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(ああ、面白い)
鮮血が月夜に舞う。
純白の地面は少女に一つ一つ、汚されていく。赤が浸食し、染め上げて行く。それは月が赤を照らす、明るい夜だった。
「はっ!!最高だぜ、この感覚。久しぶりの狩りだっ!!」
しかし、高揚と同時に冷静になる己が居ることを吾平は自覚していた。
(違う)
こんな弱くない。
(“俺”はこんなに弱くない――!)
か弱い身体は細く、頼りない。身体は些細な衝撃にも窮屈に悲鳴をあげ、小さな手足は思うよりも力がなく、攻撃に強さはない。素早い動きにも対応できない。
(こんな未完成、俺は知らない)
違和感が拭えない。チリチリと身を焼くような焦燥感が身を包んだ。落とした視線の先、足元に散らばる戦いの痕跡は吾平を責めたてるような速さで拡大していった。喪失感、やるせなさに身一杯になる。無力。そこにあるのはどうしても埋められない、心の空虚。
拒絶の心が
(こんなの、俺の身体じゃないっ!!)
それは許しがたい罪だった。
感情が爆発する。鮮血に踊り狂うように、吾平は敵へと身を躍らせた。
校舎の煙突隣、身を隠すようにして門外に立ち、自らが屠った屍に憂慮を見せる人物を望遠鏡で覗き見る。距離は数㌔、吹雪くのはこの国で当たり前として省いても、訓練された者でさえその姿を捉えることは至難の業だ。しかもそれだけではない。男の有能さはその視界をそこにいる仲間に伝えることのできる能力だ。そこが男の優秀さを際立たせている。
「やはり彼ですね」
後方に控える彼の主人に声をかけた。
観察だけにしても十分な距離を持って用心しなければならない。だからこそ、この場にいるのは彼と主人、主人を共にする同僚たち。他の観戦者はより近く、ガラス戸を隔てた場所でその人物を見ていた。要塞の内側であれば殺意も緊張感も届きはしない。距離的には近くとも、その凄まじさを感じるには遠すぎる距離。
「まるでヴァルキリーだ」
彼は小さな穴を覗き見、呟いた。と、瞬きの間に姿が掻き消える。そのことに驚きはしない。一瞬の間に行動を開始したのか、と飛び移れる建物へと動かそうとし――――
「バーサーカー、だろ?」
男の視界が黒く染め上げられる。
「……っ!?」
驚きに目をレンズから外し、見上げた先。立ちはだかる姿。望遠鏡の先のガラスを掌で覆い固定する。もう反対の手は武器を肩に担ぐ。一瞬前まで遠くに捉えていた少女の姿だった。
「ありえない……」
一瞬で数キロ単位を移動することも。音を吸収する吹雪の中、小さく呟いた男の言葉を捉えたことも。……そこで思考は途切れた。視界がブラックアウトする際には既に男の意識はなかった。――神経が切断された。
「酷いね、人一人の命をそんなにぞんざいに扱うなんて」
大変なんだよ、人材育てるの。そう言って少女を見るシグマの瞳には明瞭に愉快の色が混ざっている。修羅を愛する業を背負う少女――吾平だ。
「こそこそ覗いてやがるからだろ?好きな子に嫌われるぜ」
「自業自得は認めるけれど、ないもの強請りで代わりの人材が欲しいな、と言ったら?」
「ゴミだろ、あんなの。それに欲しいならそこのストーカー女をやるよ」
いい加減ウザイ、と言い捨て吾平は踵を返す。その薄灰青色の影が立体に浮かぶ。そこから滲み出るようにしてその姿は存在を現した。
「すいません、ばれていたようです」
主に畏まり膝をつき首を垂れる。少女だ。吾平よりも若干幼く見える顔立ちだが、実際には上級生。心の中では膝が濡れて冷たいーなどと考えている。
「任務ご苦労だったね、チセ」
「確かに任務もありますけどー、ストーカーは趣味ですから」
チセ、と呼ばれた童顔少女は笑顔でサラリととんでもない事を言う。それに対して若干退く姿勢を見せたのは彼女の仲間だ。それを言葉に出したのは、シグマの部下である龍城。
「うわーひく……」
「俺も興味ありますね、彼には」
チセの言葉に同意したのは連夜だ。
シグマが吾平に誘ったのは四年のシグマ、三年のチセ、二年の龍城・連夜の四人からなる小隊、第11隊であった。任務を受ける時に行動を共にする仲間であり、利益に基づいて個人に契約し成り立ったグループでもある。
アカデミアでは教師からの評価を数値化して合計点に達するかどうかで学年の繰上げ、卒業、という形になる。端的に、合計点だけを目指せば七年もの時間をアカデミアで過ごす必要はないといえた。その場合はスキップ、などと呼ばれるが実際には合計点を稼ぐのに七年という日数は適当だといえた。
点数は評価。そして評価とはこの場合、サリファンダに対抗する力があるかどうかが基礎となっている。規律違反は減点となるため、軍人としての分野も評価に含まれるが、サリファンダ討伐任務による功績如何が点数となる、といった方が一般的だ。当然、任務を請け負う仲間とは生活の基盤を共にする、といって等しい。
個人契約によりグループ化されるので、脱隊も入隊も自由だ。だからこそ、新入生がやってくると同時に新芽を摘み取るが如く、己の隊へと勧誘するのが恒例となっているのだが。初日に起きた騒動さえなければ、吾平もその渦に巻き込まれていただろう。
しかし、一般生徒の作るグループとは違って、“隊”とはより直接的・実践的だった。軍人としての適性あり、と在学中に既に評価され、軍に入ることは決まったも同然のエリート集団。それが隊だ。初日から“隊員”である龍城に目を付けられたことで、吾平の隊入りは決まったも同然だった。他の生徒からのグループ勧誘はなかった。
――しかし、第11隊とはそれだけではない。
本来、アカデミアに10人しかいない特別教師――“序列持ち”。彼らの人数に合わせて隊とは1から10までしかないはずだった。それ以上は管轄する教師がいないということで増えることは無い。だが、その異例を認めさせた“第11隊”。
そして異例の11隊に入学早々抜擢される異例――吾平だ。
「……ごみ、じゃないしね」
シグマはゴミ、と称されたものへと目を向けた。無残に首を折られ頭蓋骨を陥没させられた、傷ついた死体。しかし、その姿は徐々に存在を気迫にさせていった。シグマの能力配給が途切れたそれは死体から雪塊へと真実の身を表す。
だがそれはシグマへの副作用の始まりでもあった。
「……ッ」
心臓の位置を服の上からわし掴む。痛みの根源にまで届くわけは無いその行動をしてしまうのは人としての性か。鼓動を聞くように、鼓動を鎮める様に、張り裂けんばかりに暴れる心臓を強く身体の内に収める。脳の方にも痺れに似た痛みを及ぼしていた。
「――先輩の能力を使ったかいがありましたね」
「……キミネェ、人が反動で苦しんでいる時に言う言葉じゃないでしょ」
チセの余りにもな言葉に落ち着き始めた呼吸を溜息に代える。
「でも、先輩の能力じゃなきゃあ、誰か、死んでたっすよ」
シグマの能力は夢を見させることだ。唯一、誰かに対する夢。悪夢とも幻術とも区別できないそれは強烈な反動をシグマに強制させる。
心臓の収縮は短く、大きく繰り返され、脳は神経を焼ききるように痛ませる。特に視神経系に異常が長引く。明確な線引きがあればいいものを……と思うも、高度な能力なだけに見返りも負担も大きく掛かる。仕方ない、と諦めるのにまた一つシグマは溜息を吐いた。
「吾平!」
雪原の清さを汚す勢いで山茶花は吾平に声を伸ばし、近寄った。
「大丈夫か、怪我は?」
見たところ、外傷はない。遠目でもその動行を見ていたのだから怪我をしていないこともわかっていた。しかし、心配せずには要られない。声をかけたのはそれだけではない。
黙々と、表情を消して雪を踏み荒らす姿に「そうしなければ」と強く思った。
「きちんと拭えよ、血。せっかくの綺麗な髪がパサパサになる」
話しかけるきっかけはどうでもいい。話題も気にしない。ただ、反応が欲しい。今の吾平は人間味に欠けている。それが不気味と感じる者がいるだろう。しかし、山茶花には儚さと切なさが込みあがる。人形のように感情を持たない存在へと落ちてしまうのではないかと勘繰ってしまうのは整いすぎた容姿が思わせているのかもしれなかった。
「ちょい……女の子はそんなに大またで歩かない。それになんで男子制服着てるんだ?ぜったいスカートの方がかわい……ぅおっ!」
不意に、氷の礫を足元に散らしながら振り返った姿は腕に武器を握り締めていた。
一二歩下がって仰け反った山茶花を他所に、それは通過する。
「っぶねぇ――」
避けられたのは無言を通す吾平が無反応に山茶花を通り過ぎたため二人の距離が空いていたためだ。数センチが左右した結果は例え山茶花が仰け反ったとしても避け切れない明確な攻撃となっただろう。掠ることもなく無事に終えたのは吾平の無視の上で成り立ったのだから、それが山茶花にとって幸なのか不幸なのかは知れない。
「てめぇ……俺は男だ、女扱いしてんじゃねぇよっ!!」
今日一番の叫びが雪に飲み込まれた。
「――あなたは、どこまでいっても“女”から逃れられない」
何処からか発されたその言葉はけれど、雪に吸収されることもなく、するりと吾平の耳に忍び込んだ。




