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「私はラブコメを見に来たわけじゃないんだがな……」
一応、担任としての責任から言わせてもらえば――事前に話が通されていたとはいえ、今回の“風邪薬”というのは危険だった。ファラカイナの能力は素晴らしい。サリファンダに対抗するには必要不可欠な、人類にとっての救済だ。
しかし同時に思う。ファラカイナというのは何なのか。サリファンダとは何なのか。
二つの存在には密接な関係が有る。それは誰もが否定できない。しかし、その詳細は不明だった。サリファンダという化物が何処からやってくるのか。それは生殖行為などにより数を増やすのか、それとも自然的に“発生”しているのだろうか。途絶えることのない生命は永遠の命を髣髴とさせた。
彼らの求めるものは一つ、ファラカイナ。人に危害を加えようという意志はそこにはない。邪魔だという風に考えているのか、それとも餌に群がる蟻のような存在を気にすることなく口に含むのか。何故、金属が特殊な能力を持つのか。本当にそれはファラカイナによって引き起こされているものなのだろうか。
(何百年経とうとも、何も分かっていないのだな、人は)
改めて考えれば、それは深みに嵌ってしまうかのような到達点のない疑問。
未知であるファラカイナを使用することに躊躇いを覚える者は本当にいないのだろうか。
絶対的な信頼を危く思う。特に――山茶花のように思いつめられた者は、危い。
(……なぜ、そこまで吾平に拘る)
吾平と山茶花は同室だ。そして級友である。共に戦い、共に志を同じくする。そこには同士としての感情が芽生えるだろう。いや、吾平の容姿ならば恋愛的意味合いをそこに含ませてもおかしくはない。だが、自らの危険を顧みないまでにその想いは深いのだろうか。
(出会ってからまだ一月も経たない)
勿論、急激に育つ思いはある。生徒同士のことに、特に恋愛事情など一介の教師が心配することでもないだろう。その対象が問題生徒であるとはいえ、今のところは厄介なことには至っていない。教師の出る幕はない。
しかし、山茶花は、吾平に執着しすぎるように思えた。それまでを見て、山茶花はクラスでも人気者の部類に入ると知っていた。吾平以外との交流も深い。だが、吾平を優先しているような様子は幾度か見受けられた。
フィグローゼは山茶花の情報を頭の中で整理し始める。書類は手元にあったが、それを見るまでもない。大体のところは頭の方に納められている。だが、それにも手がかりはなさそうだった。何の問題もない生徒だ。依存傾向が大きいというのは生来の気質か。
手元の資料に軽く目を落としながら、そう結論付けようとした。
(ん?)
どこかに違和感を覚えてもう一度、端から端まで書類に目を落とす。
(――名前がはっきりしていない)
“山茶花”
皆が皆、通称という形で名を呼び合うこのアカデミアでは何の珍しさもない。ガダン特有の響きの名前ではあるが、その程度のことは問題にならない。だが、山茶花にはこの通称しかない。名前がない。
(何かがおかしい。ひっかかる――)
他の生徒の例でいくと、名前ははっきりとしている。きちんと姓名がある。そこから別に通称が付けられている。通称は略称だ。急時においての呼称に過ぎない。本当の名が別にある。だが、山茶花は通称があり、名前がない。
それは同じく新入生の吾平のようだ。吾平もまた、名前がない。通称のみの呼称だ。けれどそれには事情がある。アカデミアの方でも軍部でも了承されている問題だった。
(響きが特殊なのは同じなのか)
並べ上げてようやく気づくかのような小さな同異点。けれど、二人を結ぶものがあるのかもしれない。あるいはフィグローゼはそこに確実性を感じ取っていた。
経歴ははっきりしている。ガダン王国、西のサグシャラタ、その付近にある小さな村。両親はなく、村長に保護され10歳までを一般教養、文字の習字・共通語の習得・王国史・世界暦……その後は外れに住んで農業で生活を――(“王国史”?)
唯の廃村が、そんなものを子どもに教えるだろうか。ガダン王国は教養がそれほど行き渡っているとは言い切れない国だ。文字・言葉は学んでも歴史を学ぶ必要性はない。世界暦は現在に至るまでの道筋として軽く知っておく必要はあるだろう。ファラカイナとサリファンダの出現に関しては特にアカデミアに入るには必須なものだ。知らないということは危険でもある。
(――まるで。初めからアカデミアに入るために必要だから学んだみたいだな)
思い浮かんだ考えにフィグローゼは背筋が粟立った。
フィグローゼは孤児だ。軍に入らなければ生きていけなかった。それはそんなに珍しいケースではない。シグマもチセも同じ理由からアカデミアに幼い頃から来ている。連夜と龍城も保護者・庇護者がいないためにこのアカデミアに入ってきた。
吾平はいうまでもない。
(両親が、肉親がいなくとも、庇護者はいた)
山茶花には戦う理由がない。
勿論、村長夫婦にいつまでもお世話になることを渋って軍人になることにしたのかもしれない。そもそも、訓練生は素質の有るものを集めた。軍人になろうと思っていなくとも勧誘があればそれに食いつく程度には自立心があったろう。
(マテ、どこで知った?)
ファラカイナに接触した時に素質あり・なしと反応が違う。そのためにファラカイナに接触すれば素質がある者は直ぐにそれと分かる。これまで生きてきてファラカイナに接触したものがいないというのは相当に珍しいことだが、山茶花の場合は違う。
山茶花はその“相当に珍しいこと”でなければ逆におかしい。廃村にあるはずが無いのだ、ファラカイナが。護り手もいないところでファラカイナがサリファンダに奪われることなくあるのはオカシイ事態だ。しかもガダン王国というサリファンダの活性化した地域でそんな場所があるなど、信じられない。
だから必然的に山茶花のいた村にはファラカイナはなかったことになる。元々が高価な物品なのだ、なければないでいいのだろう。そこには不自然など欠片も無い。
だが――
(自分に素質があることを、山茶花はどういった経緯で知ったんだ?)
どこかで、ファラカイナに接触した。
けれどそれはいつだ?
「調べる必要がある、か」
瞬間、生じた冷酷な色を灯した眼差しを、フィグローゼは閉じることで隠した。




