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騒音にまみれた食堂に吾平はいた。
が口々に言葉を交わし、述べる。誰かへと向けられた敵意と好意、視線が瞬きの間に移動する。限られた学校生活は7年と長い。しかし、誰もがその期間の間いられるわけではない。居残る者は入学当初からして半数以下。しかもサリファンダという人の認識外にある生物との戦闘が当然の如く想定されている。傷つき、血に塗れ、恐怖を覚える。そんな生活に友人という存在は心の支えだ。大切な同士である。そんな存在を作るのに勤しむ彼等はけれど、目前の脅威から目を逸らし、目的を忘れ去ろうとするようにも見えた。
平凡――通常の学校生活。常識のうちにありたい。そんな願望がこの場所で通用することはない。しかし、“普通”に慣れきった彼等には逸脱した生活に適合することは容易ではない。どこの国、どこの街、どこの学校にでもありふれた生活空間――決してこの先得ることのない、明るい空間を作り上げようと薄暗い照明の中、生徒たちは熱気を立ち上らせる。
その中、静かに膳を咀嚼する様は一種の異様。
皆の興味は次々と移り変わってゆく。けれどもっぱらは一人の生徒について興味が集約されていった。――吾平だ。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、一人静かに食事という作業をこなす吾平に皆の目はひきつけられる。
軽やかな手の運び、伏せた長い睫毛、大きな瞳には強い色。絹のように細く艶を持つ髪は緩やかに編まれて背を流れていた。肌はアカデミアを出た雪原の中にいては雪女かと思うほど白く、女性的魅力に溢れた豊満な体つきは細さも兼ね備えてただ只管に“美”を思わせる。芳香を纏うような妖しさと清廉さを併せ持つその儚いバランスは異性だけでなく同性までもひきつけて止まない。――誰の目をも引く、魅力的な存在。
吾平自身はその評価を否定しない。だが、それが自身の持つ魅力だとは欠片も思いはしない。評価されているのは何処まで行っても“アイラ”である。
いくら第三者が褒め称えようと、姶良と吾平が交錯する現在は無意味。吾平は受け取らない。姶良を知らない者であっても、それは吾平ではないからだ。
だからこそ、吾平はより強くなりたいと願う。戦いこそが己の唯一だと、それに縋るような想いで戦っていく。戦いの評価は吾平の行動によるものだ。吾平自身で得たものに相違ない。
姶良を愛おしむ分だけ、吾平は自らを過小評価する。それは既に吾平のコンプレックスとなっていたが、指摘する者は誰もいなかった。
食後のティータイムと口をつける様までも完璧な動作だった。気品に満ち溢れ、穢れなき存在を思わせる。
だが吾平にとってそれは染み付いた動作である。幼い頃から父に付いて周り各国を往来してきた姶良の常識だ。そしてその動作挙動も姶良以外の何ものでもない。
吾平を憂鬱にさせるのは己を男性として意識するのに体が女であるという認識の違いだった。姶良は確かに女性だ。姶良が姶良自身であった14歳でも、それは変わらなかったし、17歳となった今では嵩んだ年齢分、その容姿に磨きが掛かった。躾けられた動作は変わることなく吾平にも受け継がれている。――女性としての動作だ。
女性として理想的な体形と外見を持つ姶良には当然ある女性としての動作。しかし、それを実際に今行うのは吾平なのだ。反発する意識は小さくない。
しかし、躾を破ることは体が拒絶反応を起こす。自然と体が身に付いた動きをしてしまう。そうして育ってきた姶良だからこそ、だ。それは吾平にも共有されている。
吾平は気づかない。何故自分が注目されているのか、その理由に。
その容姿が美麗なることは誰もが認める事実だ。しかし、それだけならば匹敵、とまではいかずとも立ち並ぶに相応しいだけの容貌・器量を適えた者はいる。生徒たちの視線は釘付けになるが、それも既に過ぎ去った時だ。一時のことに拘るほど、ここにいる生徒たちは馬鹿でもなんでもなかった。
吾平が今なおも注目され続けている訳。それはその容貌もさることながら実力も知れ渡っていたからだ。
先ほどの自由時間。生徒を罠にはめようとする者がいるならば、情報収集に身を乗り出すものも入る。今後に備えて多くと交流を交えようとする者がいれば、噂を作り出すものも、戦いだす者もいる。――吾平が他の生徒と戦っていた映像がアカデミア中に流れた。
そのための注目度だ。
今現在、姶良へのコンプレックスに悩む吾平が自らの正当なる評価が下され始めているとは全く知りえないことだった。知るのはやっかみと嫉妬、妬みなどのマイナス面のみ。
悪意や敵意は戦闘時に鋭敏でなくてはならない。だからこそ吾平はそれらには気づく。だが、好意的なそれは鈍い。いや、察せても信用ならないと思っているのが大半だ。相手が、ではなく吾平自身にそれは問題があった。
(くそ――っあんな失態……)
思い浮かぶのは前日の戦闘だった。
先輩と思われる生徒から受けた一撃が一晩経った今でも吾平には悔しくてたまらない。油断大敵、とはいうもので、門を開いた時点では警戒心を解いていなかった。だからこそ、武器は提げていたし、次の攻撃にも備えられた。
(門を開けるのは手でなくて武器で距離を置きつつ開けばよかった。いや、門から入ったのが無用心だった。門を飛び越え――いや、それだとトラップが……)
繰り返しシミュレーションするのは内側からの攻撃に上手く対処できなかったからだけではない。吾平の思考はただ戦闘のみに染まっていて、戦闘シミュレーションは頭の中で何十回、何百回と繰り返し行われるのが常だ。戦略、戦術、……そんな言葉では足りない、“経験”だ。現実に起こることなく、経験を重ねていく。幾重ものパターンを思考し、頭の中で再現し、着実に経験を積み重ねる。第三者からは頭脳労働とも呼べるだろうか、いや想像こそが力を持つサリファンダの有る世界では吾平の訓練法としては至極合理的。再現される仮想は既に虚像でなく、実体だ。目の前にあるのと同じ。
己を高める――そのことだけに集中し目を閉じる様は、けれど周囲からは感嘆の息を吐かせる美しさだった。内容の血腥さを感じさせない、聖女のような清らかさを纏っていた。
だが、吾平のみが持つ静かさと落ち着きは次の瞬間、破られることとなった。
「何なのよあなたッ!」
ドンッと机に音が鳴らされた。それはとても陳腐な音だった。しかし、陳腐な音でも、陳腐な声でも、吾平にとっては思考を邪魔された目障りなものには違いない。しかも放っておいてどうにかなるような代物でもないとそうそうにわかる。
「贔屓じゃない!来て早々評価なんてもらって……!」
妬みの言葉に吾平は呆れた。自分の能力不足を他人のせいにする。それは単なる努力と才能の才でしかない。そして才能とは多少の差はあれ、全て己の努力によって開示するものだ。他人にそれを詰ったところで自分の評価が変わるわけではない。それをするのは感情の消化という意味でしかない。それは“雑じり物”の思考だ。本心からの想いは妬みではなく、敵対心と己の努力によって昇華される。だからこれは妬みの感情ではない。ただの八つ当たりだ。
しかし、それが分かっていても吾平にとっても煩わしいことに変わりなかった。
「あんたなんて男子に媚売ってるだけじゃない!いったいどういう――……っ!!」
吾平の視線が上がる。黒々とした瞳が真っ直ぐに向けられる。
一睨み、それだけで竦む。その人物は少女だった。吾平と歳の変わらない、新入生だろう少女。艶やかな長い髪は綺麗に巻かれ、貝殻のような小さな爪は丁寧に磨き上げられている。自らを着飾ることにのみ集中しているかのように、その姿は“少女として”洗練されていた。吾平とは別の美しさを持ち合わせている。
青い顔で震える姿は悲惨だった。かわいそう、と思うよりも同情するよりも先に関わりたくない、と皆が避ける。そんな雰囲気がいつの間にか出来上がっていた。
哀れな少女に助けに口を出そうものなら己に向けられるだろう、その圧倒的な気配を厭う。立ち竦むのは彼女だけではないのだから。
「――誰が、誰に媚び売るってえぇ……?」




