよ」
背後から忍び寄った龍城に指一本さえ動かさない。見えない膜が覆うのか、バリアのように数センチ手前で止まり、これ以上は押しても押せない。
「彼がここを傷つけられないとしても、君は違う。僕には戦う気もないからさ。ほら、去りなよ」
さっさと背を向け、警戒もなく、ただ吾平の必死な姿を見やるオメガ。まるで龍城など存在しないかのように、足元を這う蟻に気を払う必要がないかのように、道にある白線を普段は意識しないかのように――オメガは祭壇をぐるりと囲む空間に自然と出来た腰掛に腰を下ろす。見つめる先は感情のままに龍城もオメガも忘れて一心に狂気走る吾平。
「……お前に戦う気があるかどうかじゃねぇ。俺がお前を見逃す気がない。追わないとは信用できないしな」
無警戒を喜ぶべきだった。
このオメガという男に応対するには龍城自身、不安が多かった。万全と準備を整えてないのなら得体の知れない男と戦闘することは出来るだけ避けるべきことだ。何より、吾平の狂行は見過ごすべきではない。
「――それは残念なことだね。でもね、本当に戦う気はなかったんだよ。この場を壊すような事態に繋がらないとも限らないし、何より君の汚らしい血でこの場を汚すことだけは許せない」
獰猛な、金の眼差しで龍城に殺意の切っ先を向けた。その瞳に宿るのは――執念。深い、ほの暗い感情が漂っている様は見て取れた。けれど、不意にその口元が歪む。
笑みの形へと変えられたそれを視界に入れた時には既に遅い。オメガの身体から、いやその後ろから漂う、毒々しい色合いの霧。そして香る、芳醇な、人を誘う――危険な匂い。
「吾平!」
視線を素早く走らせ、その姿を目に留める。それは吾平ではない。
(恐れているのか、自分を……)
己の腕を見つめ、何の変哲もないことを確認し、けれど力の篭らない身体に恐怖を感じる。驚愕と不気味さと不安を瞳に映すだけの吾平。切迫したものへと変化した状況にも順応できていない。それは、少なくとも龍城の知る吾平ではなかった。
「吾平!!!」
腕を引っつかむ。小さな声を漏らし、その視線は龍城へと移った。泣きそうな、迷子の子どものような表情が、龍城の気付けに現実を取り戻した。
「毒だ!!毒霧だっ」
いつの間にか、その姿は洞窟の薄闇に紛れるようにしてオメガの後ろにあった。毒の霧を噴出させる、サリファンだった。
「逃げるぞ!」
龍城が懸命な判断で洞窟から離れようとした。けれど、振り払われる。「あい――」
「お前はッ……ここでなにをしようとしている!?」
反抗する様に、踏みとどまった吾平は霧の中に尋ねた。素直な問いに、その中に取り込まれた敵の影が声を反響して返す。「やっぱり運命かな」と笑うオメガの気配に吾平の胸がざわりと騒ぐ。
「……君も分かっているはずだよ。ここが何なのか。君は――何なのか」
「――ッ!?」
言葉は意味深に、吾平に語りかけていた。
それはある意味、オメガとの、敵との親密さを感じさせ、吾平を裏切り者とさせる巧妙なる罠だ。龍城はそんなものに引っかかりはしない。オメガの一方的な様はこの数度の偶然の内に始終見かけた。吾平の記憶のないことをいいことに、否定できない部分で絡めてくる。
「逃がさないっ!今日こそ、絶対――」
霧の中に踏み込む吾平は掻き消える。だが龍城は追わなかった。腕を口元に押し当て、できるだけ吸い込まないようにと浅く息をして洞窟から走り抜ける。他人の心配をしている場合ではない。痺れが全身に回る前に連絡を取り合う必要が、この場を“保存”するにはそれが最適だ。




