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world for you  作者: ロースト
一章 深雪に分け入る
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13

「あの魔女フィグローゼを納得させて先陣を切るぐらいだ、ビビりでも死にたがりでもないなら相当な自信家なんだろう」

 対峙していたギギドナの背後から別の男が出てきては馴れ馴れしい表情を浮かべて突然申し出、誰の口も挟まれないようにしゃべりきる。「あ、俺、フィガルノね」と締めくくる。

 それは退路を失わせる言葉だった。

 もとより逃げる気もないが、わざわざフィグローゼを引き合いに出してくるのだから、よっぽど“逃げ”られたくないのだろう。不都合が生じる何か、は吾平自身が目的ではないだろう。何の情報もないただ一人を追い詰めることに意味はない。“吾平”が生徒の注目を集める存在だということに意味がある。ならば、それは生徒たちの意識を逸らすことで、何かに気づかせないようにする。

「事実と実力に基づいた上での客観的判断だ。自信なんて不確定性心理状態に俺は頼ったりしない」

 その“何か”は十中八九、この自由時間に関係する“何か”――制限時間か、何かをやることを期待されているか。建物の各所に設置された監視カメラは目立つことなく、しかしことさら隠されることもなく点在している。間違いなく、彼ら教師はこの自由時間における生徒たちの動きを観察している。

 カメラの黒い瞳を見つめながら思考を煮詰める。そして、

「いいぜ。やってやる。誰でもいくらでもかかって来いよ」




 サリファンダと対峙していた時でさえ事務作業をこなすように淡々としていた表情が途端に輝き出す。頬を薔薇色に染めて口元に微笑みを乗せる姿は状況が状況であるならば、恋に恋する乙女の喜色満面に見えただろう。しかし、状況がそれを許さない。

 周囲を敵対するもので囲み、武器を低く構える姿は獰猛なる獣を連想させる。爛々と炎を灯す瞳はまっすぐに標的へと定められ、捕食に期待を寄せていた。瞳に宿る知性はただ残虐さを表し、ジグザグと殺気を撒き散らす。

 山茶花は、それを見ていた。

 踊るように相手に接近し、嬲る。嬲る、嬲る。

 素早い動きを目視し、あまつさえ防ぐ行動に移れる者ははたしてこの集団の中にどれだけいるだろうか、そうふと疑問が過ぎった。

 名前も知らない彼女は今や有名人だ。同期で入った者たちからは在校生以上に注目されている。憧れと妬み。それは目の前で動く男も感じたはずだ。

 だからこそ、それを証明するようにこの場で彼女に戦いを挑んだ。自信があるからこその挑発、皆の前で行うことで払拭する。彼女は“ただの”生徒だと、己自身からも拭い去ろうとした。

 だが、結果は――――彼女の実力が物語る。


「チッ――」

 “一介の生徒”に当てはめるには彼女は強すぎた。




 そこにはおおむね肯定的な雰囲気が漂っている。

(暢気なものだ。何も知らないままだからこそ、この戦いを余裕の面で見ていられる)

 第三者の気分で、何の重みも感じることなく観戦しているのだろう。

「女のくせに――」

 ギギドナはペースが乱されていると自覚していた。それでも愚痴を零さずにはいられない。“アイラ”という目前の女の強さをまったく感じ取ることのない周囲に苛立った。

 同期が、まだ正式に入学してもいないうちからどれほどの強さを持っているのか。戦っているギギドナ自身が一番感じ取っていた。

 一度一度、攻撃に重さが増してくる。攻撃のたびに素早さが上がってくる。

 武器もファラカイナも使用禁止というルールの上で審判を立ててやっているこの戦いは即席の場といえども卑怯な手は使えない。単純な実力しかそこに現われることはない。

「……あ?」

 漏らした愚痴に一気に眉を寄せた“アイラ”は不機嫌を露にさせた。急激に早められた攻撃は的確にギギドナを追い詰める。攻撃を防ぎきれずに身体で受け止める。衝撃がびりびりと全身の感覚を麻痺させていくようで、じわじわとギギドナの精神に汗を掻かせた。

(“異例”――こいつが、“異例”……)

 過去になかったことだろう。この山脈――ルーザリカはファラカイナを未だ大量に眠らせ続ける金庫だ。地下を流れる金色のマグマは山を幾つ覆っていることだろう。ファラカイナの輸出国として第一に名を轟かせるガダン王国の主要鉱山。特にサリファンダを引き寄せやすい、採掘中の山だ。それを護るようにしてアカデミアもルーザリカ要塞も造られている。徘徊するサリファンダの種類は季節により多様だが、冬季はその中で最も少ない。しかし特に凶暴なサリファンダが活動をしている。それを数時間にも渡って留め、その生態の流れを停止させたのだ。――驚嘆、畏敬、不審。

 抱える感情は多い。けれど一つ分かっている事は、

(ただ一人にビビッてるようじゃ、この先やってられねぇ!)

 ギギドナは目的も忘れて全力で踏み切る。

 強くなること。それはこの場に誰もが抱える想いで、そうなるためには“アイラ”という存在は生徒たちにとって大きく、眩しかった。




 審判をしている男は先ほど仲裁に入ったフィガルノだ。途中でチラリと時間を確認する姿に、誰かがリークしたとわかった。この場にあるのは壁に掛けられた大きなものが一つだけ。時間を確認すること自体に疑問はない。けれど、フィガルノはそれに目をやる動作を最小限にこなし、あまつさえこの戦いや観客からの騒音の中で時計の秒針を聞き漏らさないと集中していた。不自然過ぎる。

 何度も時計を確認しているわけではないから、気付かなかった者も多いだろう。審判が戦いの行く末を緊張の強面で見守るのも可笑しくはない。けれど吾平にはそれが正確に読み取れた。フィガルノが注意しているのは音、それも小さな音。――時計の針を気にしていた。

 新入生に対して初日から自由如何が与えられるなど、普通の学校では異例だ。しかし、学校という形をとっている時点でこのアカデミアも形式を持っている。毎回、同じことをやらなければ不都合が出てくる。

(――つまり、この自由時間は意図的。そして伝統的でもある)

 そしてフィガルノは――ギギドナも、それを知っていた。

 卒業生か、在校生かの伝によって知りえたのか。いや、問題はそこじゃない。制限時間がどの程度なのか。

 自由時間とは――区切りがなければそれはわざわざ言葉に出す必要のないものだ。人生という自由時間において、人は社会による縛りを受けている。軍では特に厳しく、“軍規法”という名をとって様々な面で生徒たち――ひいては軍人に制限を与えている。また、アカデミア内にもそういう拘束はある。時間割りがある程度ある以上は、それの枠組みから抜け出さない程度での“自由時間”宣言がなされた。そう見るのが妥当。

 だが、それにしても曖昧な定義だ。言葉を濁しているのはフィグローゼであるからではなく、教師たちからの試しの一種だろう。

(揺さぶりをかけるか)

 吾平は己の腕時計を見やって、おや、と眉を寄せた。


「女の癖に――」

 再度繰り返された言葉にぴく、と吾平の形よい眉が跳ね上がった。注意が時計から逸れる。息も絶え絶えながらギギドナは紡ぐ。

「生意気だ。4軍が、こんな……」

「テメェよぉ。俺が、女だって?」

 低く、威嚇する声で発した。

 しかし、元が高い声だ。吾平の言葉はギギドナを怯ませるには至らない。逆に混乱を招いたようで、明確に肯定される。

「は?――それ以外の何があるんだよ」


「俺は男だ」


 強く、瞳が輝く。

 底冷えするような深く重苦しい気配が漂い、荒々しい殺気となって吾平を取り巻いた。威圧は周囲に当てもなく飛び散る。狂気はそれだけで容易く意識を奪わせる。しかし、向けられたはずの男は“言い知れない何か”を感じ取りつつも答えて見せる。――悪意がギギドナへ飛び移ることはなかったからだ。

 当人に向けられればそれは容易く意識を奪わせる。だからこそ、吾平は周囲へ霧散させ、ギギドナそのものへと収束することはなかった。戦いをこのまま終わらすつもりがないからだ。吾平はその時点でギギドナを徹底して屈服させることに決めていた。

「……へぇ。その体でか?でっかい胸ぶら下げてよく言うぜ」

 下卑た視線がまとわりつくのに、吾平の思考は最高速度で熱を上げた。地の底から湧き上がる怒りは地獄の釜によって軽々しく沸点を越す。



「――――うぜぇ」


 吾平にとってそれは琴線だった。

 男子生徒として登録し、男子の制服にその身を包む上でその発言をされるということは吾平にとっての挑発だ。それも明確な害意をもつ。

 吾平は己の体を思う。女性としては申し分ない体は吾平にとっては空しさの塊だ。戦闘に対しては充分といえる肉体だった。健康で体力も筋力も普通であれば足りないことはない。加えて女性らしさを備える肢体は女性兵士として最高のものだ。――だが、吾平の求めるものには及ばない。

 吾平は男だ。それは自己の意識としての話である。肉体が女性であることに不満を覚えるのは男としての意識だ。いくら鍛えても足りないその肉体は吾平にとって煩わしい。どこまでもそれは吾平の求めるソレではない。

 吾平は異性から魅力的と評される肢体を一瞬にして凶悪な武器と認識させる。

 しなった腕は鞭、掠った爪は刃、揮われる脚は棍棒――そうと思わせるような動きで一瞬にして幾数もの攻撃を与える。先ほどまであった歓声も野次も、一瞬にして静寂にその場が塗り返された。



 先ほどまでギギドナを笑い、吾平に感心し、アカデミアに来たという自信も己へのプライドも持っていた生徒たち。けれど、今は脚が進まない。逆に凍りついた脚に感謝するほどの想いでいる。それがもし瞬間的に溶かされてしまったら折れてしまうだろう、竦んでしまうだろう。大会、というからには次に戦う者がいるはずだ。けれど誰もが同じ心境で、その場に固まっていた。前に挑み出る者はいない。

「弱ぇ。……挑んできたくせにその程度かよ」

 凍えた冷気のようなものがその場を圧迫し、言い知れない不快な塊となって皆を圧してした。縮こまった気分は吾平へと敵意を向ける意欲を根こそぎ奪っていた。そもそも、これだけの実力を見せられた上で申し出ることは自らの醜態を晒すことに繋がった。(敵わない――)

 誰もがそう思わざるを得ないほど、吾平と生徒たちの間には歴然とした実力差があった。性別の違いなど、誰もが知識の海に捨てていた。


「……君の、名前は?」

 敗れた友人に駆け寄ることもしないで、フィガルノだけがただ一人、吾平に問いかけた。


「勘違いしているようだから言ってやる」

 繊細さを感じさせるほど、吾平の紡ぐ言葉の一つ一つに周囲が気を巡らせている。そんな中、吾平は己を名乗ることもせず――ただ、訂正した。

「フィグローゼの戦闘スタイルは近・距・離だ」

 “吾平”の名は――共通語の発音では“姶良”と区別がつき難い。だから、云う意味をなくした。“吾平”の名を覚えられることが無いのならば、それは名乗る意味が無い。

(……識別の意味しか持たない名なんて)

 自ら名乗ることなく、周囲から知るだろう。あえて自ら傷を抉る必要はない。

 吾平は次なる挑戦者のいないその場を、用もなし、と過ぎ去ろうと背を向けた。



「うわーきっつ!」


 一つ、言葉が飛び出した。

 ポンッとそこに置かれたそれに目が注がれる。けれど、それはその一つに留まらない。

「毒舌の君を満足させる為に、俺も参加させてもらおうかな」

「俺も~」

 その場の雰囲気を壊す口の軽さは計算されたものだろうか。

 三人の同じ顔が口々に主張をし、吾平に向かって歩いてきた。同時に、周囲の凍結された時間は正常化する。タイミングがいい、と眉をしかめながら再び戦闘態勢に入ろうとした吾平の耳に、これまたタイミングよく言葉が聞こえてくる。

「おい、時間大丈夫かよ」

「あの時計、五分遅れてるんだよな」

 誰が言ったのか、それはすぐにざわめき始める。見ればあれから一時間も経ったかというところ。自由時間になってから比較的に早くこの状況は作られたので、フィグローゼの話から一時間強。

「ヤバ――ッ!」

 誰からも忘れ去れそうになったギギドナは冷たい廊下に包まっていた身体をフィガルノに助け起こされながら声を上げた。その焦りは確実に、その時刻に向けられていた。

(制限時間は一時間で当たりだな)

 吾平が揺さぶりをかけようと思ったのはこのことだった。熱中させて体内時間を狂わせれば時計の時間がずれていたとしても気付かない。だが、予想外に怒りに支配された吾平は罠に引っ掛ける前に戦いを終わらせてしまっていた。後は退場するだけのギギドナが口を滑らせなければ、そのまま静かに去っていたならば制限時間が“一時間”ということを決定付けなかっただろう。

(だが、何故他の生徒まで慌てているのだろう……)

 意外に多くの生徒が制限時間について知っていたらしい。時計を見てはすぐさま去り行く。目の前にいたはずのドッペルゲンガーのような三人もいつのまにか姿が見えなかった。

「アイツ、何で来ないんだっ!裏切ったな……」

 ギギドナたちは制限時間を知るが故に人々の注目を集めるようなこの場を設け、他の生徒たちの注目を引き、己だけは不自然でないようにその場を抜け、何事もなかったかのように己の教室で担任を待つ。ライバルを減らすための典型的手だ。

 そして不自然でないタイミングで抜けるために誰かを呼びに来させたのだろう。しかし、相手は来ない。だが、それも当たり前だ。時間はまだ十分にある。

 五分遅れだと言われた時計は実際には十分以上早い。

 勝負が始まる前に確認した時は吾平の持つ時計と比べて、五分早かった。しかし、勝負中に誰かがさらに時間を狂わせたのだろう。

(あの二人はサクラだな)

 密やかな、というには大振りすぎる口調の「五分遅れている」発言。生徒たち二人に視線を合わせれば当人は焦ることもなく手を振ってよこす。吾平は今度こそ背を向けてその場から去った。


「すごい、かっこいい……」

 少女は隣の友人を待たせて、誰もがいなくなった熱気の残る戦いの場に感激の言葉を木霊させた。



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