12
「これから自由時間を取る」
「何をしてもいい。クラスを移動するのもいい。ただし、私の名を忘れるなよ、“獄煉の魔女”サクラ・フィグローゼ。二つ名は“夢見る聖女”」
そういって早速、背を向ける。呆気にとられる気配が背後でしたが、それにフィグローゼを留めるだけの意味はない。あるのは推察と思考の動き、思惑が絡み合い、空気に暗雲が垂れ込める。
それは常冬のこの国では珍しくもない空模様と等しかった。
(どこまでも平凡ではないな、コチラ側は……)
フィグローゼは元々軍人だ。そちらで勇名を轟かすほどの根っからの軍人だった。しかし、ひょんなことからファラカイナに触れる機会があった。そしてその資質が見出されたのだ。歳にして21、遅すぎる再スタートだった。
以来、軍人としての席を捨てることはなかったが、こちらの――化物と戦う、凡そ非現実的な世界に身を浸している。
それは良くも悪くも普通ではなかった。平凡からはかけ離れている。未成年を大人でも対抗できないような化物と戦わせるという国の思想からして歪んでいる。大きな戦争はフィグローゼが生まれてすぐに一つあったきり、戦いのない世界のはずなのだ、本来は。
しかし、この国では若者たちが自らの身を削り、血を被り、悲嘆に胸を裂かれながら、時には自らの灯火さえも失って戦い続ける。この国だけではない。だが、ファラカイナの生産量が多いということはそれだけサリファンダも多いということだ。ガダン王国は元々小さな島国――人口密度から言えば人は多量だったが、今は当時の片鱗さえない。四季さえもあったが、冬に重点が置かれるようになったのはファラカイナの産出が始まる少し前だったらしい。歴史に紐解くと、ファラカイナとサリファンダ、そしてガダン、それらの繋がりが強固にして始まりからの結びつきだったということがよく分かる。――戦争はおきなかった。人々は一方的に搾取され、数を減らしていった。
今では領土の半分が雪山に支配され、王都以外は小都市が数個あるのみ、殆ど廃村のようなものしか残っていない。
(そういえば……一人、この国の出身がいたな)
先ほど取ったばかりの出席に目を落とす。そこには生徒各個人の詳細な資料までが取り揃えられていた。生徒たちからの提出という形を取っているためにノーデータとなる者も例外ではないのがフィグローゼの担当生徒たちだったが、その人物ははっきりとした経歴が提出されていた。
(山茶花、か……いい戦力になりそうだ)
カツン、――靴の歩みを止めた時、目の前に部屋があった。
普通ではないこの世界の、普通ではないこの学校の、普通ではない建物空間。壁のようにのっぺりとした姿だけを見せるその扉を重苦しく、押し開いた。
目に飛び込んでくる数々の華々しい色彩。思考は止まる。
視界を布が蔽い、全てを隠した。
「さて、これからどうなるか」
入ってすぐさま同僚からの抱擁(という名の奇襲)を喰らったフィグローゼがやっと己の席に着きながら言った。件の同僚といえば床に打ち捨てられて、意識をあらぬところへ飛ばしている。しかし、フィグローゼが揃ったところで会議は始まっているのだ。一瞬前までの動揺を微塵も変えさせない口調でフィグローゼは言った。
しかし、どこか余裕の滲ませたような口調とは裏腹に、冷や汗が頬を滴り落ちた。皆がそれを沈黙の内に目した。
「敵意は上々、だな」
何も見なかったことにした、教師一同のうち、一人が口を開く。限られた時間の中で、先ほどの出来事にいつまでも関煩ってはいられない、とでも言いたげな素振りだった。
「ああ、直ぐにでも火花ぐらいは飛ぶ。だが、移動の方はどうだ?」
「意味を図りかねている者が大半――ってとこでしょう」
生徒たちの様子を伺い、交わすのは円卓の中心に設置されたディスプレイに由るものだ。仕組まれた事態の推移を見つつ、教師として今後のことも詰めていかなければならない。
「まず、普通はないでしょうから。担任の変更なんて」
「それが甘いと言ってるんだ。自分で行動を積極的に起こさずに戦局を変える事などできはしない」
発言を繰り返す。言論は続く。結論に至るには及ばない。
その中で最初の発言以降は言を控えていたフィグローゼに視線が向いた。同じく、他の9人もフィグローゼに注目する。それはフィグローゼの意見を聞きたがるようなものではない。不審に眉を顰めれば、最初に目を遣したサタバが言う。
「ところで、自由時間が何時までなのか、きちんと教えてきたんですか、フィグローゼ」
「……」
思慮の内だ、と返しておいた。
「あ、私も言って無いです」
にこやかに返した同期のジープニーにはフィグローゼも自分を棚に上げて皆とともに溜息をついた。皆の興味から外された画面の中には、問題の生徒が一人、映されていた。
「おい、お前だろ。さっき4軍を率いてきた奴って」
男はギギドナ、と名乗った。
4軍、とは別に野球やサッカーなどで言う優先順位による格付けではない。ただ教師の列号にのみ使われる10までの数字。4は吾平の担任であるフィグローゼ、魔女に与えられた称号だ。近接戦闘型でない彼女が4、という比較的に上位数を与えられることは彼女そのものの偉業を称えるのだが、それでも全体的な数字の序列は中間をやや上回る程度。詳しいことを知らぬ者ならばそれを侮る者も多いだろう。
(そして今回は序列上位者――か)
それでも、それは教師における番号だ。生徒には全く関係がない。それでも、4軍という言い方をされるのであれば、フィグローゼに率いられてきた――実際には吾平が先頭を切った生徒たちのことを指すのだ。無関係と言い張れるのは喧嘩を売られた対象が己でない時だけである。
「よお、そういうお前はビビリの3軍だな」
1軍や2軍はそんな低次元のことはしない。4軍を恐れて後ろを振り返る弱者の集まり。3軍以外になかった。
「ビビりはおまえ等だろ!」
吾平の挑発に吠え、しかしギギドナの激昂は一瞬で冷めた。
「……長中距離なんて前で戦うのが怖いだけじゃないか。直接対峙を恐れて自分たちだけ安全圏にいる奴らが偉そうに」
「は――猪突猛進のバカには応用が思いつかないってだけだろ。慎重って言葉も冷静って言葉も知らないのか。距離を離して俯瞰することで戦局を見極めるのは戦術なんだよ、頭を使うんだな」
「それに、今回に置いては逆だなぁ。3軍は4軍がサリファを倒した道を付いてきただけじゃねぇか」
鼻で笑う姿を似合う、と表現するしか出来ないのが一番悔しく感じられた。ギギドナに反論は出来ない。過剰に偏見的見方だとしても、事実には相違ない。
アカデミアには教師が引率して生徒は辿り付く。その順番は教師の序列には関係が無い。だからこそ、今回フィグローゼ率いる4軍の通った後に男の所属する3軍が通ったのは偶然だ。4軍、3軍、と来てその後は7軍が、2軍が、と続いた。4軍が最初にアカデミアに着いたのはただの偶然で、その後に3軍が続く形になったのも偶然だ。だが、と思う。
(異例――そう、評してた)
3軍を率いた教師、序列3位のサタバが零したのを最前列に配置したギギドナは聞き逃さなかった。それはアカデミアからの連絡なのか、どこか遠くへと向けられた意識の欠片だった。それはサリファンダという人知を超えた存在へと警戒を深めていた雪原の中で一種不気味な予感を与えた。
不自然なほどに静かな世界は――人為的だったと知ったのは見知った在学生から後に得た。“アイラ”という銀髪の少女が4軍を率いた、という言葉とアカデミアに入るまでの陰惨な光景に理解を覚えさせられたのだ。
雪原に起きた大自然の脅威が後を消し去ろうとし、それでも消えきれなかった痕跡。血が広範囲に渡って飛び散っていた。ぶつぎれた肉片は人に恐ろしさを呼び起こす化物の生命力を感じさせぬ、強烈な死の色に纏われていた。
常冬の山は3月である今が丁度サリファンダの活動が活性化する。けれど見当たらない生物の影は巧妙に足下へと隠されていた。――活動するサリファンダが一時的に途絶えるほどの殺戮が行われた。
(それもたった一人の、同い年の女に……っ!)
ギギドナの感情の高ぶりを知ってか知らずしてか、「威張れねー」とどこかで揶揄が飛ぶ。何もわかっていない、周囲の鈍感さにギギドナは歯噛みした。
だが、微かに肘で押されてはっとする。背後にいたはずの友人がいつの間にか横に来て、一瞥して前に立った。おまえが挑発されてどうすんだよ、という友人からの気つけだ。周囲の同意を持って行かれただけじゃなかった。自分までもが巻き込まれていた。
(そうだ、今は別の目的があるんだった)
「ハイハイそこまで!」
友人――フィガルノがその場に声を張り上げた。
「良かったらここらで力比べ大会でもしないかな。ギャラリーも集まってきたし、イイだろう?」
それは予定調和の上の提案だった。




