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world for you  作者: ロースト
二章 深雪に微睡む
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「最終日だ。約束だ、俺に傷を付けられなかったら……お前はもう、俺に関わらない」

 吾平の厳命する口調にはいくらも影がない。

 それはそうだろう。歴然とした事実として、吾平と山茶花の実力はかけ離れている。

 昨日までの山茶花は傷一つ、掠り傷一つ、吾平に負わせることが出来なかった。女の子だ、という遠慮も吾平に対する感情から来る躊躇いも、初日で既に失せた。そんなことを考えていれば、その一瞬で勝敗が決する。それだけの実力差があった。

 だから吾平は何事もなければ素直に勝つ。

 しかし、何かがある。そんな予感が吾平の中に漂っていた。

(予感、勘、不安。……どれも過去の事例と照らし合わせた無意識下の判断)

 吾平は警戒を強めた。

 負けるつもりがないからどれだけの溝があろうと実力に奢らない。油断をするつもりがない。けれど、その胸の中で少しだけ、胸騒ぎがしていた。

(……動揺、しているのか。姶良)

 関わらない、という約束はアイラを守る為に必要なことだった。姶良を刺激し、揺さぶる存在を吾平は不快だと思った。決して、姶良がこのままの状況でいいわけではないと知っていても、吾平は山茶花という存在がひどく不快だった。正義を語る姿が、真っ直ぐに見つめる視線が(――イライラする)

 “吾平”を知りたいと言うその言葉が心に突っ掛かって取れない。

「負ける、つもり、はない……から」

 前かがみの姿勢にふらつく体。肌に浮かぶ汗と、真っ青な顔。

 明らかに健康状態に異常が出ている。けれど、その意志は戦いを望んでいた。

 山茶花の尋常ではない様子に、心のザワメキが大きくなる。

(何をそんなに意地を張る必要がある)

 唯の同室者だ。

 他の誰もが倦厭し、忌避する存在であっても傍にいようなどと思うものは少ない。そしてその少人数というのも結局は利用に役立てようと企む者。真底、心を近づけたいなどと思う者は皆無。そして吾平自身、拒絶していた。

 今いる吾平は吾平ではない。そうなって以来、人と関わることは避けて生きてきた。アカデミアに来たことも、そこには他者との交わりという意味を欠片も持ち合わせない。唯ひたすらに、サリファンダだけを思う。そして、(――オメガ)

 黒い影の塊のようなそれはそう名乗った。姶良を知っていて、吾平のことも知っている。

 目的は唯一つ、それだけだった。それ以外に有るはずがなかった。

(俺は何なんだ)

 己の存在を肯定できなければ、生きることさえ、前提から崩れていく。

 だからこそ、吾平は前を向くためにも今は走り続けなければならなかった。スタートラインに立ってさえいない吾平を、誰が気にかけるだろうか。誰が知っているだろうか。


「それでは。――始め!」

 観覧席に悠々と座るシグマの口元に捌けられた笑み。それがやけに気に掛かった。





「(ッ早い!)」

 残像が見えるほどの速さに、吾平は下がった。

 今までとは格段に違う動きは相手を翻弄させる為だけのものではない。確実に攻撃を当てようとする意図を隠した、高慢なる攻撃。大振りなそれは当てることを前提とし、加えて次の動作を起こす。当たらないとは予期しない。けれど、当たったとしても攻撃を当てに来る。――山茶花のスタイルとは違う。それは言うなれば吾平の徹底抗戦スタイルだ。敵に情けは無用。当たれば良し、当たらなければ次を当てる。当たっても当たらなくても次を当て、次を当て……命の途切れるまで続けられる無慈悲な作業。

 いつのまにか防戦一方であることに吾平は気づいた。山茶花との距離を保とうとする足が退いて、壁の存在を感じた。

 後ろを振り返ることは出来なかった。今の山茶花から目を離すことはできなかった。しかし、状況は端に追い詰められた。今までの山茶花とは決定的に実力が違うと認めざるを得ない。思考に過ぎったのは「今日は傷を付けられるかも知れない」という約束事。

 けれど、それは振り払った。現在の状況の前には些細なことでしかなかった。

 だから、吾平は傷つけられる――そのことを考えた己の感情を深く理解することなく思考は霧散していた。

「(何かがおかしい)」

 山茶花が、あれほど命に、道理に、正義にこだわる者が行う動作ではない。危険を感じて本能が距離を置く。壁を踏み台にして天井へと跳ね上がった。攻撃の届かない上空に身を翻して背後を取る。

 不意に、全く関係のないところで山茶花がふらつく。

 本来ならば、距離の定められていないファラカイナ武器は想像によってどんな攻撃も届かせることが出来る。どんな長距離、どんな超上空でも、当たる。それがファラカイナの力だ。けれど、人の思考は理性を呼び、それは慣性を、理を、常識を当てはめる。だから人はサリファンダ以上にはファラカイナを扱うことは出来ない、とされている。

 けれど、抗うことは誰だってする。武器の距離を伸ばそう、という発想がわかなかったわけはないだろう。ならば山茶花がそれを一瞬でも行わず、あまつさえ背後を取った吾平に視線を向けることなく、壁を向いたままふらつくなど、ありえない。

 戦いを始めてからそれほど時間が経ったわけでもないのに体力がそれほど激減するわけもない。他に理由がある。

「山茶花――お前、何をした?」


「……」

 疑問に返るのは無言。表情を取り落とした、いや削ぎ落とした。

(人という枠組みさえも飛びぬけていくような――)

「まさかっ」

「そう、そのマサカだよ」

 投げかけられた第三者の声に振り返る。

 今度ばかりは視線を外し、そして合わせた。考えの読めない表情を貼り付けたシグマを見やり、そして山茶花を見た。

 人として大事なものを失った後とはこういうものなのか、と思うような姿がそこにはあった。その異常性に当て嵌まるものは唯一つしかなかった。

(認めたくなかった。山茶花が、そんなはずがないと思っていた)

 そもそも、吾平には理由が思い当たらなかった。

「ファラカイナを、――飲んだのか?山茶花」

 肯定するように、ふらりと体は傾いだ。



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