14
フィグローゼは聖女としての能力が有名だが、本人は超近接戦闘を好む。普段のやる気なさと面倒くさがりは幼少の頃に体が弱かった頃からの自衛策だ。
軍人にプライベートはない。出自など調べれば詳細にでてくる。孤児、ということも吾平は知っていた。そして納得もする。
(気質は噂に違わない鬼神ぶり)
魔女と聖女が同一人物と知る者は少なくはないが勘違いも多い。それも本人を知らないうちに限るのだが。
鋭い指摘と緻密な戦略、感情に左右されず瞬時に判断を下す知能は聖女としての先読み能力より戦闘に対しての冷酷なまでの感情と恐ろしいほどの経験深さを感じさせる。鬼神のごとき強さ、とはそこに所以する。人体の急所を的確に打ち、生け捕りにする。それが対人スペシャリストとしてのフィグローゼだ。
後に対サリファンダ能力に予知を得たので人の意識はそちらに移ったが、元は名の通った軍人である。
どんな理由からかデマンダに来たわけだ。それがためにサリファンダ経験は同年代よりやや低い。軍人としての登録も継続している現役として、フィグローゼは対サリファンダと一般軍、二冠を持つ人物なのだ。特に聖女の方は歴が短いだけに能力が希なことを除いても特例なのだ。サクラ・フィグローゼとはそういう、特殊な人間である。
「よし。お前らで最後だ」
「これより先はこの場にいる生徒を私の受け持ちとする。教師に付けられる序列は1から10までだ。その中で私は4位を賜っている。これは称号のようなものだから変わることはないに等しい。お前たちは私の受け持ちでいる限り4軍と呼ばれることがある。序列は教師たちに与えられたものであり、生徒たちに付けられた位階ではないことと思うように」
一旦区切られた言葉に返ったのは沈黙だ。それぞれが言葉をかみ締めるようにして固い表情をしている。
秘密主義を気取るアカデミアは余り、内部情報は知らされていない。受験した候補者たちもその実態を知らずにいた者もいただろう。訓練生として迎え入れられた生徒たちはそれよりも若干、現実というものが見えているだろうが、戦闘やファラカイナ、サリファンダにおける知識のみ、偏ったそれは生活面や指導面については無知。
7年という長い時間を過ごすとしても、その半生は戦いに身を置く。学内のことについては在学生でも多くは知りえない。そして話すべき部分も持ち合わせていないのだ。
情報に精通している者でなければ教師の序列など、おいそれと知っているわけがない。そして学生中、それに対する重大な意味を持たない。符合として呼ばれるか、呼ばれないか程度だ。先ほどの生徒があらゆる意味で例外だった。
「エリート思考の奴は何処にでもいるが、それを誇りたいならば私の生徒を辞めろ。近接戦闘型に当て嵌まらないスタイルだと鑑みても4位という数は決して高くない。お前たちは弱い。だから強くなる。己で二つ名を持てるほどに成長することを期待している」
以上だ、と締めくくったフィグローゼはニヤリ、と笑って見せた。一瞬にして生徒たちが煽られ、湧き上がる。
演説の内容もさることながら人心掌中の術を心得ていると見える。聖女、という名を持つわりにその人格は真逆、あくどい笑みに短い髪、高い背を真っ直ぐ伸ばした姿勢は人を威圧し、魔的な魅力を備えている。
「さぁ、次はこの紙だ。書かれているものは“常識”だ。書けない者はいない。書いた者から教室を出て良し。各自移動、第四大ホールで体力測定を行う」
「あの、書けなかったら――」
誰かが質問する。繰り返されたパターンだ。質問に対する答えは――
「書けない者は“いない”……ま、私は寝ているから自分でどうにかしろ。がんばれよ、若者ら」
生徒を試す言葉だ。盗み見てでも、クリアしろという課題。
心理か、協調か、技術か。評価される項目は多い。実際にテストされるのは学力ではなく、観察眼だ。速さでさえない。冷静な思考力、判断、度胸。どのような課題にしろ、いつだって試される項目は軍人として必要とされる能力のみ。
配られた白い用紙に書き込もうとして、……吾平は一瞬固まった。
戦闘、戦闘、戦闘。アカデミアも軍だ。内容は訓練。筋肉・体力の増強など肉体改造の面が重要視される。勿論、吾平もそれはわかっていた。しかし、
(筆記用具なんて、持ってないぞ……)
再び高度な能力の使用をせざるを得ない状況に、肝が冷えた。
* * * * * * *
すぐ隣の存在へと、山茶花は目を向けた。
その凛とした姿は先日見たものと変わらない。外の、警戒が必要な時とは違う。けれども今以て、少女は棘のある雰囲気を曇らすことの無い鉄の冷たさと頑丈さで保ち続ける。
『お前、かっこよかったよ』
「怖かったけど」と付け足して山茶花は苦笑した。そして名乗る。
返り血も浴びずに超然として立つ姿は畏怖を与えるに十分な要素を持っていた。しかし、(綺麗だ、って思った)
なぜ、自分が声掛けられたのかは知らないが、これは信頼されたと考えてよいのだろう。
次第に緊張に身体は震えてきた。先ほどまでは緊張のためか、こんな事はなかった。しかし今、この場には(アイツがいない――)
そのことがどれだけ不安で頼りないものなのか。
徐々に人が増え始める。しかし、あの女教師の姿はいつまで待っても現れない。まだ着かない。自分が頼られたのだとしたなら、(この人数全てを俺が守らなければならない……?)
顔を上げた先にいる、見渡す限りの人。到底数え切れない数。
(無理に決まってる――ッ!!)
五人やそこらなら、まだ何とかできるだろう。それぞれにきちんと戦いと知ってこの場に来ているのだ、自衛のためにも必死で抵抗する。守れる。しかし、この両手足の数どころか何十人といる数を一人で?(そんなことは不可能だ)
そんなことが可能ならば、それはもはや、人ではない。
「――――っ!?」
自分たちが今こうしているのは誰のおかげだ?どうやってここまで来た?
時々、視界からいなくなる姿。教師は最後尾だ、四列横隊で動いているわけでもないしそれぞれに距離を取って動いてきた。長蛇の列となっていたはずだ。どこも襲撃されることも無く休憩にありつけるはずがない。(こなした、というのかその不可能を……?)
考えているうちに周囲の雰囲気が変わった。
その姿がある間には出なかった気の緩み。そして態度と言葉への不満が口々に交わされるようになる。そこで漸く気付いた、出て行った姿の理由。
(て、あれもしかして――今も?)
立ち上がり、辺りを見渡す。遮るもののない、白の世界だ。離れた場所に人がいればすぐ気がつく。しかし、その視界には誰も写らない。
「――今も、戦っているのか、あいつ」
呟きは誰に聞かれることも無く雪に埋もれた。
(昨日のことだ)
鮮明な記憶は変わりようが無い。その姿人目も引いた。多くは好意的な視線で見られるだろう容姿をしていた。美しい姿は外見だけでなく、凛とした立ち姿からも、清浄なる空気を纏うかのような冷たく澄んだ気配からも、感じ取った。戦う姿にはただ圧倒され、山茶花に至っては感動さえも覚えたほどだった。
だからこそ山茶花は皆の態度に違和感を覚える。少女へと向ける皆の視線には幾らか、敵意のようなものが混じっているからだ。名前も知らない人物に対する反応としては、悪意に過ぎる。山茶花たちは守られたのだ。好意的に見てもいいものを、と思考する。
アカデミアの門内に逃げ込んで、気の緩んだその時に、他の誰が対応できただろう攻撃。一番に入ったのが他の誰でもない彼女だったから、何事もなく終わった。だが、(もし、俺なら――)
“先輩”の一撃必殺に耐えることなどできず、呆気なく、その場で命を落とした。しかも勘違いという名の下に、それは行われた。――震える体は、周囲の目を伺った。
前方へと向けられた意識の中で、山茶花一人に注目しているものなどいない。けれど、恐怖が、駆け巡る。記憶は鮮明すぎて、暫くの間は消えそうにない。
しかし、山茶花のその考えにはどこかライバル心というものが欠けていた。“守られた”は侮辱でしかありえない。特に、このアカデミアという場所では生徒同士であっても、だからこそ競い合う立場にある。
アカデミアに入るまで、山茶花は人との交流をある意味、避けたような生活を送っていた。その為に人の心の機敏には疎い。しかし、野性的な勘なるものは充分に備えていた。だからこそというのか、その少女に対し警戒心を持たなかった。ライバル心というものには疎く、けれど少女に対しては鋭敏な感覚で以って、殆ど無条件なほどの信頼を持っていた。だが、その姿には同時に、不安が煽られる。
(ただの少女だ)
別段、変わりはない。少なくとも外見的にはそう見えた。少女の姿は強さを示すような強固なる肉体を携えてはいなく、少女特有の儚さとか弱さが見受けられた。強さだけが逆に異常的だった。そのことに不安が煽られるのだろう、と解釈する。
圧倒的に違うその存在。見ているだけで不安に駆られるような、変な気分が湧き上がる。
「たるい」
横で呟く声が聞こえて、身を硬直させた。
しかし彼女の視線はどこまでも前を向いている。




