See you, again
最近、同じ夢をよく見る。
同じとはいっても場面や出てくる人物などは毎回違っていて、最後だけ、同じなのだ。目が覚める一瞬前、その瞬間が毎回繰り返される。どんなルートを選んだとしてもそのエンディングに辿り着くことが宿命づけられているかのようで、私は抗うことも出来ず、覚醒の時を待つしかない。起きた頃には既にどんな夢を見ていたのか忘れてしまっていて、覚えていることはただひとつ。
また、同じ最後だったということだけ――。
「予習終わり、と。もう12時か、早く寝ないとまた明日遅刻しちゃうなぁ」
自分の部屋の勉強机で漢文の予習をしていた明石美鈴は大きく伸びをし、教科書を閉じて片付けにとりかかる。通学用の鞄に筆記用具やらを仕舞い、今まで放置していた携帯を手に取った。
「いつの間にメール来てたし。誰だ……蓬か」
1年生から同じクラスで、同じ部活に所属している木高蓬から2時間ほど前にメールが届いていた。多少返事が遅れたくらいで機嫌を悪くするような性格の持ち主ではないと知っている美鈴は、取りあえずメールの中身を見ることにした。
9/19 21:56
frm 木高蓬
sub (non title)
―――――――――――――
こんばんは☆
明日の英語の予習やった?
教科書学校に忘れちゃった。
明日見せて!
焼きそばパン奢るから!
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「……またか」
美鈴は眉間に皺を寄せ、通学鞄に目を向けた。英語の予習は最初に終わらせたので問題は無い。先生から予習してくるよう言われた内容は所々辞書を引かなければ訳しにくい箇所があったが、全く理解できないというわけではなかった。英語が苦手な蓬は度々、教科書を忘れて予習から逃亡を図ろうとする性質がある。先日、美鈴のクラスの英語を担当する先生から、木高さんには自力で予習するよう厳しくしてあげて、と頼まれたばかりだ。美鈴はしばらくの間、難しい顔をして考え、そして携帯を打ち始めた。1文目に返事が遅くなってごめんと謝り、1行空けて、単語の意味は教えてあげるから自分でやって、と釘を刺した。明日の英語は5限、昼休みに頑張れば終わるでしょ、と締めくくった。
勉強の電気スタンドを消し、携帯を持ってベッドに入る。しばらくすると暗闇の中に明かりが点滅した。メールを受信した知らせだ。
9/20 00:34
frm 木高蓬
sub Re:
―――――――――――――
分かった、あたし頑張る!
ありがと美鈴!!
そういえばさ、
気になること聞いたんだ。
明日のお昼に話すね!
おやすみー!
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「気になること、ね。どうせまた下らないことでしょ」
破天荒な親友に苦笑いしながら返事を送り、美鈴は携帯を枕の横に置いて目を閉じた。より深くなった闇に吸い込まれ、意識が夢想の海に沈んでいくのに身を任せ、全身から力を抜いた。
・*・*・
美鈴は制服を着て学校にいた。いつもと変わらない廊下を1人で歩き、どこかへ向かっている。
一階の生徒玄関の方では人だかりが出来ていた。購買でパンを買う人たちだ。美鈴はその群集の外れに立ち、人が少なくなるのを待った。だがお昼時ということもあり、次から次へと増えていく。壁にかかっている時計を見ると、既にもう20分も経過していた。さすがに焦りを覚えた美鈴は群れの中に入ろうと試みる。しかしいくら人をかき分けてもかき分けても、おばちゃんのもとまで辿りつけない。それどころか人は更に増え続け、美鈴は圧迫されて息もできなくなる。声を上げても誰も気づいてくれない。戻ろうとしても前に押されてよろけてしまう。あまりの理不尽さに涙が出そうになった。ただパンを買いにきただけなのにこんな目に遭うとは思いもしなかった。
疲れて座りこみそうになったその時、腕を誰かに掴まれた。それはとても強い力で美鈴の腕を引き、人込みからあっという間に救い出した。解放されて肩を下ろした美鈴は礼を言おうとしたが、相手はもう背中を向けて歩き出していた。追いかけたいのに足が動かない。気がつくと腕の中にはラップに包まれた焼きそばパン2つとメロンパンがあった。
美鈴を助けてくれたあの人がくれたのだろうか。
もう一度追いかけようと思ったが、その姿は跡形もなかった。
『…あの人は、誰?』
また、同じ終わり―――。
・*・*・
お昼休みの時間になり、クラスメイト達は各々いつものグループに集まって昼食をとる。
「あー、腹減ったー。やっと飯が食える。その前に、パン買いに行かないと」
自分の席に座っていた美鈴の前の席に腰を下ろしたのは蓬だ。1つにまとめた黒髪を揺らし、鞄から財布を取り出している。美鈴も蓬も弁当を持ってきているが、部活終わりはとてつもなく腹が減りやすい。そのため、二人はいつも購買でパンを買っているのだ。
「蓬。英語の予習は終わった?」
「まだ!後もう少し、かな。早く終わらせたいけどパン売り切れちゃうしー」
「じゃあ、私が蓬の分も買ってくるよ。だから予習してて。焼きそばパンとメロンパンで良いんだよね?」
「うん。美鈴サンキュ!これあたしの分のお金ね!よろしくっ」
小銭を受け取った美鈴は自分の財布を手に教室を出る。沢山の生徒達のお喋りが混ざり合う廊下を歩き、階段を下り、生徒玄関に向かった。
(…何か、変な感じがする)
人だかりを見つけた瞬間、美鈴は首を傾げた。毎日見かける光景に今更不思議もくそもない。案の定、しばらくぼうっと突っ立って待っていれば人数は少なくなり、残り2人というところで美鈴は購買のカウンターの前に身を置いた。箱の中にはまだ焼きそばパンが3つ残っていた。今女子が1人去っていったので、残る男子が買ったとしても2つ残る。
(良かった。間に合って)
安堵した美鈴は隣に立つ男子が買い終えるまで待とうと決めた。ところが――
「焼きそばパン、3つ」
「あ」
(しまった、声に出てしまった。でも焼きそばパン3つも買うなんてどういうこと。想定外過ぎて笑えない)
美鈴は隣をそっと伺う。シャツの襟につけられたバッジから同じ2年10組の生徒だと分かった。涼しげな横顔が憎らしい。
さっきの「あ」を聞かれてしまったのではないかと懸念していたが、どうやら気づかれなかったようだ。購買のおばちゃんは無慈悲にも焼きそばパンを全て彼に渡してしまう。
仕方ない、と美鈴は割り切って箱を見た。残ったのはメロンパンとチョコチップパンなど菓子パンばかりだ。蓬の分としてメロンパンとチョコチップパンを購入した。今の美鈴の気分としては菓子パンではなかった。焼きそばパンかコロッケパンだった。
(今日は我慢するしかないか)
自分のお腹に納まるわけでもない菓子パンと、使いどころのなかった財布を手に、教室に戻ろうと踵を返す。
すると
「ねぇ、そこの人」
美鈴は背後からかけられた声に振り返った。周囲には購買のおばちゃんか美鈴しかいない。まさか購買のおばちゃんを“そこの人”呼ばわりするのはないだろう。
彼は紺色のブレザーに指定のネクタイをしておらず、シャツのボタンも上から2個外していた。眠そうな目をしていて、寝癖だらけの頭だった。もう昼だぞ、と思ったのは美鈴の心の内に収められた。彼が両腕に抱えている焼きそばパン3つ、無意識にそれを凝視しているとまた、「ねぇ」と呼ばれた。
「あ、ごめん。何?」
「これあげる」
そう言って差し出されたのは焼きそばパン2個。美鈴は焼きそばパンと彼の顔を見比べる。意味が分からない。
「アンタ、いつも焼きそばパン2つ買う人でしょ。その葡萄みたいな髪飾り見て思い出した」
「葡萄?これ、シュシュなんだけど」
「呼び方は知らない。昨日はマスカットだった」
(マスカット?黄緑のボンボンがたくさんついてたから?確かにそう見えなくも……え)
不意に彼が美鈴に近づき、横にまとめて結った髪に触れた。美鈴の髪は細くてさらさらしており、焦がしたキャラメルソースに近い色をしている。だからかなのか、彼は真顔で
「美味しそう」
と言った。美鈴は二宮金次郎の像よろしく固まる。しかし菓子パンは床に落とさなかった。二宮金次郎にとって本が大切だったように、美鈴にとっては蓬の戦利品が大切なのだ。
彼は思っていた以上にかなり背が高く、美鈴より頭2つ分、下手すれば3つ分あるかくらいの差があった。そんな巨人に美味しそうなどという珍言を吐かれ、まさか頭から喰われてしまうのではと冷や汗たらり。そうこうしている間にも彼――巨人は腰を折って顔を近づけてくる。顔を青ざめさせた美鈴はぎゅっと目を閉じた。
(お母さん、あなたの娘は立派に生きました。どうか悲しまないで下さい。兄さん、あなたは今頃残り少ないキャンパスライフを満喫してるんでしょうね。残念ながら私のライフはここで終わりのようで――)
「またね」
(はい?)
美鈴は目を開けた。彼は既に背中を向けて歩き出している。何のこっちゃか分からない。あっちの方の階段を使うということは彼の教室は美鈴とは反対側の棟にあるようだ。
ふと何の気なしに目線を下にした美鈴は目を見張った。チョコチップパンが焼きそばパン2個に変わっていたのだ。
「え、何で…ち、ちょっと待って!」
美鈴の制止に歩みを止めた彼はゆっくりと振り向く。「何?俺、お腹空いてる」と呑気に返してくるが、それはこっちの台詞だ。
予想通り、彼の腕には焼きそばパンとチョコチップパンがあった。美鈴は彼のもとへと駆け寄る。
「この焼きそばパン、あなたのでしょ?これ2つにチョコパン1個って割りに合わないんじゃないかな」
「別にそれ3つも要らない。アンタの見てたら甘いのが食べたくなった。だから交換しただけ」
「いや、それ私のじゃなくて……というか同じパン3つって友達に頼まれて買ったとかじゃないの?」
「…そう言われるとそうだったような、そうでなかったような。どっちだったっけ?」
「いや、私に聞かれても」
(なんだこののんびり屋さんは。図体が大きいくせに中身はちっちゃい妖精か!)
心の中で激しく突っ込みを入れた美鈴の脳内では、巨人ロボットを操縦する妖精に独占されていた。兄の影響でロボット戦隊ものに熱中していた時期があった美鈴はじっと彼を見つめる。
そんな熱い眼差しに気づいたのか、記憶を蘇らせることを放棄した彼は唐突に口を開いた。
「永守和人。10組」
いきなり自己紹介を始めた彼に面食らったものの、流れに乗った美鈴が「私は明石――」まで言いかけたところで「知ってる。2組の明石美鈴」と彼に遮られた。出鼻を挫かれた気分になったのは否めないが、なぜ話したこともない自分の名前を知っているのか疑問に思った。そんなに目立ったことをした覚えはないはずだ。
「えっと、永守君。ひとまず焼きそばパンはもらいます。それで良い?」
「うん。良いよ」
相変わらず眠そうな目をしながら答えた彼に礼を述べ、美鈴は続けて
「でもこれじゃ悪いから、今度会った時は私に奢らせて。あと永守君の友達には明日、お詫びにクッキーでも焼いていくから」
「クッキーくれるの?俺は抹茶かチョコの味が好き」
「永守君にあげるんではないんだけど……まあ、いいか」
子供みたいに目を輝かせた彼に苦笑いし、美鈴は放課後スーパーに寄って材料を買おうと考えた。時計を見ると長い針が3と4の間にある。蓬を待たせている美鈴は彼に「じゃあね」と別れを告げ、自分の教室を目指そうとした。
「美鈴」
いきなり名前を呼ばれた。バッと彼を見ると、それはもう非常に緩い速さで手を左右に動かし、空いた方の手ではちゃっかりとチョコチップパンを食しだしていた。廊下で食べたら先生に怒られるよ、と注意しようとしたが言っても止めなさそうなので止めた。名前呼びについても然り。
「またね」
「はいはい。またね」
3個のパンを片手で抱えて手を振るなどという器用な真似は無理であるため、少々不恰好だが手首のみをひらひらさせて返す。巨人、もとい永守和人はむしゃむしゃとチョコパンを食べながら角を曲がって姿を消していった。階上から怒鳴り声が聞こえてきたのは厄介な国語教師に見つかったからに違いない。
「…何だったんだ、あの人」
呆れとともに呟いた美鈴は再び教室へと駆け出した。
教室に戻ると蓬は予習を終えていた。「美鈴、遅かったね。混んでた?」と尋ねてきた蓬に「うん、まあちょっとね」と返した美鈴は席について弁当の包みを開く。
卵焼きを箸でつついていた美鈴は「そういえばさ」と蓬に話しかけた。
「ん?」
「昨日っていうか今日、メールで“気になること聞いた”って送ってきたでしょ?昼休みに話すって」
おにぎりを片手に豪快にお茶を飲んだ蓬は思い出したように「ああ」と頷いた。
「10組の友達から聞いた話なんだけど、どうやら美鈴のこと気にいってる男子がいるらしいよ」
「私?デマだね。10組の男子に知り合いなんていないもん。それにクラス遠いし、全校集会の時くらいしか会う機会ないじゃない」
否定する美鈴に対し、蓬は前のめりになって人差し指を振った。すごく楽しそうだ。
「ノンノンノン。蓬リサーチによるとその男子はバスケ部のレギュラー部員で、毎日購買にパンを買いに行っている模様。昼は同じクラスの男子2人と屋上で。その後食後の運動として予鈴が鳴るまで屋上でバスケをしている。ここ先生には内緒ね。ただ例の彼は基本昼寝に勤しんでいるようである」
メモ帳まで出してきた蓬は探偵ばりに調査結果をつらつらと述べ続ける。この集中力を勉強に分けてほしいものだ。
「そんな人知らないし。というか、どうやってその人が私に関係してくるわけ?」
「いいから最後まで聞いてって。実は情報源の千和…名前出しちゃった。ま、いっか。千和の彼氏がバスケ部のキャプテンなのね、同じ10組で。その彼が千和に……仮に“その人”のことをAとしよう。千和の彼氏が『Aが最近おかしなことを言う』って相談してきたわけね。んでよくよく話を聞いてみると、分かったことは二つ!じゃじゃーん!」
そこで蓬は誇らしげにメモ帳を開いて美鈴に見せた。雑に綴られた文字を追うと
・飴細工みたいに細くて美味しそうな色をした髪。←「美味しそう」と供述していたらしい。髪飾りも狙っている。
・2組で女子テニス部に所属している。←「背が低い」と言っていたようだが、彼より背が低いのは当たり前とのこと。
⇒結論!美鈴しかいない!きゃっほう☆
「……“きゃっほう☆”じゃないよ、全く。私と決まったわけじゃないじゃない。一年の子かもしれないでしょ。確か2組の子がいたよね」
「えー、絶対美鈴だってば。真偽を確かめてもらおうと思ってさ、千和に美鈴の写真渡したんだよね。今頃確認取ってるかもよ。分かり次第メール送るって」
「うえっ。勝手なことしないでよ。違ったらどうすんの。恥さらしじゃんか」
「大丈夫だって。おっ、早速メール来ましたよ!」
素早い動作で携帯を取った蓬は携帯の画面を凝視する。そしてテニスの試合で勝利を確信した時と同じ笑い方をした瞬間、美鈴は箸を机に置いて耳を塞いだ。
「――美鈴美鈴」
「嫌!絶対聞かないから!死んでも聞かないからね!」
「ほれ」
あろうことか蓬は携帯を反して画面を突きつけてきた。耳には入らずとも目には入ってしまった。〈◎〉の記号が。
「蓬の馬鹿!見ちゃったじゃんか!」
「そう怒りなさんなって。ん?また千和からメール来た……へ?」
「何?何かあったの?」
目を丸くした蓬の反応が気になってつい聞いていた。やはり違ったのだろうかなんて淡い期待を持ちながら。だが、事態は美鈴の予想の斜め上を行っていた。
「“美鈴ちゃんの写真、A君に取られてしまいました”だって」
威勢の良い音が2組の教室に響いた。クラスメイト達の視線と蓬の制止の声を背に受けながら、美鈴は廊下に飛び出していた。テニス部で培った脚力を最大限に発揮し、美鈴は切らした息も整えないまま階段を上り、古びたドアを思いっきり開けた。目の前に広がった青空に見惚れたのも束の間、拳を握った美鈴は顔つきを厳しくさせた。日陰で腰掛けていた千和が美鈴を見て、慌てて斜め前に目を向けた。
(アイツがAか)
背中を向けているAの後ろに仁王立ちになった美鈴は頭上から失礼だとは思ったが「ちょっと君」と声をかけた。Aはきょろきょろと辺りを見回し、顔をぐいっと真上に上げた。
「逆さまの美鈴。どうしてアンタがここにいるの?」
「……永守君?」
さっきよりも眠たそうな目とかち合う。チュッパチャプスを舐めていた。手には文化祭の時に蓬が撮った、浴衣姿の美鈴の写真がある。
「ご、ごめんなさい、美鈴ちゃん。永守君に、ちょうだいと言われると同時に取られてしまいまして。真也君に何とかしてもらおうと思ったんですけど…」
そう言って千和が顔を向けた先には、同じバスケ部員らしき男子とボールの奪い合い(美鈴にはそうとしか見えなかった)をしている高間真也がいた。美鈴は顔を見たことはあった。なるほど、千和は彼氏がバスケに熱中していたので助けを求めることもできなかったのだろう。
千和は「永守君、美鈴ちゃんに返してあげてください」と睨みつけるが、全くと言っていいほど効果は皆無だ。頬を膨らませると余計可愛さが増していることに彼女は気づいていないのだろうか。千和はとうとう項垂れてしまった。
「千和ちゃん、もういいよ。永守君全然聞いてないし。それどころか寝かけてるし」
顔を上げたままうとうとしだした彼を見下ろしていると
「眠い」
「は?え、ちょ…!」
座椅子の要領で重心を後ろに傾ける彼は後頭部の存在を丸っきり無視している。コンクリートにごっちんする、と焦った美鈴は彼の両肩を押して姿勢を保たせようとするが、巨人を支えることは不可能だった。
「うぎゃ」
奇声が零れたのは美鈴の口からだ。向かいにいる千和は頬を染めて目を丸くしていた。押しつぶされずには済んだものの、膝枕状態となった美鈴は足を引き抜こうと足掻くが重すぎて叶わない。永守は心地良さげに目を細めてごろんと寝返りを打ち、「あげる」と言って口の中に入れていたチュッパチャプスを美鈴の口元に持ってきた。
(いや、それ君が今まで舐めてたやつだよね?君は一体どんな思考をお持ちになっていらっしゃるのかな?)
ふてぶてしくも自分の太ももの上に居座り続ける頭をグーで殴ってやりたい気持ちに駆られた。周囲に漂う奇妙な空気をよそに、永守は半ば強引に美鈴の口の中にチュッパチャプスを押し込んだ。
「むぐ」
「美鈴、美味しい?」
寝転んだままこてんと首を捻った永守が問いかけてきた。チュッパチャプスを出しかけていた美鈴は、彼が見せた愛くるしい仕草に心を射抜かれて思わず動きを止めた。キャラメルの味が舌を痺れさせる。すごく甘かった。
「…うん」
「そう」
美鈴の答えに満足したのか、永守は目を閉じた。あちこちに跳ねた柔らかい髪を撫でると、もっととねだるように擦り寄ってくる。健やかな寝息を立てだした彼の頭を撫でてやりながら視線を上げた美鈴は、チュッパチャプスを舐めるのを止めて苦笑した。
「千和ちゃん、目隠ししなくても良いよ。今のうちに永守君の手から私の写真抜いてくれる?」
両手で目を覆い隠していた千和は真っ赤な顔で頷き、そっと彼に近寄って写真を引っ張る。破れない程度の力を込めたにも関わらず、写真は彼の手から離れない。というか彼が離そうとしない。
「無理みたいです、美鈴ちゃん。寝ているはずなのに」
「わけ分かんないね。分かんない。本当に、分かんない…」
分かんない、と呟き続けている美鈴の目は永守の寝顔に向けられていた。秋を感じさせる風が美鈴の髪を煽る。
自分の心に訪れた、この異変の原因は何なのか。その答えは掴めそうで掴めない曖昧なものらしく、美鈴は形容しがたい感情を弄ぶ。
千和は複雑そうな表情をした美鈴に微笑み、そっとその場から離れた。
予鈴のチャイムが鳴った。美鈴は永守の肩を叩き、揺り起こす。
「永守君、起きて。早く教室に戻らないと5限の授業が始まっちゃうよ。ねぇってば」
「んん……」
「寝ないで。ほら、起きて」
美鈴の足元には舐め終わったチュッパチャプスの棒がパンの袋に入れて置かれていた。なかなか覚醒しない彼にため息をつき、どうしたものかと辺りを見回す。すると千和達が戻ってきた。
「永守君起きないんですか?熟睡しているみたいですね。美鈴ちゃん、足は平気ですか?」
「ちょっと痺れてきたかな。そろそろ何とかしていただきたい」
「ったく。お前、耳塞いでおけ。千和も」
素早く耳に手をあてた千和にならい、美鈴も両耳を手のひらで覆う。高間の傍らにいた男子は可笑しそうに永守と美鈴を見ていた。高間は一歩進んで腕を組み、大きく息を吸って――
「いい加減起きろっ和人!練習のメニュー3倍にするぞ!!」
耳を塞いでも意味が無かった。腹の底から大砲の如く吐き出された怒声は永守と美鈴に直撃し、まさに学校中に響き渡るほどだった。
「うぅ…」
永守が微かに眉間に皺を寄せ、目を薄っすらと開ける。焦点のおぼつかなかった瞳は美鈴を捉え、「よく寝た」とむっくりと起き上がった。
まるで父親のように高間が永守に説教をしている間、足の凝りをほぐした美鈴は立ち上がった。英語の授業に遅れてしまうといけないので千和への挨拶もそこそこに急いで永守の食べ終えたパンの袋を持ってドアに向かった。
ノブに手を回した時、「美鈴」と名前を呼ばれた。彼はまだ眠そうな顔をしていたが機嫌良さそうに口元を緩め、また鈍いスピードで手を振って
「またね」
と言った。今日何回目の“またね”だと思ったけれど、美鈴はにこりと微笑んで「またね」と返した。写真を返してもらうのはもう諦めた。
教室に戻るまでの間、美鈴は鼻歌を歌っていた。何の歌だったっけ、と思い出そうとしたけれど、メロディーしか頭に出てこない。歌えるのに曲名は分からない。
なんか今の私と同じだな、と美鈴は授業を受けながら思った。
その日、美鈴は夢を見た。
浴衣姿で蓬と一緒にお祭りに来ていたのだが、しばらくすると蓬は屋台をやっているという親戚のおじさんを手伝いに行ってしまった。ひとりで屋台を冷やかしていた美鈴は誰かに肩を叩かれた。屋台の明かりが眩しくて、その人の顔はよく見えなかった。けれど美鈴は気にすることなくその人と一緒に屋台を回った。その人は次から次へと色んなものを食べて、美鈴は見ているだけでお腹一杯だった。不意にその人は、自分が食べていたリンゴ飴を『あげる』と言って差し出してきた。真っ赤でツヤツヤしたリンゴ飴は宝石のようで、食べかけだったが美鈴は喜んで受け取った。
『美味しい?』
『うん、美味しいよ。次は何にする?』
当たり前のように手を繋いで、美鈴は祭りを満喫していた。紅しょうがの載った焼きそばを食べていた時、人込みの向こうから聞きなれた声がした。蓬の声だ。どうやら手伝いが終わって戻ってきたようだ。美鈴は腰を下ろしていたブロックから立ち上がり、名残惜しい気持ちでその人を見た。
すると彼は手を振って口を開く。
『またね』
美鈴も手を振り返して言った。
『またね、――君』
・*・*・
移動教室で廊下を歩いていた美鈴は前方からやって来た、体育の授業を終えて教室に戻る10組の生徒達の中に永守を見つけた。向こうも気づいたらしく、毎度お馴染みのぼさぼさの頭を揺らしながら近づいてきた。運動後ということもあって乱れ髪もいいところだ。
「美鈴、次家庭科?調理実習するの?」
「まだだよ。今日は作り方の勉強。永守君は体育何選んだの?やっぱりバスケ?」
「ううん。真也が、部活に集中しないといけないからバスケは選ぶなって。だからバレーにした」
「ああ…ブロックとか半端じゃなく強そうだよね。勝てる気がしないわ」
ネット前に立ちはだかった巨人を想像した美鈴は肩を竦める。190センチもあると聞いた時は驚いたが、どうりで永守といると首が痛いわけだ。
「そうだ。クッキー作ってきたから昼休みに持っていくね。教室で食べるんでしょ?雨降ってるし」
「うん。屋上屋根ない」
「うん、知ってる」
その時予鈴のチャイムとともに騒々しい足音が後ろから聞こえてきた。
「遅刻するー!あれっ、美鈴まだこんなとこに……あっ!A君じゃん!」
教科書と筆箱を抱えて全力疾走していた蓬は急ブレーキをかけて止まり、美鈴と永守を交互に見た。
「A君って俺のこと?何で俺がAなの?」
きょとん、と首を傾げる永守に美鈴は「違う」と呆れたように否定した。腕時計を見ると本鈴まで後3分しかなく、美鈴は面白そうに目を光らせている蓬の腕を掴んで走り出した。
「蓬、行くよ。永守君も、早く教室に戻って着替えないと間に合わないよ!」
嵐のように去っていった美鈴たちを見送った永守は「A…Bもいるの?」とぶつぶつ呟きながら、踵を返す。数歩進んだところで足を止め、振り返った。
相変わらず眠そうな目は真っ直ぐ、彼女達が駆けていった方へと向けられていて、無造作に頭を掻いた彼はぽつりと
「またね」
と言って、再び歩き始めた。
昼休みの屋上に新たな喧騒が加わるのは、もう少し先のこと。
fin.
どうも、miaです。
この短編に登場した高間真也と紫藤千和のお話は「time out」になります。よければどうぞ。
ありがとうございました。