30
「――早速だけど、お泊りグッズを向こう1ヶ月分作ってくれない?」
「……はいぃ?」
そんな言葉をシグマから承った山茶花は今、
「うわっ!?すげ……っ!地面、足っ!ついてない」
「……山茶花」
吾平に注意されるほど興奮していた。
周囲を見渡す視線は好奇に輝き、体を捻ってまでも観察を繰り返す。それはまるでピクニックに来た子ども、おのぼりさんが都会に初めて来たよりも――軽率だった。
任務だということをしっかりとわかっているはずなのだが、山茶花の気分は高々と浮かび上がる。
エレベーターは転送装置かワープ、建物は夢の国の造物。それは過去から未来へとタイムスリップしたようでもある。実際にはアカデミア(山中)から王都(都会)へと出向いたわけだが、その興奮のしようはとても見ていられない。子を持った親の心境、というものが吾平にはわかってしまいそうだった。
「山茶花くんは確かガダン出身だろう?今更、何で驚いてるんだ?」
連夜が訝しげに問うのにも、顔を向けず、周囲へと向けた視線のまま訳を話す。
「いやだって、俺は田舎暮らしだったから、都会の方来たのなんてアカデミアの入学の時に電車乗りに来たくらいで。王都なんて夢のまた夢って感じです」
「ふーん?そんなものなのか」
「さ、見えてきたよ!これからはみんな話を止めてね」
尋ねた連夜に変わって龍城が答え、会話は終了した。
空中に光で照射されたエレベーター、その終点だった。
正装、という言い方には語弊があるかもしれない。学生身分、というものは畏まる場合に制服の着用ということになるからだ。実際、山茶花たちが着ているのは制服だ。けれど普段のものとは違う、儀礼用のもの。
ガダン王国、それも王都のど真ん中に鎮座する王城にて、第11隊は整列していた。目の前にするのはこの国の王女である。――任務だ。
この間から続いていた中毒者、もしくは擬者に関するものとは別の、“アカデミア”としての任務だ。しかし、ここに揃うのが11隊だけなのは、隊としての任務でもあったからだ。
「あなた、名前は?」
黄色がかった紫と金の不思議な色合いの瞳の“姫”が山茶花に問うた。
「へ!?俺、ですか?」
整列し、誰もが手を横にそろえて正面を向く中で山茶花は緊張に上を向きすぎていた。己の胸の丈しかない少女に目線はあわずにいた。それこそが目立っているとは自覚していない。
「山茶花です!」
はりきって力みすぎた返答は姫の満足のいくものだったらしい。可愛らしく小さな笑みを零すのが見えて、ほっと肩の力が抜けた。だが、
「……そちらのあなたは」
「――」
険悪な雰囲気は一瞬にして象られた。山茶花に対するのとは真逆のものが含められた問いに、返答は無く、更に場の空気は壊れた。
「吾平です!吾平!」
山茶花が言いつくろうも、壊れ果てたそれは元に戻りそうもない。
(何でいきなり!?)
隣に立つ吾平に表情はない。だが、口元も固く引き結ばれていて、淡い色合いの唇はかみ締められているようにも見えた。
「発音が難しいんで初対面の人に名乗りたがらないんですッ!」
山茶花が力説し、冷たい視線が山茶花へと向けられた。
空気が山茶花の言葉で変わることはなかった。より刺々しくなったような気がして、どうにもできない。
は、はは、はは。乾いた笑いが喉を突く。
「……下品な身体ね」
可愛らしい桜の花びらのような唇からもれたのは毒々しい指摘だった。
黄金の長い睫毛が縁取る瞳は神秘的でもあったが、こうも凄まれては逆に空恐ろしくも感じる。小鳥の囀りのような可愛らしい声音は更に続けた。
「その上愛想まで悪いなんて」
吾平一人に向けられた悪意。それが山茶花の前で明確な形を成そうとしている。理由は分からずとも、何かをしたい。それが山茶花の入れない領域のことなのだということもわかっていて、猶、口を出そうとした時、
「姫。お言葉ですがうちの吾平は異性の面から見るととても魅力的な女性ですよ。勿論、姫も劣らず魅力的でございますが」
シグマが至極冷静に、そして穏やか勝つ紳士的に言葉を返した。そのことで山茶花は勇み足に躓く。上滑りのない言葉だった。
そして、誰にも反論も何も言わせないままにシグマの柔らかな視線が山茶花を射抜いて指示した。
「山茶花」
「はい!」
点呼の様に呼ばれては返す。二人の間に割り入って何かを言うよりよほど有益な言葉だ。
「君には姫の護衛についてもらう。彼女の行くところ全てに一緒してくれ」
「へ……でも俺より」
吾平の方が、と言いかけて詰る。
吾平と姫の相性は最悪のようだった。
他国に育った姫が成人するということでガダンに帰国した、それは吾平の前で行われた。自家用飛行機から降り立つ時にはシグマが騎士のように付き添った。
そして目の前に並ぶ。――その間のどこに山茶花を気に入った時間が、また吾平を嫌う時間がありえようか。理由さえも起こらないだろうに。
「私は山茶花がいいわ」
姫がシグマの提案に賛同する。それはもはや決定事項ということだ。
「ほら、ご指名だし、ね?」
姫の護衛。本物の王女ではない。――生まれつきファラカイナを目に入り込ませた、奇跡の少女、選ばれた姫君だ。彼女が生まれてからこの方、故郷であるガダンに帰ることが無かったのも、サリファンダに狙われないようにするためだ。
「――注意なさった方がいい。あなたは己の身が危ないという事を自覚なさい」
翻した吾平の背は、凛々しく、けれど姫に教授する。ガダン王国の危さは、吾平が一番身に沁みて知っていた。




