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両手に持った剣の一つを放擲した。
しかし、それは得意げに羽を使う烏に掠る事も無く避けられる。だが吾平は繰り返し、もう一本を放擲した。その様子に烏は裂けたかのような口を更に大き開く。まるで不気味な笑いのように口端が上がる。バサバサと大きな羽が空気を揺らし、けれど武器を持たない吾平が焦ることは無かった。
「――阿呆。油断しているからだ」
何も持たないはずの吾平の手、何かが光った。同時に、烏の羽ばたきは留められた。広がらない羽、折れた手。何かによってその形状を歪められている。――キラリと光った糸だ。吾平の放った剣、二つを支えにしてそれが烏を絡み取っている。空に浮かぶのは既に羽ばたきも軽やかさも感じられない、ただの黒い塊だ。巨大な塊は床に大きく影を残し、空を停止していた。
「もがけばもがくほどキツくなるぞ、これは」
吾平の指に嵌められた金属――これもまた、ファラカイナだ。魔よけ効果の有るキャスライトがそこには光っている。
(しかし、隠し玉がなくなったな)
吾平の主要武器はこのキャスライトの指輪だ。二つの剣<頭竜刀>を繋げ、また遠隔操作をする為に指輪には糸が仕込まれている。しかし、普段の吾平は糸どころか、双剣ですら出さない。双剣とはいえ、一つ一つが短剣のような大きさではないので単体で扱っても充分なのだ。逆に少女の細腕には両手にある分、負荷が掛かりすぎて長く使えない。素早さも小回りもきかなくなる。
(本来の体なら――)
“吾平”のファラカイナは姶良のものとは違う。“吾平”が自ら倒したサリファンダから奪い取ったファラカイナを加工してオリジナルに作ったものである。吾平向けのものであって、姶良向けではない。
他人はその違いを些細だと思うだろう。だが、それは二人にとっては決定的な違いだ。
「ちっ――」
羽で糸を振り切るのは耐久性の問題ばかりともいえないだろう。それだけ敵も強固だということの何よりの証明。思考に耽る暇はない。
羽ばたき、飛び立とうとする際に背に飛び乗った。不安定な場に身体が転がるが、広い背中に人間一人ぐらい、どうということもなかった。落ちるほどではない。
吾平は役に立たなくなった糸の、そして二つの剣の現象化を止める。そして新たに現象化をする。(黒、月、鎌――)「デスズ・ムーン」
思考をなぞるように描かれたのは月のような形をした湾曲した鎌。命を刈り取る、死神の武器だ。素早く手首を返して、それを烏の首元に寄せる。
プツ――
何の抵抗もなく、沈み込む。肉が切断され、黒い血が流れ落ちる。ボト、ボト。
首を振って嫌がった動物的な動きとは関係なく、吾平の手首から先の力も関係なく、ただ振り子のようにそれは湾曲した円を描いて“それ”を切り落とした。
一瞬の浮力。一瞬の隙。
切り落とされたはずの首は啼いた。そして身体も首も落ちていく。吾平も地面に引かれて行った。夥しい量の血が軽く、空に留まってから雨のように落ちてきた。黒い涙が生徒たちの頭上に降り注ぐ。ただ声だけが高く、破壊された天井から空へと舞い上がった。
「――ッ合図!」
焦りが顔に出る。吾平は自由落下をする己の身を、無理やり外へと踊りださせた。
旧世界には多く見られたが煉瓦屋根というもの“古いもの”として現代には見かけない。それが今日アカデミアで使用されているのは時間の流れに取り残されたが故なのか。それとも、煉瓦というものの頑丈さだけに危険区域であるこの要塞では敢えて採用されているのか。それは生徒には、いや教師にもわからない。ただそれを利用する側としては煉瓦というものは都合がよかった。踏みつけられたそれはカシャカシャと音を立ててそれは存在を主張し、跡を残す。追う、という目的を持った者に対してそれは有利に働いた。
それは仲間を呼ぶものか、または危険を知らせるものか。(――後者だ)
吾平は一も二もなくそう思う。なぜならば「やぁ」
雪に視線を走らせた吾平に声を掛ける者がそこにはいた。待ち受けていた。
男は何気ない風にして立っている。建物の一つ棟の上、氷の一角。
「久しぶりだね、アイラ」
笑った顔は深く被られたフードにより、分からなかった。気配だけが揺らぐ。
「――気安く名を、呼ぶな」
吾平には覚えがあった。その男はいつからか、吾平の前に現われた。いつだってファラカイナのいる場所、いる時。――当たりはついていた。
「お前は、何だ?――擬者か」
これまで、幾度も繰り返した質問だった。そして、わからないままに終わる。逃げられてオシマイ、だった。
(逃がすつもりはない。否が応でも答えてもらう)
吾平は男を鋭く見据え、挙動をつぶさに見つめる。
「オメガ。先導者――“君ら”はそう呼ぶといい」
吾平の予想を超えて、それは返ってきた。
敵が名乗る、などということをするとは阿呆、とでも言いたかった。しかし、便宜上の名でもなければ不便致し方ないのも事実。
直感的に、これから先にも関わることが多い、と吾平は判断していた。だからこそ、男も好い加減、という気持ちになったのか言葉を発したのだろう。もしくは、何かの契機か。
「今はいいよ。知らなくていい」
それ以外。何も。まだ。
言葉に隠されたその意味が手に取るように分かった。
「今の君に、用はないんだ」
「どうせ君は――何故、姶良が瞳を閉じたのか。その理由さえわからないんだろう?」
その言葉に、踏み出した。
目の前の瓦屋根から次々と進む。一見して普通の建物だが、ある棟では二階であるところがまた別の棟では地下に至るなど、遊び心と要塞としての意識の混ざり合った建築物であるアカデミア。その屋根を直進にいくには高低差のある屋根へと移らないといけない。オメガの立つのは一つの棟の頂上であり、他建築物とは異彩を放つ――孤独な建物だ。その周囲には丘がある。吾平の脚力で飛び移れるような距離に建物はない。――雪の上に降り立った。
絹のような美しい様を見せる銀の髪。重力に囚われないかのように、吾平の背をゆったりと追って落ちた。その様は月の精か、雪の彫像物か。女神に劣る事ないと思わされるその造形美は今、冬から春へと移り変わる季節に一番初めに咲いた花が恥らいつつ姿を見せるような可憐な笑みを唇で描き、――己の武器を一層強く握りしめた。
踏み込む足は柔らかな毛布を敷いた上を踏む乙女の素足を思わせるが、同時に戦乙女の凛々しい凱旋を思わせる力強さを持ちえている。地に剣を突き立て、それを踏台に吾平は跳んだ。空中で体を回転させる勢いで剣を振り抜き、己の身体ほど重いそれが落ち始める前に、剣を軸に再び回転。更に高さが加わったそれは足りない高さをカバーして雪の降り積もった瓦屋根に突き刺さる。オメガと同じ位置に達する一瞬、ほの暗い笑みが交差した。だが、グラッと揺れた。
「(――――ッ!)」
予想以上に雪の深度が深い。突立てた筈の剣はしっかりと刺さらなかったように軸をぐらつかせる。素早く身体を捻り、持ち上げる。だが、そこに求めた姿はなかった。
ほんの少し、吾平の注意が逸れた。その間に姿がなくなった。
「(いや、そんなあるはずがない――っ!)」
急ぎ視線を巡らせようとして、黒い影が遠くに微か陽炎のように立っていた。冬の光景にあるはずもない現象、だがそこに確かにいる。顔も輪郭もわからないが、その陰がこちらを向いていることは分かる。そして、口元が動き言葉をなす。
「またね、だと?」
カッと頭に血がのぼる。
きっ!と睨み、自由落下する身体を、あえて地面に背を向けた空中で力を解放する。
一瞬で顕現させた光の弓。夜闇の中でも当たりを明るく照らし出す圧倒的な光は日中でさえも美しく眩い。辺り一面を白く蔽う雪が光を反射する。吾平の身体の倍以上もある大きさの弓柄が顕現し、その内側に通常サイズの弓柄が現れる。それを吾平は握り、引き締める。このまま行けば放たれた弓矢は頭上に向かう。だが、関係ない。
「サテライトアロー……射て!」
狙いさえ違わなければ必ず打ち落とす。それがサテライトアロー(超広域射撃)だ。
光の閃光が空に大きく伸び上がり、彗星のように落下した。だが、余裕綽々とその間を縫い逃げゆく姿があった。
「くそっ!」
背中に感じる重力、地面に追突した衝撃に息を詰らせながら悪態をつく。腹立たしいのは自分自身への怒りだ。なぜ、という疑問も出ない。相手が上手だったというしかない。実力が出し切れなかったわけでもなく、単に力不足だと分かるからこそ、悔しさが倍増する。
雪に深く剣を突き刺し、慟哭する。嘆きはけれど空に向かうのみだった。無力だった。何もかもが――泣きたくなるほど、無力だった。




