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world for you  作者: ロースト
一章 深雪に分け入る
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18


「冗談じゃない。取り入りたいってぇならテメェこそ身体でも売りゃあいいだろ。人のことけちつけてるだけなら変んねぇ――何なら、俺がお前を魅力的にしてやろうか?」

(脂肪を触りたがる心情がわからない)

 好意を持つ奴に触れたい思いはわかるが、後は無いものねだりの興味にしか思えない。(だが俺は御免だ。性的意味合いを含むと知る上で身体をベタベタ触られるなんて堪ったもんじゃない)

「その脂肪を拝みたい奴はここにはいくらでもいるんだ。ひん剥いてやるよ、その服。わざわざ見せてる部分もあるんだろ。恰好の的、注目の的だぜ」

 少女は蒼白しながらも笑みを浮かべる。

「あなただって、変わらないじゃない。その上着一つ脱げば、印象は清楚から淫猥に変わる。体つきはあなたの意志とは違って女性的じゃない。――媚びてるのよ、ギャップでも狙ってるつもり?」

 相手に余裕はない。だが、精神を抉る言葉は確実に吾平を追い詰める。背水はどちらも同じだった。

「――俺は、“男子”だ」


「書類も試験も通ってるんだ、見た目だけで判断するんじゃねぇよ。事情も知らねぇような奴が口出ししてんじゃねえよ。――最も、てめえなんぞに事情を話す義理もねえがな」

「あなただって私の見た目で決め付けたじゃない。私はあなたが贔屓されてるのが嫌なの。男に媚売ってるその姿が嫌なの。目障りなのよ。あなたが女か男かなんて関係ない。そういう影響を周囲に出してるって言ってるのよ」

 睨みあい、精神の削ぎあい。それは吾平が負けた。

 椅子を引くこともなく、立ち上がり、近づくとその胸倉を引っつかむ。

「口で反論できないからって暴力に訴えるの?化物と対等に戦えるのは同じ野蛮人だからなのかしら」

 虚勢と分かっていても、鼻で笑うのに、侮辱に、怒りが込み上げてくる。しかし、徐に手から力を抜いた。感情を排した冷徹なる視線を直下させるのに留め、踵を返す。議論し、感情を交わすことに費やす時間が惜しい、と考えたまでだ。感情を消費するのは精神の磨耗と同じ、いざという時のことを考えるならば吾平はそこで怒りを発散すべきではない。

 理論、状況ともに指し示す結果を強靭な精神にて吾平は選び取る。吾平にとっての禁忌に触れた少女に向けられた「いつか」という暗い感情は心の奥底に沈めながらも、一見すれば冷静なようにして背を向けた。

「反論できないのは言葉がないからよ。否定が出来ない。否定するだけの材料もそうするだけの動機も、言葉でさえあなたは持ち得ない」


 少女の言葉に吾平の向けた背が硬直したように見えた。振り返らない背に、誰もが口を挟まない空間に、山茶花は割り込もうと口を開け、なおも続ける少女の前に立――

「それ以上はやめた方がいい」

 遮る言葉は沈黙の空間にもとからあったものではない。混入した異物――上級生による助言だった。しかし、それにも拘らず、空気は依然として濁り固まった汚泥のように沈殿している。漂うのはきな臭さと不審、疑惑。乱気流によって揉まれでもしない限り、分離したそれらは混沌を広げたままだ。

「関係ない人は黙ってなさい」

 少女が厳しい声音で黙らせようとする。その意図は更なる拘泥化。対立は最初の内にはっきりとさせた方がいい、――自らの背中を預けるに値するかどうかはきちんと見定めた方がいい。その思惑が周囲から窺えた。寡黙にして見守っていたのは女によって引き出された吾平に対する不満と疑惑からだ。だが、次の言葉に皆がその思考を霧散させた。

「既に君は二項の軍規違反を犯している。――知らないのかい?17項を越えると謹慎処分、50項を越えると独房に入れられ拘束処分となるんだよ」

 法規は各部屋に置いてあるけれど確認してないのかい?

 軽く言う“先達者”に、軽く青ざめる。

 部屋の目立つところに置かれた予定表は皆が確認している。けれど、それはそこにあると知っており、それを見るよう指示されたからだ。他にも見なければならないものがあるなどという話は聞いていない。だから探すこともしなかった。仮に規則本を部屋の中に見つけても、分厚いそれの表紙を開くことさえしなかっただろう。軽く見ていた。規則を破っても厳重注意程度だろうとたかを括っていた。

(規則を破って独房行き?……冗談じゃない)

 皆の思考はやがて等しくなる。


「ある男の話をしよう。ここの訓練生の話だ」

 前日の授業で男は気に入らないことがあった。特に男を指名してきた教師に腹を立てていた。同時に恥を掻かされたともね。

 むしゃくしゃする気分のまま部屋に帰った男は気分のままに時計を壊した。ただの八つ当たりで、当たられたそれは備品の時計だっただけだ。その後は風呂も食事せず眠り込むと泥のように眠った。

 朝は目覚ましがないので寝坊。支度をして慌てて教室に駆け込む。そこにはあたりまえだが生徒と教師がいる。もちろん叱咤された。男は気にくわないことこの上ないがね、黙っていた。

「そうしたらね、言い渡されたんだよ、計14項の軍規違反だ、と。備品損壊、遅刻、教員への反抗的態度、設備の時間外利用……そんな感じの内容だったかな」


「日に二三の違反ならば咎められないからね、言われて注意程度だ。でも鼠算式に増えていくから、生徒自身が普段から注意してないと駄目なんだよ。――さて、この話はこれで終わりだ。本論に入ろうじゃないか」

 柔らかな視線をガラスの奥から覗かせ、柔和な笑みを殺伐とした空気を纏う吾平へと向ける。

「吾平くんはこの辺の男子よりも数倍いい戦力になるだろう。それが例え女性だとしても、その実力は素晴らしいものだ。評価されるに値する」

 一つ、言葉とともに動く。それは食堂という空間とそれ以外を区切る扉の前に立つ吾平へと進む一歩だ。

「何せ、どの分野においてもトップを取り、過去最高とまで言われる好成績をたたき出した主席なのだからね」

 一つ、笑みを浮かべて視線を流す。この場に居る者たちすべてに教えるかのように、ゆっくりとした口調で鈍重な思考にも循環を促す間を置く。

「そう睨まないでくれ。たとえ話だ、君を女性扱いしようだなんて思わないよ。恐ろしいほどの戦闘能力を女子という枠に当てはめるなどという愚行を犯したくはない。怪物扱いは心の中でしていても、ね」

 一つ、自らの立場を表明し、釈明する。だがガラスを挟んだ瞳の思考は吾平にさえも読めない。屈折し。歪ませられたものは真実ではない。



「……」

(俺は男だ)

 しかし肉体は女性のものであるし、“姶良”とは――女だ。

 その違いは、意識の違いである。

 吾平と姶良は名前だけが違いじゃない。人格が違う。それは多重人格といったように評される意識だけの問題でなく、単純に別人なのだ。

 姶良とは現在吾平が使っている身体の持ち主ではあるが、吾平には吾平の体がある。

(……だから、戦う)

 吾平が体を――ひいては自身の記憶を取り戻すのにはサリファンダを倒すことが必要なのだ。

『お前が自身について知りたいのならば外へ出ろ。外の世界に出て――お前の戦いをするんだ』

 力強い言葉に後押しされて狭い世界を飛び出した。姶良がいた場所はサリファンダと戦うことが出来ても牢獄だった。だからこそ、吾平には窮屈でしかたがなかった。記憶がどうしてないのかは分からない。何故吾平の身体の中に意識があるのかもわからない。

 しかし、分かっているのは閉じこもったままでは納得のいく答えなんて一生かかっても出ないだろうということ。

(結果的には出戻り状態となってしまったがな)

 姶良の所属していた“デマンド”――やはり、そここそが吾平の起点なのだ。


「君の事を買っているんだよ」

 その言葉に嘘はないようだった。だが、信用するには男は胡散臭かった。上っ面だけをつくろったわけではない。それほどボロが出ているわけではない。逆に、何もかもが覆い尽くされ、仮面に覆われているからこそ、それが本心ではないと知るからこそ、信用はできそうになかった。

(――だが、信用できないと最初からわかっている方が、裏切られないで、すむ)

 逆説的考えはどこか悲観的だが、そのことに吾平は気づいていない。自らに対する過小評価は戦闘実績以外のすべての部分に及んでいた。今回の事に然り、好意に対する鈍感にも然り。

 最初から裏切られることを想定に入れていれば、信用が置けない。信用がないからこそ、信頼は生まれない。そのことをわかっていない。そして裏切られると感じるのは、信用し、期待していたからこそ持つ感情なのだと。


「ぜひとも“第11隊”に入ってもらいたい。断るようならば、……断れないような体にしようか」

「脅しのつもりか?」

「なに、君はどうでもいいことだろうがね。身体は女の子なんだ。どんな事情があるにしても穢れて困るのは君だろう?――相当、大事にしているようじゃないか」



「どこまで知っている?」



 ひやり、と汗が伝った気がした。実際には常冬の国で、特にアカデミアが座すこの山で。汗をかく事などめったにない。だからそれは気分だ。氷塊でも飲み込んだかのような息苦しさに詰まった。

「どこまで、と言われてもね」

 その言葉が返ることで、一瞬にして吾平の呼吸が戻った。

 上級生の雰囲気に変わりはない。安心したわけではないが、そのことでわかった。わかってしまった。この男は所詮、事情を知っていても吾平を知ることはないのだ、と。

 とたんに興味が失せる。

「うちのメンバーは優秀だよ。だが本人を知らないようじゃ何も始まらないし、その境界線というのもわからない。どこまで知っているのか、どこが知らないのか」


「……それで?実力のみじゃないんだろう」

 一応の礼として聞き返す。

 もはやどちらでもよかった。己の探し求めているものはここでも見つからないのか、と早々に突き飛ばされた泥の中に沈む。覗き込んでも、その奥に秘めたものは、白日の下に照らされないのだ。

 男は「肯定ととるよ」と軽く言って笑ったが眼鏡の奥の瞳はナイフの切っ先のように鋭く、海底よりも深いスカイブルーが煌いていた。

「僕は君が欲しい。戦闘能力、その身体、その心、その情報――」


「女の子の肉体に男の子の精神が宿っている、と僕は思っているよ」

 すべてを明かそうとする瞳が、吾平を貫く。

 核心に近づく一歩は行動でなく、言葉の一閃だった。



「――――いいぜ、飲んでやる。ただし条件もある」


「僕も飲もう、何が条件でも」

「忠告する。――俺はお前に従うつもりはないし、詮索しようものならば容赦しない」

「いいよそれは。自ら話してもらう予定だからね」

「上等」

 にやり、と笑って見せた。

「僕はシグマだ。四年、フィグローゼ担当4軍」

「俺は吾平だ。一年、フィグローゼ担当4軍」


「では、初任務と行こう。外にお客さんが来ているようだから、相手をしてあげて」

 相手もにっこりと笑って返す。


「僕らは他の生徒たちとゆっくり見物といこうか」

 ほら君も、と促されてその場にいた全員が顔を見合わせ、吾平の去った後を彼らに続いていく。先輩の言うことに悪いものはないだろう、と従う素振りを見せるのが大抵――いや、全員となった。吾平への生徒たちの興味は尽きない。

 けれど、この時まだ誰もが知らなかった。吾平という存在がどれほど常識外の存在かを――そして時は無情に月を映し出す夜の時間へと深みを増していった。


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