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「山茶花!」
呼びかけに、虚ろな目が向いた。
疾走し距離を詰める吾平に山茶花が断頭のための攻撃動作に入る。それは瞬きほどの躊躇だった。永遠にも思える短い間を引き伸ばす。
武器を持つ手首を的確に蹴り上げる。そして注意が逸れガードの甘くなった胴に回し蹴りを当て、ねじ伏せるようにその体の上に折り重なった。
「――ッ」
呻きを耐える姿にはどこか、人間らしさが残っていて、安堵した。
けれど同時に競りあがる不安に、一度は起こした身を再度横たえ、体を押さえつける。
「うぁ、あ、あ……わ」
混乱の声と共に山茶花の手足が動きだし抵抗を示す。逸れていた意識が回復したようで、強い力で引き離そうとする意志に吾平は尚も体をへばり付けた。
「吾平くん」
場違いに呼びかけが起き、不自然な状況だと思い至る。
吾平以外にこの場で慌てる者がいない。
決定的な言葉は既に吐かれてしまっている。現状を理解していない者はここにはいない。山茶花はファラカイナを体内に大量摂取、それにより意識の混濁と戦闘意欲の高まり、興奮状態にある。……中毒者、と呼ばれる状態に相応しい。早急に対処しなければいけない事項である。しかし、現状はどうだろうか。
「かわいそうだから、もう、離してあげたら?」
「――――」
「……はぁ」
謀られた。もしくは嵌められた、だろうか。
身体の下の山茶花を観察する。その頬は青白さではなく、赤味を帯びていて、先ほどまでの狂気的な雰囲気は払拭されていた。いつものそれである。
半分起こした体を本格的に退かしてみればそこに暴れる危険性はなかった。そればかりか、羞恥に赤く染まった頬は少しばかり平常の色を取り戻したようにも見えた。
「えっと……吾平」
「……」
「風邪薬、なのかな?俺が飲んだのは」
そう、山茶花があの夜シグマに渡されたものは風邪と同じ症状を引き起こす薬だ。具体的に言えば体細胞の活性化による燃焼促進。まさに熱に浮かされたような状態。
しかし、それというのも熱という意識の朦朧とした状況下によって常識に囚われていた部分など、超越するための意欲と想像力の増進を図るためだ。まともに動かない体ながらも、ファラカイナを使ったこの戦いでは有利になるのは思考の柔軟さ。
(……常識を取っ払った方が強い。ならば、常識を気にしない状態ならば)
そう考えての試みの結果が今回だった。
「ばーか」
(人を、……捨ててしまったのかと思った)
「それにしても……山茶花くんはイイ目を見たね」
「え?」
「本気で心配してもらえた挙句、押し倒されていたじゃないか。いやあ、風邪でも引いてみるもんだね」
「あっ……」
先ほどまでの感触を瞬間的に思い出して、山茶花は顔に熱が溜まった。
柔らかな肢体が覆いかぶさってくる状況は同じ男にはまさに天国といえるものだろう。状況が状況でなければこれほど嬉しいこともない。
直接触れた肌の温度と自らの上に乗っかる、女性特有の柔らかい体――
(ってないないない!吾平はっ!男なんだってぇぇえええ!!!)
自身の不埒な思考を留めるかのごとく、脳内で叫びまくる山茶花だが、その努力は報われもせず、傍から見れば変質者か変人のようにしか見えない奇行、身もだえを繰り返す。
本来の山茶花ならば吾平たちの視線にグサグサと体中を突き刺されただろうが、今は自身の内側のことに夢中で気づきもしない。いつの間にか、先ほどまで吾平が感じたほっとした気分までもだだ下がり、軽蔑の混じった呆れへと視線の色を変えていくのだが、山茶花は幸いなことか、不幸なことか最後まで気づかなかった。




