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現在の状況に、吾平が繊細なつくりの眉を顰めて主張する。
不満は生徒たちの意気地なさに対するものだ。体力測定、と言われて行われたのは基本的な部分だけだった。腹筋・背筋に始まり、長距離・短距離の速さを測った。跳躍力として高飛びや幅跳びが実施されたのは珍しいことかもしれないが、それは表面的すぎる内容だった。寧ろ体力測定の後に基礎体力の似た者同士で“実践”を行う方が本番ともいえた。
しかし、生徒たちはそれに対して幾分かの躊躇いを見せていた。
生徒同士の手合わせ。それには武器も使われないし、ファラカイナも使用が許可されていない。何処にも遠慮する必要のない状況だ。体力にも体格にも類似した者同士ならばセンス・経験・頭脳・慣れ――そういったものでしか結果は出てこない。弱いものだけが純粋に現される。競り合いはいつだって厳しく、気を置けない。
(こんなところで二の足を踏んで、馴れ合うのならば成長は見込めない)
フィグローゼが次々と指示を与え、ペアを作っていく中で、吾平は一人佇む。
吾平と同じ背格好の者はいなくなった。元々、身長が変わらない者は女子に限られていた。しかし、背丈だけを合わせても身体の基本スペックが並外れている吾平と対面を張れる者はいない。男子でさえも希少なぐらいだった。
「お前はそうだな……山茶花!」
フィグローゼの言葉にハキハキとした声がすぐ横から返る。
昨日、吾平が一度だけ話した、“山茶花”だ。
「“吾平”だ。お前が組め」
示された人物に山茶花がどのような感情を覚えたとして、答えはイエス以外にないのが軍人というものだ。
(無情なる哉――だ)
フィグローゼの仕切る新入生組は実数として、現在は37名。その中でもっとも目立ち、もっとも異質な人物――山茶花たちを率いてアカデミアにやってきた少女だ。
しかし、自称するには“男”らしい。
(男だと思い込もうとしている、とか。そんなかな)
深い事情を聞くわけにもいかない。それでも山茶花はその苛烈なまでの否定の言葉を耳に残していた。女性ということに反発する強い心。それについて山茶花の思い至ったのが、暗示のようなものか、というものだった。身体的には女性のもの、と明確に言えたからだ。
勿論、表側では分からない部分に関しては何ともいえない。外見的には女性にしか見えず、体形もそれに即している。ただ、それが女性だということを示しても男性でないという否定にはならない。両性を持つ、というのも珍しいが症例としてはある。医療に明るいわけではないので、素人考えとしては多重人格などの精神病か性の未分化による作用としか判断できない。直接聞く、というほど無遠慮にもなれない。昨日今日会ったばかりの人物に対してこれほど興味を覚えること自体、変なことだと山茶花は思う。
しかし、心の内に聞けない疑問は溜まっていく。沈着し、澱となって濁りを益していくようだった。しかし、それはともかくも、眼前には不機嫌な顔をした、銀髪の美少女。
「よろしく、“吾平”」
「――ッく!」
ひらり、扇を翻すかの如く華麗な動きは体重を乗せ、風を味方にした重厚な攻撃だった。
受け止める山茶花は吾平の細い脚から繰り出されたそれに耐え切れない。地面に埃と溝を残して後ろに圧し退かされる。連打のように間を置かず続いて寄せられた攻撃には防戦一方状態にならざるを得ない。攻撃を受け続けた山茶花の両腕は痺れを感じていた。
新雪を集めて形にしたかのような白く壊れやすそうな形容をした腕はまるで山茶花の頭ほどの太さを持った巨木で横凪にされるかのような衝撃を与え、体全体に響かせた。
吾平の女性らしい体つきからは想像もつかない戦闘能力が生み出されていた。鍛え上げられたそれは“努力の結晶”と呼ぶ以外に相応しい名を持たない。洗練された動きは無駄を一切省き、痛みさえも支配した他人にはなしえない動き。腕が腕以上に伸び、しなる。
脚力はその細さを感じさせないほど爆発的な威力を秘めている。自らの身体の動きを頭の天辺から爪の先までに気を配り、足の甲でさえも攻撃を成すような、そんな隙のなさ、統率は畏敬を感じさせる。
(――同年代に対してこんなことを思うなんて予想もしなかった)
圧倒的な強さ、そんな言葉では表しきれない異様さがそこにはあった。対峙することでよりよく身に沁みてわかった。その凄さが、その強さが、彼女の全てなのだと。
ビ――――――!!!
急きたてる様なブザー音に、一瞬、目の前に対峙する存在から目を離した。すぐさま、視線を戻して身構えたが、その姿には攻撃の呼び動作も意図も感じされない。既にそれは終了したことのように、一切の興味が山茶花から外れ、瞳に宿る色は無色――遠くを望んでいた。
そして、そのことで漸く山茶花の思考が戻り始める。(これは“授業”だった)
覚醒した意識は先ほどの音が授業の終了を告げる合図なのだと認識する。そして同時に歓声を耳に入れた。いつの間にか、クラスメイトたちに観戦されていたようだ。
けれど、山茶花の視線は吾平に固定されたままだった。
「よし、今日の授業はこれで終了だ」
フィグローゼが告げて、殆ど同時に吾平は背を向ける。
「説明が残ってるんだがな」
後追いのように担任は言葉を投げた。どうにもからかうかのような言い方だった。更に言えば、フィグローゼの言葉は吾平一人に向けられているようだった。
「いい、要らない。訓練室に行く」
吾平は背を向けたまま、足も止めないままに言葉を返す。
「単独行動は――」
「軍規違反、だ。だが一つ二つぐらい見逃せ」
「……まぁな、人にいえるほど私も守っちゃいないが」
吾平の言葉に説得力があるわけではない。しかし、それで納得するのは二人の間に信頼関係のような何らかがあるからに思えた。そうでなければ生徒と教師のそれではない。
「しかしまぁ、焦るな」
漸く、吾平は足を止め、その瞳を射抜くように真っ直ぐ、強く、会話主へと向けた。
「認印をやる、手を出せ」
歩み寄り、伸ばしたフィグローゼの手。そこに吾平が渋々として腕を出した、と思えばフィグローゼは素早く腕を捕らえてその手の甲に赤いスタンプを押し付ける。早業に抵抗する暇さえも与えられず、吾平は不機嫌のまま退けられた場所を擦った。そこには“認”という字が赤々とくっきり浮かんでいる。
「……悪趣味」
こんどこそ、その背は真っ直ぐにホールから抜け出ていった。
反発するように声が上がったのは当然、あるようにして起きた。
「なんであいつは!」
「特別生だからな」
けれど答えた声には何の衒いもない。公然の事実をそのまま口にした、それだけの感慨も何も入らない気のない言葉。
「さて、入学式のことだが……」
はぁ、と溜息を吐いてみせる。
さっさと話を進めようとするフィグローゼに対し、聞く耳を持つ者は生徒たちの中にいないようだった。説明を始める前に、“納得”をさせなければならない。
(軍人なんだから感情を抑えろ……といいたいんだがな、仕方ないのか)
問題生徒の集まるクラスの担当として、フィグローゼは“納得”させなければ早々に問題が起こされるのだと感じ取っていた。彼女自身に覚えがあるから、なのだが。
「――この先、納得のいく説明などないままである物事など数多くあるだろう」
「文句は言えない。不満を抱えても、納得がいかずとも、それに従っていなければならない。それが軍人だ。それを訴えるのならば文句を言える立場になるまで上り詰めることだ」
諭す。その言葉に、今はどれほどの重さも感じていないだろう生徒たちに、けれどいつかはこの言葉が蘇るだろうと想起する。その時、彼等は耐え難いほど悔しく思うだろう。立場のない己が、何も出来ない力が、……そこまで歩んできた全てを後悔する。
(だが、その一度の後悔が、決して元に戻らない何かでなければいい)
希望的観測だが、それはこれから七年を共にする“仲間”への切実な願いだった。
「軍にプライベートはない。だが、こちらにも良識ぐらいはある」
切り出した。それは最低限のものだ。人として、失くしてはいけない、ギリギリのライン上の話。プライベートは権利が保障されている。それでも軍は公・国という名の下にそれを暴く。プライドも矜持も、持てるのは些細な部分だけだ。
だからこそ、フィグローゼは哀れに思う。最低限のプライベートさえも、管理下に置かれた“吾平”という存在に。
「事細かには説明しない。だが、お前らにも知る権利はある。大まかに教えておこう」
「言ってみればあいつは新入生でありながら新入生ではない。このアカデミアに入るのは初めてだが、……長く、軍人の経験がある」
フィグローゼと同じだ。幼い頃から軍で育った。生まれてからこの方、軍人でなかったことなど無い。それは普通の生活をしたことがない、というのとそのまま結びつく。戦いに常に身を置いてきた。平和など程遠い。
フィグローゼの生まれはガダンではない。比較的に緩やかな国に育った。そのために奨学金を頼って養成学校に入ることは出来た。訓練は厳しかったが、サリファンダ被害による他国の荒状を知ったのは随分後になってからだった。それからはずっと、血腥い生活。しかし、それが幸か不幸かは誰が決めるのか。それは経歴で決めることではない。
「だから基礎訓練も何も、すべての過程を吹っ飛ばしてしまえる。サリファンダを倒して各地を回っていたから、その戦い方も心得ている。すぐさま実践投入しても言いぐらいなんだ、あいつは」
反射神経に染み付く。体力回復以外に意味を見出さない眠りは常に浅く、警戒心に富んでいる。他人には感じ取れないほど小さな違和感を嗅ぎ取れるほど、強く本能からサリファンダを求める。――そんな風に育ってきた。
それを、他人は羨ましがるだろうか。幸せだと呼ぶだろうか。多分、本人からはそれが普通のことで、当然過ぎて、気づかないだろう。それがどれほど人生に、深く濃い影を残しているのか。普通を知らなければ、それが異常だということも知ることが出来ない。
(強い。だが脆い)
吾平の強さは危い。支えてくれる何かがないから、心が折れてしまえば、その後は――
「……なら、何でわざわざアカデミアに?」
疑問は当然だった。しかし、当然すぎた。
「――いえない」
「プライベートに関わる部分だからな、個人で聞くなり調べるなりしろ」
フィグローゼ自身、それを知らないからだ。
「一ヶ月間、覚悟しとけよ」
その言葉を最後に、解散の流れとなった。
先ほど、模擬試合の始まる前までに作った友人たちが近寄ってくる。背を叩かれ、賞賛の言葉を受け、それに対し反応を返していく。話したことのないクラスメイトも声をかけてきて、一気に賑やかになった。山茶花の日常だ。
けれど吾平の神秘的な強さにうっとりとし、その美しさに感心をし、その存在に敬意を感じていた自分がどこか遠くに行く。
戸惑いがあった。
何故か、一方的に負けていた己ばかりが賞賛される状況に不可解を感じた。
それは同時に吾平という存在への不満だった。
山茶花と吾平、二人の間には圧倒的な実力差があった。しかし山茶花は何度も立ち上がって見せた。それを高評価として皆が受け入れたのだろう、負けない強い意志として。
しかし、実際に戦った山茶花は違う。吾平の“手加減”によるものだ。
観察するように、間を置いて、試すように力加減をしていた。吾平は山茶花を相手にすることで、己と他の生徒とのすり合わせをしていたのだ。そして、他人に合わせるために調整していた。それは統率を乱すことがないように、突出して乱すことがないように、チームワークを視野に入れた考えだ。
しかし、どこまでいっても孤高だった。その強さは圧倒的過ぎた。加減をしても、その強さは敏感に感じ取らせる。それに、実践では手加減を考えている余裕などない。その強さは孤高でなければたどり着かない。そして、孤高である限り、その強さは保たれる。
彼女の孤高を崇拝しても、山茶花には決して近寄れない。それは今の山茶花を崩す。だから近寄らない。関わるな、と警報が頭で鳴る。“吾平”は山茶花の非日常に存在する。
だが、いつまで経っても瞳は、吾平を見つめたいと願う。




